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お狐さま、働かない。  作者: きー子
公教会事変
29/94

二十九話/火種の胎動

 ――これで四度目にもなろうか。


 ヨハン・ローゼンクランツ邸応接間。

 アルバート・ウェルシュとヨハン司教は向い合って座し、現状の確認と当面の指針を話し合っていた。


「……正直、これは、少々歓迎できない事態では?」


 情報を確認した後、真っ先にそう切り出したのはアルバート。

 彼が言う通り、ヨハン司教を筆頭とするユエラ排除派は決して有利な状況とはいえない。キリエ枢機卿は嘆願書の受け入れを拒否し、各有力者による散発的な襲撃は全て返り討ちにされている。手詰まりと判断されてもおかしくない状況だ。


 しかし、ヨハンは穏やかな笑みを浮かべて首を横に振った。


「なにを仰りますか、アルバート殿。事態はおよそ我々の思惑通りに進んでいるといっても過言ではありませんとも」

「……どういうことです?」


 いぶかしげにアルバートは眉根を寄せて問う。

 若いな、とヨハンは心中で彼を評する。アルバートは貴族としての心得こそあれど、政治家としての資質はまだまだ未熟であった。彼の父はいまだ健在であり、家督を継いでいないという事情もあろう。


「あのような嘆願書が受け容れられるはずもありません。あれは単なるポーズです。我々はキリエ枢機卿の弱腰姿勢に批判的である、その意志の表明ですな。そしてあの嘆願書に名を連ねたものは不満を溜めこみ、あるものはひそかに実力行使に出た。……この意味がお分かりですかな?」

「……キリエ枢機卿にあえて拒絶させ、各有力者の反発を引き起こす。そのための嘆願書、ということですか」

「その通り。飲み込みが早いようで何よりですな」


〈勇者〉の末裔という威名は、賛同者をつのる段階で非常に役に立った。ちょっとした政治の基礎を教示して差し上げるのも悪くはない。

 ゆくゆくは頼れる協力者となる可能性もあるのだから。


「だが、襲撃は全て失敗に終わっている。このままでは反撃を受けるものも出てくるのではないですか? ……あの事件のように」


 イブリス教団原理主義派襲撃事件。反社会的組織への攻撃とはいえ、死傷者は数百人にも及ぶ。まさに惨劇としか言いようがない。


「まさか尻尾を出すような刺客を送りこむ間抜けはいないでしょう。――それに、仮にどなたかが破滅したとしても一向に問題は御座いませんな」

「どういうことです? ……もし反撃を受けるものが相次げば、旗色を変えるものも出てくるのでは?」


 アルバートは慎重に言葉を選びながら懸念を述べる。それは決してありえない話ではないだろう。

 だが、ヨハンの考えは全く別にあった。


「事を急いで暴発するような間抜けは今のうちに淘汰されれば良いのです。破滅して下さって全く結構。むしろ相手が反撃に出れば儲けものですな。その時、ユエラ・テウメッサの危険性はこの上なく分かりやすい形で喧伝される。それは仲間内の離反より、むしろ結束を強めることにもなりましょう」

「……なるほど。合点が行きました」


 ヨハンはある程度の犠牲を許容する。どちらに転んでも一向に構わない。反撃がないならばその時はその時、脅威論が緩やかな速度で広まるのを見守るのみである。


「なんなれば、反撃を誘うために挑発するか。それよりも更に決定的な手を進めることもできましょう。……時にアルバート殿。ここから先はどのように手を進めれば良いか、案は御座いますかな?」

「……ヨハン司教には何かしらの考えがあるという口振りですね」

「無論ですとも。しかし、対話のうちに更なる妙案が見つからないとも限りません。そう、例えば……今からでもアルバート殿が直接打って出る、というのはいかがですかな?」


 突拍子もないヨハンの提案。アルバートは一瞬呆気に取られ、「……あなたは実に人の悪い御仁だ」と笑う。

 それは今考えられる限り最低の愚策といっても過言ではなかった。ヨハンはそれをあえて提示したのだ。


「ならば、それよりは余程……そうですね。もう一度、キリエ枢機卿に嘆願書をお渡しするというのはどうです? 武力行使の容認さえ取っ払えば、今回こそ無視はできないと思いますよ」


 情勢の変化を利用した再度の申し出。これを拒めば反感はさらに高まり、公教会そのものへの反発にも繋がるだろう。十中八九、容認せざるをえないはずだ。


「ユエラ・テウメッサを絶対的な危険因子とみなし、街全体を味方につける。後は武力による排除もなし崩しに容認されるのでは無いですか?」

「悪くはありませんね。及第点の方策といっても過言では無いでしょう」

「……ヨハン司教の考えは別にある、と?」


 アルバートの案は有効だが、問題もある。時間がかかりすぎるのだ。


「ええ。アルバート殿の案は確実性が高いものですが、いささか悠長と言わざるをえない。先方に逃げる時間を与えかねんわけですな。相手は根無し草の類ですから、世論が過激化するのを待っていてはくれません。さっさと逃げ出してほとぼりが冷めたころに戻ってくる――なんてことにもなりかねない」

「……確かに、それは厄介ですね。あの幻術を駆使されれば、逃亡を阻止するのはほとんど不可能だ」


 ユエラ・テウメッサはスヴェン・ランドルートに仕えているが、それは便宜的な所属でしかない。

 迷宮街は、彼女の終生の宿では無いのだ。


「となると、ユエラの討伐には電撃的な武力展開が必要不可欠。……ですが、キリエ枢機卿の承認を得なければならない現状では、それも不可能に近い……」

「その通り。そして私は、まさにその点を解決しなければならないと考えているのです、アルバート殿」

「……どういうことです?」


 いぶかしむように眉根を寄せるアルバート。

 ヨハンは白手袋に覆われた手を揉み手しつつ、わずかに声をひそめて告げる。


「まず、我々にも戦力が必要ですな。各有力者から傭兵の類をかき集めるのです」

「……それは何とも心もとない。聖堂騎士団の代わりが務まるとは思えませんが」


 人数だけは相当数に及ぶだろうが、傭兵の質は決して高くない。複数の有力者からつのれれば足並みも揃わないだろう。質・量ともに優れている聖堂騎士団とは比べるべくもない。

 しかしヨハンは首を横に振った。


「いえいえ、一向に問題ありません。良いですか、アルバート殿。まず我々は聖堂騎士団の指揮権を手中に収めたい」

「……それは、その通りですが」


 アルバートの首肯に微笑み、ヨハンはいっそ穏やかに言った。


「ですから――キリエ枢機卿を支部長の座から追い落とすのです。もっとも、殺める必要はありません。十分な手勢とアルバート殿の力をして公教会支部を制圧し、キリエ枢機卿の身柄を確保。聖堂騎士団を正式に掌握し、事を済ませる。……後は、我々の成し遂げた事物が我々を英雄に祭り上げましょう。その時こそ、公式に支部長の座を譲位頂ければよろしい。無論のこと、全面的な協力を頂くアルバート殿には最大限の恩赦を欠かしませんぞ。――いかがですかな、アルバート殿?」


 瞬間、アルバートは目を見開く。

 まさにクーデターとしか言いようもない。ヨハンにしてみればユエラ討伐のための筋道が生まれ、権力の座への道も開けるという一石二鳥の計画だ。

 ヨハンはそれをあえてアルバートに提示した。彼ならばそれを否定しないだろうと。人一倍の英雄願望を抱えた青年に、その計画は甘美ですらあるだろうと。


「……まさか。そのようなことが、まかり通ると?」

「可能ですとも。アルバート殿の力さえあれば。私はそう見積もっておりますぞ」


 剣術、魔術の両輪を備えたアルバート・ウェルシュの武力はまさに万夫不当。仮に聖堂騎士団が束になっても敵わないだろう。

 それに、この計画ならば長々と手をこまねくこともない。各有力者の反発を積極的に煽り、不満のはけ口――決起という選択肢を与えてやれば良い。

 アルバートはにわかに瞑目し、わずかに震える手で口元を覆った。


 ◆


 ヨハン司教との会合を終え、アルバートは自邸に戻ってくる。夕方から始まった会合だけあり、時刻はすでに零時を回っていた。


「……んぁ……ぅ……おかえりなひゃい……あるばーとひゃま……」


 真っ先に彼を出迎えたのは亜麻色の髪の少女、エルフィリア。

 彼女は身体をすっぽりと毛布で包み、玄関口に転がったままむにゃむにゃと胡乱な寝言をつぶやいていた。

 どこからどう見ても寝ている。いや、半分は寝ていると言うべきか。アルバートの帰りを待っている間に眠ってしまったに違いない。


「……またかい。エルフィリア」


 アルバートは思わず苦笑しながら彼女の背中と膝裏を支え、抱き上げる。その軽さに少し驚きながら、エルフィリアを彼女の部屋まで運んでいく。


「無理に俺を迎えなくてもいいから。ちゃんとベッドで寝ろと言ったろう」

「……あたひ……ねてなひもん……うあー……」


 何を言っているのだか分かったものではない。脳のほうは完全に寝ているだろう。それでもエルフィリアにしては頑張った部類である――彼女はいつも十一時には床についている。クラリスより年上のはずなのだが全くそうは見えなかった。


「……おやすみ」


 と、部屋のベッドに放りこんで扉を閉じる。

 実年齢に似つかわしからぬ無邪気さは〈長耳〉の血の影響か。人間とは時間の流れが違うのだ。そして、エルフィリアの天真爛漫な気質に救われているのも確かだった。


「……度し難いな」


 力。名声。仲間。家柄。それら全てに恵まれていながら、アルバートの心中は全く満たされていなかった。それはあまりに偉大な祖先の存在がためか。もはやアルバート自身にもわからない。

 その時、ぱたぱたと小走りに駆けてくる足音が聞こえた。


「アルバート。帰っていたのですね」


 クラリス・ガルヴァリン。頭の上のベールを取り去り、藍色の髪もすっかり下ろした姿。

 エルフィリアがいないことに驚いて走ってきたのだろう。アルバートは軽く笑って言う。


「ああ。エルフィリアはベッドに放りこんでおいたよ」

「そうでしたか……ありがとうございます。どうしてもあそこで待つと聞かないものですから、せめて毛布をと」

「今度は山盛りの毛布をやるといい。暑くなったら這ってでもベッドに行くさ」


 冗談交じりの言葉を交わし、笑い合う。彼女との付き合いもずいぶん長いもの。

 クラリスを監察官に推挙した結果はいささか予想外――あまりに偏りが無さすぎたのだが、それだけでも一定の成果はあった。


 彼女の観察眼は信頼が置け、情報の確度も比較的高い。派閥争いへの関与もほぼ無いため、報告は保守派の司教を通じてヨハン司教に流れていた。

 そう、保守派にもユエラ討伐に賛同する司教はいるのだ。


「もう遅い時間になりますが、アルバート。……少しお話をよろしいですか?」

「……ああ、構わないよ。リビングに行こうか」


 クラリスの申し出に、珍しい、と思いながらもアルバートは頷く。

 夜遅くに男女同伴など、普段のクラリスなら決して快くは思わないだろう。何かしら大事な要件があるに違いない。


 クラリスは熱いハーブティーを淹れ、リビングのテーブルに並べる。二人とも向かい合うように座ると、クラリスは単刀直入に言った。


「率直に申し上げて、アルバート。……監察官としての私の報告が、無作為に拡散しているように思えてならないのです」

「それは……そんなに不思議だとは思わないな。情報共有は必要なことだ。特に、あなたの情報は正確なものだろう。俺だって一部は目にする機会があったくらいだ」


 アルバートはそう言いながら自嘲する。欺瞞だ。確かに目にしたのはごく一部だが、ほとんどの報告はヨハン司教を通じて把握している。


「……その通り、かも知れません。ですが、そのために無用な犠牲者が……無辜の街人が巻き込まれるようなことが、あれば……」


 クラリスはカップにそっと口をつけ、俯きながら息を吐く。

 その様子でアルバートは全てを察した。相次ぐ襲撃事件のうちのどれか。ユエラの周辺人物を狙った襲撃のうち、無関係な人物を巻き添えにするものがあったのだろう。


「馬鹿な真似をするやつがいるもんだ。……それは断じてあなたの責任じゃない。剣は悪か? 鍛冶師は悪か? そうじゃない。悪いのは、殺したやつだ。俺はそう思う」

「……現状、その悪が正しく裁かれる状況にはありません。私には、そう割り切れるほどの自信はありません。私の口にしたことが、私の記したことが、即ちわざわいに繋がるのなら……私は、黙秘を選ぶほかにない」


 クラリスはそこまで言ったあと、悩ましげに深く息を吐く。彼女が心から犠牲者が生まれるのを憂いているのは明白だ。

 アルバートは想起する。これがヨハン司教ならば、喜んで犠牲者の存在を歓迎したに違いない。彼はそういう人物だ。


「ならば、俺としてこう考えるだろう。全ての禍の原因となる根本を、それをこそ排除するべきだ、と」


 アルバートは感情を抑制し、端的に立場を表明する。

 それは〈勇者〉の末裔という立場上、決して不自然なものとは言いがたい。


「……原則論としては、正しいのでしょう。ですが、それが良い結果をもたらすとは、どうしても思いがたいのです」

「元からあった治安の問題、というのも大きい。それが混乱の渦中で噴き出したんだ。……街の警備を強化するように働きかけよう。遠回りだけど、これが一番の対策なんじゃないかと思う」


 アルバートとしても積極的に犠牲者を生み出したいとは思わない。

 だが、もし犠牲者が出ればそれを利用するだろう。悲しみに暮れるより、自らの目的のための踏み台にすることを優先するだろう。

 どっち付かずの半端者。そうと自覚した上で、アルバートはそうであることを止められなかった。


「少し、考えさせてください。推挙してくださった方々の顔に泥を塗るようなことは、致しかねますから。…………でも」


 ――――私は、私の信念に背くような真似だけは、できない。

 クラリスは決然として断言し、普段からは想像もできないような荒っぽさでハーブティーを一気に煽った。

 彼女は喉を鳴らして立ち上がり、背を向ける。


「……おやすみなさい。アルバート」

「ああ。……ゆっくり考えると良い。おやすみ」


 アルバートはその背を見送る。いつもより一回りもちいさく見えるような背中。

 ハーブティーを傾けながらアルバートは思案する。結局のところ共通する問題は、ユエラ・テウメッサがすこぶる難儀な存在ということだ。

 彼女を速やかに、遺恨無く排除できれば、全ては上手く回っていく。クラリスの懸念も取り越し苦労に終わるだろう。


 クラリスはどうするだろうか。監察官の役目を放棄するようなことは無いに違いない。だが、もしアルバートが公教会へのクーデターに加担したと知ったら?


「……結果だな」


 結果が手段を正当化する。アルバートはそう結論づけ、空っぽのカップを重ねる。

 もし報告が滞るようなことがあれば、皮肉にもそれが決起の時期を早めるに違いなかった。


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