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お狐さま、働かない。  作者: きー子
公教会事変
26/94

二十六話/過日の火

「……ただし、幻覚ゆめの中で、という条件付きだがな」

「ぬか喜びさせないでほしいよ……」


 言い添えられた一言にリーネはがっくりと肩を落とす。

 しかしながらリーネは少なからず驚いた――今の自分にあれほどの活力が降って湧いてこようとは。負の感情に由来するというのは実に情けない限りだが。


「だが、殺したい相手がいるというのは確からしいのう?」

「それくらい誰にだっている。私にだっているよ。……それだけのこと」


 リーネはそう言いながらも気力を持て余すように天を仰ぐ。

 殺しても殺し足りないほど憎しみ抜いた男。リーネの暮らす家を焼き、リーネの父と母を焼いた男。名前も何も分からない。もう二十年以上前のことだから、顔はすっかり変わっているはずだ。


 リーネの両親は〈封印の迷宮〉が発見される以前、魔王が封印された土地を〈聖地〉と称して暮らしていた。〈聖地〉の周辺にはこの手の定住者が少なくなく、緩やかな共同体を形成していた。これはいわばイブリス教団の前進とも言えるだろう。


 ――――そこに火をかけたのが公教会だ。正確には、第一次迷宮攻略遠征に同伴した公教会の何者か。いまだ犯人は特定されておらず、誰も処罰を受けていない。

 急進的な過激派信徒が先走った結果であり、二度と繰り返してはならない蛮行、というのが公教会の見解だった。


「なら、殺してみるかえ?」

「……夢まぼろしでそんなことしたって虚しいだけだよ。何にもならない」

「いや、結構気持ちええと思うぞ? それにだな、こんなことを聞くのもなんなんじゃが――そやつを殺す夢を一度でも見たことはあるかえ?」

「……そんなの、何回でも……」


 と、言いかけたところでリーネは口をつぐむ。

 過去の夢は確かに何度も見た。いやというほど何度も見た。見たくもない夢を、何度ともなく見せられた。それは両親が生きながら焼かれ、自らも顔を焼かれ、あるいは殺される夢だった。


 だが――――自分が相手を手にかける夢は、ただの一度も見たことがない。


「無いという顔をしておるのう。……そもそもおまえがそやつを恐れるのは、おまえが子どもだったからだろう。今のおまえはどうだ? 自分では何もできぬ子どもか? 人ひとりをくびり殺すこともできぬほど軟弱か? ――――殺したい相手を殺そうとも思わぬか?」

「……子どもなのはご主人さまのほうだろうに。そんなにちいさいくせに、人を誘うやり口は大悪魔も顔負けだね」

「なにを言う。私は悪魔みたいに契約だのなんだの小賢しいことは言わんぞ」

「悪魔は対価を求めるだけ良心的だよ。……きみは本当に面白がってるようにしか見えないから最悪だ」

「面白がってるのはせいぜい半分くらいだな」


 ユエラはくく、と笑ってリーネを覗きこむ。その目はやはり砂色の髪に覆われたまま。

 彼女の心はもはや決まっていた。


「……やらせて。別になんにも解決しなくたっていいから。めちゃくちゃに暴れたい気分なんだ」

「うむ、その意気であるぞ」


 リーネの自暴自棄な答えに、ユエラは満足気に笑って頷いた。

 ――その後ろではテオと対峙する魔術師たちが阿鼻叫喚の様相を呈している。


 ◆


 ユエラのちいさな掌が、リーネの頭にそっと触れた。

 その手が忌まわしき記憶を探り当て、極めて現実的な幻をリーネの前に再現するという。


「……なんか、私、上手く担がれてないかな」

「余計なことを考えるでないよ。好きこのんで記憶をほじくり返されたくもなかろう?」


 確かにそうだ、とリーネは頷く。記憶――すなわち脳内の秘密をどうして彼女に預けようなどと考えたのか。

 決まっている。彼女なら自分を変えてくれるかもしれない、と思ったからだ。千年の昔に〈災厄の神狐〉とまであだ名された異形の化生テウメシア。彼女ほど人心や意志に精通する魔術師はそういない。


「一旦暗くするでな、心の準備ができたら合図しい。おまえの記憶を、おまえの過去を、おまえの忌まわしき瑕疵を――今のおまえに突き付けてやろう」


 ユエラがそう言った瞬間だった。

 彼女の言葉通り、リーネの視界が完璧な黒に染まる。自分以外は何も目に映らない真っ暗闇。足元は真っ平らなガラスの上を歩くように不安定で、目の前にいたユエラの姿も見当たらない。


「……焦るでないぞ。十分に落ち着いてからで良い」


 ユエラの声だけがどこかから聞こえる。リーネは頷き、顔を上げ、そっと片目の火傷痕を撫でた。

 リーネはその場でゆっくりと深呼吸する。胸を張り、周囲をぐるりと見渡し、また深呼吸。首筋から下腹部までをゆっくりと撫で下ろし、そしてリーネは口を開く。


「……いいよ、ご主人さま。お願い」


 ――――刹那、柱を逆巻くように這い登る炎が家屋の天井を焼き崩した。

 焦げた木材が音を立てて雪崩を打ち、木床をめちゃくちゃに打ち据える。燃え広がる炎は家の壁も余すところなく灼熱し、いくつもの風穴を空けていく。

 吹きこんでくる大気が更なる燃料と化し、業火はさらに燃え上がる。燎原の火のようにそこにあるものを焼き尽くして。


 ここは、あの時の家の中。リーネは呆然と立ち尽くし、そして状況を理解した。


「……そのまま放りこまれたようなもの、かな」


 当時、リーネは家の片隅にあるクローゼットに押し込められていた。娘だけは助かるように、という両親の計らいである。


 だからこの状況は過去の追体験や再現というわけではない。介入、あるいは模擬実験といったほうがより正確だろう。


「……っ」


 逆巻く炎が頬を掠めた。リーネは咄嗟に微量の魔素を結合し、迫る熱波の流れを押し返した。

 リーネはそっと頬を撫でる。火傷痕などはできていないが、熱の感覚は本物だ。幻覚だからといって気を抜いていたら痛い目を見ることになるだろう。


「……もうちょっと、ちゃんと説明してほしかったよ」


 リーネは弱り切った声でぼやくものの返事はなかった。

 しかたなく炎の海を掻き分けながら歩き出す。両親の姿を探すのだ。もっとも、リーネは彼らの死に目に関する記憶が無いのだが。


「誰だ、あんたたちは!」

「入口を開けてちょうだい!!」


 しかし、幸か不幸か――今際の声だけは確かに覚えがあった。

 ばちばちと火の粉が弾ける音色にまぎれ、声がかすかに漏れ聞こえる。


「――――黙れ、異教徒め」

「ぐあっ……!!」

「あっ……あなたっ、あな……ぎゃっ……!!」


 それは入口のほうからだった。

 一片の感情さえもうかがえない死の宣告。そして、恐怖と絶望がないまぜになった聞くに堪えない断末魔。


 木片が焼け焦げる臭いにまぎれ、鉄錆の悪臭がつんと鼻を突く。

 ――――瞬間、リーネの頭の中は真っ白に染まった。


「……『来たれ糾える業火よ汝の身へと』」


 青白い唇がごくごく自然に詠唱を紡ぎだす。

 そのままリーネは入り口の方へ歩いていき、狙うべき敵を見定めた。


「中に子どもがいるかも知れん」

「十中八九助からんだろうが、念には念を入れよう」


 標的は三人。その姿はよく覚えている。リーネがクローゼットの隙間から覗き見た若い祓魔師。彼らは揃って黒い法衣をまとい、手には血塗れたメイスを携えていた。彼らが今も健在ならばすでに司祭、あるいは司教の位を得ているだろう。


「グロース、どうだ」

「いや。ヨハン、そっちは」

「異常はない。ダルヴァは?」

「こちらも子どもの姿は見当たらない」


 グロース。ヨハン。ダルヴァ。

 その名前はリーネの記憶にはなかった。あるいは、無意識に封じ込めてしまっていたのか。

 リーネはその名をしかと脳裏に刻みこみ、声のする部屋に飛びこんだ。


「――――『解き放て』」


 瞬間、出会い頭に慄く男の姿を視認する。

 リーネは構わず魔力を解放し、紡ぎ上げた術式を発動した。


 ――――炎魔術・焦熱ブレネイド――――


「がっ……あ!? ぐっ!? ぎゃああああッ!?」


 渦を巻く炎が宙を駆け、男の一人に喰らいつく。

 一度噛み付いた焔は標的を離さない。炎の蛇が男を撫で回すように表面を這いずり回り、際限なく炎を拡大する。


「ダルヴァッ!?」


 こんな反応はリーネの記憶には無い。だからこれは、ある種の一般的な反応としてユエラが組みこんだものだろう。

 構わなかった。何もかも。目の前の男が現実であろうと空想であろうと、全てを焼き尽くしてしまいたい。みんなみんな、灰になってしまえばいい。


「『貫け光条、我が怨敵に』――――」


 これまでにないほどの速度で詠唱が紡ぎだされる。詠唱が殺意に追いつかない。自分の遅さが焦れったい。目の前の男たちが呼吸をすることが我慢ならない。一秒でも早く灰も残さずに焼きつくさなければならない。


「ま、魔術師ッ……!!」

「グロース、危ないぞ!!」


 横からヨハンという男が警告する。しかしもうすでに遅かった。


「『射抜け』」


 ――――炎魔術・熱照射イレイズ――――

 

 突き出したリーネの掌を基点にして放たれる光条。


「あ、がっ……」


 槍よりもなお鋭い砲撃が祓魔師――グロースと呼ばれた男の額をぶち抜いた。彼は顔面にぽっかりと穴を穿たれ、力無く前のめりに倒れこむ。


「貴様――異教徒め!!」


 残る一人の男、ヨハンは憎悪も露わに殺気を叩きつけてくる。

 だが、温い。憎悪も、殺気も、手ぬるい。私のほとばしる殺意には一片たりとも及ばない。


 ああ、そうだ。こうすれば良いんだ、とリーネは思った。

 何も恐れることはない。何も遠ざけることはない。

 殺す。ただ徹底的に殺す。相手の全てを否定する。私が恐れるのでは断じてない――奴らこそが私を恐れなければならない。

 脳が焼け付きそうなほど熱を帯び、処理速度を加速させる。少しでも早く詠唱を紡ぎ上げるため。一瞬でも早く敵を殺すため。


「『幾千億の光条、我が怨敵の呼吸拍動脈動生命全てを一切赦すことまからず』――――」

「……ぐっ……!?」


 祓魔師の男が一瞬気圧されて足を止める。リーネは彼の一挙一動を観察する。次の狙いを決して外さないために。

 そして、リーネはふと目を留めた。メイスを握り締める男の手。火の手に炙られたのだろうか、皮膚が焼け爛れているようだった。


「――――『狙え』」


 ――――炎魔術・収束照射ビクシオム――――


 刹那。リーネが紡いだ詠唱の文言通り、幾千億の極細の光条が輝ける軌跡を描いてヨハンに降り注いだ。

 矢の雨とも槍の雨とも付かぬ地獄がヨハンを穿ち、引き締まった肉体を余すところなく食い破る――彼には断末魔を上げる暇も与えられなかった。


 最後に火傷痕がくっきりと刻まれた掌のみを残し、ヨハンの肉体は跡形もなく消滅した。


「……は」


 大火燃え盛る中、リーネはその手を拾い上げる。

 この火傷は決して浅くない。もしこれが本物だとすれば、まず間違いなく傷跡は残るだろう。あるいは、この幻覚をもっともらしく見せるための後付に過ぎないのか。

 わからない。でも、覚えておこう。もしかしたら、この男は、今も。


 ――――そう考えた瞬間、天地がひっくり返るような感覚とともにリーネの視界は暗転した。


「……っ……あ……?」


 めまいに近い感覚にリーネはたたらを踏む。前髪をそっと押さえつけ、酩酊感が収まるまでその場に座りこむ。


「――戻ってきおったな」


 その時。どこか暖かい声とともに、ちいさな掌がリーネの肩に触れた。

 ゆっくりと立ち上がって振り返ると、そこにはユエラ――のみならず、テオや魔術師たちも一人残らずリーネを見守っている。


「……今の、は……」

「およそはおまえの記憶の再現だな。多少の欠落は私が埋めておいた。信徒どもの反応は私が想定した行動に過ぎんが」


 そういってユエラはにこりと微笑む。よくやった、と言わんばかりに。

 あれほどに負の感情をむき出しにして、叩きつけ、辺り構わず最大級の魔術をぶちまけたというのに。


「……名前は?」

「ああ、あれは声がちいさくてよう聞こえんかったからな。息の音で判別した」

「……ど、どういうことなの?」

「あー、雑に言えば息の出方と発音からつづりを特定したのだ。訛りがあれば間違っとる可能性もあるのう」


 つまり、暫定的には正確として構わないということ。ユエラの言葉を信じるならば。


「侵入者なんぞはおまえの記憶から汲みとった姿そのまんまだ。まず間違いはない。おまえの記憶が正しければ、の話だが」


 確かに、と首肯する。二十年も前の記憶が正確に残っている保証はない。

 しかしリーネは構わなかった。他に頼る縁などありはしないのだから。


「リーネ。気づいていますか」

「……な、なにをかな」

「あなたがやってみせた詠唱です。――あなたは戦術級魔術の詠唱を、先ほど私に向けたごく小規模な魔術の詠唱より、迅速にかつ正確にやってのけていたのですよ」

「…………え?」


 テオの指摘にリーネはただただ困惑する。

 そんな自覚は全く無かった。むしろまだまだ遅いとすら思っていた。ほとばしる殺意に詠唱が全く追いつかないと思った。ただの一秒でも目の前の敵の心臓が拍動するのを許せなかった。


 いよいよ担がれているのかな、とリーネは魔術師たちを見渡す。

 しかし彼らは一様にテオの言葉に頷いた。


「私としては、リーネ司教があれほどの使い手だとは思ってもみませんでした」

「……それはいささか司教に失礼では?」

「しかし正直なところ、同感です」

「私は震えが来ましたよ。高速詠唱を使われる程の御方とは」


 口々に述べられる賛辞がいやに恥ずかしい。権力の座にあった時はもっと露骨なおだても聞いていたものだが。


「……司教はやめてほしいよ。私はもう司教じゃないから」

「うむその通り。こやつはおまえらの部隊長になるからのう!」

「へあっ!?」


 ばしばしと彼女の肩を叩くユエラ。リーネは顔を赤くしたまま素っ頓狂な声を上げる。

 ユエラはぺしょん、と狐耳を寝そべらせながら首を傾げた。


「おや、気に入らぬかえ?」

「いや、いいと思いますが」

「リーネ隊長ですか」

「自分たちは構いませんが」

「うむ、おまえら中々話がわかるな」

「ちょっ……ちょ、私の意志は!?」


 リーネは慌てて抗議する。先ほどのことはあくまでも幻相手の模擬実験に過ぎない。実戦で同じことをやれるとは限らないのである。


「なんだ、隊長は気に入らんか」

「ではユエラ様、魔術師長というのはどうでしょう」

「それだ。うむ、良い感じではないか?」

「名前を変えただけよね!?」

「左様」

「左様じゃないよう!」


 泣きつきかけるリーネを一瞥し、ユエラは端的に問い直す。


「……どうしてもやれぬかえ?」

「うん」

「何があっても?」

「……うん」

「では、もしおまえの仇がまぎれておったら?」

「ブチ殺す」

「その意気だ。では頼むぞ、リーネ魔術師長」

「うん――――って、え、ちょっ……!!」


 ユエラはぽんとか細い肩を叩き、改めて彼女を任命する。

 五人の魔術師たちは揃ってリーネに向かい、敬意を払うように一礼した。


「では、またよろしくお願いします、リーネ師長」

「う、うん……」


 ――かくて外堀は埋め立てられ、リーネ隊は結成された。

 リーネ率いる魔術師五人の計六人。リーネ隊は非常時にスヴェン邸へ急行し、スヴェン・ランドルートの護衛に務めるものとする。


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