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お狐さま、働かない。  作者: きー子
迷宮街騒乱
19/94

十九話/いくさの後で

「……皆、揃うておるな?」


 査問会が終わったその日の夜。

 ユエラはスヴェンの管理下にある酒場を貸し切り、ひっそりと宴会を催すことにした。襲撃の功労者を労うための酒宴である。


 主に迷宮中層の探索者を相手にする酒場〈酔いどれ烏〉。間接照明の仄明かりに照らされた席をぐるりと見渡し、ユエラは順番に点呼を取る。


「こちらテオ隊六人集合しております、ユエラ様」

「ユエラ様バンザイ!!」

「おまえらは肩肘張りすぎだ。もう少し力を抜くが良い」


 テオ率いる傭兵六人はジョッキグラスを掲げて一斉に声を張り上げる。臨時契約の拘束期間は過ぎているのだが、実に付き合いが良い連中である。


「大丈夫。こっちも揃ってるよ」

「飲み食い放題と聞いちゃ黙ってられませんからね」

「全くだぜ」

「隊長、頑張った部下に酌してくださいよへへへ」

「馬鹿なことを言ってんじゃない。……あんたが酌をするのが先だろう?」

「ああ、こりゃ気が付きませんで」

「じゃあそれは俺がやりますよ」

「いや俺が」

「おいでしゃばるんじゃねえ!」


 一方、フィセル率いる傭兵六人は実に和気あいあいと騒がしかった。部隊を率いた経験はないと言っていたが、ずいぶん上手くやったらしい。ユエラは満足気に頷く。


「うむ。それでは我らが大将からお言葉を頂こうではないか!」


 そういってユエラは端の席――スヴェンとフランが並んだ席に目を配る。

 スヴェンはフランに支えられながらゆっくり立ち上がり、一度大きく咳払いして言った。


「――語るべきことは多くない。皆、よくやった。私が予想したより遥かによくやってくれた、と言っていいだろう。また私が力を必要とした時には、積極的に君たちに協力を仰ぎたく思う。無論、彼女らの指揮のもとに」


 その言葉に傭兵らがにわかに沸く。彼らの本分は探索者であり、傭兵契約は一時的なものに過ぎない。しかし彼らの反応を鑑みれば、半常備兵として数えても差し支えはないだろう。

 有事の際には優先的に動員できる常備兵。それもきちんと訓練が施された兵は、一商人にはなかなか得がたいものだ。


「……と、御託はこんなところで良いだろう。今夜は私の払いとする。存分にやってくれたまえ」


 瞬間、傭兵たちから爆発的な歓声があがる。耳が聞こえずとも伝わるのであろう熱気に苦笑しつつ、スヴェンはゆっくりと席に着いた。


「よーしよし。しからば今夜は無礼講であるぞ。スヴェンにしかと感謝して酒に溺れ狂うが良い――――」


 ユエラはテーブル上のグラスを高く掲げて立ち上がり、さながら鬨の声のごとく宣言する。


「――――乾杯!」

「乾杯ッ!!!!」


 ◆


 それからのどんちゃん騒ぎは筆舌に尽くしがたい有様であった。

 まるで店の中でドラゴンが暴れ回ったような惨状。とても総勢二十人にも満たない宴会とは思われないが、そうなったのには理由がある。

 事の発端はフィセル隊に属した傭兵、ゲオルグの何気ない一言だった。


「フィセル隊長とテオ隊長ってどっちが強いんだ?」


 彼一人に責任を帰することはできまい。その場にいた誰もがその発言に乗っかったのだから。


「え? そりゃーお前……フィセル隊長だろ?」

「いやいやテオ隊長だろ。おまえは隊長の活躍見てないからそう言えるんだよ」

「どれだけ凄くても武器の差があるだろ。短剣と剣だと間合いの差がだな……」

「武器の差とか関係ねえって。俺が剣持とうが槍持とうが勝てねえよ」

「そりゃおまえじゃ無理だろ」

「それ言ったらフィセル隊長も槍相手に殺しまくってたっての。武器で単純に比べられるわけねえだろ」


 ――まさに喧々諤々の様相。宗教戦争もさながらな一触即発の事態に、当のフィセルはすっかり呆れ返っていた。


「どうでもいいだろうそんなこと。実際に戦うような機会も無いだろうしさ」

「いいえどうでも良くありません」


 そこに火を注いだのがテオである。

 薄褐色の肌をぽぉっと赤く上気させたままフィセルの隣にどっかと座る――これ以上ないほどわかりやすい絡み酒であった。


「なんだい、穏やかじゃないね――うわ酒臭っ! テオ、あんた、ちょっと飲み過ぎじゃないかい?」

「すまん。私に付き合わせておったら飲み過ぎたみたいでの」

「あんたかーい!!」


 ユエラはそこに悪びれず顔を出す。今となっては狐耳も尻尾も放り出したまま。査問会の追求から無事に逃げおおせたため、隠しておく理由も無くなったのだ。近いうちに街中の手配も取り下げられるという。


「どちらがユエラ様のご寵愛をたまわるか、これは実に重要なもんだいです。その座にもっとも近いのは私とあなたのどちらかであることは疑いようがありません。ですから、私とあなたがいつか雌雄を決しなければならないことは必然なのです、わかりますか、フィセル」

「いや私はいいから……別に寵愛とかいいから……全然あんたにあげるから……」

「その余裕が気に入りません!!!!」

「めんどくさいね!?!?」


 面倒がりながらもテオに押し付けられたグラスを律儀に空けていくフィセル。元々面倒見は良いたちなのかもしれない。そういえば宿屋の娘にも好かれておったな、とユエラは詮ないことを思い出す。


「ユエラ、テオがえらくストレス溜まってるように見えるんだけど……なんか心当たりとかないかい?」

「おまえ以外でか」

「私以外で」


 なんで私なんだいと不満気なフィセル。その理由は、「強いから」としか言いようもない。


「やはり、あれかのう」

「あれ?」


 フィセルが首を傾げるのに、ユエラは店のカウンターをちょいと指し示した。そこにはスーツを身につけた細面のマスターと、扇情的な衣装をまとう青白い肌の女がいた。


「……なんだいあの格好」

「前言ったであろう、〈魔具〉を持ち逃げしようとした女なんだが。捕まえたから奴隷にしようかと思っての」

「やってることが本当に最悪だけど多分それっぽいねえ……!」


 いよいよ突っ込みが追いつかないようにフィセルは呻く。

 イブリス教団原理主義派司教リーネ。かつてそう呼ばれていた妙齢の女は、いまや踊り子もかくやという薄衣と上下のビキニを身に着け、酒場の注文取りに従事させられていた。別に毎日そうしているわけではない――本日限りの単なるユエラの思いつきである。


「こっちにエールひとつおくれ」と手を振ると、リーネはぎこちない手つきでユエラの前にグラスを置いた。

「……まさか、こんなことまでさせられるなんて思わなかったな……」

「なあに、思っておったよりはずいぶんまともであろう?」

「……確かに、そうなんだけどもね……」


 痩せている割には存外女性らしい身体つきが露わな格好。リーネは砂色の髪に覆われた目元を赤く染める。傭兵たちには実に刺激的な光景だろう。飢えた獣のような彼らの前に放り出されたら、もっとひどい目にあったことは想像に難くない。


「姉ちゃん、こっちもエール頼む!」

「は、はいー……!」


 哀愁ただよう足取りで注文取りに走るリーネを眺め、テオはぽつりとつぶやいた。


「私ももてあそばれたいです」

「頭がおかしくなったのかい?」

「新しい玩具に手が伸びてしまうのは理解いたしますが、胸があって腹が立ちます」

「乳は関係なかろう乳は」


 テオにも年ごろの少女らしい物思いがあったのか。ユエラはかなり意外に思う。

 一方、傭兵たちは相変わらずフィセルとテオのどちらが強いかで無闇に盛り上がっていた。全くアホばっかりである。


「人間というやつは成長せんなあ……」

「いきなり長生きアピールしだしてどうしたんだい?」

「喧嘩売っとるのかおまえ」

「ユエラ様はいつも強くかしこく偉大ですよ!!!」


 酒が入っているせいか容赦がないフィセルの突っ込み、フォローになっているかも怪しいテオのフォロー。


「まあ、むかーしも最強談義やらはようやっておったぞ。あんな感じに」

「クマとイノシシとか?」

「千年の昔にも魔物はいたはずですが」

「……じゃあ、ドラゴンとトロルとか?」

「いんや、西の国の英雄ジークリードと東の国の英雄ディエトリィのどっちが強いか」

「私どっちも結構好きなんだけど……そんな俗っぽいことやってたのかい……?」

「人間そんなもんじゃよ……」


 ちいさく鼻を鳴らしながらユエラはエールを傾ける。

 だが、だからこそ愛おしくも思うのだ。傍目には非合理的で、無意味なものに必死になれる人間という生き物。それはユエラに近しい人間も決して例外ではない――否、むしろ最たる例と言えた。


「ユエラ様」


 と、その時。テオ隊の傭兵の一人が不意に声をかけてくる。


「なんだ、どうした?」

「ユエラ様はどう考えておられますか? フィセル隊長とテオ隊長、どちらのほうが強いか」


 その問いを受け、ユエラは一瞬ぽかんと口を開けた。

 瞬間、酒場にいる人々の視線が一斉にユエラに集中する。彼女こそ二人のことを誰より知っている、と思われている証左。だから彼もユエラに尋ねたのだろう。


「……う、む……」


 ユエラは一瞬返答に窮する。こんなに困る場面は査問会でも一度も無かった。

 実際のところ優劣は付けがたい。二人が手合わせした際はどちらかといえばテオが優勢だが、結果は余計な横槍のせいで有耶無耶に終わった。今改めて再戦したとすれば果たしてどう転ぶか。


 テオの地力は常軌を逸した鍛錬の賜であろうが、フィセルの戦闘センスもやはり逸脱して優れている。一度目と同じ流れが展開されるとは限らない。二人ともが武術をして魔術の域に達している以上、勝敗の行方は極めて曖昧だ。


「私が一番えらいから一番強いということでけりを付けんか?」

「だめです」

「一兵のくせに言いおる」

「無礼講と仰られたではないですか」


 そういえばそんなことも言った気がする。

 では何と言ったものか。正直に言えば「わからない」となるが、それで納得してもらえる雰囲気ではないだろう。ユエラは腕組みして首をひねる。


 と、テオはぐいっと一気にグラスを煽って言った。


「――かくなる上は今ここで勝負を付けましょう」

「……テオ、あんた、ここでやる気かい?」

「そうです。本来はあの日に決着がついていてしかるべきです。今ここで決めましょう」

「落ち着きなよ、いくら奢りといったってこんなところで暴れるのは通らないだろうさ」


 フィセルはそういってユエラに目配せする。助け舟を求めるような視線。

 確かに、このままだと外でやるとも言いかねない。平時なら一向に構わないが、今はなにせ二人とも酔っぱらいだ。手元が狂って死につながる可能性も無いではない。


「よし、わかった。存分にやるが良い」

「……えっ?」

「ありがとうございます。ではフィセル、観念して刃を――」

「おっと、待て。勘違いするでない」


 呆気にとられたように目を見開くフィセル。早速刃を抜きかけるテオ。

 ユエラは彼女ら二人をいさめるように掌を振り、言った。


「リーネ、エールを二つおくれ」

「ま、巻き込まれるのはごめんだよ……!」


 扇情的な衣装にはまるで不似合いな、おどおどとした手付きでグラスをふたつ置いていくリーネ。

 彼女がぱたぱたと去ったあと、ユエラはにこやかに二人に微笑みかけた。


「酒を呑んで暴れるのは良くない。であるから、平和的にどちらが強いかを決めるが良い――――飲み比べで」


 ◆


 一夜が明けた。


 まるで砲撃の雨に晒されたような惨状だった。酒場の床に傭兵どもがひっくり返っているさまはまさに死屍累々。

 スヴェンとフランの主従は十分な支払いを置き、早々に酒場から退散していた。これはまことに賢明な判断だったと言えるだろう。


「……うっぷ。もー無理。降参だよ」


 テーブル上で睨み合いながらエールを酌み交わした二人。先に音を上げたのは意外にもフィセルが先だった。

 二人とも顔を赤く染めてしたたかに酔っていたが、泥酔というには程遠い。酒精を分解する力が高いためだろう。では何が勝負を決したかといえば、これはひとえに水分をより多く飲めたほうの勝ちである。水を大量に飲ませるだけでも十分に拷問足りえるのだから。


 どさ、と倒れこむように突っ伏すフィセル。対照的にテオは勢い良くグラスを掲げて勝鬨をあげる。


「……ふふ、これでようやくどちらが強いか決まりましたね。どうですユエラ様、見ていて下さいましたか、私はやりましたよ!!!!」

「……あー、うん、ようやった、おまえはようやったとも」


 ユエラはテオの頭に手を伸ばし、さらさらの黒髪をくしゃくしゃと撫でてやる。彼女はさも嬉しそうに頭を擦り寄せ、犬猫のように喉を鳴らす。馬鹿げているが実際大したものだとは認めざるを得まい。

 その時、少女のか細い肩がぶるるっとちいさく震えた。もじ、とにわかに太ももを摺り合わせ始める。


「テオ」

「は、はひ?」

「厠か」

「――――そそそのような滅相も」

「漏らしたらこの先十年はいじり倒してやるからな」

「それもやぶさかでは」

「やめよ」


 足元がおぼつかないテオに肩を貸し、強引に添え付きの厠まで引っ張っていく。

 まさか従者の世話をしてやる羽目になるとは思いもせなんだが、普段は見せないような顔も見せてくれた。だから今日は特別に許してやるとしよう。自分も無礼講などとのたまったのだから――ユエラは寛大な心をもって薄く微笑んだ。


 ◆


 ――これも所詮は一夜の夢。永劫に近いユエラの生に比べれば、気にかけるほどのことでもない。


 あるいは、ユエラにとっては何もかも、いつか無価値になるものでしかない。

 それでもユエラは、一時の享楽に耽ることを止められないのだ。


 それはさながら、渺々たる砂漠でたった一杯の水を求めるかのように。


 ◆


 この後、目を覚ました二人は昨夜のことを綺麗さっぱり忘れていた。


 ――――などという都合のいいことは一切なかった。


 フィセルは酒の席での乱行を丁重に詫び、いつも通り〈封印の迷宮〉へと向かった。二日酔いの症状は欠片ほども見受けられなかった。詫び金として、フィセルがその日稼いだ魔石の半分がユエラに贈られた。


 テオは以後、断固として自らに飲酒を禁じた。自らの粗相のこともしっかり記憶しており、彼女はそのまま首をくくりかねないほど恥じ入っていた。


「私しか知らぬことだから気にするでない。私とおまえだけの秘密というやつだ。まぁ、おまえをからかう種には悪くないかのう?」

「どうか、どうかご容赦をくださいませ……」


 テオは顔を真っ赤にして恐縮するばかりだったが、ユエラに弄ばれて恥じ入る姿はどこか嬉しげであったという。



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