十八話/査問会
イブリス教団原理主義派襲撃事件。
スヴェン・ランドルートによって主導されたこの事件は、ある狐人――ユエラ・テウメッサの安全を確保するための必要措置として扱われた。
事件発生当初は襲撃の正当性が問われたが、この点は時が経つにつれて鳴りを潜めた。弱小勢力〈闇の緋星〉への襲撃事件、迷宮と外部の無断接続、教団兵に対する搾取構造など、社会悪としての実態がこれでもかというほど暴露されたからである。
表向きは公教会と敵対していたこと、元教団関係者による内部告発なども相次ぎ、スヴェンはほぼお咎め無しということになった。――内部告発がユエラの仕込みだったことはもはや言うまでもない。
裏ではそれなりの金が動いたと思われる。原理主義派教祖コルネーロによる大量の内部留保。そのいくらかが公教会に流れこんだとすれば、彼らは労せずして懐を潤したということになる。
一方、なあなあでは見逃されずに厳しい追求を受けた事案もあった。
ユエラ・テウメッサ。彼女こそはまさに手配中の危険因子、魔王すらも上回る魔力の持ち主に他ならないという事実。
なぜスヴェンの元に彼女が留まっているのか。スヴェンはなぜ彼女を公教会に引き渡さなかったのか。これらの点が特に問題視され、スヴェンは公教会の査問会にかけられることと相成った。いわば申し開きの機会である。
――――公教会ティノーブル支部、白亜の円形大講堂。
スヴェンは通訳係の従者フランに付き添われ、査問委員会の質疑に応じていた。
「……すなわち、貴公は安全のための必要上、彼女を確保していたと?」
「何度もそのように申し上げた。彼女は人の手で安易に制御できるものではない。さりとて、彼女ほどの力を有するものを野放しにしては無責任の謗りを免れえない。私は彼女がこの街に災いをもたらさないよう試み、私が可能な限り働きかけたつもりだよ」
被告席の斜向かいに席を構える査問委員会の男性司教たち。本来彼らは圧倒的に有利な立場だが、今日ばかりはそうもいかなかった。
スヴェン・ランドルート。彼は確かに豊富な資金力を持つが、強大な背景を有しているわけではない。言うなれば、取るに足らない街の有力者の一人に過ぎなかった。
――――しかし、彼一人の意向で魔王にも匹敵する化け物が動くとなれば、どうか。
ユエラの存在が問題視されたのはまさにその点だ。もはや襲撃事件などは関係ない。これは迷宮街の安全を大きく左右するほどの事案である。
街中には緘口令が敷かれており、傍聴人は片手で数えられるほどしかいない。彼らは厳かに沈黙を保ち、査問会の成り行きを見守っている。
「もう、良いでしょう」
その時、ふと上座から涼しい声が上がった。
紅き衣の枢機卿――ティノーブル支部長キリエ・カルディナ。
「スヴェン殿。ユエラ・テウメッサ殿をお呼びいただけましょうか。我々は彼女からの聴聞を必要としています。貴公からの聞き取りのみではいささかの無理がありましょう」
「私自身もそう思い、控えさせている。すぐにお呼びしよう」
スヴェンはフランに合図を送る。と、控室から導かれ、ユエラは静々と大講堂に姿を見せた。
銀色に近い艶やかな灰色の髪、透き通るように蒼い瞳。水色の清楚なドレスから灰色の毛並みの尻尾を零し、少女は俯きがちに微笑む。頭の上には狐耳がぴんと立ち、ぴくぴくと小刻みに震えている。
それは一見、幼くも可憐な娘に見えた。控えめで、しとやかで、無害な少女にしか見えなかった。そんな彼女が、実は魔王にも匹敵する魔力を持つ怪物なのだと、果たして誰が考えられようか。
ユエラはゆっくりと被告席に上り、傍聴席と斜向かいの査問委員らに頭を垂れる。
「被告。姓名と所属を」
キリエ枢機卿の端的な問い。
「名はユエラ。姓は無いが、通例に従いテウメッサを名乗っておる。所属は……」
ユエラはちらりとスヴェンに目配せし、少し俯きがちに告げた。
「あるじ様……否、スヴェン殿にお仕えする身としておりますのじゃ」
司教らがにわかにざわめく。フランがぷるぷると肩を震わせる。スヴェンはちいさく嘆息し、自らの従者をなだめるように肩を叩いた。
「結構です。……スヴェン・ランドルートの保護下に入る経緯についてですが」
「あるじ様の語ったとおりに間違いはありませぬ」
イブリス教団から追われる身の上で、寝食にも困っていたところをスヴェンに匿ってもらったこと。彼には多大なる恩があり、仕えるに申し分ないとユエラが認めたこと。
「あなたが有する力について、それを証明することは可能ですか」
「……進んで危険視されたいとは思わぬな。やってみせろというのなら、そうするのもやぶさかではないが」
「証言について疑問はありませんが、それが実際にどの程度のものかを判断するのに必要な情報です。私共があなたの存在を観測できたのは、極めて大規模な儀式級魔術の行使が確認されたからでした。それと同規模のものを、今ここで、実害のない程度に再現願えますか」
ユエラはスヴェンをちらりと一瞥する。首肯され、ユエラはすぅっと目を閉じた。
瞬間的に練り上げられた魔素を結合する。莫大なエネルギーを産出する。一秒にも満たない瞬間出力で行使される大規模魔術。
――――幻魔術・百花繚乱――――
瞬間、大講堂の壁面が突如として爆発した。
「……なっ!?」
壁の向こうから噴出した炎が床を這う。
熱風は上へ上へと上り詰め、灼熱された天井の崩落を引き起こす――その間にも火災は講堂中に手を伸ばす。
「う……!?」
「か、火事だッ!」
もうもうと立ちのぼる黒煙。何人かの査問委員が立ち上がって出口へと向かう。
しかし、分厚い炎の壁が彼らの行く手に立ちふさがる。彼らを逃すまいとするように。
「な、なんだ……!?」
何人かが立ち往生を強いられる最中、天井が次々に崩落を始める。瓦礫が大講堂の床に叩きつけられ、周辺に破片を撒き散らす。席の周りにパチパチと火花が散る。被告席と査問委員達を隔てるように瓦礫が積もり、脚の踏み場を埋め尽くしていく。
あまりの光景にフランはスヴェンにしがみつく。彼もまた愕然と立ちすくむ――この光景を幻覚と分かっているにも関わらず
「やめろ、止め、止めなさい!」
「こ、このままでは……!!」
ついに査問委員席から悲鳴が上がるようになったころ、ぴしゃりと冷静な声が響き渡った。
「……結構です。止めてください」
キリエ枢機卿の落ち着き払った一言。
瞬間、全てが掻き消える。大講堂を満たす猛火も、瓦礫も、何もかも無かったことになる。ユエラが術を解いたその時から。
――否。そんなものは初めから無かったのだ。
「――――これで、情報の足しにはなったかえ?」
「確かに。証言に間違いはないと認められるでしょう」
キリエ枢機卿は額の汗を拭い、眼鏡をゆっくりと拭きながら言う。
ユエラの魔術が幻を司るものであることは周知済み。ゆえに、慌てて逃げ出したものは資料に目を通してもいなかったのだろう。あるいは幻覚と分かったうえでも浮足立つほどの青瓢箪か。
もっとも、今しがた披露した魔術は本気ではない。熱さや痛み、煙たさなど、細かな感覚までは再現していなかった。
「……やはり、これほどの魔術師が野放しにされることは極めて危険だと考えられる。公教会への引き渡しが妥当だと考えるが、いかがか?」
意見を述べるのは先ほど慌てふためいていた査問委員の一人。禿頭に引き締まった身体つきの中年司教。いささか情けない振る舞いだが、提言は実に真っ当だった。
そこにスヴェンが口を挟む。あくまでユエラの保護者として。
「安易に引き渡しと言われるが、そちらに引き渡した後の方策はあるのかね。彼女が現在のところ私に従ってくれているのは、あくまで彼女自身の好意に寄るものに過ぎない。そのことはすでにご存知だと思うが」
その指摘に査問委員会は揃って押し黙る。魔王にも匹敵するという衝撃のあまり、討伐することばかり考えていたに違いない。ましてや当の危険人物が特定個人に友好的であったり、手を貸したりする可能性など頭に過ぎりもしなかったろう。
「あいにくだが、私はおぬしらの言いなりになってやるほど義理堅くはない。あるじ様への恩には報いたいが、それ以上のものではないのでな。私とあるじ様を切り離すというのなら、それ相応の行動に出させてもらうことになろうぞ?」
「馬鹿げている! 公教会を脅すつもりか!? そのような反抗的な態度は――――」
「…………脅す?」
鋭く細められた青い眼差しが査問委員を睨めつける。男は「うっ」というちいさな声を喉に詰まらせた。
「何を勘違いしておるか知らんがな。私がそうする、と言ったら実際にそうする。それとも、おぬしはそれをお望みか?」
見た目だけなら人間の少女と変わらないような狐人。その外見から侮っていた査問委員は、認識を改めざるをえない。
それは少女の形をした怪物だ。人間社会の論理は決して通用しない。もし野放しにすれば、今とは比較にならないほどの災厄を撒き散らすことは想像に難くない。
リスク覚悟で彼女に手を出すか、あるいは特定個人の手元に置いて管理するか。査問委員会に突きつけられたのは、かくも不自由な二択に他ならなかった。
途端に委員会席がざわめき出す。現状を理解したということだろう。
ここからどう転ぶかはユエラにもわからない。反抗的な態度を見せたのは、引き渡しに応じないためにも必要なことだった。
強硬的な手段に出るか、経過を観察するのか、あるいは。
「静粛に。不規則発言はお止めください」
キリエ枢機卿は眼鏡のブリッジを持ち上げて言い放つ。大講堂が水を打ったようにしんと静まり返る。
「……事態を把握いたしました。委員長権限で発令します。ユエラ殿の身柄はスヴェン・ランドルート殿の保護下に置くものと正式に定め、現状を維持するものとします」
「なっ……」
他の委員が咄嗟に異議を申し立てようとする。が、キリエ枢機卿の刺すような視線がそれを許さなかった。
「ただし、ユエラ殿の有する力については非常に大きな問題が潜んでいます――それが濫用された場合、対処は困難を極めるということです。そういった好まれざる事態の発生は可能な限り避けなければなりません。しかるに、ユエラ殿には保護観察の措置を行わせていただきます。武力をともなう強硬的な手段はより大きな逸脱を誘いかねないため、原則的に行われないものとします。――――以上、異議は御座いますか?」
ふむ、とユエラはちいさく頷く。
落とし所としては妥当だろう。
他の委員から表立って反対の声はない。現状維持というと日和見的だが、保護観察処分の文言が効いたようだ。ユエラがスヴェンを一瞥すると、彼もまた頷き返して口を開く。
「私からも賛成しよう。……つまりは、私がしっかりと手綱を握っていればそれで良いということだ。私の管理能力に私自身が疑義を呈するなど、あまりにも馬鹿げた話ではないか」
さも当然、と言わんばかりにスヴェンは言い切る。初めから共犯関係だったことなどおくびにも出さず。
「結構。保護観察処分の詳細については後ほどご連絡させて頂きます。――――それでは、これにて査問会を終了といたします」
最後まで、あくまでも淡々としたキリエ枢機卿の宣言で査問会は幕を閉じた。
◆
査問会終了後、静まり返った大講堂で二人の人影が立ち会っていた。
一人は紅き衣を身にまとった枢機卿。白金色の長やかな髪に眼鏡をかけた若い女――公教会ティノーブル支部長キリエ・カルディナ。
そして、もう一人は赤い髪に整った顔立ちの若い剣士――〈勇者〉の末裔、アルバート・ウェルシュ。彼は公教会の信徒ではないが、アズラ聖王国の有力者として傍聴席に着いていた。
すなわち、先ほどの査問会の成り行きを見守っていた一人である。
「……キリエ枢機卿。あれを野放しにしておくのはあまりに危険過ぎる。今すぐにでも何かしらの手を講じるべきでしょう」
「彼女――ユエラ・テウメッサを放置するとは一度も明言しておりません。私は彼女を公教会ティノーブル支部の保護観察下に置く、と先ほども申し上げたはずですが」
アルバートは机の上で掌を組み、額を押し付けながら深刻そうに言う。一方、キリエ枢機卿は大講堂の中心から男を見上げて淡々と応じた。
「それでは事実上の放置と何ら変わりがない! あれが本当にスヴェン殿に従っていると、本当にお思いか!?」
「いえ」
「ならば、なぜ――」
「彼女が一個人に従うとしたらむしろ危険性は高まります。何に使われるか分かったものではありませんから。ですが、どうやらその限りとも言えないようです」
「……だとすれば、恭順の姿勢は全て嘘ということでしょう。スヴェン殿さえ彼女の被害者に過ぎないのかもしれない。あれは早急に排除しなければ、また今回のような被害者が出ることになる……!」
アルバートは顔を上げ、悲壮感すら漂う表情でうったえる。
だが、キリエ枢機卿はその提案をあっさりと跳ね除けた。
「排除することを選択した場合、その危険はあまりに膨大です。この街そのものが破綻しかねません。私の務めはこの街の自治であり、安定であり、均衡を保つことです」
「……危険であることは承知している。だが、あれを内側に抱えるなど、俺には承服しかねる! それはあまりに……それだけでも平時の均衡を崩しかねない……!」
キリエ枢機卿はアルバートを一瞥し、くいと眼鏡を持ち上げる。
「お静かに。……爆弾鼠も無闇に触れなければ無害な魔物です。しかし人は自らそれに触れ、わざわざ我が身を危険に晒す。ただそこにいるというだけのことに耐えられず。おそれゆえに人は破滅する」
爆弾鼠は〈封印の迷宮〉上層部に現れる魔物である。普段はぴくりとも動かず、火花を散らして餌となる虫をおびき寄せる。強い刺激を与えれば周囲を巻き込んで爆発するという不可解な性質を有しており、探索者からは蛇蝎の如く忌み嫌われていた。
「……速やかに、かつ確実に排除する手段があるというなら私はそれを選びます。ですが、そんなものがあろうはずもありません。彼女は全くの未知数だからです。彼女が先ほど見せた術も、おそらくは力の片鱗に過ぎないでしょう。……その上で問いますが、アルバート殿。あなたには、彼女を確実に討伐する方策があるというのですか?」
キリエ枢機卿の詰問にアルバートは押し黙る。そのような方策などあろうはずもない。いかなる犠牲を払ってでも排除するべき、というのが彼の考えなのだから。
「……表向きとはいえ一個人に帰順を示しているのは我々にとって好都合。野放しにしておくよりは所属が明らかにしておくほうが遥かに懸命です。その上で彼女の力のほども探り、後々の布石といたしましょう。彼女は魔王に比肩するほどの危険因子ではありますが、魔王ほどの害意はうかがえません。重々に警戒観察し、自らの敵を知ることです」
「……なるほど。キリエ枢機卿のお考えはよくわかりました」
「ご理解に感謝を」
アルバートは緩慢に立ち上がり、礼をして大講堂から退出する。静謐に満たされた廊下を歩きながら彼は思う。
キリエ・カルディナ。彼女の家とは三百年前、初代〈勇者〉の代から長く続く縁だった――しかしこれほど考え方の違いがあろうとは。
アルバートは断固としてユエラを排除するべきという考えだ。先の襲撃事件は言わずもがな、彼女こそフィセル・バーンスタインの同行者であったことも記憶に新しい。
フィセルはユエラに師事した結果、急激に力量を高めたのではないか。それと同じようなことを繰り返せば、街中にユエラのシンパが潜在することにもなりかねない。キリエ枢機卿は経過を観察するというが、気づいた時にはすでに手遅れということも十分にあり得る。
キリエ枢機卿がユエラを"敵"と表現したのはリップサービスの一環だろう。強硬な反対者を説得するためには理解を示すのも必要なこと。しかし結局は宥和策を取ることに変わりがない。
――――何とかして方針を転換させなければ。あれを野放しにするわけにはいかない。反対派の司教といち早く接触するべきだろう。そして公に討伐する機会を得るのだ。
魔王にも匹敵する魔力を持つ怪物。それを討ち取ったとなれば、初代〈勇者〉にも並ぶ誉れを得られる。そうなれば彼女もきっと考えを改めてくれるはず。
公教会の外に出て振り返る。荘厳な神の家を見上げながら、アルバートはキリエ枢機卿――かつての幼馴染を思った。