十五話/イブリス教団原理主義派襲撃事件・序
「教祖様、本日の蓄財となっております。こちらをお納めくだされ」
「……うむ、大義であるぞ僧兵長」
黒い僧衣をまとった屈強な男が大袋を片手に入室する。彼を部屋に迎えたのは、黒と金の豪奢な僧衣を身につけた老年の男であった。
「机の上に置いておいてくれたまえ。しかと私が預かっておこう」
「は。それと一つ、教祖様に報告事項がございます」
「ふん。監視のことか?」
教祖と呼ばれた肥満体の男は禿げ上がった頭を軽く撫で、ため息をつく。
「……は。まさにご慧眼。その通りで御座います。兵を監視に向かわせましたが、まんまと撒かれたようで、そこからは行方が掴めず……」
「……そうか。予想はしていたがな」
僧兵長の報告にも落胆の色はないが、苦々しい表情は隠せない。これでもう四日連続になるからだ。
教祖――イブリス教団原理主義派教祖コルネーロ。彼は机の上にごとりと置かれた袋を一瞥し、改めて僧兵長に視線を向けた。
「構わん。だが追跡は継続せよ。いつか必ずや尻尾を出す時が来るはずだ。その時こそ我々が時の救世主となる時だ……」
「かしこまりました。……教祖様、やはり〈魔具〉を借り受けるわけには?」
「ならん。危険が大きすぎる。あれを得るにも少なからぬ犠牲を要したのだ。この意味がわかるな?」
「……申し訳ありません、差し出がましいことを。本日は失礼いたします。魔王イブリスの福音があらんことを」
「うむ。行って良い」
コルネーロにうながされ、僧兵長は一切の疑問を抱かず退室する。
部屋にはコルネーロだけが残される。贅を尽くした教祖の間。色鮮やかな絨毯に豪華極まりない調度品、壁際に飾られている名画の数々。
「……くく」
コルネーロは薄く笑みを浮かべ、黒檀の机に置かれた袋を確かめる。
その中身は大小を問わない大量の魔石。しかも厳選された良質のものばかり。これこそはイブリス教団原理主義派の主な収入源――教団兵による迷宮探索の成果であった。
「く……くくく! 全く、笑いが止まらんな……!」
価値の低いものはまとめて換金し、教団兵に俸給として配布する。文句を言うものは一人もいない。魔王イブリスの糧に大量の魔石が必要、というお題目を大真面目に信じこんでいるからだ。
いくらかは教団運営のために用いられるが、半分近くはコルネーロの懐に収まるのが実情である。
末端の教団兵を半ば犠牲にしているだけあって、勢力の伸長は著しい。資金力や兵力は言わずもがな、政治的にも力を持ちつつある。先日は一部競合する勢力――イブリス教団普遍派〈闇の緋星〉を壊滅に追いやり、彼らの財宝を奪ったばかりである。
――この分ならもっと勧誘に力を入れても良かろうな。
大量の魔石を金庫に収めながら、コルネーロは今後の算段を立てる。数を増やせば彼女もいずれ尻尾を出すだろう。〈魔具〉が反応を示したという風変わりな小娘。
彼女が街に現れた時期、〈闇の緋星〉が動きを見せた時期、そして公教会の手配。これら三つが奇妙な符号を見せた以上、無関係とは考えがたい。今のところ確たる証拠と言えるような証拠は無いが。
一方で彼は公教会への情報提供を行っていない。証拠がないということもあるが、他の勢力に知られることを避けたのだ。もし獲物を横取りなどされたら堪ったものではない、というのがコルネーロの思惑であった。
「もしもし、教祖様。もうお休みになっているかな?」
と、その時。脳天気な声とともに扉をノックする音がした。
「いいや。入りたまえ」
コルネーロは金庫をきっちりと施錠してから許可を出す。
部屋に入ってきたのは、にこにこと笑みを絶やさない妙齢の女であった。目元を隠すほど長い砂色の髪、不健康なほど青白い肌、黒に青ラインの目立たない僧衣。彼女はつい先日入信したばかりの新参者だが、教祖に準じる序列者として特別に扱われている。彼女が挙げた功績のためである。
「どうしたのだね、リーネくん。この夜半に」
「うん。つい昨日、ボルト司教の行方が分からなくなったんだけどね」
「確かにそういった報告は受けておるが」
ボルト司教。教団内でも主に外部とのパイプ役を務めていた事務方だ。
昨日の外出から行方が分からなくなり、それっきり続報は入っていない。行方不明と決めつけるのも時期尚早ということで、何日か様子を見ることになったのだ。何らかの揉め事に巻きこまれたという可能性もある。
「それがどうした。特別気をつけるほどのことはないように思えるがね」
「確かにそうなんだけどね。……時期が時期だよ、教祖様。ボルト司教が行方不明になったのも、彼女が関係していたとしたら?」
「それこそまさかではないか。あの小娘は我々の監視から逃れるのみならず、すでに我々を敵とみなして行動していると?」
「でも、現に足取りを追跡できているわけではないよ」
彼女の淡々とした指摘にコルネーロは沈黙する。教団が得た〈魔具〉やそれにまつわる情報は、そのほとんどが彼女の手引によるものに過ぎないからだ。
イブリス教団普遍派〈闇の緋星〉副教祖。それこそは彼女――司教リーネのかつての立ち位置であった。
「……よろしい。万全を期そうではないか。明日にも教団兵に追跡調査を命じよう。その線から相手の足取りを掴める可能性もある、ということなのだろう?」
「その通りだよ。裏を返せばね。やっぱり、その〈魔具〉だけでは不完全みたいだから」
リーネが指差す先――色とりどりの宝石で飾られた小箱には、今も〈闇の緋星〉の財宝が眠っている。〈災厄共鳴の羅針盤〉。彼らはかの〈魔具〉をそう呼んでいたという。
「……魔力を追跡する〈魔具〉といえば聞こえは良いが、断続的にしか探知できないのは考えものだな。あの小娘が魔王にも匹敵する魔力を持つとして、それを探知できないなどということが考えられるのか?」
コルネーロは今さらながら懐疑を口にするが、リーネはあくまで慎重に自らの考えを述べる。
「ありえないとは言えないよ。むしろ〈魔具〉の探知能力すら霧散させているとも言えるんだから。実際、探知できる時はその場から動かないことが多いんだったよね?」
「……その通りだ」
動かないということはつまり休息中。夜から朝にかけての時間がほとんどであるから間違いはない。これも〈魔具〉を貸し出さない理由の一つだった――役に立つ期間が限定的すぎるのだ。
「結局、接触するのは手足がやらないといけないってこと。他のところに任せたくは無いんでしょ?」
「手がかりを得られるだけ良しとせねばならんか。……だが、それこそ我々の得意分野だ。どれだけ煙に巻こうが狐の小娘ごとき、我々が早晩追い詰めてくれるわ」
「その意気だよ。じゃあ、私が言いたかったのはそれだけだから」
司教リーネはにこやかな笑みを浮かべたまま、ひょうひょうと教祖の間から退室する。
その後ろ姿を見送りながら、コルネーロはひそかに野心を煮えたぎらせる。
――――事が済めば奴も排除せねばならん。〈闇の緋星〉壊滅には役立ったがもはや用済み。私に肩を並べるものなど、教団内に誰ひとりとして存在してはならないのだから。
五時間後。
屋敷の壁面に沿って仕掛けられた爆発物が、轟音とともに建物の一角を吹き飛ばした。
◆
閃光。衝撃。そして爆風。
圧倒的な熱量の嵐が敵拠点の壁をなぎ払い、風通しの良い大穴をこじ開けた。
「総勢突入します! ユエラ様バンザイ!」
「ユエラ様バンザイ!!」
「ユエラ様バンザイ!!」
白煙にまぎれて瓦礫の隙間を縫い、テオ隊は電撃的に敵拠点へ突入する。
こそこそと逃げ隠れするような真似は必要ない。陽動は長く相手を引きつけてこその陽動だ。むしろ積極的に耳目を集めるべく七人は声を張り上げる。
爆破したのはちょうど裏口に当たる一角。ちょうど警備役が詰めているだろうというテオの予想は見事に的中した。
「な、なんだ、こい……がぁぁッ!?」
「ユエラ様バンザイ」
「ユエラ様バンザイ」
風穴から突入するなり六人の傭兵が二人の教団兵を包囲する。三人ずつで丁寧に蹂躙され、教団兵は抵抗する間もなく殺された。
その隙にテオは近くの部屋の安全を確保。幸いにして詰所はもぬけの殻。これで早々に奇襲を受けて潰走する可能性は無くなった。
一方、拠点内はすでに大変な騒ぎに陥っていた。あれほどの爆発音が聞こえなかったわけはない。現在も十数人以上の足音がこちらに接近しつつある。
「ではショーン、陽動攻撃成功の旨を今すぐフィセルにお伝えください。良いですね。死ぬ気で走ってください。帰りはゆっくりで良いですから行きはとにかく死ぬ気で走ってくださいユエラ様バンザイ」
「かしこまりましたユエラ様バンザイ!!」
「良い返事です」
テオ隊の傭兵たちは例外なく脳内麻薬が極まっているようだ。殺気ほとばしり眼は充血し、体力も気力も溢れかえらんばかりである。頼りになるのは良いことだ。
テオは静かに頷いて通路側に向き直る。教団兵が押し寄せるまでそう長い時間はかかるまい。
「良かったんですか、もう連絡送っちまって」
「連絡が早く行くに越したことはありません。私たちが第一波を凌いでいる間も侵攻することができます。違いますか?」
「確かにそうだが、演習だと凌いでから連絡をやっていたでしょう。この土壇場で想定外の行動に出るのは……」
傭兵の一人が懸念を示すが、テオはこともなげに言った。
「そんなことを心配していたのですか。一人欠けたところで私たちが遅れを取るはずはありません」
「……言い切りますね」
「気づきませんでしたか? 先ほどの兵ですが、ユエラ様の幻よりもかなり低い練度でした」
「……そ、そうでしたか? 全く気づきませんでした」
傭兵の男は不思議そうに首をひねるが、それも当然。テオが言っていることは全く根拠の無いデマカセだった。
「あなた方はすでに幻の兵を相手にした訓練を済ませています。そして今から相手取るのは、それ以下の雑兵に過ぎません。仮に敵が半分程度の練度とすれば、私たちは訓練の時の倍近い数を相手取れるということです。少なからず個人差はあるでしょうが」
「な、なるほど」
「テオ隊長、そんな考えがあったのか……」
返す返すも全くのデタラメである。傭兵たちが感心しているのをよそに、テオは迫る足音に意識を向ける。侵入者だ、と口々に騒ぎ立てる声を近くに聞く。
「さて、来たようです。取るに足らない雑兵が。徹底的に殺しつくして差し上げましょう。私たちが築き上げた骸をユエラ様に捧げましょう。ユエラ様バンザイ」
「ユエラ様バンザイ」
「ユエラ様バンザイ」
初めは機械的に、あるいは冗談交じりに繰り返されてきた聖句。それを唱える傭兵たちの眼差しがいつしか狂的な輝きを帯びる。それぞれの得物を構えながら、三人二組の陣を組む。
「いたぞ!」
「あそこだ!!」
「敵は……七人! かかれ!! 皆殺しにしろ!!」
そこに現れたのは十人以上にも及ぶ教団兵。各所の警備役を集合させたのだろう、寝ているところを叩き起こされたわけではなさそうだ。
ひゅん。
殺到する五人一塊の教団兵に向け、テオは小刀を投擲する。
「あがっ……!」
「前進」
端的な命令に応じ、テオ隊は行動を開始。侵攻する必要性は無いが、侵攻する素振りは見せておいたほうが良い。
「怯むなッ! 進めッ! 魔王イブリス様の加護ぞあらん!!」
後方に控える指揮官に従い、教団兵は愚直なまでに直進する。刹那、彼らとテオ隊が激突する。
テオは新たに短剣を抜き、前列の一人を突き殺す。そして残る三人をそれぞれ二人がかりで各個撃破する。
「ユエラ様バンザイ」
「ユエラ様バンザイ」
「ユエラ様バンザイ」
白い廊下に血飛沫がほとばしる。返り血が傭兵たちを濡らす。流血と狂信に酔う彼らはますます戦意を昂ぶらせる。
「前進」
「ち、近づかせるな! 何としてでも押さえ込め!!」
指揮官は必死に訴えるがそう上手くはいかない。槍でもあれば話は別だが、狭い室内戦で槍が必要になるとは考えまい。
さらに五人を轢き潰すようにひき肉にする。殺人への抵抗感など微塵もない。魔物どころかゴミでも放り捨てるように、テオ隊は敵を蹂躙する。
「か……かくなる上はッ!!」
配下をあらかた潰したところで指揮官が抜剣し、テオに斬りかかってくる。せめてもの時間稼ぎのため、捨て石になろうというのだろう。だが、彼はテオに接近すらできず五人の傭兵に包囲された。
「ユエラ様バンザイ」
「がぁっ……!」
まず一人の傭兵が短槍を突き出し、指揮官の男の大腿部を刺し貫く。彼はあえなくその場で膝を折る。
「ユエラ様バンザイ」
「うぐっ……!」
次いでもう一人の傭兵が男の胸に大鎚を叩きつける。衝撃で肋骨が粉砕される。
「ユエラ様バンザイ」
「あがッ……!」
戦斧が振り下ろされる。男の脊椎に致命傷をもたらす。
「ユエラ様バンザイ」
「お……ご……ッ」
長剣が突き出される。男の心臓を貫通する。
「ユエラ様バンザイ」
そして大剣が振り落とされ、男の頭は果実のように弾け飛んだ。
「ユエラ様バンザイ」
「ユエラ様バンザイ」
「ユエラ様バンザイ」
崩折れた男の死体を囲んで叩いた後、傭兵たちはテオに向き直る。
「完了しました、テオ隊長」
「ここは片付きましたね。では被害を拡大しましょう。二人、私についてきてください。各部屋に突入、制圧します。残る三人は通路側の見張りを。部屋から逃げようとするものは逃がしてください」
あえて逃がすのは騒ぎを大きくするためだ。訓練の時と全く同じ手順である。
「では行きましょう。……ショーンも戻ってきたようです」
フィセル隊へ連絡に向かわせた傭兵が駆けつける。彼は瞳を狂騒に輝かせながらテオに報告する。
「フィセル隊長から連絡です。了解した、これより侵攻を開始する、とのことです」
「結構です。これから私たちは各部屋を制圧しますので手筈通りに。あなたは見張り側に加わってください」
「仰せのままにユエラ様バンザイ!」
再び七人となったテオ小隊。彼らは屍山血河を踏み越え、損害を無制限に拡大し続ける。最終的にその手にかかったものは、非戦闘員も含めて百人以上にも及んだ。