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お狐さま、働かない。  作者: きー子
迷宮街騒乱
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十一話/迷宮×遭遇戦

 地下迷宮――公教会から正式に与えられた名は〈封印の迷宮〉。


 どこまで続くとも知れないこの魔窟は、およそ五層ごとにがらりと景色を変える。景観そのものは変わり映えのない石窟だが、出現する魔物の生態系が明白に異なるのだ。


 地下一層から二十層までは駆け出しの領域とされ、訓練を積んだ軍人が数人がかりで挑めば楽に踏破できる。このことは第一次迷宮攻略遠征の時点でも明らかにされていた。


 一方、フィセル・バーンスタインが今いるのは地下五十五層。


 当然ながらここまで歩いて潜ってきたわけではない。〈封印の迷宮〉には地下二十五層以降、およそ五層ごとの区切りで空間転移ポイント――〈攻略拠点〉が設置されているのだ。地上ではお目にかかることがないような大魔石が目印となっており、よく目立つ。


 地上ではまともに実用化されていない空間転移の魔術。それも地下迷宮に限っては例外らしい。地上とは比べ物にならない魔素の密度、豊富に結晶する大魔石。そのおかげで、フィセルのような一般探索者も〈攻略拠点〉を利用することができた。


「……っし」


 ばちゅん。

 フィセルの振るった長剣が鈍い音を立て、半固形状の巨大な魔物を叩き潰す。

〈大ぶよぶよ〉。憎きあいつを倒せるようになったという成果を試すように、彼女はこの階層を虱潰しに歩き回っていた。


 ――――もう、心配はないか。


 五十個目を数える魔石をバックパックに放りこみながらフィセルは嘆息する。

 いくら訓練を積んだとはいえ所詮は幻影。狐に化かされていただけではあるまいか。そのような懸念は本日の探索で見事に払拭された。


 魔力の流れの見極めについてはすでに完璧。後は魔力の流れを断ち切るときの加減だが、フィセルはたった数匹で同量の魔力を相殺させるコツを体得した。

 才能を開花させる速さに至っては神話時代の英雄もかくやという偉業だが、本人だけはそのことに全く無自覚だった。


 フィセルは剣身にこびりついた粘液を振り払い、〈攻略拠点〉に足を向ける。今日の探索はあくまで日が空いた分の慣らしのつもりだったのだ。結果として大量の魔石を得られたが、これ以上の深層に進むつもりはない。

 次の目標階層は地下六十層。挑む際には細心の注意を払い、入念に用意をした上で目指すべきだった。


「……む」


 魔素が結晶して生じたとされる石壁の通路――その向こう側からかすかな音が聞こえ、フィセルはふと耳をそばだてる。


 地下五十五層には大ぶよぶよの他にも危険な魔物が棲息する。フィセルにとっては囲まれでもしないかぎり大した脅威ではないが、警戒するに越したことはない。

 この先はフィセルが通ってきた通路である。まるで足跡のように大ぶよぶよの残骸が散らばっており、それを食料にする魔物が寄ってきた可能性はある。


 こつ、こつ。フィセルはゆっくりと、しかし確かに歩を進める。

 その時――通路の曲がり角から現れたのは一人の若い男だった。


「……ふん」


 フィセルは彼を一瞥し、ちいさく鼻を鳴らす。剣は下ろしたまま、しかし向ける眼差しは剣呑なほど鋭い。相手への警戒を全く解いていない。


「……あなたか」


 相手の反応も似たようなものだった。板金の部分鎧に身を包み、腰に二振りの長剣を帯びた若い男。やや長い赤髪に、意志の強さをうかがわせるブラウンの瞳。端的にいって整った顔立ちがいささか苦々しげに歪む。


 その身に宿る巨大な魔力の流れ――以前見た時にはぼんやりとしかわからなかったが、今のフィセルにはよくわかった。

 ユエラに及ぶほどではないということも。


「通してもらえるか。私は今から戻るところでな」

「こちらの質問に答えてくださったならば」

「私とお前たちは友達か? それとも協力者だったか?」


 フィセルは強引に押し通ることを考える。が、相手は間違いなく一人ではないだろう。通路の横幅は三人、あるいは二人が並ぶだけで手一杯になる狭さだ。


「現時点で道を違えることは無いはずですがね。フィセル殿」

「見ているものが違う。それなら一人のほうがずっとずっとましだ。退け、〈勇者〉御一行殿」


 アルバート・ウェルシュ。

 初代〈勇者〉アルベイン・ウェルシュを祖とする一族の末裔。彼こそはアズラ聖王国がお墨付きで派遣した迷宮調査のための最精鋭部隊、その一人だった。


「嫌われたものね。アルバートさま」

「……無理からぬことでしょう」


 と、男の後ろから二人の女が現れる。

 亜麻色の髪を肩に滑らせる長耳の弓手。

 藍色の長髪、白い法衣に身を包んだ司祭。


 やっぱりか、とフィセルは舌打ちする。これで無理やり突っ切るのは不可能に近い。殺傷沙汰になって不利なのは仲間がいないフィセルのほうである。


「……待っていた、わけでは、無さそうだな」

「ええ。だが、それゆえにこちらにとっては幸運でした」


 つまり私は、ただ単に運が悪かったってわけだ。

 フィセルは大人しく床に剣を突く。警戒はするが、わけもなく攻撃を仕掛けてくるような相手ではない。


「私に何を聞くことがある?」

「二つあります」

「さっさと言いなよ。こんなところで、魔物が寄ってこないかも分からない」


 視線を前に向けつつ、背後への警戒もおこたらない。一人で挑む以上、当然のように身についた技術。


「ひとつ。ここまでの〈レギオン〉を倒したのはあなたか?」

「れ……ぎ……は?」

「〈レギオン〉です」


 通路に散らばっている粘液を示されて得心する。大ぶよぶよのことだろう。

 魔物の呼称は所属する共同体によって千差万別だ。言語ごとの違いはもちろんのこと、探索者の間だけで通じる俗称のようなものもある。


「……そうだけど、それがどうした」

「あなた自身が、ですか? あなたが、ただ一人で?」

「くどい。そうだ、と言っている」


 フィセル・バーンスタインに同志はいない。どこまで続くとも知れない〈封印の迷宮〉攻略などという狂人の与太に付き合う物好きなど。


「……〈レギオン〉に斬撃、打撃の類は通じない。あらゆる衝撃を分散して無力化する。倒すには相当威力の魔術を叩きこむしかない――探索者の間では常識です。それでもあなたは、一人であれほどの〈レギオン〉を討伐したと?」

「そうだな。そう、だった」


 事実フィセルもそうだった。剣だけでは倒せない魔物という壁にぶつかり、攻略に行き詰まっていた。

 ――――そこに天啓をもたらしたのが、あの性悪な雌狐だった。


「私はその限りじゃなくなった。それだけだ」

「……そうですか」


 フィセルの端的な言葉に、一触即発の雰囲気が緩む。アルバートはいきり立つ長耳の弓手を押さえながら言う。


「ではもう一つ。……あなたが同行していた人物についてです」

「……監視かい? ぞっとしないね」

「あなたは要注意人物ですので」


 は、とフィセルはちいさく笑う。彼ら三人は迷宮調査を行うとともに、迷宮街を偵察する部隊でもある。祖国に害を及ぼしかねない敵がいる場合、継続的に警戒するのは当然のことだろう。――あるいは、排除しにかかるか。


 フィセルは一向に構わなかった。父の働きに報いず売国奴とまで罵った我が祖国。そんなものに認められる必要はない。唾でも吐きかけてやればいい。〈封印の迷宮〉攻略がなれば、公教会はそれを無視できない。表向きは攻略を推し進めているのだから。


「……彼女らとあなたは、どのような関係で?」

「依頼人と、護衛。それだけだよ」

「あの方々について……何か、隠しているのでは?」

「素性は……旅芸人といってたが、本当のところは知らないよ。私が首を突っこむようなことじゃないさ」


 フィセルは億劫げに肩をすくめる。

 実際、フィセルは彼女たちのことをほとんど知らない。分かっているのは、あの狐人テウメッサがとんでもない力の持ち主ということだけ。それをわざわざ馬鹿正直に話してやる義理はない。ユエラとの関係が切れるのはフィセルにとっても大きな損失だから。


「……あなたは確かに優れた剣士だ、フィセル殿。だが、これほどに極まってはいなかったはず。およそ予想通り、あなたはこの辺り階層で足踏みし始めた。……なのに、なぜ! 人を避けてきたあなたが、あれと関係を持ってからいきなり、この有様だ! あまりにも不自然に過ぎるッ!」


 通路上に無残なまでに散らばる大ぶよぶよの屍山血河。

 アルバートがそれを目にした瞬間、些細な疑問は疑惑へと転じたのだろう。


 あの二人は一体何者なのか。

 フィセルにいかなる影響を与えたのか。


「さてね。見えなかったのものが見えるようになったのさ。心情の変化かもしれないね。守るものができたってやつだ」


 フィセルは適当に応じる。これで躱せるとも思わないが、端から証拠がない。


「貴様――――」

「剣を上げたね?」


 と。

 フィセルは歩くような自然さで前に踏み出しながら剣をかかげる。肩で風を切って距離を詰める。「止まれッ!」魔力の尾を引いて飛んできた矢を斬り払い、とん、と力強く踏み込んで――――


「お止めくださいッ!!」


 その時、女司祭が後方から飛び出した。

 彼女の祈る手を中心にして魔術が発動する。古代神聖文字が彼女を中心に渦を巻くように飛び回る――『我、槍をおろす。汝、槍をおろすことを願う』。


 刹那、虚空から生じる光の鎖。音もなく走るそれは女の弓と男の剣に絡みつき、決して動かぬようがんじがらめにする。


「ちょ……っと、クラリス、これ……!」

「……くッ」


 得物と利き手を縛り付けられる二人。

 だが、その魔術はフィセルにも影響を及ぼしていた。掌のほうはなんともないが、剣身に鎖が幾重にも巻き付いている。

 お互いの攻め手を戒める術式。相食む鎖。停戦の聖句。


「……申し訳もありません、フィセルさん。予断でこちらから仕掛けたことは明白。勝手な物言いとは存じておりますが、この場はこれで手仕舞いとしていただけましょうか」

「なんと言おうが、これを解く気は無いんだろう?」

「……はい。こちら側の拘束まで解けてしまいますから」


 妙齢の女司祭――クラリス・ガルヴァリン。

 公教会に所属する聖職者。〈勇者〉の協力者であるとともに、監督者でもあるといったところだろうか。


「しょうがない。けど、この場は譲ってもらうよ」


 フィセルとて三人相手に勝てるとは思っていない。不意打ちで一人を人質にして切り抜けるつもりだったのだ。


「無論です」

「待ちなさい……よっ、そいつ、絶対に怪しいって――」

「お静かに。エルフィリア」

「……ッ」


 クラリスの静かな叱咤に、長耳の弓手――エルフィリア・セレムは押し黙るばかり。

 フィセルは三人の間を抜け、〈攻略拠点〉のほうへ歩いていく。ある程度離れたところで、長剣に絡んだ鎖も自然に消えていた。


「説得しておいてくれるよう頼むよ。地上でまで騒ぎを起こされるのは、ごめんだ」

「……これで終わりと思いませんように。あなたが要警戒対象であることに、変わりは、ない」


 底冷えのするアルバートの声を遠くに聞く。余計な時間を食ってしまった。


 ――――厄介なのに目をつけられたね。


 元々厄介だったのには違いないが、それに輪をかけて面倒なことになりかねない。フィセルはちいさくため息を吐き、〈攻略拠点〉の大魔石に手を触れた。


 座標指定――地上。

 空間転移――開始。


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