たとえ どんなに……
人間界にある一つの大国。その城にある円卓で、ある話し合いが行われていた。しかし、その部屋の空気は重苦しく、淀んでいる。
「まさかあの勇者様が敗れるとは」
「それほどまでに、魔王は強大なのか……」
「これでは、他国への面子が保てません」
「馬鹿者! そういうことではないだろう。勇者があちらの手に渡ったのだぞ。どんな残虐なことされるか」
再び、部屋に沈黙が訪れる。
事は五日前に齎された、勇者敗北の情報である。勇者パーティのメンバーによれば、一行は勝負に負け、仲間たちを助けるために、勇者本人が犠牲になったという。
「……助け出すしか、選択肢はないだろう」
壮年の男、この国の国王が、重苦しく口を開いた。その場に居た全員が、その言葉に息を飲む。
「あのシルヴィア様をも打ち破った相手ですよ? 我々に残った戦力でどうにかなるとは思えません!」
一人の若い貴族が、焦ったように言った。
「そうは言っても、勇者様が殺されては、どのみち我々人類は滅亡する。手段は選んでいられんだろう」
「そ、それなら、他の種族の助けを借りるべきでは?」
「はっ、それが出来るなら苦労はしない。どの種族も、魔族と表だって敵対するようなマネ、する訳がないだろう」
現在、世界で魔族の発言力は大きい。膨大な魔力を持つあのエルフでさえも、魔族に対しては慎重にならざるを得ないのが現状だ。
再び王が口を開く。
「王国の全戦力を持って、彼の魔王と戦い、勇者を助け出すのだ」
様々な思惑が飛び交っているのだろうが、この場には反論する者はいなかった。
「この戦いはただの戦争ではない。人類存亡をかけた、聖戦だ。第一の目的は勇者の救出であるが、いつ何時でも、魔王の首を狙うのだ」
密着した彼女の体温を肌で感じながら、俺は目を覚ました。俺は規則正しい寝息を立てているシルヴィア。その眼尻に微かな涙の跡を見つけ、俺は胸を締め付けられる思いがした。シルヴィアの額にキスをして、彼女に布団を掛け直す。
「ダン、居るか?」
「はい魔王様」
天幕の外から、しわがれた声が聞こえてくる。
「湯を張って、彼女が起きたらメイドに体を清めさせて。あと、食事も取らせてね。ああ、俺はいらないから」
「畏まりました」
俺は寝室の隣にある、執務室の机に座った。最強の魔王と言っても、民を治める王であり、毎日遊んで暮らせるというわけではない。外交関係だったり、財政のことで会ったり、軍部のことで会ったり、魔王の仕事は山積みだ。人間界ではそう言った仕事は複数の機関に分担されているらしいが、ここじゃあ基本は俺一人だ。
目の前の書類の山に、俺はウンザリしながらため息をついた。
シルヴィアがここに来てから、すでに一週間が経っていた。婚約発表を済ませ、明日はついに結婚式だ。ウェディングドレスを着たシルヴィアか、想像するだけでも顔が熱くなる。
「んふふ、可愛いんだろうなぁ」
書類に適当に判を押しながら、彼女の花嫁姿を夢想した。ドレスは今よりもっと華やかに、どす黒い色にしよう。シルヴィアによく似合うはずだ。ああ、シルヴィアは聖教会の勇者だったっけ? ならそっち仕様でやったほうがいいかな。この国にも仕来たりのようなものがあるけど、俺は別に気にしない。というか宗教なんてものを持っているのは人間だけだ。魔族は神に頼るほど弱くない。
部屋で一人、ニヤニヤしていると、突然カチャッとドアが開いた。そこにあったのは、もうすっかりドレスを着馴れたシルヴィアの姿だった。
「どうしたの?」
「あ、いや、その……食事はちゃんと取ったほうがいい。頭が働かなくなる」
「……」
……なんだこの可愛らしい生き物は。ああ、今すぐ抱きしめて自分の愛がどれほどのものかを伝えてやりたい。この俺を心配してくれている。そうとってもいいんだよね、これ。
俺は自然にふやける顔を全力で平静に装い、彼女に答えた。
「ありがとう。それなら一緒に食べようか」
「あ、ああ」
彼女ほどの環境適応能力があれば、一週間で魔王城に慣れることができたらしい。まあ夜にはまだ、初々しい一面を見ることができるけどね。
食事中にはあまり会話が盛り上がらなかった。俺がどれだけジャブを打っても、カウンターを返してこない。それも仕方がないか。シルヴィアにとっては、まだ俺は親の敵なのだから。でも、いつか振り向いてくれる時まで、俺は待っていようと決めていた。それに今日は朝食を誘って来たんだ、脈ありと考えても不思議じゃない。
「ねえ、明日の結婚式なんだけど……」
俺がその話題を持ち出すと、シルヴィアはサンダーバードの肉を頬張ったままこちらを向いた。
「ウェディングドレスはどうする? 俺が決めてもいいけど、やっぱり仕立て屋と話す? ああ、結婚は別にこちらのやり方じゃなくて、君の国の仕様でも俺は構わないよ。聖教会の神父もこの国にはいるんだ」
肉を飲み込み、彼女は目を伏せて呟くように言った。
「別に、そちらのやり方でかまわん。私はお前に逆らう気はないからな」
「逆らうとか、そう言うんじゃないんだけど……まあいいや、こちらのやり方にするよ。ああ、シルヴィアの花嫁姿、きっと可愛いだろうなぁ」
「……」
つまらない。シルヴィアは黙々と食事を口に運ぶだけで、会話を返してこない。俺ってばどんだけ嫌われてんだろ。
「あ、あのさ、今度仕事が落ち着いたら――」
その瞬間、辺りは光に包まれた。まっ白な光は俺の背後から放たれ、長いテーブルに俺の影を落としていた。一瞬のことだったか、はたまた数分のことにも感じられる無音の後、鼓膜を激しく震わす轟音が、俺の耳を劈いた。
知っている。この魔法は見たことがある。忘れもしないあの時、シルヴィアに一目ぼれをしたあの時、ロリチビが放ってきた魔法だ!
凄まじい爆風が襲いかかる。俺はシルヴィアを胸に抱き、背中でその衝撃を受けた。ったく、無茶しやがる。こっちには勇者って言う、言わば人質が居るんだぞ? まああの程度の魔法で勇者が死ぬとは考えられないけどな。
「敵襲だ!」
そんなこと言われなくても分かるわ。
魔王軍が慌ただしく動き出す。外からは兵士たちの怒号が聞こえ、甲冑がガチャガチャと音を立てていた。
「シルヴィア、大丈夫か? 怪我ない?」
「……」
シルヴィアは何だか戸惑ったような目をしていた。まるで、何かを迷っているような、そんな目だ。
「魔王!」
「ん、何だ、あの時の戦士君か」
声の方を向くと、そこには赤い髪をした精悍な顔立ちの戦士が居た。一人で突っ込んでくるなんて、とんだ阿呆だな。
「シルヴィアを返せ!」
「返せ? 何を言っている。勇者はもはや我の物だ。他人の物を返せとは、どんな教育を受けてきたんだか」
「ごちゃごちゃうるせぇ! シルヴィア、今助け出してやるからな」
「助け出す、か……面白い。出来るものならやってみるがいい。シルヴィアを渡す気などさらさらないわ!」
俺は全身に魔力を循環させ、身体を極限まで強化させる。いくら人間最強の戦士であろうと、完全に戦闘態勢に入った俺を倒すのは、至難の技だろう。俺も殺されるつもりなど、これっぽっちもないんでね。
「『縮地』!」
「ぬおっ!」
先に仕掛けてきたのは戦士だった。気がついた時には目の前で、剣を振りかぶった姿の戦士が居た。俺は咄嗟に右に避け、戦士の剣が地面を抉るところを見ていた。流石、凄まじい威力だ。
「くっ! 魔剣召喚!」
俺がそう叫ぶと、俺の目の前に二メートルはあろうかという巨大な剣が出現した。大剣、それが俺の武器だ。
「その細い剣で受け止められるか、なっ!」
「ぐぅっ!」
俺は魔剣を横薙ぎに振るい、戦士を壁際まで吹き飛ばす。
「はっ、口ほどにも無い。今回はこの前のように見逃さんぞ」
「それは、こっちも同じ」
それはは妙に甲高い少女のような声で、すぐ隣で聞こえた。
「っ!」
「『大地の大槍』……」
地面から突き上げられる巨大な岩の槍が、俺の腹に直撃し、俺は天井に激突した。
「ぐはっ」
「シルヴィアを傷付けた、バツ……」
い、痛い。槍の先端は腹を突き刺し、背中へと貫通していた。焼けるような腹の痛みに耐え、その柱のような槍を壊す。
地面に着地し、魔剣を構えた。ロリチビの得意げそうな顔が鼻についた。
「貴様ら、生きて帰れると思うなよ?」
我ながらなんて雑魚臭のするセリフだろうか。
戦士とロリチビの後ろから、神官が駆けつけてきた。
「ヴァン! カミーユ! 時間稼ぎをしてくれ! シルヴィアは私が助ける!」
「任せろ!」
「……絶対に、通さない」
くそっ、今すぐこいつら蹴散らしたいが、そんな簡単に殺せるような相手じゃない。迂闊に動くのは危険だ。
という考えは、神官がシルヴィアをお姫様だっこした瞬間に崩壊した。
「ガァアアァァァ!!」
魔剣を振りかぶり、戦士に叩きつける。しかし、その一太刀はするりとかわされ、逆に胸に斬撃を受ける結果となった。
「くそ、やっぱ人類最強パーティは伊達じゃないか」
「シルヴィアの苦しみを、味わえ!」
戦士の追撃を、魔剣の腹で受け、胸を蹴り飛ばす。黒い服に染み出してくる血が、地面に滴り落ちる。久しぶりの痛みだ。今まで、魔王になってからは相手の攻撃なんぞこの身には届かなかった。ホントに、何十年ぶりだろうか、この痛みは。
「シルヴィアは、俺の物だ……」
「違う! シルヴィアは、シルヴィアのものだ!! はあぁ!!」
再び戦士が斬りかかってくる。後ろに避けるが、戦士の剣は不自然に伸び、俺の左肩を斬り飛ばした。一拍置いて激痛が走る。
「ぐぅっ……! 貴様ぁ!」
「……地獄に堕ちろ、『フォトン・バースト』!」
視界が光に埋め尽くされ、全身に焼けるような痛みが襲う。そこで、俺は悟った。これが、敗北なのだと――
その後、人間軍が撤退し、俺は何とか一命を取り留めたものの、以前の力を失い、魔王の地位を剥奪された。魔力の大半を削がれ、小さな魔法くらいしか発動できない奴なんか、魔王として相応しくないのだ。
次期魔王には、若い魔族が就任した。負ける前の俺の、十分の一ほどの力も無い魔族だが、今の俺より強いことには変わりなかった。
周りの態度も百八十度変わった。しかし、“魔王の器”はまだ俺の中にあるらしい。これがある限りは、俺はこの世界に認められる存在だ。“魔王の器”は、多分俺が死なない限り、他人に渡ることはないだろう。
「さてと、行くとするか」
人間に負けた俺だが、それでもシルヴィアを諦めることはできなかった。これから、人間界に行こうと思う。そこで、魔王としてではなく、一人の男として彼女を愛すのだ。
俺はぷらぷらと揺れている左の袖を縛り、必要最小限の荷物を右肩にかけた。左腕がないのは不便ではあったが、絶対に無くてはならないというものでもなかったようだ。右手でほとんどのことが出来た。
「シルヴィア、また会いに行くよ」
俺は半壊した魔王城を背に、人間界へと出発した。




