後日談
ぼんやりと庭を眺めている男、清光である。
あれから城下町に出かけるのをしばらく控えていて、退屈していた。
庭の池に蛙が泳いでいるのを、目で追っている。
「まるで遊び足りない童のようですね、上様」
「…内藤か」
振り返ると、清光の部下の内藤が控えていた。
「報告致します…
代官小田原の処置は済みました。
越後屋長谷川は、上様の仰せの通りに」
「長谷川は家族の為に金を集めていた節があるからな…
息子も帰ってきたのだ、一心に働くだろう」
清光が微笑んで頷くと、内藤も笑う。
容姿は清光より若く見えるが、清光が将軍になった時から変わらない顔をしている。
童のようだと笑う内藤の方が、女童のように見えた。
「それにしても…上様は城下の民の事をよくご存知でいらっしゃる」
「………」
内藤の何気ない嫌味に清光は口を尖らせる。
可愛らしい笑みを含んだまま、手に持つ文を差し出した。
「そうそう。上様への文を預かって参りました。
名を辰三と申す浪人からです」
清光が文を広げると、あの夜からの近況が書かれてあった。
字からして恐らく誰かに書かせたものだろう。
清光のことも甚六と書かれている。
そして自分で文を内藤に渡したのだろう。
内藤は清光を見やりながら、『あの者となにか縁でも?』と聞いてきた。
実はこの代官小田原不祥事に誰が暗躍し関与していたか、詳細まで残さず知っているのだが、利口な内藤は表向き何も知らない風を装っていた。
将軍が城下を闊歩し、刀を振るうなど知られていい情報ではない。
「…猫かぶりも相変わらずだな。
知らぬよ、何かの間違いであろう。
女を連れて、旅に出るそうだ」
「仏巡りでもするのでしょうか」
あるいは、なつの兄妹でも探しに行くのかもしれない、と思ったがとぼけて首を傾げる清光。
内藤に背を向け、また蛙を眺めながら、清光は呟いた。
「旅か…辰の野郎、結局金払わねぇでいきやがって」
そう呟く顔は微笑んでいた。
内藤は清光の背を見ている。
主従関係を抜きにしても、清光を好んでいた。
頭は切れるくせに将軍らしくない気質で、情に深すぎるところを。
「最近城内でお見かけすることが少なかったので、
あまり『鳥の将軍』と呼ばれぬよう、この内藤がお願い申し上げます」
ぎくり、と清光の肩が動いた。
内藤は吹き上げそうな笑いをかみ殺し、あえて強い口調で続けた。
「家老殿が常々上様を御捜しすると仰っているのを、説得するのは大変ですからね。
城下だけでなく城内の為にも、家老殿のお体の為にも、しばらくお忍びは控えて頂きたい。
この事はお志乃にも言い含めておりますゆえ」
「……しばらくは籠の鳥か」
ぐったりした清光の言葉に、にっこりと微笑む内藤。
「はい。しっかり鳴いていただきます」
観念したのか、空を見上げてため息を吐く清光であった。
「アンタ。空なンか見て、どうしたのサ」
男の着流しから覗く白い包帯。
笠を手に持ち、寄ってくる女は質素な着物。
「陽が眩しくてな。……行こう。おなつ」
男は女の手を取り、寄り添って歩きだした。
二人の空は明るく、澄み渡っていた。