六話
声と同時に方々から斬りかかって来る男達。
骨を斬るような音と刀をさばく音が闇に響く。
越後屋は腰を抜かしていた。
一身に刀を振るう辰三の頬にいくつも血飛沫が舞う。
その顔はまさに鬼のよう。
月には雲がかかっているのに、辰三の眼だけは、ぎらぎらと座敷の二人を見据えていた。
「女とて容赦しねぇぞ」
辰三の近くで、なつも刀に囲まれていた。
修羅場は潜り抜けてきたが、立ち向かったことはない。
逃げ足の速さだけは鼠のようだったので、鼠女と呼ばれたのだ。
小刀を構えて向かってくる刀をかわし、体を回して背後から背骨を突くように蹴る。
しかし数が多過ぎた。
「死ね!」
振り返るのが精一杯だった。
しかし肉を刺されたのは、なつではなく辰三だった。
「あんた…何で!」
脇を刺され、片膝を付く。だが左手に握った刀だけは、離さない。
「……女に手を出すとは小物…
おまえら俺がそんなに怖いか…」
男達が一瞬怯む。
ぞくりと悪寒が走るような、辰三の睨み。
「――――そこまでだ」
低く、何処からか声がした。
代官は舌打ちをする。
「次から次ぎへと虫けらめが…何奴だ、姿を見せい!」
辰三の耳は微かな足音を捕えた。
血を流しているせいか、いつも以上に神経が研ぎ澄まされている。
「…―代官という職をもらっておきながら、この悪行…
…如何に我が家臣と言えど、許せぬ」
雲が晴れ、月の光が闇を退けはじめた。辰三は月光の下にふらりと現れた人影を見て、目を疑う。
「じ――…甚六?」
涼しい眼。
城下町でへらへらと陽気に笑う、あの甚六とは別人のような、眼。
「誰だ、きさまは!」
興奮して真っ赤になっている代官。
その声に、厳しいながらも憂いのこもった眼差しを向ける。
「代官小田原よ。
余の顔を忘れるとは…血の匂いに気でも触れたか」
しばらく代官は甚六の顔を見つめる。
記憶の中の一つと重なったのか、あっと声を上げた。
「う、上様!」
「上…?」
今度こそ驚いた顔をする辰三。
辰三らを囲んでいた男達も代官と同じようにその場で面を伏せた。
膝をついて呆然としている辰三の姿を、甚六は少し心配そうな顔をして見やる。
「酷い出血だな。
……手当てを」
甚六の上から何かが落ちるように着地する。
志乃だった。
すぐさま懐より布を取り出し、止血をする。
「横に寝なさい。
…おなつちゃんも手伝って」
静かだが強い、くのいちの声。
辰三はされるがまま、身を任せている。
必死で刀を握る左手の感覚が薄くなっていた。
「姉さんの主って…上様だったンかい…」
「今は治療が先。そっちの布をとって頂戴」
てきぱきと指示をする志乃。
軽く微笑みながら、三人を見守る甚六…
否、時の将軍――清光。
「…その方」
と越後屋の方を向いて、清光は言った。
清光の視線を身に受け、越後屋はびくりと硬直する。
「金の為に為した悪行三昧、分かっているな。
そして代官小田原……越後屋の暴挙を唆し肩入れした上で、金と娘を貰おうなど、情状の余地もない。
…皆、神妙にせよ!」
ざり、と砂が擦れる音が、やけに辺りに響いた。
越後屋は肩を落として諦めていたが、代官は拳を震わせている。
「…くく、上様の名を語った、に、偽者よ!
名を辱めるとは何たる事、家臣として放ってはおけぬ!
お前達、たたっ斬れぃ!」
「お、おぉ!」
頭を下げていた男達は一瞬躊躇はしたが、元ある闘争本能ゆえか、代官の言葉に従って刀を向ける。
「…ならば、こちらも抜くか」
構える男達を見やりながら、清光は刀を抜き、上段に構えた。
「志乃さん…上様を放っといていいのかい?」
なつは辰三を案じながらも、囲まれている清光が気になっていた。
確かにあそこにいる男を将軍と認めさせるものは、何もない。
あるとすれば顔くらいの物。
だが、なつのような城下で暮らす庶民は、その顔すら知らない。
だからこそ忍び込めるが、同時に城内にはない脅威が日々にある。
それから護る志乃のような供がいるのは当り前なのだ…が。今、彼は一人。
志乃は振り向きもせず、辰三の包帯の端を切る。
「上様からは辰三の手当てを命じられている。
それ以外の行動をすれば反逆と同じ。だから助けないわ。
それに……」
包帯の端を手に取り、結ぶ。
「弱いなら、殺してるわ」
辰三は横目で清光を見ていた。
次々と男達を倒していく姿は、まるで舞のように優雅。
見惚れていた。
何人でかかっても、敵は一撃で地面に伏す。
そして射るような視線を辺りに向け、男達を牽制する。
とうとう清光の足は庭先から座敷に上がった。
「捕らえよ」
志乃は一瞬で清光の足下に跳躍し、腰を抜かしたままの越後屋を縄にかける。
それを見た残りの男達は――といっても既に二、三人だが――戦意を喪失したのか、何処かへ逃げた。
「ぬぅう……」
残されたのは、刀を抜いた代官のみ。
清光に向ける剣先が震えている。
声を上げ半ば闇雲に斬りかかったが、清光はひらりとかわした。
「…成敗!」
低く叫び、肩口からの袈裟斬りで代官は倒れた。
「安心せよ、峰打ちだ……」
志乃は代官にも縄をかけた。清光は懐に手をやり、紙で刃を拭う。
「志乃、内藤には」
「既に」
「そうか……後を頼む」
清光は紙を放り、刀を収める。その肩を下ろして、辰三達に背を向けた。