表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/9

四話

爽やかに緑が薫る風が、城下町の小川へ柔らかな波を作る。甚六はまた城下町に足を運んでいた。

ゆるゆると歩いていると、千代が橋を渡ろうとしていた。


「おぅ、お千代ちゃん」


「あ、甚六さん」


手に巾着を下げ、嬉しそうに走り寄ってくる。


「近くで市やってるんだけど、よければ一緒に行かねぇかい?

甲斐性なしの甚六だけっども、かんざしくらい買ってやらぁ」


辰三が帰った後、甚六は梅にどやされながら千代と食事をとった。

千代は二人の様子を見て、終始わらいっぱなしだった。


「たまにはお梅さんにもそうやって言ってあげたらいいのに。

そうだ、お梅さんに買って帰りましょうよ!」


「あいつに似合うかんざしねぇ…。

こりゃ探してるうちに店が閉まっちまうな」


微笑む顔はまだ子供らしい。

陽気に冗談を飛ばしながら、甚六は考えていた。


千代は何も知らないのだろう。

千代の父親は越後屋。

代官小田原と数年前から関係が密になっている。

志乃に洗わせたところ、流れ者の浪人に汚い仕事をさせていた事が分かった。

自分の父親が悪業をしている事実を告げようか迷っていた。


しかし、事は今夜起きる。


その時にこのあどけない少女は、店に一人残されてしまうのかと…表情には決して出さないが、柔らかに千代が笑う度にじわりと不安に感じてしまう。


「そうだ。甚さん、

もうすぐね、兄様が帰ってくるの」


賑わう市でかんざしを手に取りながら、思い出したように言う千代。


「兄さんがいるんかい、お千代ちゃんには」


それは知らなかった、と声を上げた。


「ええ。

分家の屋敷で修行を積んでいたんだけど、父様がそろそろこちらのお仕事を手伝うように、と仰られて近いうちに戻られるの」


微かに笑う顔に、甚六は安心したように笑った。


「…それなら大丈夫そうだな」


「はい?」


「あ、いや……その、お千代ちゃんに悪い虫がつくといけねぇからさ。

兄様が来るんなら大丈夫かな、とな。

お千代ちゃんは可愛いからな」


慌てて甚六は頭をかいた。

対して千代は手に取ったかんざしを元の場所に戻す。

沈んだ顔で俯く千代。


「私…実は、父様に代官様のお嫁に行けって言われたの」


知っている。

これが代官から越後屋に力を貸してやる代わりに出された、交換条件だ。

傍から見れば娘が地位のあるお屋敷に入ることになるので、庶民からは願ってもない縁談。


「私の幸せの為だってそう言うんだけどね……

私も素晴らしいご縁だし、父様やお店の為になるから嬉しいんだけど……

本当はね、私、まだお嫁にはいきたくないの」


甚六は、そうかいと相づちを返す。

千代の心根の優しさに触れ、感動していた。


「父様や兄様には叱られてしまうかもしれないけれど、まだ少し一緒にお店を手伝わせてほしいし……

それにね、勉強したいの。字を読みたいの」


「へぇ、何で」


恥ずかしそうに言う千代。

城で勉学に励んで育ってきた清光として、千代の心意気は珍しかった。

嫌で嫌で仕方なかったのに、どうしてこの町娘はそんな事を求めるのか。


「実はね…」


千代は嬉しそうに話す。

女が勉学に励むなど生意気だという周りの意見に怯え、隠してきた事を初めて認めてくれた甚六。

彼女にとっては大切な事だったから。



——その夜。


代官屋敷の門を着流しの男がくぐった。

辰三である。

屋敷には代官と越後屋がまた酒を手に、懇意にしている遊廓から呼んだ芸鼓に舞を踊らせていた。

辰三は越後屋の付き人の制止を聞かず、乱暴に二人のいる部屋の襖を開ける。


「なんだ、辰三。

勝手に入るとは無礼な」


少し顔の赤い越後屋。

不機嫌そうに口を尖らす。

芸鼓は場の空気を読んだのか、部屋の外に出ていった。

辰三はあまり酒が好きではない。

鼻先をかすめる酒臭い空気から気を逸らそうと、きっと目頭に力を入れる。

元々目付きが悪い。まるで睨んでいるように見えた。

それが気に入らなかったのか、代官が酒を口元にやるのを止める。


「雇い主を睨むとは恩知らずな奴よ。金なら払ったろう」


「…前回の二倍、との話だったはず」


辰三も元から人を斬るのが好きなわけではない。

また仕事を受けたのも、金の為。


「なにを偉そうに、只の飼い犬風情が」


鼻で代官は辰三を笑う。

辰三の嫌いな酒を口に含みながら。


「お前のような野良犬が拾われただけでも感謝すべきだろうが。

犬は犬らしく、主人の云う事を黙って聞いていれば良いんだ」


下品な笑い声が部屋にこもるように響く。

辰三には、飼われている気などない、むしろ金で汚い仕事をさせる彼らを軽蔑していた。

かっと頭に血が上り、とっさに刀に手をかける。

だが……ここは代官屋敷。

辰三以外の用心棒が多数控えている。

辰三の方が腕は上だが、人数が多すぎる。

それに、辰三はようやく自覚した。目をそらしていたことに気付く。


人を金で殺してきた自分も…目の前で笑う男たちと、同じなのだと。

自分の腑甲斐なさに、奥歯を噛み締めた。


「だ…代官様!大変でございます!」


外から悲鳴が上がり、何かが倒れる音がした。

ばたばたと廊下を走ってきた男が青い顔をして、座敷に飛び込むように入ってきた。


「大変でございます!曲者が屋敷に侵入しました!」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ