第十六話 王都の裏側。
亀の体内でどんなことが起きたのかは想像もしたくない。きっと五種類の魔法がフィーバーして、酷いことになっていたのだろう。発動した瞬間に起こったことは、食事時には思い出さないように努めたいと心に誓った。
「なんだか妙なことをしていると思ってはいたけど……とにかくこれは結構堪えるわね……」
「まぁ……俺も後先考えずに魔法を使ったことは反省するべきだと思った」
なにが酷いって、胴体と首とが永遠の別れをしたことだ。発動した魔法は亀の体内で弾け、爆発音や風切音を響かせながら首を吹き飛ばした。久寿玉は胃袋まで到達するには至らなかったようで、喉奥で盛大に暴れた結果が今の惨状である。
目の前には実に凄惨な光景が広がっていた。湖のほとりに横たわる亀の頭部は言わずもがな、胴体は湖の底に沈んで姿は見えない。代わりに、文字通り血の池が出来上がってしまっている。こうしている今もどんどん赤の領域が広がっていて、自分でやったこととはいえ居た堪れない気持ちになってきた。
結果的に、亀の討伐には成功したのでそれに文句はないんだが、もう少しやりようがあったのではと反省点もある。しかしながら、突発的な戦闘であったので仕方がないのだと、そういうことにしてほしいところだ。なにもこんな地獄絵図を見ることもなかっただろうに……。
「シャル……お前って時々とんでもないことをするよな」
「うっさい。それより、そっちはどうだった?」
「数が多くて面倒だったけどな。今更あいつらにやられるほど柔じゃないぜ?」
「そりゃ結構だ」
どうやらカイル達も目立った怪我もなく戦闘を終えたようだ。ワーウルフだけであれば、いくら多くても遅れは取らないはずなので、当然といえばそれまでだ。倒した個体は現在ヒノが回収しているところである。カイルから聞くところによると、目の前の光景を眺めたくないので早く片付けて欲しいとのこと。
それについては、ここにいる全員が同意であろう。見ているだけでも気が滅入りそうなのだ。血の池に関してはどうしようもないが、亀本体は早めに回収して視界から排除するのが賢明である。
それで問題となってくるのが、俺の隣で顔を顰めている青いのだ。仮にもこいつだって戦闘に参加していたので、亀の素材をどう分配するかという話が出てくる。まぁそれは追々決めていくとして、早くこの現場を綺麗にしよう。
あまり近付きたくはないが、亀の頭部を回収する。近くで見れば見るほど、なかなかにグロテスクだ。今までも魔物を倒した後は解体して素材を手に入れていたこともあるわけだから、随分となれたつもりだった。それでも気分が悪いのは、恐らく倒し方に問題があったのだと思う。あとコイツでかいし。
「頭は回収したからこれでいいとして問題は……」
「私はお断りよ」
後ろに控える二人を振り返った瞬間、青い奴から拒絶の意思表示を頂戴する。俺が言わんとすることを察してそそくさとその場を去り、ワーウルフの回収をするヒノの元へと歩いて行った。勘のいいやつめ。さて残るは……。
「じゃあ、湖の底に沈んだ胴体の回収役を頼むから」
「なんで俺なんだよ! 断る!」
まぁそうなるよね。湖は亀の流す大量の血で真っ赤である。潜りたくはない。
「カイル。お前昨日の夜に俺に借りが出来たことを忘れてないか?」
「あ? ねぇよそんなもん」
「娼婦街に消える前に立ち寄った店で金払ってないよな?」
「……」
お茶を一杯程度ではあるが、支払をせずに飛び出していったため、カイルの分は俺が出している。それを盾に、カイルには血の池地獄へとダイブしてもらおう。
「くっ……逸る気持ちがまさかこんなところでアダになろうとは……」
「早いのは嫌われるぞ?」
「俺は早くねぇ!」
「はいはい分かったから。あとよろしく」
「お茶一杯でも借金は借金……男は度胸! カイルいっきまーす!!」
上半身裸になったカイルは気合一発、真紅の湖へと美しいフォームで飛び込んでいった。まぁお茶の代金を肩代わりした程度のことをチラつかせるのは随分器の小さいことではあるが、それほどにこの湖への潜水は躊躇われる。とはいえ、カイルには後で労いのためにチョコでも食わせてやるか。
この後いろいろと面倒臭そうだが……。
「なぁ。ここってほんとに王都だよな?」
「そうだな。間違いなく」
森から帰ってきた俺達は、王都の前まで帰ってきた。ただし、目の前にある外壁はボロボロで、何年も手入れがなされていないのが分かる。そもそも門兵の一人としておらず、門自体も開け放ったまま。中に見える景色は、王都の華やかな繁華街でも冒険者の喧噪に溢れた商業区でもない、陰鬱な雰囲気を醸し出す廃墟同然の建物。
本当に同じ王都なのかと疑わざる負えない光景だった。
「そんなことも知らないで、貴方たち今まで一体なにをしていたの?」
そう溜息をつくのは青い奴。さすがに自己紹介をしないわけにもいかないのでお互いに名乗り、ジゼルというらしいことは分かった。もう一人の茶色い方はフランソワーズ。森から出てすぐに意識を取り戻したようだ。ジゼルはフランと呼んでいたな。彼女らの目的であった大亀は討伐してしまったので、王都に戻るついでだしと、付いてきたのだ。アリオンに関しては驚いてはいたようだが、詳しくは後で纏めて話すことでその場は落ち着いた。
「知ってるよ。ただ、実際目の当たりにするのと、話に聞くのとではまた違うだろ」
「そ。ならいいのだけど」
「俺は知らないんだが、説明よろしく」
カイルは知らないらしいが、これはまぁどこにでもある光景というか。光あるところには必ず影が出来る、なんて度々聞く言葉である。ここは王都の北側、スラム街。ある程度大きな街には、大なり小なりスラム街が出来てしまうものらしい。冒険者崩れの野党紛いの連中もいるし、地方の村々から出稼ぎに来たはいいものの、仕事に有り付けずに流れてきた者などが集まって出来た区画だ。
王都の北側の区画は、結構な広さでスラム街となっている。当然貴族街とは面しておらず、臭いものには蓋をすると言わんばかりに放置してきた結果、もはや王家でも手が付けられないレベルで貧富の差が広がった。寂れた区画を整理するにも金はかかるし、仮にも住んでいる人達がいるため彼らの処遇にもいろいろな面倒がある。歓楽街や住宅街の境界付近には騎士団の駐屯所があるため、滅多なことでは無法者達もスラム街からは出てこない。ただし、隙を見ては侵入して窃盗行為を行う奴もいて、全てを防げているわけでは無いようだ。
彼らは主に領域からなんらかの素材を持ち帰ることで生計を立てている。当然、戦いの準備など不足もいいところで、まともに狩りなどはできない事が多い。運よく動物の死体でも持ち帰れれば御の字だ。それが出来ない女子供は、細々と家庭菜園レベルの小さな畑を作って飢えを凌ぐ。窃盗を日常的に行っている不届きな輩もいるが、こうなった責任が王家に無いわけでもないし、表立って批判する気にはなれなかった。だからといってそれを見過ごすかと言われれば、そんなことはもちろんないが。
領域へ向かうときは背を向けていたので忘れていたが、こちら側にも門はあったわけだ。俺達が最初に入ったのは南門。住宅街に東門、歓楽街方面に西門とあり、最後がこの北門だ。さっきも言ったように、この北門は常に開け放ってあるため、スラム街の連中はもとより外部の人間も自由に出入りが可能。盗賊の類いが容易く侵入できるため、王家でも問題視されている。どうしてこうなるまで放置したのかと、小一時間ほど問いただしてやりたいところだ。先代がいかに愚王だったか、推して知るべし。まぁ今代の王もあまり有能な人物ではないらしいが。
一応メリットというか……利用価値というか、そんなものがないことはない。それは攻められたときの防御壁としての機能だ。街の中心にある王城までの進行を遅らせることが出来る。スラム街は北側に位置し、その方角は帝国があるので、いくら破壊されようと問題が少ないスラムはうってつけなのだ。まぁ別方面から攻められりゃ意味もないので、これをメリットと呼ぶには些か不安だが。
そんな場所が目の前にある。本来ならこんなところを通るやつなんざいないと思うのだが、回り道をするのは面倒なので、ここを突き抜けて中心部まで行ってしまってもいいんじゃないか? アリオンはいつもの丘まで自分で戻る様に言っておけばいいし。壁に沿って行ったとしても結構な距離があるんだぜ?
「いいんじゃない? 私達も来るときはここ通ってきたし」
と話すのはジゼルである。冒険者の中には、自分の泊まっている宿からスラム街を突っ切って領域に向かう者も一定数いるみたいだ。多少なりとも腕に自信がある連中だし、スラムに住む住民くらい怖がっていても仕方ないという認識らしい。稀に、被害に遭う運も実力も無い奴もいるみたいだが。
「じゃあそういうわけで、さっさと王都の中心部まで行くとするか」
「私はあんまりこういうところを通りたくはないんだけど……」
「お前は精霊なんだから、いざともなれば鳥になって逃げればいいだけだろ」
「え? 精霊って……え?」
そういやジゼル達には話してなかったな。フランの方は言葉こそ発しないにしても、驚いてはいるようだ。面倒なのでこれについても後で纏めて話そう。立ち話もなんだしな。しかしまぁフランの方は随分と大人しいというか、無口というか。
二人……というか主にジゼルを諌めて門をくぐる。異様な雰囲気こそあるものの、領域に入ったときほどの緊張感はない。ただ、ねっとりとした纏わりつくような気味の悪い視線は感じる。スラム民の好奇の視線、あるいはコソ泥の類いの値踏みする視線だな。
試しに感知の魔法を使ってみる。人間は魔法使いじゃなくても魔力の量が比較的多いので、隠れてこちらを見ているであろう奴らを確認するなら、探知より使えるだろう。
おーおーこりゃまた。路地裏から覗いている数が半端ではないな。一人でひっそり覗いているやつもいれば、数人で集まっているやつらもいる。一人でいるやつが俺らを狙っているタイプ、複数で集まっているのは単に警戒しているだけのやつらだな。確証はないけど、魔力の質的に悪い印象を受ける種類ではない。あぁいや……一か所だけ嫌な雰囲気の魔力が集まってやがる。
ん? 一人動きがあるな。複数で固まってた奴らの一人だから害はないだろうし放っておいても……近付いて来てる?
そちらに目を向けると、目視で確認できた。向かってきているのは小さな女の子だ。俺が見ていることに気付くと一瞬びくりとしたが、それでも背を丸めながらも近寄ってくる。
「シャル? どうした?」
俺が足を止めたことに気付いたカイルも同じように振り向く。それに釣られてそれぞれが振り返ったことで、全員で女の子を注視することになった。
「ひっ!」
睨み付けているわけではないにしろ、武装している冒険者五人に見つめられれば多少は怖いかもしれない。相手は小学生くらいはあるんだろうが……低学年には違いないし下手をするともっと下だ。
「どうしたのー? なにか用かな?」
そんな女の子の様子に気付いているのかいないのか、ヒノはそんな風に声をかける。一応しゃがみ込んで目線を合わせてはいるが、軽く怯えている相手にそう簡単に声をかけれるヒノの性格はある意味で羨ましい。とはいえなにか用があったから近付いてきたわけだろうし、誰かが話しかける必要はあっただろう。
「あの……その……」
当の本人は言葉を濁し、目は宙を彷徨い体は縮こまったまま。しばらくもじもじした後、急に両手を差し出して固まった。あー、なるほど。その両手はまるで受け皿のようで、水を掬う時にはこうやる人が多いだろう。
「え?」
ヒノは良く分かっていないようで、差し出された両手と少女を交互に見ながら狼狽えている。助けを求めるように俺達に振り向いた。
「どうしたらいいのかな?」
「要するにあれだな。物乞いってやつだ」
「そういうことでしょうね。時々、冒険者達の間でも話題になることもあるわ」
難しいことをすっ飛ばして言えば、腹が減ってるからなにか恵んでくれ。そういうことだ。別に珍しい話でもない。
「そっかー。じゃあ簡単だね!」
「それがそういうわけでもないんだよなぁ」
仮にこの子に食べ物を渡したとする。そうするとどうなるか。戦いなんて無縁であろうこの子が食糧を持っていることが分かれば、スラムの人間たちの中にはまず間違いなく奪おうと考える奴が出てくるはずだ。じゃあこの場で食べ終えるのを見守るか? 今はいいかもしれないな。ただし、検討違いな恨みや妬みで後々狙われたりするかもしれない。それにおそらく、この子一人だけじゃないから、多分一人で食べようとはしないな。
「でも可哀想だし……」
「そうは言ってもなぁ」
その間も黙って俺達の会話を聞いている女の子だが、その瞳には既に落胆の色が見える。少しだけ、なにか光る物が見えたような気もするが、見なかったことにした。
「シャルのバーカ! 鬼畜! 人でなし!」
「くっ……俺の精神が……ガリガリと削られるっ……!」
「意外と脆いのね」
俺に罵声を浴びせながらヒノがぽかぽか殴ってくる。それを笑いながら見ているカイルと、冷静に俺の分析なんぞをしているジゼル。フランは相変わらずの無表情で静観している。
「いいもんね! 別にご飯持ってるのはシャルだけじゃないし?」
そう言っていくつかの料理を取り出す。おにぎりやから揚げなんかだが、食べきれなかった分などを取っておいた物だろう。時間経過がない別空間の収納魔法は実に便利である。
じゃねーよ。勝手に渡しちゃってさぁ。まぁそれによって俺が困ることもないし、俺だって出来ることなら食べさせてやりてぇよ。だけど、ここで一食与えたところで根本的な問題は何一つ解決しないんだぜ?
「変な物ばかりね」
ヒノが取り出した料理を見たジゼルの感想なんだが、確かに珍しいかもな。
「米くらいは知ってるだろう」
「知ってるけどあまり好んで食べられているものじゃないわよ?」
「それが謎なんだよな」
何故か酒の原料くらいにしか普及していない米。元々生産数が少ないことが原因らしいが……。米より麦の方が作りやすいとかそういう事情でもあるんだろう。そこらへんはあまり詳しくないので知らん。
「だってべちゃべちゃしてたり硬過ぎたりするじゃない」
「それは炊き方が下手すぎる……」
始めチョロチョロ中パッパ、ジュウジュウ吹いたら火を引いて、赤子泣くとも蓋とるな、最後にワラを一握りパッと燃え立ちゃ出来上がり。
ご飯の炊き方である。この始めチョロチョロの部分だが、実を言うと俺も良く知らん。そのままの意味で受け取ると、間違いなく弱火のことである。が、強火だという意見もあるんだなぁ。強火で炊いたときに、竈からチョロチョロと火が見え隠れする様子を表したものだという説。まぁどちらにしても上手く炊けるのであればどうだっていいんだ。強火だろうが弱火だろうが、最終的にちゃんと火は通る。
多分水加減が悪いんだろ。それに加えて加熱時間が適当。あまり興味を持つ人もいなかったから充分な調理工程が確立されてないんだな。水加減は米と水を入れた状態で手首まで。後はアレだな。さっきのわらべ歌にもあるように蓋は絶対に取らないことだ。それくらい注意してりゃそれなりに炊き上がるだろ。
いや待てそんなこと言ってる場合じゃないわ。この子の扱いに困ってんだ。どうしよう。
そんなことを考えている内に、ヒノは料理を女の子に渡してしまっている。両手いっぱいに、服が汚れるのも構わず抱きかかえている女の子はすごく嬉しそうで……あぁ、服は既にボロボロだったか。そんな笑顔を見せられたら、今更返せなんて言えないじゃん……。
俺だって別に渡したくないわけじゃないんだよ。ただなぁ、ほんとに大丈夫か?
「ありがとうお姉ちゃん!」
「どういたしましてー!」
キラキラと太陽のような笑顔を振りまきながら、女の子は去っていく。ヒノも笑顔で手を振りながら、その後ろ姿を見送る。女の子が路地裏に消えたところでやっと手を下ろした。
「さってと。それじゃ、行こうか!」
「はいはい。だだその前に……カイル」
「あぁ」
カイルはそれだけで理解できたようだ。意外とこういうことには敏感だな。一度手心を加えたんだ。最後まで面倒は見よう。
「どうしたの?」
「ヒノはここにいてもいいぞ。ジゼル」
「まだ貴方たちとはパーティを組んだわけではないのだけれど」
「良いと思うよ。別に損はないし」
溜息を付くジゼルに、珍しく口を開いたフランが肩を叩く。ヒノは相変わらず意味が分からないと首を傾げているが、まぁあとで説明してやるか。
女の子が消えた路地裏。そこにはさっきの子もいるが、他にも何人かの集団がある。そしてそこに近付く気持ちが悪い魔力が二つ。さて、危害を加えられる前に排除しよう。と言ってもいきなりぶっ飛ばしたらこっちが悪者だ。女の子たちには悪いが、少しタイミングは計ろう。
女の子達は路地を少し進んだ辺りにいる。対して気持ち悪い二つの影は、この大通りとは反対側から近付いているようだ。隠れる様子もなく実に堂々としている。あんな小さな女の子たち程度どうってことはないってことなんだろうが、いい根性だ。灸を据えてやる必要があるようだな。
付与魔法で聴力を上昇させて聞き耳を立てる。丁度、二人組が女の子達に話しかけたところだった。
「ようチビ共ぉ。今日もせっせと集りに精が出るなぁ?」
「ちょっと俺達にも分けてもらえるとありがたいんだが?」
嫌味なセリフを吐くもんだ。路地の陰から少し顔を出して様子を見てみる。大人二人がかりで脇に追い込んでいるみたいだ。手には短剣。どうみても分けてもらおうとする態度ではない。
女の子達の年齢は多少の差はあれど、全員が俺達よりは年下のようだ。年長者であろう女の子が皆を庇うように抱きかかえ、同じくらいの年齢の男の子がそれを守るように立ちふさがっている。ありがちなシチュエーションだが、自分があの立場に居たら誰もが同じような行動をとるのだろう。若しくは一目散に逃げ出すか。あの少年も随分と勇ましいことではあるが、無手で短剣に抵抗するのは些か無茶が過ぎる。
「これはアリゼが頑張って貰ってきた物だ! お前たちには渡さない!」
「お? そんなこと言っていいのかぁ? お前もスラムに暮らしてるなら、ここでの生き方は分かってるよなぁ?」
「人の物は、殺してでも奪い取れ! だぜ」
「う……」
殺すという言葉には恐怖も感じるか。短剣をチラつかせる二人組に、強気だった男の子も僅かに後ずさりした。ただ、それだけで思い留まる辺り、なかなか正義感の強い子なんだろうな。
とか言ってる場合じゃないな。奪うとまで発言しているし、ここらでぶっ飛ばして――。
ここで先走ったのは、頭で考えるより行動するを地で行く性格のアイツ。
「おらぁ!」
「ぐほっ!」
カイルの短い掛け声と、間延びした言葉使いの不良その一が漏らしたくぐもった声。建物の屋上から飛び降りたカイルの手加減……もとい、足加減無しのドロップキックである。というか押しつぶしてる。いやお前それ下の奴死んだんじゃねぇだろうな……。
まぁしぶとく生きているようだが。
「なっ! てめぇはさっきの!」
「スラムに生きている以上奪われるのは日常茶飯事なんだろ? じゃあその短剣俺にくれよ。それとも、もっと大事なモノを置いていくか?」
残った不良の狼狽する声と、カイルの挑発。物騒なことを言ってるが、本気でやる気はないだろう。実際あの短剣は大した代物じゃないのは分かってるがな。錆びついて使いもんになるかっつーの。さて、俺も行くかね。
「引き際を間違えると、そこで伸びてる奴と同じように地面を舐めることになるぞ」
路地に入り、カイルと対峙していた男に後ろから声を掛ける。肩越しに俺を見た男は忌々しげに舌打ちをした。
「ちっ……ガキどもが調子に乗ると痛い目に遭うぜ」
「年下だからって甘くみられると困るんだけどな」
短剣をカイルに向けたまま、視線だけで威嚇してくる。射殺すような眼光だが、今の状況じゃ脅しにもならん。既にカイルは背中の剣を抜いているし、万が一女の子達を盾にしようとしたときのために、手も打ってある。
「そうかよ……だったらこれでどうだ!」
小物らしいと言えば小物らしい。予想通り、近くに居たさっきの男の子を盾にしようと思ったのだろう。男の子を引き寄せようと手を伸ばす。
「ぐ……」
「無駄なことは止めとけよ。大人しく立ち去るか、それともここで簀巻きにされたいか」
伸ばされた手は、半透明の壁に阻まれる。その中心に浮遊しているのは折鶴。折鶴に魔障壁を付与したものを、声を掛ける前に待機させておいた。魔法そのものを付与した折り紙は、作るときにかなり魔力を使うし疲れもするから多用したくはないんだが、人命第一だよな。時間さえあれば、また作れることには変わりないから。
ついでに軽く突き指したみたいだし、ざまぁねぇな。男の子はびっくりしてたみたいだけど。
「元冒険者の俺がこんなガキ共に……」
「なにがあったかは知らないし興味もないけど、こんなところで腐ってる奴と一緒にしないでくれるか」
理由なんざどうだっていいが、隅で震えてる子供達はまだしも、いい年した大人がこんなところで燻ってるようじゃダメだろ。やろうと思えば仕事なんていくらでもあったはずなのに。ましてや人を襲う程元気なら。
「ち……覚えとけよ糞餓鬼ども」
一頻り睨み付けた後、捨て台詞を残して路地の奥へと消えていく男を一応警戒しつつ、子供達を見やる。そこへ見計らったようにヒノ達がやってきた。
「なにやってたの? まさかごはん返せとか言ってないよねぇ?」
目の前に先ほどの女の子がいるのを見つけると、ジト目で俺に問いかけてくる。さすがにそんなことするわけないだろうが……。
「むしろ助けた側なんだけどなぁ」
「というか、私達を下げる必要はあったのかしら? あの程度の輩に負けたりするほど、弱くはないつもりなのだけれど」
「いやそこはほら、その場のノリというかね? ここは俺に任せて下がってろ的な?」
「要するに格好つけたかったと?」
「そうとも言う」
まぁ正直大した理由はないんだけども。一応ね? 女の子だしね?
「そんなことより、大丈夫だったか? えーと……」
「クロード……だ」
そういや名前知らないやと、言い淀んでいると、先ほど男に立ち向かっていた男の子が答えてくれた。が、あんまり友好的な雰囲気ではないんだが……。
「なぁ。俺ってば警戒されてねぇか?」
「食糧を渡すのを渋ってたからでしょう?」
「いや別にそういうわけじゃなくて、こういう事態を心配していただけなんだが」
そしてその懸念は見事に的中してしまうという。後は彼らの自立のためにもねぇ。いつまでも乞食しているわけにもいかないでしょうに。
「ごめんなさい……」
唐突に、微かに聞こえてきた声。消え入りそうな声で危うく聞き逃すところだった。その声の主は、ヒノが食糧を渡していた少女だ。