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閑話 その二。

「あれ? シャーロットさんですか?」

「ん? えっと……エマさん……でしたよね?」

「はい。この間はありがとうございました」


 王都をぶらついていると、ふいに声を掛けられた。声の主は、アライア様の屋敷でメイドとして働いていたエマという少女。屋敷にいた時のメイド服とは違い、私服で買い物をしていたようなので今日は休暇なのだと思われる。


「今日はお休みですか?」

「ええ。ちょっと用事がありまして、アライア様に話して休暇をいただきました」

「メイドさんにも休みってあるんだねぇ」

「そりゃあるだろ」


 たまに、であるが、休みなく働かされるメイドもいたりする。その理由には、この世界の闇とも言える一面が関係しているが、今は関係ないのでまたいずれ。


「買い物、ですか」

「私の祖父……屋敷で会ったと思いますが、明日が誕生日なのです。それでなにかプレゼントを贈ろうかと思いまして。日頃から仕事でもお世話になっていますし、なにより私の家族ですから」


 屋敷で俺達が初めて顔を合わせた男性が、彼女の祖父だということはあの時聞いている。言われてみればなんとなく目元あたりが似ているかな?


 この世界でも誕生日プレゼントというのは一般的なようだ。ただし、基本的には裕福な家庭に根付いた習慣らしい。まぁこの世界の貧困層は、前世の日本より遥かに収入が低かったりするので、プレゼントを贈りたくても贈れないと言った方が正しい。平均的な市民であっても、食事が少し豪華になる程度が精々だとか。


「ただ、どんなものがいいか迷っていまして。おじいちゃんは長年アライア様に仕えていますから、大抵の物は持っていますし、珍しい物もそれなりに見たことがあります。ありきたりな物をプレゼントしてもあまり嬉しくはないだろうと……」


 孫からプレゼントされりゃ物がなんだろうと嬉しくない奴はいないとは思う。ただ、どうせなら喜ばれる物をという、贈る側の気持ちも理解できる。孫にここまで考えてもらえるとは、幸せ者のじいさんだな。


「それじゃあさ、私達も一緒にプレゼントの内容考えようよ!」

「そうだなぁ。せっかくだし、なにか考えてみるか」

「そんな申し訳ないです! みなさんもなにか用事があるのではないですか?」

「いや、今日は特になにもないから問題ないです」


 冒険者として領域にも向かわないといけないが、たまには何もしない日があってもいい。よく休み、よく遊び、よく働くのだ。何事もメリハリが大事である。


「今のところなにか考えてる物ってあるんですか?」

「いえ、お恥ずかしながら、なにもいい案がなくて。とりあえず街を歩いていればなにか思いつくかなと思ったので、こうして散歩がてら歩いていたのです」


 ここは王都の西地区の歓楽街。遊技場などもあるが、並ぶ店の多くはなんらかの販売店だ。ウインドウショッピングをしているだけでも楽しめる人もいるだろうし、なにかインスピレーションを受けることもあるかもしれない。


 彼女は今のところなにも思い浮かばないようだが。


「シャルならなにか面白い物を作れるんじゃない?」

「さすがにそんなことを急に言われてもなぁ」

「シャーロットさんは発想が私達とはどこか違いますからねぇ。もしいい案があったら、ぜひ参考にしたいところでしたけど」


 褒められているのか微妙なセリフだけど、まぁいい。


「片栗粉にから揚げ、そしてこの間のチョコレート。どれも見たこともないもので、おじいちゃんも驚いていましたし……あっ!」

「どうかしました?」

「そういえばチョコレートはまだ食べたことがないはずです。前に貰ったものは口にできなかったらしくて……」


 あれぇ? 結構な量を置いてきたと思うんだけどなぁ。といってもあの屋敷に何人のメイドや執事がいるのか分かんなかったし、足りなかった可能性もあるか。


「お恥ずかしながら……私達メイドがほとんど食べちゃいました……男性方に誰も口にできなかったと文句を言われてしまいましたよ。あはは……」


 なんとまぁ。アライア様さえそっちのけで、屋敷の若いメイド達が食べつくしてしまったそうなのだ。いくらアライア様があれだけ心が広いと言っても自由過ぎるだろと思ったけど、まぁそこはアライア様の方針だし俺が口出しすることじゃない。小言を言われた程度で怒られてはいないらしいが、若い女の子の勢いは怖ぇ。


「それで譲ってほしいと?」

「はい。代金はちゃんと支払います。ダメでしょうか?」

「いや、問題ないですよ。まだいくつか残っていますし」


 日頃から俺達のおやつとして不動の地位を築いているのだ。多少譲ったところで、まだまだ手持ちに余裕はある。精霊の森にはカカオ畑が出来ているし、一晩寝るだけで何事も無かったかのようにまた生えているから、ある程度量産も出来なくはない。まぁそんなことが出来るのは魔法があるからに他ならないが。


「甘い物は平気なのかな?」

「大丈夫です。むしろ大好物ですから」


 血の繋がりを感じるな。確かエマさんはあの時、皿いっぱいのチョコレートをあっという間に平らげていたはずだし、アライア様もエマさんは甘いもの好きだと言っていた。というか、この世界では甘い物っていうのは割と高級品に分類されるので、菓子が嫌いだという人の方が少数派ではあるらしいが。もちろん苦手な人もいるにはいるけど。


「折角ですから、エマさんが作ってあげては如何です?」

「えっ? 私が、ですか?」


 単なる思い付きに過ぎないが、手作りならより喜んでくれるのではないかと思っただけだ。なにか似たようなイベントを知っているような気がするが、それはきっと気のせいである。なにより今は二月相当の季節ではない。


 どちらにせよ、手作りの物はそれだけで喜ばれる品であるのは間違いないのだ。それが可愛い孫からの贈り物だとすれば尚のこと。甘い物も好きだというし、これでいいんじゃないか?


「でも私は料理の方はあまり得意では……」

「俺達も手伝いますから、やってみません?」

「うん! 私もいっぱいお手伝いするよ!」

「あれ? これは俺も手伝う流れなの? え?」


 正直、カイルとヒノに手伝いをやらせるとえらいことになりそうな気がする。特にヒノだ。昔少しだけやらせてみたことがあるんだが、調理場が強盗でも入ったかのような荒れ具合であったし、出来上がった料理にしてもなにかよく分からないダークマターだったので不安しかない。その暗黒物質は責任もってヒノに食わせたのだが、本人は普通に平らげていたのは永遠の謎だ。


 カイルは……知らん。まぁなにかしら面白いアイデアでも出してくれるかもしれないし、なんにしてもあの屋台の中で調理するつもりだからどうせ近くにはいる。調理場もそれなりに広く作ってあるから問題は特にない。


「手作りのチョコレートなら喜んでもらえるはずですよ。出来の良し悪しは関係ありません。相手を思って作った物は、それだけ価値がある物だと思います」

「そう……ですか。それなら、やってみようかな?」

「よーし! そうと決まれば早速材料を買いに行こう!」


 さて、手作りのチョコレートを作るわけであるが、なににしようか。アライア様にも出した普通の板チョコもどきは却下だ。この世界では、贈り物として充分珍しい物ではあると思うが、俺の基準で言えば大した代物ではない。コンビニで買った百円くらいの板チョコを渡すようなもんだ。小学生ならいざしらず。


 一番手軽なのはハート型に固めたりすることだが、形が違うだけでなにか変ったわけでもない。味も普通のチョコレートだし。多くの人は溶かしたチョコレートになにかしら混ぜ込んだりしていると思う。ナッツ類や果物をコーティングしたり、クッキーやケーキを焼いたりもしているはずだ。


 考えている基準がどうにもバレンタイン準拠なのは仕方ない。チョコレートを贈るとなると、まずそれを連想してしまうのは日本人の性。職業柄、あの時期は忙しくて大変だったのを思い出す。チョコレートフェアなんて当たり前で、毎年新作のチョコレート菓子を作っていた。といっても所詮小さな喫茶店の一メニューに過ぎないので、洋菓子店の忙しさに比べたら大したものではないのだろう。友人から聞いたことがあるが、クリスマスやハロウィンに並ぶ一大イベントで、休みなど返上を覚悟で仕事をしていたと言っていた。かき入れ時だからね仕方ないね。


 で、この世界ではそんなイベントが存在しない。チョコレートがないから当たり前だな。なので、チョコレートさえ使っていればなにを作っても珍しいし、喜ばれるだろう。


 まぁ折角だし、普通にチョコレートを贈るのも面白くない。とは言っても、あまり凝った物を作ろうとするとエマさんが困る。料理はあまり得意ではないそうだし、お手軽で、且つ少しだけ手の込んだお菓子にしたい。


 そうなると……フォンダンショコラなんてどうだ? 


「なにそれ」


 カイルの言うことももっともである。思わず口に出してしまったが、そんなものこの世界に無かった。だからといって作れないわけじゃないし、まぁこれでいいんじゃないかな。


 これならかなり珍しいだろうし、喜ばれるだろう。ガナッシュが中から流れ出てくる様子はなかなか面白いのではないかと思われる。熱いうちでないといけないのはネックだが、アライア様の屋敷には専属の魔法使いがいるそうなので、その人に温めてもらえばいいだろう。というか、それくらいなら少しでも適正があれば誰でもできる。


「とにかく、最初に俺が手本を見せるから。とりあえず材料を買いに行きましょう」

「よろしくご指導お願いします」

「そう畏まらなくても……」


 なにはともあれ、ひとまず方針は決まったのだ。必要な物を買った後、試作といきましょうか。

















「あー! また焦がしちゃった!」


 もう何度目かも分からない、エマさんの悲痛な叫びが調理場に木霊した。


 既に太陽も沈み、周囲には夜の帳が降りている。時間がかかることは予想していたので、アライア様の屋敷に行って、エマさんの帰りが遅くなることも伝えてあった。昼間のうちに多目に材料を買い込み、早速試作を開始したわけだが……。


 作るのはあくまでもエマさんであり、俺ではない。何度も失敗を繰り返し、俺の目の前には数多くのフォンダンショコラとなる予定だったものが並んでいる。それぞれなんらかの理由で失敗したものであり、とても贈り物として渡せる状態じゃなかった。生焼けだったものには魔法で強引に火を通し、なんとか食べられる状態にしてから俺達の胃袋に収めている。間違っても捨てることをしないのは俺のプライドだ。


 なにげに役に立っているのはカイルである。


「失敗作って言っても普通に食えるし、なによりうめぇ!」


 若者特有の無限の胃袋で、大量のフォンダンショコラを食べている。俺も夕食を作るのは止めて、これで今日の腹を満たすことにした。ヒノもそれに非は無いらしく、エマさんの手伝いをしながらも少しずつ食べている。手伝いと言っても使った器具を洗ったりする程度ではあるが。


 俺もそうだが、手伝いとは言ってもフォンダンショコラを作る手助けはしない。あくまでも自分で作ることに意味があるのだ。助言くらいならば問題ないが、少しでも俺が手を加えたものは完全なエマさん作では無くなると、俺はそう考える。


 最初こそ少しだけ手を貸した。なにせ料理なんてほとんどしたことがないと言っていたのだ。いきなり菓子作りはハードルが高いのは事実だからな。手本として俺が作ったものを見たエマさんはかなり気合が入っていたようだが、いざ作ってみると難しかったらしく、このありさまだ。材料を多目に買ったのもこのためだったりする。


 尚、俺の作ったものに対する三人の感想がこれだ。


「わっ! 中からチョコレートが流れてきてる! 凄い綺麗だね!」

「チョコレートはそのまま食べるだけじゃなくてこんな使い方もあるんですね。ケーキに混ぜ込むとより一層美味しく感じます。チョコレートも滑らかで口の中でとろけてて美味しい!」

「うめぇ!」


 カイルに関してはもう気の利いた感想は期待していないが……。まぁ概ね予想通りの反応である。今回フォンダンショコラを作るにあたって、最新作のチョコレートを使った。と言っても特別美味しいとか珍しいとかいうわけではないんだが。この世界では珍しいけどね。


 ホワイトチョコレートである。これだけでもエマさんは驚いてはいたが。ホワイトチョコレートは通常の黒いチョコレートとは少しだけ違う。主な違いはカカオマスの含有量だ。というか、カカオマスが入っていない。ココアバターを主原料とし、乳成分を含んでいるため通常のチョコレートより甘さが際立つ。その色からホワイトデーのお返しでよく使われるし、俺もお返しのチョコレート菓子はホワイトチョコを使っていた記憶がある。


 フォンダンショコラは、チョコレートケーキの中からガナッシュ……簡単に言えば、用途に応じたチョコレートクリームのことであるが、それが流れてくるのが一つの醍醐味である。それを白いホワイトチョコレートで作れば、白と黒のコントラストが綺麗に見えるのではないか、と思ったわけだ。


 ぶっちゃけ、作ったことはない。なんとなく固定観念で黒には黒、白には白しか使っていなかったのだ。前世でそんなフォンダンショコラはあまり聞いたこともなかったのには、なにか理由があると思うが俺には分からない。プロから見るとあまり面白い発想ではないのだろうな。


 まぁ昔のことはいい。ここではどっちにしても珍しくて面白い物には違いないのだから、アレコレ考えるのはやめだ。


 しかし、エマさんの料理下手はかなり重症だ。メイドというと家事全般得意なイメージがあるんだが、現実はそういうわけでもないらしい。よく考えてみれば、料理に関して言えば専属の料理人がいるくらいなのだから、メイドは料理に一切手を出せないのだ。もちろんメイドが料理人を兼任している場合もあるが、貴族の多くが専属の料理人を雇っている。この前のエルマンさん達のようにだ。


 料理が出来るメイドもいるとは思うが、エマさんは違った。もう壊滅的にダメだ。調理場を散らかしたり、奇天烈な料理を作り上げないだけヒノよりマシだとは言えるが。


 だんだん良くはなって来ていて、もう少し頑張れば贈り物としてなんとか形にはなるが、未だに満足のいくケーキは焼けていない。


 どうも焦がすことが多いみたいだ。今回は魔法を使わずに石釜に火を入れているせいである。エマさんは魔法使いではないので、その方法が取れない。俺が調整してしまうとさっき言ったようにエマさん作ではなくなってしまうからだが、さすがにここまで失敗続きだと少し手伝った方がいいだろうな。


「難しいようでしたら石釜の温度は俺が調整しますよ。魔法を使えばそう失敗することもありませんし」

「それはありがたいです。でも、折角ここまでやったのですから、もう少し頑張ってみます。私だけの力で作り上げたんだと、胸を張って渡したいですから。と言っても……チョコレート自体シャーロットさんが作ってるんですよね……」

「それはそれですよ。チョコレートはあくまでも材料の一つだと思ってください」


 いい心がけだな。ちょっと野暮なこと言っちゃった。半ばムキになってる感じもあるが、いい事だと思う。こんなものを渡されたら、じいさん感動で逝っちまうんじゃねぇか? かなり元気そうだったから大丈夫だと思うけど。


 それからかなりの失敗作を連発したエマさんだったが、日も変わるような頃になってようやく満足のいくものを焼き上げることに成功した。


「これならどうですか?」

「うん。ちゃんと火も通ってるみたいだし、よく膨らんでる。焦げてもいないし、これなら全く問題ないですよ」

「やったぁ! やっと綺麗なケーキが出来た! これでおじいちゃんに渡せる!」

「よかったねエマちゃん!」


 ヒノと手を取り合って喜んでいる姿は実に微笑ましい。女同士ということもあってか、二人はこの短い間で随分と仲良くなったようだ。二人で調理している様子は、バレンタインのチョコレートを作る女の子そのもので、なんだか懐かしいような気分だった。実際作っていたのはエマさんで、ヒノは洗い物や片付けくらいだが。


「あーさすがにもう食えねぇ。だけど腹いっぱいチョコレート食えて俺もう幸せ」

「お前どんだけ食ったの……」


 テーブルの上に所狭しと並んでいた失敗作は、その全てがカイルの腹に消えた。俺やヒノ、エマさんももちろん食べているのだが、ほとんどはカイルが消化している。なにも今日だけで食べ尽くさなくても、収納して明日以降食べればよかったのだが、気付いた時には残っているフォンダンショコラは無かった。


 まぁ食べ物を無駄にするより遥かにいいことではあるので、文句はない。ただ、カイルの健康状態だけが不安である。そんなに食ったら太るぞ。


「狩りで動き回って消費するから大丈夫」


 あぁ、俺達冒険者だからね。実際そこまで心配してない。


「それじゃあ屋敷まで送りますよ」

「はい、今日はありがとうございました! また明日もお願いします」


 ん? 明日も? 焼けたケーキは竹籠に入れて渡してあるし、もう俺達のやることはないと思うんだけど。


「あの、温めないといけないんですよね? でしたら申し訳ないんですけど、その役目をお願いしたいんですが」

「少しでも魔法が使える人が居れば誰でもできますし、俺じゃなくても問題ないですよ?」

「火加減を間違えて燃やされたりしたら困りますし……せっかくのプレゼントなので失敗したくないんです!」


 かなり至近距離まで顔を詰められて、嘆願される。近いよ顔が。ちょっと恥ずかしいから離れてくれ。


「あうっ……すみません。でも、お願いできませんか?」

「まぁ……そういうことなら構いませんけど」


 良く考えてみたら、フォンダンショコラなんて見たことも無い謎の食材に対して、中のチョコレートが溶けるくらいの温度まで加熱してくださいとか言っても理解されるとは限らない。それこそエマさんが言うように、加減を間違えて消し炭にされる可能性も否定はできないのだから、ここは俺が行くべきなのだろう。電子レンジとかあれば楽でよかったんだけどなぁ。


 フォンダンショコラは一旦俺が預かり、エマさんを屋敷に送り届けた後、眠りについた。 












「お待ちしていました。アライア様には事情を説明してありますから、食堂までご案内しますね」


 翌日アライア様の屋敷を訪れた俺達は、エマさんの案内の元、食堂にて食事をすることになった。


 昨日、エマさんを送り届けた時、たまたま起きていたアライア様と出くわし、お礼代わりに食事でもどうだと誘われたのだ。あまりにも恐れ多いのでお断りしようと思ったのだが、エマさんの勧めもあり、せっかくなのでいただくことにした。知らない仲でもないのだし、あまり拒み過ぎるのも逆に失礼かなと思ったわけだが、いざ食卓についてみるとやはり俺達には過ぎた食事であると言わざる負えない。


 朝食なのだが、えらく豪華である。流石に伯爵様なだけはあるな。パンも硬い黒パンではなく、柔らかく甘みがあるし、卵をたっぷり使ったオムレツにはしっかりベーコンやポテトの付け合せもある。新鮮なサラダに、コンソメのような味のする温かいスープと、お茶まで用意されていた。


 俺達は貴族でもないのだし、ここまで気合入れて準備しなくても……なんて思っていたが、アライア様曰く特別なメニューというわけではなく、日常的に食べているものだそうだ。栄養バランス的にも理想的で、前世でもこれくらいの朝食を推奨されていたりするもんだが、実際にこれを実践していた人はいたかというと、微妙なところである。朝からそんな時間があるわけでもないし、そんな悠長に飯を食っていられるのは一部のお偉いさんくらいなもんだ。もちろん早く起きて準備すりゃいいだけの話だが、人間思い通りには動けないものである。それに、毎日これだけの量をやるのはさすがに面倒臭かったりするし。


 それはさておき、朝食を食いながらアライア様と少し雑談をしてみた。


「エマが随分世話になったそうじゃないか」

「大したことじゃないですよ」

「それにまた面白いものを作ったとか。シモンのプレゼントとしてあの料理下手なエマが作ったそうだが……大丈夫なのか?」

「あはは……私がついてましたので大丈夫です」


 どうやらアライア様も、エマさんが料理下手だということは知っていたみたいだ。曰く、いつだか料理をさせてみたとき、ヒノと同じく謎の物体を作り上げたのだとか。それを考えると、今のエマさんってかなり進歩したんじゃ……。


 シモンというのは、エマさんの祖父のことだな。本当ならここにいるべき使用人頭なのだが、話している内容が内容なので、今は別の要件をアライア様が言いつけており、ここにはいない。


 その代りと言ってはなんだが、この屋敷の専属料理人が来ていた。


「初めましてシャーロット君。それにカイル君とヒノちゃん。僕はここで料理人をやらせてもらっているフランツだ。よろしくね」

「よろしくお願いします。朝食、とても美味しいです」

「ふふっ。ありがとう」


 切れ長の目は黄土色……かな? いかんせん細くて良く分からない。黒に近い深緑の髪は料理人らしく短く切ってある。落ち着いた、クールな雰囲気があるかな。


「君が持ってきたチョコレートという菓子だが、実は僕も食べ損ねていてね。いやはや、ここのメイドちゃん達は容赦がないよ」

「私もだ。自由に食べていいとは言ったが、まさか一日もかからず無くなってしまうとはな。私もフランツもたまたま仕事が立て込んでいてなぁ。あのときは参ったね」

「全くです。まぁ若い子達はこれくらいの気概があった方が健全ですかね?」

「そうかもしれんな」


 ここにはそのメイド達の中でエマさんしかいないが、止めて差し上げろと。ほら、赤面して俯いてるじゃないか。


「あはは。エマさんから聞きました。エマさんも少し反省していたみたいですね。ついでですから、また少しおすそ分けしますよ」

「おお! そうか、すまんな」

「いえいえ。ま、他のメイドさん達には内緒ということで」

「それがいいね。また食べられてしまっては敵わないから」


 三人で談笑していると、食堂のドアがノックされ、別のメイドさんが入ってきた。


「シモン様がお戻りになられました」

「そうか。ではここへ来るように言っておきなさい」

「畏まりました」


 シモンさんが用事を終わらせて帰ってきたようだな。それじゃあ早速プレゼントを渡す準備をしましょうか。


「じゃあエマさん、これを」


 収納していたフォンダンショコラをエマさんに手渡す。竹籠に綿を敷き詰め、フォンダンショコラを二つ入れている。少しばかり小奇麗にしてみたが、前世のようにはいかないな。


 他のメイドさん達を呼び、テーブルの上を綺麗に片付けさせ、皿を一つとナイフとフォークを一組揃えておく。


 プレゼントは小細工無しでストレートに渡すようだ。まぁ彼氏とかならもう少し練ったプランを用意するだろうが、家族に渡すのであればそんなに複雑に策を弄すこともない。


 俺達も席を立って適当に雑談をしておく。あくまでも主役はシモンさんなので、俺達が座っているのもおかしいだろう。


 ほどなくしてドアが開き、シモンさんがやってきた。


「ただいま戻りました。おや? シャーロット様ではないですか。それにカイル様にヒノ様も。おはようございます」

「お邪魔してます」

「ご苦労だったなシモンよ。ところで、エマが話があるそうだ。聞いてやってくれ」

「エマが私に?」


 シモンさんが不思議そうに首をかしげる中、エマさんがシモンさんの元まで進み出て、竹籠を差し出した。


「今日誕生日だったよね? おめでとう、おじいちゃん。これ、口に合うか分からないけど、私が作ったの。受け取って」

「おお……ありがとう! そういえばそうだったのぅ。それにこれは……エマが作ったのか?」


 シモンさんは一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐに綻んだ顔を見せてくれた。そりゃあ誰だって嬉しいわな。


「本当に私が作ったのよ。シャーロットさんにいろいろと手伝ってもらったけど、最後は私だけで作ったの」

「それはそれは……シャーロット様、本当にありがとうございます。エマは料理が下手で大変だったでございましょう? それなのにこんな老いぼれのためわざわざご指導いただいて……」

「お礼ならエマさんに言ってあげてください。俺はただ助言しただけです。それを作り上げたのはエマさんですから。エマさん、すごく頑張ったんですよ」

「そうですな。エマ、ありがとう」


 ほんと、嬉しそうな顔をするなシモンさんは。どの世界でも孫ってのは可愛いもんだろうとは思うけどな。そんな孫からプレゼントされりゃ嬉しいのも当たり前だ。


「おじいちゃん。早速食べてみて。もう準備もしてあるから」

「しかしシャーロット様達もいるのだし……」

「俺達のことは気にしないでください。むしろそのために俺達がここにいるのですから」

「このために……?」

「まぁとにかく座ってはどうだ? 今日は遠慮しなくていいのだぞ?」

「お館様がそう仰るのならば」


 シモンさんはアライア様に促されて、食器が並べてある席に座る。エマさんがテーブルに置かれた竹籠からフォンダンショコラを一つ取り出し、皿の上に置いた。


「シモンさん、ちょっと待っていてください。それでは」


 フォンダンショコラに手をかざし、魔法をかける。ただ温度をあげるだけなので、それほど難しい魔法でもない。ショコラが熱を帯びてきたところで魔法を止め、その場を離れた。


「準備は出来ましたよ」

「ありがとうございます、シャーロットさん。それじゃあおじいちゃん、そのケーキを割ってみて」

「ふむ……こうか?」


 さすがに使用人頭ともなるとナイフとフォークの扱いも手馴れているな。淀みない動きでフォンダンショコラを半分に割ると、その切れ目から純白のソースが流れ出てくる。


「おお! これはすごい! 実に美しいケーキですな!」

「ほぅ。ケーキの中に詰め物をしているのか。もしかしてこれもチョコレートなのか?」

「えぇ。白いですが、これも間違いなくチョコレートですよ」


 アライア様も興味深くフォンダンショコラを観察している。フランツさんは無言だが、その様子をじっと見つめていた。と思ったらなにやら小声でなにかを呟いているようだ。


「シャーロット君! 僕にそのチョコレートについて詳しく教えてくれないか!」

「うわっ! びっくりした……急にどうしたんですか?」

「あぁ、いや済まない。あまりに珍しいものだったからついね。一料理人として、日々新たな料理を考えるのは至極当然だろう? 無理にとは言わないが、よければ僕にも素材を提供して欲しいんだ」


 小さな声でぶつぶつ言っていたかと思ったら、いきなりのこの変わりようである。そうだなぁ。やっぱりこうして人前に出す以上はこういうことになるのだろうし、チョコレートの生産体制を早めにどうにかするべきだな。


「今はあまり大量に作ることはできませんが、少しずつでよかったら持ってきますよ。アライア様には前にもそう言ってありますけど」

「うむ。定期的に分けてもらうように頼んでいたな」

「そうなのですか? それでしたらその取り分を少し僕に分けていただけますか? 研究して、より良い菓子を作れるかもしれません」

「構わぬよ。それより、シモン。早く食べないと冷めてしまうぞ。私達のことは気にせずとも良い」

「はい。お気遣い頂いて申し訳ございません」


 ありゃ。シモンさんは俺達の話が終わるのを待っていたようだ。待たせてしまって済みませんね。気にしなくてもよかったのに。まぁ、執事という職業柄、癖みたいになってるんだろうけど。


 改めてナイフとフォークを手に取って、一口大に切り分けたフォンダンショコラを口に運ぶ。執事らしい、無駄のない動きである。


「大変に……大変に、美味しゅうございます!」


 そんなに言葉を溜めるほどうまかったのか。というより、孫からもらったプレゼントであるということの方が効いているのだろうな。絞り出すようにそう言った後は、ただひたすらに、その味を、エマさんの想いを、噛み締めるように味わっていた。


「よかったぁ。おじいちゃんに喜んでもらえて」


 エマさんはほっとしたように胸を撫で下ろしている。料理が下手なのを自覚しているだけに、不安だったのだろう。


 食事を終えたシモンさんは、佇まいを直したあと、執事らしい流麗な所作で頭を下げた。


「この度は本当に感謝をしています。アライア様、シャーロット様、そしてエマ。私の誕生日などにこれだけの時間と労力をかけてくださり、言葉もございません」

「頭を上げなさいシモン。そんなに恐縮することもなかろう。エマは大事な祖父のためを想っているからこそこれだけ一生懸命に準備をしてくれたのだ。私に至ってはなにもしておらんしな」

「そうですよ。俺にしても大したことはしてないのですから。たまにはこんな日もあっていいじゃないですか」

「おじいちゃんが喜んでくれたのなら、私も頑張った甲斐があったよ」


 顔を上げたシモンさんの目にはうっすらとだが涙が浮かんでいたように思う。ただ、そこはやはり執事。すぐに表情を取り繕い、改めてお礼の言葉を述べる。


 そのあと、みんなでお茶を飲みながら、今日のことについて軽く話をした。


 街でエマさんとばったり会ったことから、何度も何度もフォンダンショコラを焦がしてしまったこと。エマさんは恥ずかしそうに顔を赤らめ、シモンさんはそれを聞きながら優しく微笑む。そんな二人をアライア様はそっと見守りながら、俺とフランツさんとチョコレートについて意見を交わす。ときどきカイルとヒノからも考えを聞きつつ、俺がお茶請けに提供したチョコレートを摘まむ。


 昼過ぎまでそうしてまったりとしたお茶会を楽しみながら、明日からまた再開する冒険者稼業について思いを巡らせるのだった。

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