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第一話 失態。

 まだ日も登らない早朝。


 動くものなどほとんど見かけることのない時間から俺の一日は始まる。季節は本格的な冬も間近の十一月。肌寒くなってきており、風邪に注意しなければならないな。かくいう俺も少し風邪気味かもしれない。


 同じく不運な早朝出勤の顔も知らぬ誰かとすれ違いながら車を飛ばす。中古のボロい軽自動車である。高級車など、九月でやっと二十歳を迎えたこの俺にはまだ手が出ない。加えて、料理人見習いという稼ぎなど度外視されたも同然な今現在、同年代の男性より遥かに給料は低いだろう。まぁそんなことは初めから分かっていたことなので、給料が少ないことに文句をつけることなどしないのだが。でもやっぱりお金欲しいよねぇ……。


 そんな下らないことを考えていると職場にはすぐに到着する。車で十五分程度なのだからあまり深く考える時間などないし、運転中に考え事も危険なので少し自重しよう。流石にまだ死にたくはない。まだどうて……なんでもない。あぁ、彼女も欲しいわ。


 自分で言うのもなんだが、容姿はそれほど劣っているわけではない……と思う。とりわけイケメンとは言えないが、男友達とつるむことが多かった上、出不精だった俺はデートなどほとんどすることがなく。休日は家に籠ってゲームやアニメ。たまに外に出たかと思えば野郎連中とカラオケか魚釣りという、女性との出逢いなどほぼ絶望的な生活をしていれば当然彼女など出来ないわけで。


 店の駐車場に車を停め、関係者用入口から中に入る。ドアを開けた瞬間妙な違和感を感じたが、特に気にせず休憩室へ向かう。


 あぁ……鼻づまりがひどい。明日は店長に頼んで休みにしてもらおう。飲食に携わる身として、体調管理は大事である。食中毒の危険がある以上、本来ならちょっとした腹痛でも仕事をするべきではないのだ。しかしこの現代日本。風邪程度で休むと大バッシングを受ける上、体調が悪くても仕事をするのが美徳だとか思っている頭のおかしい連中が跋扈しているせいでそもそも休みが取りづらい。職場に風邪の菌ばら撒いたらどうするんだ。大体にして……いや今はそんなことどうでもいいな。


 ともあれ我が職場はそういう面にはしっかりしている方である。むしろ風邪気味な状態で出勤してきた俺が怒られるくらいには。気付いたのはさっきだし今日は仕方ない。仕込みだけでもやっておいて、状態が悪ければ早退を言い渡されるだろ。


 コックコートに袖を通し、電気をつけて厨房に足を踏み入れた。ここが我が戦場たる洋食料理屋の厨房である。高校卒業後、専門学校に一年通い、その間もずっとアルバイトとして働いていたここにそのまま雇ってもらった。なので一年目とはいえ勝手知ったる場所ではある。


 地元の住人達による店の評価は概ね好評。少々割高ではあるが味もよく、店内の装飾も控えめに施され落ち着いた雰囲気が特徴。ちょっと贅沢して外食しようか、といったときにはここを利用する人も多い。


 ひとまず俺の仕事は今日使う分の食材の切り込みをして、足りないソース類があれば随時補充。デザートも自分が割り振られた種類が少なくなっていれば仕込む。あとは……まぁ追々やっていこう。


 ちなみに俺は元々パティシエ志望である。専門学校もパティシエ科を卒業しているが、高校のときに料理は学んでいるのである程度は問題ないし、家でも定期的に作っている。料理の腕としては同年代の女性よりはできる自信があるが、特別才能に溢れた人材ではないという程度。

 

 ただ、知識に関して言えばかなり誇れるもんがあるのではないだろうか。元々雑学が好きなことも相まって、結構いろいろ知っている。実行できるかはともかく。気になることがあると調べずにはいられないのだ。こと料理に関してはそれが顕著で、普通の人なら気にもしないようなことであっても検索してしまう。ネットって便利だな。例えば、クッキーとビスケットの違いについて。ウスターソースの作り方。小麦粉の薄力中力ってなに? 重曹の役割は? 米のとぎ汁で大根を炊く理由。すこぶるどうでもいいことである。職業柄役に立つかもしれない、などと思ったことは特にない。俺が気になるから調べるのだ。まぁ実際役に立つこともあるかもしれないし、悪いことじゃないだろ。 


 あと俺はかなり甘党だ。パソコンの隣には常にコーヒーか紅茶が砂糖たっぷりで控えている。あぁ炭酸はダメだ。ありゃ喉がいてぇ。


 しかしアレだよな。飽食で飢えることがないのは素晴らしい。だけどその弊害で食材に対する感謝の念が失われつつあるのは許せん。食べ物を簡単に捨てすぎだ。飲食業に携わっていると分かるだろうが、生ごみの量がおかしい。日に何キロ捨ててると思ってんだ。しかも営業してるのは当然一日だけじゃないんだぞ。注文した料理は完食してくれ。嫌いなものがあったって少しくらい我慢しろ。若しくは同伴している人に食べてもらうのもいいだろ。アレルギーはまぁ仕方ないが。つーかアレルギー持ちの人は外食しないかそれ専門の店に行くし、仮にそういう人が来ても注文時に一言言われるしな。なんにせよ、軽々しく食材を無駄にはしないでくれよ頼むから。まさか下げられてきた残りもんをこっちが食うわけにはいかんからな。サンドイッチとかならともかく。


 なんか今日は愚痴っぽいな。さっさと仕事取りかかろう。


 首を左右に捻りながら大量の玉ねぎをシンクに運ぶ。あーすっごいバキバキ音がなるわ。玉ねぎは今日使う分もそうだが、ある程度数日分まとめて皮を剥いておくのだ。そして冷蔵庫に保管し、一日に必要な分だけスライスしておく。今日は在庫が無かったため、数日分の皮むきから始める。


 切るときに涙が出て辛い思いをした人も多いだろうこの玉ねぎという食材だが、実はいくつかコツがある。涙が出る原因の物質はプロパン……なんとかオキシドとかいうやつなんだが、こいつが粘膜を刺激するからだ。


 よく言われるのがゴーグルの着用。ただこれ実はあんまり効果がない。皆無ではないんだが、目に直接というより鼻から入ってくる方が多いのだ。対策としてさっき言ったように冷蔵庫で冷やしておくこと。


 あとはよく切れる包丁を使うこと。細胞の痛む範囲を少なくして、なるべく原因物質を飛び散らせないようにするため。他には火に弱いのでコンロに火をつけてその近くで切ったり、換気扇を回して原因物質を吸い込まないようにしたり。まぁそこまでしなくても冷やしてさえおけば早々涙も出ないけど、これは慣れの問題もあるのかな? 俺はもう滅多に玉ねぎ泣かされるとこは無くなった。最近では涙が出ない玉ねぎとか開発されてるらしいな。ご苦労なこって。


 玉ねぎを必要な分だけシンクに移して一つ思った。やっぱ寒い、と。相変わらず鼻がむずむずするし、どうもさっきから感じてる違和感も無くならねぇな。ここは一つコンロで暖を取ろう。別にサボるわけじゃないぞ。足りてなかったホワイトソースを作るのを早めるついでだ、ついで。別に作業する順番なんかあんまり関係ないんだよ間に合いさえすれば。


 でっかい寸胴を二つ準備する。ついでだからブイヨンも作っておくかと思ったのだ。二つ使った方が暖かいし。さっき生ごみがどうとか言っていたが、ここで登場するのが野菜の切れ端だ。仕込みの際に取っておいたもので、これはそのまま野菜の皮やらヘタやら可食部以外のことだ。いやまぁこれらも食えるっちゃ食えるけどね? ただ捨てるのは簡単だが、こうして出汁を取るために取っておいた方が無駄がない。出汁を取るためだけに煮込まれて捨てられる食材も勿体ないから、できるだけこうした切れ端も使うようにしている。大事なことだ。それでも切れ端だけでは全然足りないから、かなりの食材を出汁を取るために使うのは人間のエゴだなぁなんて思ったり。贅沢な生き物だよ人間は。


 一つの寸胴には水と食材、もう一つには牛乳をたっぷり入れて火をつけた。


 瞬間、視界が赤に染まった。













 どれくらいの時間が経っただろうか。


 ぼんやりとした頭で現在の状況の整理をしようと思考を開始する。


 まず俺の視界に映し出されたのは真っ黒に焼け焦げた天井。仰向けに倒れているようだ。そして立ち上る煙と炎。


 あぁ……なるほど。ガスに引火して爆発したんだな。全身に激痛が走るし、呼吸がし辛い。体が動くわけもなく確認したわけじゃないが、まず間違いなく全身大やけどをしているはずだ。


 どこか骨折くらいしているかもしれない。なんにせよこのままだと俺は死ぬのだろう。死に直面しているわりにはかなり冷静だなと思うが、もしかすると死ぬ直前なんてこんなものなのかもしれない。走馬灯なんてものもあるくらいだし、最後の時は意外とあっさりしているのだろうか。他の人達と比べることなど出来ないし知る由もないのだが。


 とはいえ体が動かない以上助けも呼べない。あわよくば騒ぎに気付いた近隣住民が救急車を呼んでくれるのを待つだけだ。早朝とはいえさすがに誰か気付くだろう。


 息が辛い。全身の七十パーセント以上を火傷すると死ぬなんて話を聞いたことがある。皮膚呼吸が出来なくなって……という話だが詳しいことは医者でもない俺には分からない。あ、これって都市伝説だったっけ。息苦しいのは火災現場の只中だからだわ。俺の場合呼吸云々の前に死にそうだが。


 どうせ死ぬのならなんで今目が覚めたんだろうな。もしかして助かるんだろうか? 救急車は間に合うのか? 無理だろう……。あまり意識が持ちそうにもないんだが。


 全身は火傷だか打撲だかで激しい痛みが駆け巡っているし、やはり火傷で呼吸がし辛いのだろう、息が苦しい。このまま死を待つのみ……なのか……。


 徐々に視界が霞んでいく。まだ死にたくはない……死にたくはないのに、閉じようとする瞼を押し上げる気力が湧かない。


 ふと、光を感じた。光を感じるっていう表現も少しおかしいのだが、なんていうのか、感じたんだ。まるで自分が発光しているような……。


 周りに光るものもないのに厨房が明るくなったのだ。その光は自分から発せられているように思う。死に際に頭がおかしくなったのかな?


 あぁそうだ。店長には申し訳ないな。店を吹き飛ばしたし、しばらく営業なんて無理だろう。死人が出たなんて店の評判がガタ落ちだろうし。


 古くからの常連さん達が復旧に助力してくれることを願うばかりだ。幸い、人のいい店長だし腕もいい。この不手際さえ風化すれば今まで通りやっていけるはずだ。不手際? アレ? なんで爆発したんだ?


 あ……。店に入った時から感じた違和感はこいつか……。


 僅かに首を動かした視界の先に映っていたのはコンロの下、ガスの元栓がある場所。よく見るとガスの元栓が開いたままになっていた。


 店に入った際の違和感は漏れ出したガスの匂いで、風邪気味で鼻の調子が悪かった俺は、朝の寝ぼけた頭も手伝いそれに気付けなかった。


 朝も早く、季節的にも寒さが襲ってくるのを恐れて閉め切っていて、そのまま火をつけたため引火爆発したのがこの事故の原因であるようだった。


 ちくしょう誰だよ昨日の遅出担当だったやつ。ガスの元栓はしっかり確認しろっていつもあれほど……。


 俺だったわ……。


 直後、体がふわっと浮くような感覚を覚えた。


 かくして俺――福島庄太郎は、二十年間の生涯を終えようとしているのだった。


 

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