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雨の日に想うこと

作者: 氷翠朔

第四回SMD競演作品。

お題は『雨』です。

投稿が遅れに遅れて非常に申し訳ないです。

 雨。

 その字を見た時、大抵の人は憂鬱なイメージを抱くことだろう。

 だが、俺は違う。自分でも変わっていると思うが、雨が降っている時、俺の気分は奇妙な高まりを見せる。

 俺の住んでいる地域が一年を通して温暖な気候のせいで、天気のいい日に飽いていた、という理由もあるにはあるだろう。

 だが、それ以上に俺は雨が降ることで変化する世界を見るのが好きだったのだ。


 俺は変人の部類に入るが、世間一般的に見れば平凡以外の何者でもなかった。

 成績、運動、社交性、将来への展望などなど。どの瞬間の俺を切り取っても、金太郎飴のようにまったくブレることなく俺は俺のままだった。

 変わることと言えば年齢くらいのものだ。身長も体重も高校に入った時点で誤差の範囲内に留まるようになってしまった。

 とは言っても、俺は別に悲観的にも厭世的にもなっていない。

 出来ることをし、出来ないことはスパッと諦める。非常に楽な生き方だ。下手に肩に力を入れて頑張ってもロクなことにならない。

 平平凡凡。両の掌に収まる程度の幸福を口いっぱいに噛み締め、ある日突然宝くじの一等を手に入れるとか校内一の美少女から告白されるとか、そういうものは想像だけに留めておいてあくまでも平坦な道をただただ淡々と進む毎日を送る。

 ……けど、俺は平凡でこそあったが同時に俗物でもあった。

 いや、自分が平凡であることを正確に認識してしまっていたためにその想いは並の人よりも強かったと思う。

 その想い――『特別』に触れること。

 まあ、凡人の俺が友達に誘われれば別だが、自主的にアイドルのコンサートなどの『特別』なイベントに参加することはまずない。

 そうなると必然的に俺が触れられる『特別』な事柄は非常に限られる。

 その中でも物心付いた時から何とはなしにしていた、雨に触れるという行為を俺はよくしていた。

 もちろん人に見られない範囲だが、傘を差さずにしばし雨に打たれたり、あるいはわざとゆっくりとしたペースで歩いて鉛色の空や湿った空気の香り、平時よりも忙しなく動く人々の様子をつぶさに観察する行為を密かに俺は楽しんでいた。

 そうすることで俺は刹那の『特別』に浸れたから。

 好きな人に想いを伝えるように、自分の趣味の世界に没頭するように、緩やかな睡魔に誘われるように。

 人それぞれの高揚があり、愉悦があり、好きな時間があると思う。

 そんな中で、俺は安上がりにもほどがある楽しみ方をしていた、というわけだ。

 ――でも、もうその楽しい時間は訪れない。

 薄々は、気付いていた。

 雨が降っているという事象に、日常の色が一変することに俺は直接的にも間接的にも関係していない、と。

 卑近な例で言えば、自分の好きな女の子が笑顔で挨拶を返してくれたとする。

 けど、その女の子が『クラスメイトだから』という理由で返していたとしたら? 誰に対してもそういうことをしていて、何の裏も含みもなく、まして恋愛感情とは無縁の理由で挨拶を返していたとすると……虚しさが胸いっぱいに染み渡ることだろう。

 それと同じようなものだ。雨に触れて、その冷たさに、その流れ落ちる雫の感触に、あちこちから聞こえてくる音色の洪水を全身で感じたとしても――それは俺が『特別』に触れたという証にはならない。

 誰にも出来ること、俺だけがしているわけではない、『普通』なこと。

 どこまでも行っても、どこまで考えても、俺は結局凡百の中の一人。微量の数値を上下動させることはあっても、全体の数値を変えることだけは決してあり得ない、ただの人間。

 それでも俺は、薄々気付いていたその事柄を心の片隅に置きつつ、楽しんでいたんだ。

 ――『彼女』に会うまでは。


「……盗られた」

 ポツリとそう零す俺の眼下に生徒達がまとめて傘を入れてある籠のようなものがあるのだが、そこに俺が今朝入れたはずの傘が見つからなかった。

 ……どうやら誰かが勝手に俺の傘を拝借し、そのまま帰宅の途についてしまったようだ。まあ、コンビニで買った安物にわざわざ名前を書くのを面倒くさがった俺にも多少の責はある。素直に現実を受け止め……きれねえよ、ばぁーか!

 改めて正面玄関の向こうに目をやると、矢でも降り注いでんのかと思う激しさで透明な雫が地を穿っていた。

 俺は普段自転車で登校しているが、さすがにこの量の雨だと傘を差して徒歩で帰ってる。

 ……けど、今日は肝心のその傘がない。いくら雨が好きでも、人気のない場所で楽しんでるし、何より風邪を引くほどまで全力でやることはあり得ない。

「せめて小雨になるまで待たないとなあ……」

 劇的なことはプラスマイナス問わず起こらないが、こういう地味に嫌なことは定期的に起こるのが俺が平凡たる証だな。

 ため息交じりにそう心中でゴチりつつ、さてどうしようかと思考を巡らせる。

 教室……はダラダラとずっと話せるほどの仲のいい知り合いはいないし、特に熱を上げて部活動に取り組んでいるわけでもないので部室に行くのもなあ……っと。

 帰ろうとしていた生徒を避けた俺はとりあえずもう一度内履きに履き替え、校舎内に戻った。

 雨天で予定が潰れた運動部の人達の声だろう、体育館に通じる廊下の奥から降り注ぐ雨に負けない張りのある声が響いた。

 その声を聞き流しつつ、俺は黙してつらつらと考え続ける。

 別に激しい雨も嫌いじゃないんだが、傘がない時はしっとりとした感じの雨の方がいいな。この量だと走って帰ってもマジで命に関わる。いくら数えるほどしか風邪を引いたことがないと言っても、ライトノベルの主人公のように都合のいい肉体には到底及ばないのだから。

「……ん? ラノベの主人公……?」

 その単語で一瞬あてどなく彷徨わせていた歩を止め、それからパッと連想ゲームのように俺は一つの答えを導き出した。

「そういえば俺、一度も屋上に行ってないな。入学してから一年以上も経ってるのに」

 昼はクラスメイトとの付き合いで教室でずっと過ごしてるし、放課後は部活以外で学校に残らなかったしな。何回か行こうかと思っていたが、取り立ててめぼしいものがあるわけでもない場所に行くのもなぁと億劫がっているうちに一年強。今行かないともう二度と行こうと思わないかもしれない。

「――行ってみますか」

 わずかに渋る体にそう発破をかけてから、俺はゆるゆるとした足取りながらも確実に屋上を目指した。

 踊り場から外の景色が見えるが、普段下りる時と違って今は上っている真っ最中。それだけでまるで天の頂へと至る階段に足をかけているような厳かな気分になる。

 我ながら単純というか中二病的思考だなと苦笑しつつ、割と疲れを覚えることなくあっさりと屋上に到着。

 埃くさく、ジメジメした空気を振り払うように俺は冷たいノブに手をかけると同時に力強く押し込んだ。

 そして――出会って、しまった……。

「~~~~♪」

 流行りの曲以外ろくに音楽を聞かない俺ですら心動かされる楽しげなメロディを口ずさみながら、『少女』は小鳥のように軽やかなステップを踏んでいた。

 依然雨の勢いは衰えていない。降るというよりも叩くという表現が正しい勢いで屋上のタイルを黒ずんだ色にしてゆく。

 そんな中、ただ一点染まらず、濡れず、気にする素振りすら見せずに『少女』は楽しそうに歌い続けていた。

 綺麗だな、と思った。

 彼女の周りにある雨が祝福するかのように透明な軌跡を描き、歌に合わせて緩やかに波打つ様はとても俺の語彙力じゃ説明できない美しさを体現していた。

「――――」

 気づけば俺の頬を熱いものが流れ落ちていた。

 感動か、絶望か。

 何にせよ、揺るぎない事実は一つだ。

「泣けるな、全く……」

「……え?」

 俺の歩んできた人生全てを濃縮させた独り言にようやく『少女』が反応し、ピタリと動きを止めた。

 体どころか制服にすら雨を寄せ付けなかった『少女』は初めキョトンとしていたが、自分と違って濡れ鼠に瞬く間に変わってゆく俺をはっきりとその円らな瞳で捉えると、ボッと点火されたように顔を真っ赤にした。

「あ、ああああああのっ」

「……悪いけど、話は明日にしてくれるか?」

 とてもじゃないが雨の感触に浸る余裕も彼女と話をする気にもなれない。

 俺は一方的にそう言い捨て、返事を聞く前にその場を立ち去った。

 幸い、帰る時間がずれたおかげで先生にもクラスメイトたちにも出会わずに俺は家に帰れたが、そんなことに気を回す余裕がないほど俺はただ一人になりたかった……。


 いつ以来だろうか、寝る時に安堵よりも不安を覚えたのは。

 もし、昨日と同じ明日が訪れれば……俺の日常は瓦解する。

 平凡であることを素直に受け入れることが出来たのは、密かな楽しみがあったから。その時だけは自分が他の人間と違うことを確認できたから。

 けど――

「くしゅ……っ」

 今は午前十時。布団の中に入っているが、悪寒が止まらない。

 当然といえば当然だが、雨に濡れたまま三十分もの時間フラフラとした足取りで家に帰った俺は風邪を引いた。

『我が息子ながら何を考えているのか全然分からないんだけど……』

 今朝方、体温計を見ながらやれやれと首を振った母さんは昨日の俺の馬鹿っぷりを一文で評すと手早く氷枕を作ってくれた。

 それから、その枕を敷いてひとしきり惰眠を貪った俺は……暇になった。

 父さんは仕事、母さんは階下でのんびりと自分の時間を過ごし、ポツンと部屋に残された俺はどうしようかと考えていた。

 運動できるほどの体力はないが、かといって眠り続けなければいけないほど弱っているわけではない。

 端的に現状を言い直すと、寝るのに飽きた。猛烈に飽きたのだ。

「マンガ……」

 ぼんやりと本棚に目を向けるが、そんな状態でも昨日の情景がまざまざと脳裏に浮かび、読む気が失せてしまった。

「……くそ」

 大雑把な私見だが、『彼女』は普通の人間に見えた。

 魔法使いとか異能力者とか、そういう別世界の存在ではなく、どこにでもいる普通の人間。

 なのに、一目で『特別』だと分かる存在。

「些細な楽しみすら……許さないってのか、よ」

 掠れた声で吐き捨てた俺は仕方なく瞳を閉ざし、意識を乱暴に手放した。

 ……、……、……。

「――よ。むしろ――」

「で、でも――」

 ……ん?

 急に騒がしくなったのに俺は薄らと目を開けた。

 深くはないが、それでもダラダラと浅くは眠れたようで今は夕刻、らしい。

 中途半端に引いたカーテンの隙間から茜色の光が差し込み、急速的な意識の覚醒を促す。

 それと同時に部屋の外から聞こえてくる会話の内容が鮮明になってきた。

「あの子、全然友達を家に連れて来なくなっちゃったから心配してたのよ」

「い、いえ私はその、お友達というわけでは……」

「? クラス委員長とかじゃないんでしょ? さっき家も近所じゃないってこと言ってなかったっけ?」

「た、たまたまです! たまたまこの近くに寄る用事があってそのついでにプリントを届けに来ただけです!」

 ……嫌な予感がする。記憶しているクラス委員長の声と違うのもそうだが、風邪に寝起きで頭が思うように回らない状態でも分かるほど動揺した声色。

 そして、雨のようにしっとりとした少女の声。……寝たフリ、しておこうかな。

 ガチャ!

「喜びなさい、バカ息子。クラスメイトがあなたを心配してわざわざお見舞いに来てくれたわ」

「ぐぉ……!?」

 何で終始物ぐさな口調なのに、こういう時だけは活き活きとした行動力を見せるんだよ!

 布団をバサァッと豪快にめくり上げられ、咄嗟に反応してしまった俺は部屋の入り口で困惑した表情で佇む『少女』と目が合った。

「「…………」」

「じゃ、私は夕食作りがあるから」

 このタイミングでエスケープ!?

 気まずい沈黙が降り立つ中、淡々とそう言った母さんは本当に部屋を出て行きやがった。『少女』の背中を押してさらに扉をキッチリと閉めていくという至れり尽くせりの対応っぷりだ。

「……ち」

「あ、ね、寝たままでもいいですよ」

「もう十分寝たし、それに」

 寝ていられる気分でもねえんだよ。

 続きは口中に留めたが、先ほどの舌打ちに合わせて自分でも分かるほど不機嫌な顔をしていればそりゃビビるだろう。

 申し訳なさそうに縮こまる『少女』に小さく息を吐き、とりあえず枕元近くに座るように指示。

 ちょうど手の届く範囲にあったクッションを渡しながら、目下一番気になることを確認した。

「何の用……って聞くまでもないな」

 昨日話を聞かずにさっさと帰ったしな。

 案の定、通学鞄からプリント一式を渡しながら『少女』は重苦しそうに口を開いた。

「き、昨日のこと、なんですけど……」

「ストップ」

 俺は非常に今更なことに気付き、掌を向けた。くそ、頭が上手く回らないせいでストレスが半端ない。いや、昨日の時点で気付いていない時点で俺の脳味噌はとっくにショートしていやがったんだろう。

「お前、未海みう……だよな? 俺の隣の隣の席の」

「えっ? あ、はい。そ、そうですけど!」

 明らかに人を疑うことよりも信じることに心を傾けてきた表情で答える『少女』――詩使しづか未海に俺は肩を落とした。

 マジかー。可愛いけど、あくまでも風景の一部分に収まる俺と同じ『普通』の人間だと思っていたのに。勝手だけど、何となく親近感を覚えていたのに……。

「……あー、昨日のことなんだけど」

 ピクン、と体全体を震えさせる未海に俺は力ない口調で続けた。

「別に誰にも言わないし、騒ぎ立てるつもりもない。というか、俺がある日突然そんなこと言っても信じてくれる人なんて誰もいないだろうしな」

 そこで軽く咳をした俺に心配そうな顔をしつつも、その瞳には疑いの色が垣間見えている。

 まあ、クラスメイトといっても一言も言葉を交わしたことのないやつを信用できるわけないか。とはいっても、本調子でも名案を思い付けるかどうか怪しい脳みそだってのにこんな状態じゃろくなことを思い付けそうもない。

 結果、そう悩むことなく俺はどうすればさっきの言葉を信用してもらえるかについて未海に丸投げすることにした。

 ……正直な話、俺はライトノベルに出てくる主人公のような人生を求めているわけじゃない。どうせ、俺みたいなやつに力があっても大したことは出来ない。虚しい気持ちを抱え続けるだけだ。

 そこまで割り切って、丸投げをしたのに――

「じゃ、じゃあですね! 雨が降った時、私の傍にいてもらえませんか!?」

 何で……そうなる?


 聞き間違いだと思いたかったが、現実はいつも厳しく俺を打ち据える。

 未海の言い分では、その提案には二つの意味合いがあるらしい。

 一つは行動を一緒にすることで俺の人間性を確かめたいとのこと。ま、妥当な意見であり、考えだ。口を挟む余地は絶無。

 けど、さ。

「別に出口を見張る必要はないんじゃないか?」

 風邪で休んでから三日後。まだまだ梅雨が明けない証左とばかりに、屋上は景色が霞むほどの雨によって覆い尽くされていた。

 そんな雨を普通のものより大きめなサイズの傘で防ぎながら呼びかける俺に、手ぶらの未海はフルフルと小刻みに首を振った。

「たとえ五十パーセントを切る可能性であっても、ゼロではない以上警戒が必要です! 実際……雨音あまねくんが来てしまいましたし」

 ちなみに雨音は俺の名前だ。九澄くすみ雨音がフルネームで、名前に雨が入っているのに……俺は『彼女』のようにはなれない。

 ため息をつきながら俺は背後にある屋上の出口にチラリと目を向け、それからゆるゆると教室にいる時よりもリラックスした表情で濡れないまま雨を浴びている未海に顔を向けて問いかけた。

「深くは聞こうと思わないけど、お前は何か契約したとかそういう過去があったのか?」

「いえ、全然」

 苦笑しながら緩く首を振る未海の説明によると、物心付いた時からいつの間にか出来るようになっていたらしい。

 雨のみならず液体なら何でも自分の意のままに動かせる。

 両親は自分と違い、『普通』の人間らしいので割とすぐに自分が異端者だと気付けたらしいが、あの時の俺が無意識に涙を流すほどの『特別』さをどうしても忘れられず、しばしば人目を忍んで『遊んで』いたらしい。

「――で、俺に見つかってしまった、と」

「うぐ……ふ、普通の人はああいう天気の時に屋上に来たりしません!」

 顔を真っ赤にして抗議する未海。

 ……けど、気付いていないんだろうな。

 ――自然に言ってしまうほどに自分自身を『普通』ではないと認識してしまっていることに。

 そして、広義では俺も『そちら側』の人間なんだろうけど、狭義ではあからさまに異なる。

 どうしたってその世界には手が届かない。……血涙が今にもこぼれ落ちそうだ。

「まあいいよ。さっきも言ったけど、俺は深く掘り下げる気はない。――けど」

 それでも俺は口にしてしまう。

 自分がどれだけ取るに足らない存在であるかを理解しているから。

「ちゃんと他の人が来ないかどうか見張ってるから、お前のこと見ててもいいか?」

「いいですけど……別に変わったことをするつもりはないですよ?」

 いやいや。

「少なくとも――俺にとってはバラエティー番組よりはるかに面白いさ」

 俺が『普通』であることを完膚なきまでに思い知らせた存在だが、もう引ける段階をとっくに通り過ぎた今では目を背けるよりもその『特別』さを目に焼き付けたいという欲求の方が勝っていた。

 それから雨が降った時だけ屋上で一緒に過ごし、それ以外の場所では以前どおりのクラスメイトというだけの赤の他人の生活を送ること一週間強。

「梅雨が明けるらしいな、明日から」

「そう、ですね……」

 ここで出会った日と比べて明らかに雨量が減った中、声がよく通るが、相手の顔もよく見えてしまう状況。

 いつもならすでに鼻歌混じりに軽やかなステップを刻むところのはずなんだが……。

「別に雨の日じゃなくても『遊べる』だろ?」

 ……こ、くん。

 頷きはしたが、やけに未練たらたらな仕草だな。何が不満なんだ? 

 思案気に辺りを見回す。そして、ああ、と気付いた。

「心置きなく『遊べる』場所、限られてるもんな」

 結局俺が未海と一緒に過ごす中、屋上に来た者は皆無。

 その条件を除いても、雨が降った日に屋上がびしょ濡れになっていることに疑問を抱く者はいないだろう。

 そのつもりはないらしいが、彼女は夢中になるとどうしても扱い方が雑な部分が多く出て来てしまう。その証拠に何回か出入り口近くに立っていたはずの俺に思いっきり水をブチ撒けられたことがあった。いや、楽しかったけどな? 怒りよりも斬新だと思う気持ちが勝って思わず笑ってしまったほどだ。

「確かにこれからはどこでも『遊べ』なくなっちゃいますが……」

 もごもごと言ってから、急に声を大きくして。

「そ、そういえば雨音くんが信用できるかどうかなんですが!」

「ん? ああ、いい加減信用する気になっただろ?」

「え、ええそうですね。少なくとも、あなたは変わっていますが悪い人ではなさそうです。……私のこと、怖がらないですし」

 怖がる? ……ああ、そうか。『普通』の人間はその反応をするものだよな。

 けど、俺は違う。

「何があったのかは想像に難くないけど、それはただの嫉妬だと思うぞ?」

「しっ……と?」

「大多数の人間は『普通』だ。俺も含めて、街で擦れ違う人間達のように明日を待つことなく忘れ去られる程度の存在。けど、お前は違う。人が一生をかけて得られるかどうかの『特別』を持ってる」

「よく、分からないですけど」

 小振りの雨が奏でる物悲しげな音色のせいだろうか、やけに未海の声が哀しげに響いた。

「私にとってはその『普通』が羨ましいです。皆と思い出を共有できますし、何より――独りにならずに済みます」

「……相容れないな。けど、その価値観の溝はどうしようもないことなんだろうな」

 いつからか、いつも通りの日常を送ることに虚しさを覚えた俺と。

 平凡な日常を送りたくても、身に宿った『特別』のせいで思うにままならない未海。

「何つーか、面倒くさい世界だな」

 苦笑しながらそう呟くと、未海も同じ表情で「ですね」と答えた。

 それから俺達は何をするでもなく、曇天の空を見上げた。

 シトシトと降っていた雨は次第にその勢いを完全に失い、次第に灰色に覆われた空に深い感慨を想起させる光が代わりに広がってゆく。

「綺麗、ですね」

「……そうだな」

 夕陽を見たことがない人はいないだろう。

 けど、どうしてだろうか。今日の夕陽は今まで見てきたどんなものよりも美しく思える。

「不思議、ですね。私、今まで夕陽があまり好きじゃなかったのですが、今日の夕陽はとても綺麗に見えます」

「! この気持ちは一緒なんだな」

「……はい?」

 緩く首を振って、何でもないと濁す。

 俺も未海も秀でた者ではなく、雑踏に出ればあっという間に人波に埋もれてしまう存在。

 けれど俺は中身も『普通』で、彼女は中身は『特別』な存在。

 何をしても、考えても、頑張ったとしても他の人と何ら変わるところがない俺と違って、きっと未海の見る世界は何もかも違うものなんだろう。

 ……いつからか、自分の名前にどこか誇らしげな高揚よりも落胆を覚え始めたように、彼女のことを知ってしまった以上これから俺は以前よりもずっと日常をつまらないと思うに違いない。

 事実、彼女と過ごした一週間強の間。彼女の『特別』さに触れられ、心が躍ったが、同時に冷たい泥水に浸ったかのような絶望感も味わっていた。

 俺はどうしたって『特別』にはなれない、と。

 けど――

「意外と同じ風景見て同じことを思うのって難しいよな?」

「まあ、そうですね……って、あれ? 同じこと……?」

 何かに気付きかけたように首を傾げる未海に、どれくらい久しぶりか思い出せないほど久しぶりに俺は何の含みもない笑みを向けて、

「なあ、雨が降ってない時でもお前の傍にいてもいい、かな……?」

「……っ」

 もう自分を必要以上に別の『何か』に置き換えるのは止めよう。

 それよりも自分は凡百の中の一人、九澄雨音だとはっきり認識した上で生きよう。

 そう決め、とりあえずは片肘を張らずに済みそうな未海と仲良くすることで改めて自分を見つめ直して――

「わ、私でよければいつまでも傍にいます……!」

「そっか。ありが……とう?」

 何か言い回しが俺の予想していたどれもと違っていた気がしたが……まあ、いいか。

 一滴の雨がなく、代わりに胸を締め付けるような茜色に彩られた世界。

 どこまでも紅く、以前の俺なら足早に家路を目指していたであろう世界。

「あ、登下校は別々でな? あくまでも屋上とか人気がないところ限定の付き合いでよろしく」

「……ええー」

 露骨に不満そうな顔を見せる未海に首を傾げつつ、俺は再度その景色に目を凝らした。

 ――何だ。『二人』で見るだけでこんなに見える世界が変わるものだったのかよ……。

最後まで読んで下さり、まことにありがとうございました。

もう少し早くに投稿する予定だったのですが、結果、遅れに遅れる形で非常に申し訳ありませんでした。


自分は割と天気のいい日よりも悪い日の方が好きだったなあと思い返しながら書いた作品になりました。

陽光が降り注ぐ日常はあまりにも平凡で、予定調和よりも揺るぎない世界が広がっている。

私にとって雨はその世界に風穴を開けるようなイメージでした。……その感覚が少しでも読んで下さった方に伝わればいいな、と願っております。

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