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窓の外を睨みつける。冬至を過ぎたばかりの夕方は日没が早く、先ほどまで灰色だった空は既に暗色に彩りを変えている。
去年までは彼氏なんてものがいなかったわたしだけれど、今年はひと味違う。何と言っても、お付き合いしている人がいるのだ。彼はわたしよりも一つ上の先輩で、今年のバレンタインデーとホワイトデーに色々あって、それからかれこれ九ヶ月余りのお付き合いになる。
三年生の先輩は、今年のクリスマスはクルシミマスだ、なんて親父ギャグみたいな事を言って笑わせてくれた。受験勉強の真っ最中なのは確かで、だから最近は学校以外で会う事はほとんどと言っていいほどなくなってきている。
寂しくないと言えば嘘になるけれど、春には受験が控えていて、これで先輩の将来が決まるようなものなのだ。わたしに先輩の手助けなんてできるはずもなく、だったらせめて邪魔だけはしないでおこうと心に決めていた。
でも今日は、年に一度のクリスマス。恋人たちにとっては特別な、聖なる夜。ほんの少しの時間でもいいから一緒にいたい。そう思いながらも、先週、ダメもとで先輩を誘ってみた。
『先輩。ク、クリスマスの日、少しだけ。五分だけでいいから、会ってもらえませんか』
そんなわたしのお願いに、先輩は嫌な顔一つせずに
『いいよ』
と答えてくれた。
学校は冬休みに入っている頃だから、場所は市立図書館。先輩の都合を優先してもらうために時間をはっきりと決めなかったけれど、午後からにした。
そして十二月二十四日。わたしは急いで昼食を食べ、母に呆れながら家を飛び出し、午後一時には図書館に着いていた。
少し早すぎたかと思いながら、適当に雑誌を借りて空いている場所に座る。館内は暖房がきいていて、上着がなくても十分に暖かい。そんな中、出入り口にばかり意識を向けながら、手慰みにページをめくっていた。雑誌の内容なんて全く頭に入って来なかったけれど、何もしないで座っているのはあまりにも不自然だろうと思われたからだ。
そわそわどきどきしながら、わたしはただじっと、先輩が来るのを待っていた。席を外している間に来るかもしれない。そう思うと読んでもいない雑誌を取り替えに行く気にもなれなくて、ずっと同じ物を机の上に広げたままで。
わたしの向かい側に座ってなにやら調べ者をしていた人が、変な顔をしてこちらを見ていたりして、少し居心地が悪かった。
けれど一時間二時間経っても、先輩は現れなかった。
やがて閉館時間の五時になっても、とうとう先輩は姿を見せてはくれず。閉館を告げる館内放送に追われるように外に出たわたしは、呆然と立ち尽くす事しかできなかった。
どうして来てくれなかったんだろう。今まで先輩が、わたしとの約束を違えた事なんかなかったのに。確かにわたしの我侭だったけれど、それでも先輩は笑顔でいいよと言ってくれたのに。
身に覚えはないけれど、知らないところで先輩を怒らせるような事をしたのだろうか。それとも、先輩はわたしの事を嫌いになったのだろうか。もしかすると、他に好きな人ができたのだろうか。
どんどんどんどん嫌な考えばかりが、頭に浮かんでは消えていく。わたしは耐え切れずに、家に向かって走り出した。
泣きたくはなかったから、涙を必死に堪えた。けれど顔を歪めて必死に走って行く様は、きっと凄まじいものがあったのだろう。途中すれ違った道行く人達の中には、驚いたような顔で見送る人もいたから。
家に帰ると、一つ下の弟の藍依が出迎えてくれた。わたしたちは姉弟仲がいい。べったりとかそういう感じではないけれど、この年になってもけっこう会話をしたり一緒にいたりする事が多い。こうしてどちらかが帰宅した時にもう一人がリビングにいれば、出迎えたりする事も珍しくはなかった。
「何で泣いてるんだ、朱里」
藍依に言われて、わたしは初めて自分が泣いている事に気がついた。頬に触れた指先が、水滴で濡れたからだ。
「あ、あれ」
慌てて頬を拭うけれど、涙は次々に溢れ出ていっこうに止まらない。
「おい、それ」
藍依の目が、わたしが手に持った物を捉えた。慌てて背中の後ろに隠したけれど、時既に遅し、だ。
自分になにかあったわけでもないだろうに、藍依の眉間に縦ジワが入り、目に見えて不機嫌になる。十人並みでこれといって特徴のないわたしとは違い、藍依は美人だったという祖母に似て目鼻立ちが整っている。わたしとしてはうらやましい限りだけれど、なまじっか整っているだけに、不機嫌になると凄みが加わって本当に怖い。
「あ、あのね、藍依」
「なに。約束、すっぽかされでもしたのか」
弁解というか、この期に及んでまだ先輩を弁護しようと口を開いたけれど、図星をさされ、なにも言えなくなってしまう。
なにしろ付き合い始めて九ヶ月余り。今年の春わたしと同じ高校に進学して来た藍依は、当然の事ながらわたしの彼氏である柿崎先輩の事を知っているわけで。
藍依の目がすっと細くなり、わたしではなくわたしを通して何かを見ているような、そんな目つきになった。恐らく崎先輩の姿を思い浮かべているのだろう。
「柿崎の野郎」
とりあえずと思い、家の中に上がるために藍依の横を通り過ぎたわたしの耳に、低く唸るような声が確かに届く。
走って帰ったためにかなりくたびれてしまった紙袋が、がさりと乾いた音を立てた。
一夜明けて二十五日。なんだかいろいろな事を考えてしまって、昨夜はまともに眠れなかった。さすがに泣き続けたりはしなかったけれど、頭がぼーっとして気だるい感じ。
朝から何の予定もないわたしは、九時を過ぎた頃にのっそりとリビングに顔を出した。母が仕事に出かける前に用意してくれていた朝食が食卓の上に残っていたけれど、とてもではないが食べる気にはなれない。
冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップに注いで喉に流し込む。ひんやりと冷たい感触が体の中を流れていき、ようやく目が覚めた気がした。
「朱里。今日、何か予定あるか?」
ソファで新聞を読んでいた藍依が、首をめぐらせてこちらを見る。
「なにもないけど」
「じゃあ、とりあえず十時までは家にいろよ。いいな」
命令口調はいつもの事だけれど、理由を言わないなんて藍依らしくない。
「十時に何かあるの?」
「んー。サンタからのプレゼントが届くかもしんないからさ」
「は?」
藍依はかつて三歳の頃、サンタが実は父だという現実に、わたしよりも先に勘付いた。あの頃からよくできた弟で、子供心にも姉の夢を壊してはいけないと思ったらしく、わたしの前ではなにも言わなかったのだけれど。
そんな藍依が、いまさらサンタだなんて。
「なにか企んでるの?」
「落ち込んでいるオネエサマに、俺からのささやかなクリスマスプレゼントをね」
やっぱり何か企んでいるんじゃないか。でもまあ、藍依がわたしに危害を加えるなんて事はあり得ないのだから、付き合ってあげてもいいかな、なんて思った。
そして待つ事一時間弱。時計の針がそろそろ十時を跨ごうとしているその時、インターホンの呼び出し音が軽やかに鳴り響いた。
「ああ、やっと来たみたいだな。朱里、受け取って来て」
わたしへのプレゼントだというのならば仕方がない。そう思って、素直に玄関ドアを開けた。
「おはよう」
濃紺のダッフルコートのポケットに両手を突っ込み、寒そうに白い息を吐いている人の姿を見て、わたしは数秒間固まっていた。
「朱里? おーい?」
目の前で手を左右に振られ、ようやく我に返る。まさか。どうして。
「柿崎せんぱ、い?」
昨日約束の場所に来てくれなかった柿崎先輩その人が、そこにいた。
「昨夜、お前の弟から、電話で怒鳴りつけられた」
まさか藍依がそんな事をしていたとは。
「昨日、図書館でずっと待っていたんだって?」
「は、い」
昨日の事を思い出したら、また泣きそうだ。
「約束した時、クリスマスとしか言っていなかったよな。確認しなかった俺も悪いんだけど」
「え」
クリスマスとしていちばん盛り上がるのは、やはり二十四日ではないだろうか。だからわたしはそのつもりだったのだけれど。
「二十四日はクリスマスイヴ。普通クリスマスって言えば二十五日だろう?」
そう言われれば、確かに二十四日はイヴで、本当のクリスマスは二十五日だけれど。
まさか、でも、本当に?
「じゃあ、先輩、は」
「今日、図書館に行くつもりだった」
愕然。それ以外に表現のしようがない。
「お前が昨日ずっと図書館で待っていたとか、泣きながら帰って来たとか藍依に色々文句を言われて、それは違うんじゃないかと言いに来たんだけど?」
あああああ。思わず頭を抱えて、その場に座り込んでしまった。
「ごごごごご、ごめんなさいいいいいい」
確かにわたしもきちんと日にちを言わなかったけれど、まさか先輩とそんな思い違いをしていたなんて。
「先輩は、悪くないです。わたしが無理にお願いして約束してもらったのに、ちゃんと二十四日だって言わなかったから」
「でもまあ、俺の預かり知らない事とはいえ、泣かせたのはまずかったと思ってる。それに、無理な約束でもなかった」
目線を合わせるためだろう。先輩が、わたしのすぐ前にしゃがみこんだ。
「俺も、受験勉強に必死で朱里の事をほったらかしにしていたし。クリスマスくらいはいっしょにいたいってのは、俺も同じだったからな」
先輩も、わたしに会いたいと思っていてくれたんだろうか。わたしといっしょに過ごしたいと、そう思ってくれていたのだろうか。
「て事で、ほら」
先輩がポケットの中から何かを取り出して、差し出してくれた。
「え。これって」
細長い包みには、赤と緑のリボンが可愛らしく結ばれている。もしかすると、先輩からのプレゼントなのだろうか。
「受験が終るまではまた朱里とゆっくり会えないから、その埋め合わせ。寂しい思いをさせるけど、ごめんな」
じんわりと胸の中に、温かい何かを感じた。こくんと頷いて、先輩の言葉に応える。
「その代わり、受験が終ったらいくらでも二人で会えるから」
「でも今度は、わたしが受験生になるんですけど」
「それもそうか」
たぶんその事を承知しながらの言葉だったのだろう。くつくつと喉を鳴らしながら、先輩が笑った。
「クリスマスのハッピーサプライズだ。今日一日、お前に付き合ってやるよ」
「え。ででででも、先輩、受験勉強が」
「なに。お前、俺が一日勉強しなかったくらいで落ちるとでも思ってるのか」
「そういうわけじゃ、ないですけど」
実際先輩は模試で、第一志望校も第二志望校もA判定が出ている。第三志望校でもB判定なのだから、楽勝とまではいかないまでも苦戦する事もないだろうと思われた。
「だったら素直に喜んどけ」
「そ、ですね。ありがとうございます。って、あっ!」
不意に思い出して、慌てて立ち上がる。
「先輩、ちょっと待っていてくださいね」
玄関ドアを開けると、そこには藍依が立っていた。たぶん間違いなく、今までのやりとりを聞かれていたに違いない。けれど藍依のおかげで、今日先輩を待ちぼうけにさせずにすんだのだ。そしてなによりも、忙しいはずの先輩がわざわざ家まで来てくれたのも、藍依が電話してくれたからで。
「朱里、これ」
さらにはわたしが今取りに行こうとしていた物を差し出すあたり、本当にできすぎた弟だ。
「ありがと」
少しくたびれてはいるけれど、昨日先輩に渡すつもりだった紙袋。もう今年中に渡す事はできないだろうと、あきらめかけていた。
「先輩、これ、受け取ってください」
紙袋の中身は、毛糸で編んだマフラーと帽子。勉強で無理をして風邪をひいたりしないで欲しいという思いを込めて、下手なりに頑張って作った物だった。
「へえ。俺、手作りなんて初めてだ。ありがとう」
手作りだなんて重いと思われるかもしれないというわずかな危惧があったのだけれど、先輩は本当に嬉しそうな笑顔で受け取ってくれて、さらにはこの場で身に着けてくれた。目が不揃いで恥ずかしいけれど、頑張った甲斐があったというものだ。
「じゃあ、用意できるまで待っていてやるから、行きたい所を考えておけよ」
「はい!」
先輩には玄関の中で待ってもらい、わたしは部屋に向かって駆けだした。




