表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人形師の庭園  作者: あると
薫衣草
6/48

昼下がりの冷気

ガーデンショップの窓辺には陽光を好む植物たちが配置されている。馨はじょうろを傾けて植物に潤いを与えた。

手塩にかけて育てているハーブをひとつひとつ確認し、歯の裏の虫を取り除いていく。健康状態を管理するのもショップ店員の仕事だ。

訪れた客の質問に丁寧に答えて、さり気なく商品を薦める。購入に至らなくてもお客さんが満足してくれれば次に繋がるから接客は大切な仕事だ。

「ふう」

馨は仕事の合間に壁により掛かった。まだ少し足が痛む。店長は無理をするなと言ってくれたが、仕事に穴を開けたくない。昨日は定休日だからよかったものの、今日も休んでしまったら仲間に迷惑がかかる。

「馨さん、どうかしましたか」

そんな折、琴子が店を訪れた。彼女は他に店員がいても決まって馨に話しかける。少女の振るまいが馨はかわいくて仕方がない。

「ちょっと、怪我しちゃってね」

馨は足を持ち上げた。そっとしておけば痛みは感じない。ラベンダーの精油を薄く塗り、しっかりとテーピングもしていたから歩く程度なら問題なかった。念のためにと、いつもより慎重に仕事をこなしてもいた。そのお陰で今まで目の届かなかった鉢の奥の汚れに気がついた。こびりついた苔を落とすことができて、馨は満足していた。

「薫衣草なら持ってます。試してみますか」

「ラベンダーって流行りなの」

人形師の男がくれた精油もそうだったが、琴子が口にしたのもラベンダーだった。アロマオイルではもっとも一般的なものであるが、こうも重なると不思議な気持ちになる。二人とも和名というのも奇妙な点だ。

馨はエプロンのポケットに手を入れた。ラベンダーの瓶が指先にあたった。人形師にもらった精油はまだたっぷりと残っていた。

「そうだ」

小瓶と一緒に入れておいた小さな箱を取り出した。紫色のリボンを上にして琴子に渡す。

「昨日、休みで暇だったから作ったんだ。興味ありそうだったから」

琴子は馨に促されて蓋を開けた。薄紫と水色の指輪が琴子の目を輝かせた。

「綺麗です」

「でしょ」

馨の指輪とおそろいだ。彼女の汚れたピンキーリングは一度分解して作り直した。その時に琴子の指輪も作った。

「つけてみて」

「いいのですか」

「もちろんよ。サイズは合うかな」

琴子はおそるおそる小指にはめる。

「ぴったりです。ありがとうございます。大事にします」

「気に入ってくれてよかった」

琴子の言葉遣いは丁寧で好感が持てる。初めはよそよそしく感じたが、少女の独特な雰囲気に慣れると違和感がなくなった。色白で白磁のような肌と艶やかな黒髪が、名前のとおり美しい弦楽器を思わせる。長い爪と傷のない細い指が日本人形の姿と重なる。

「人形……か」

馨の脳裏に人形師の背中が浮かんだ。淡い幻のようだった。

「何かおっしゃいましたか」

琴子がじっと見ていた。澄んだ瞳に見つめられ、馨はどぎまぎした。

「何でもないわ、琴子ちゃん。さあ、今日は何が入り用なの」

「はい。今日は腐葉土が二袋と赤玉土を一袋でお願いします」

「多いわね。配達する?」

一袋が数キロになる。女の子が一人で持つには無理がある。

「後ほど、お父さん……父が来てくれますので大丈夫です」

「あら、そうなの」

琴子の父親と会ったことはないが、店で買う品々を見ているとハーブを使う仕事をしているようだった。料理人だったら一度は食事に行ってみたいと思った。カフェだとしても美味しいお茶とスイーツが楽しめそうだ。

「来たようです」

支払いを済ませたところで琴子の後ろに男が立った。琴子が父ですと告げる。

馨は息を呑む。

「琴子がいつもお世話になっているようですね。初めまして、葉室と申します」

中年の男が軽く会釈した。顔に刻まれた皺と相反して、目に若々しさが宿っている。涼しさよりもいっそう温度の低い冷たさが漂う。あの夜に見た目と同じだ。近づきがたい雰囲気、近寄らせまいとする壁を感じる。

「……初めまして、千草馨です。いつもお買い上げありがとうございます」

初めましてを強調する。彼が初めてというなら初めてなのだろう。馨は釈然としない気持ちで頭を下げた。

「琴子、荷物はこれか」

「はい」

琴子の父親は腐葉土と赤玉土の袋を持った。残りを琴子が持つ。

「それでは」

男が会釈すると琴子も続いた。

「待って」

疑問と質問と感謝が巡り回り、人形師の背中に声をかけてしまった。

琴子ちゃんは知らないの。

あの精油の製法は。

ラベンダーをありがとう。

猫の人形はどうしていますか。

あの時は助かりました。

何か言うことはないの。

また――

「またのお越しをお待ちしています。それとこれ、お店のクーポン券です」

「どうも」

「馨さん、また来ますね」

琴子の笑顔に複雑な思いを抱きながら馨は彼らを見送った。

「いい店だな」

去り際に人形師が呟いた。

「え」

表情は逆光で見えなかったが、声は昼下がりの温度を感じた。


連載の第一話、完結です。

短編を数えると四話目になります。

ゆっくりとしたペースになりますが、今後も引き続き書いていきます。

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ