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人形師の庭園  作者: あると
白檀
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人形と怪

葉室は病院から戻ってすぐに琴子を呼んだ。

「わかりました」

余計なことを言わずに琴子は精油の準備を始めた。急ぎであることを感じ取ってくれたようだ。

最近、彼女はとみに知識を増やしてきた。技術はまだ未熟なところもあるが、ハーブの育成に関しては葉室も驚くほどの閃きを見せる。近頃通っているガーデンショップの店員と仲良くなったことが刺激になっているのだろう。

葉室は作業部屋に入り、自分の仕事に取りかかった。壁際に並んだ棚の前で膝を折る。

「こいつを使うか」

埃除けの布を取り払うと、三十代の男が裸体を晒して眠っていた。血色のよい肌と閉じられた目が熟睡していることを示している。ただ、胸は上下していなかった。口の近くに顔を寄せれば呼吸の音がしないことに気づく。

葉室は男の身体を簡易寝台から引きずり出した。上半身が床に投げ出されても、まったく動く気配がない。

相手の都合などお構いなしに、背中と膝の裏に腕を差し入れた。女性にやったら恥ずかしがるような姿で軽々と持ち上げる。腰を伸ばして反転し、部屋の中央に置かれた作業台に横たえた。男の身体は軽かった。人間に似せて精緻に作られた人形だからだ。

人に憑いた怪を抜く。その要となるものがこの人形だった。

葉室は人形をくまなく確認した。肌にある毛穴も皺も生きた人間と遜色がない。指先には爪が、口の中には歯が見える。閉じられた目蓋の縁には短い睫毛、上には濃い眉が配置されていた。首筋の青く太い血管は鎖骨の奥に消える。厚めの胸板を下がると臍に行き当たり、男性器が鎮座していた。息をせず、血の巡りがないことを除けば作り物と見破ることは難しい。

この人形にモデルはいない。三十代の男という集合から平均を導き出し、特徴を抽出して作り上げた素体である。存在しないはずの存在だ。こいつを田所に似せて作り変えることでこの世に存在させる。

葉室は病院で記憶してきた田所の体形を思い出した。身長、スリーサイズ、腕の太さ、脚の大きさ、顔かたちから目の色までを廊下ですれ違った時に記憶していた。もちろん誤差はある。衣服の上から見ただけでは見通せない部分があった。裸にして時間をかけて観察すれば、寸分違わないものを作り上げることはできる。だが、そこまでの完全性は必要なかった。

葉室は作業台の引き出しを開けた。医療用のメスから始まり、極細の針、ハンマーとノミ、ありとあらゆる道具が収まっていた。メスは皮膚を裂き、針は皮膚の縫い付けなどに使う。ハンマーとノミは骨格を削る。

今回の作業は一から人形を作り上げるのではなく、素体を対象に近づけることを目的とするため、時間を大幅に節約できた。それでも猶予はあまりない。田所を病院で確保しておけるのは一日。病院までの移動時間を考慮すると、残り十二時間を切っていた。

葉室は逸る心を抑え、作業前の儀式を執り行った。細長い器と精油の瓶を戸棚から集めた。爽やかなローズマリーと柑橘系のリッツァクベバの精油をブレンドする。両者とも集中力を高める効用がある。

木製の細いスティックを数本入れて、天井から垂らした台座に器をはめた。スティックは精油を吸い上げて効率よく香りを放出するためのものだ。ディフューザーと呼ばれる芳香器である。

「よし」

環境を整えた葉室は作業に取りかかった。


冬の朝は暗い。病室の灯りが外に漏れないようにカーテンを引いた。

「でかい荷物だな。死体でも入りそうだぜ」

旅行鞄を引きずって入った葉室に、水野は軽口を叩いた。

「鋭いな」

「おい!」

鞄を開けると人間の四肢がこぼれ落ちてきた。バラバラになった手と足、胴と首を見て水野は取り乱した。

「慌てるな、人形だ」

「嘘だろ」

葉室から手渡された腕を気味悪げに眺め、水野は怖気を震った。手に触れた感じは生きた人間と異なっている。弾力がなく作り物めいた固さだ。温かみがないのと断面から血が流れていないことをあわせ、人形と主張する葉室の言葉を正当化していた。

葉室は手早く人形を組み立て寝台に寝かせた。バラバラだった人形が田所の形になる。隣で寝ている本物の田所と瓜二つだ。

「ううむ」

低いうなり声を上げ、水野は二人を見比べた。片や命のない人形、片や睡眠導入剤で眠らせた人間。目鼻立ちも身長も同じ。発熱が続いている本物のほうが赤みを帯びているくらいだ。葉室に言わせると違いが多数あるとのことだったが、水野は間違い探しの答えを見つけられなかった。

「こいつの髪をもらうぞ」

水野が止める間もなく、田所の髪を数本引き抜いた。

「バカヤロウ、患者が起きたらどうする。暴行罪で訴えられるぞ」

葉室は鼻で笑う。田所に目を覚ます気配はない。

「姿を移す」

抜いた髪を人形の頭に持っていった時、奇妙な現象が起こった。髪の毛に生命が宿ったようにうねうねと動き出したのだ。毛根が人形の人工頭髪に分け入り、移り住んだ。そこが安住の地であるかのように違和感なく収まる。

水野は言葉もなかった。医師である自分が病室にいながら自分の居場所を探したい気分になる。この場にいてもいいのだろうかと不安になってきた。

「始める」

葉室はセージの葉を揉み、田所の口に突っ込んだ。水野はもう何も言わない。自分が口を出すべき場面はないと理解した。

「来い」

指に絡んだセージを引き抜いた。田所が苦しみ出し、喉が鳴る。咽頭部が膨らんだ。

「ひっ」

水野の悲鳴が消える前に、葉室は人形の口にセージを突っ込んだ。ほんの一メートル足らずの距離を黒い道が繋いだ。

怪だった。

黒い粘液状の物体は田所の口から飛び出し、人形である田所に吸い込まれた。それを見届け、葉室はガラス瓶の中身を人形に注ぎ込む。

腐った臭いのする液体は、水野から譲り受けたものである。溺死者の肺から採取した濁った水。死をもたらした呪われた液体。怪がことのほか嫌う臭いを放つ水を葉室は呪水と呼んでいた。

葉室は即座に人形の口を縫合した。それだけではない。目蓋、鼻、耳など、穴という穴を針と糸で塞ぐ。怪を人形の中に閉じ込めるのだ。呪水が人形の中に満ち、怪が力をなくすまで逃がさないために。

「封じ終えた」

人形への処置を完了した葉室は茫然自失の水野を叩いた。

「あ、ああ……」

「だらしないぞ、先生」

「うるさい!」

葉室らしからぬ挑発的な科白は水野を奮い立たせるためだった。そうと気づき、水野は背筋を伸ばした。自分がやるべきことをやる。それは患者の容態を見ることだ。

「熱が下がった」

一目見てわかるくらい、田所は穏やかな顔をしていた。苦しんでいたのが嘘のようだ。念のため体温計を使う。数字は正常値だった。

「こちらも首尾が良い」

葉室は人形の腹の中で暴れていた怪が大人しくなったことを確認した。呪水が効いたのだ。弱い怪ならばすでに死滅している可能性もある。

病室のドアがノックされた。

二人は顔を見合わせた。不意の来訪者に心の準備はなかった。葉室が訪れていることを知っているのは彼と内科部長だけなのだ。

葉室は寝台周りのカーテンを引いた。水野は無言のままドアに近づいた。

ドアが開いた。入ってきたのは田所を診察した医師だった。今日の当直医でもあった。

「やあ、どうしたんだ。こんな時間に」

水野が外科部長の権威で押し通そうと胸を張った。その時、医師の手が水野の首に掛かった。

苦悶の声を聞いて飛び出した葉室は、医師の口から這い出す黒い影を見たのだった。



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