感情売買
第一章 データ化された感情
西暦20XX年。
世界は大きく変わった。
『感情』は、もはや個人の中にあるものではない。
データ化され、売買できるものになった。
EmoTech社が開発した「エモーション・チップ」は、人間の脳波をスキャンし、あらゆる感情を数値化する。
『幸福 100mg』
『愛情 100mg』
『興奮 100mg』etc...
感情のデータはパッケージ化され、オンラインで購入・使用が可能になった。
価格は市場価値で変動する。
ストレス社会の今、『幸福』と『愛情』は最も高騰している。
もはや、ストレスに苦しむ必要はない。
悲しみも、絶望も、すぐに打ち消すことが可能になった。
ボタンひとつで、好きな感情をインストールできる時代が来たのだ。
だが、それは同時に、『本物の感情』が失われていく時代の始まりだった。
第二章 『感情』を求めすぎた少女
温谷仁愛はそのシステムにすっかり身を委ねていた。
朝起きると、『幸福 100mg』を購入し、脳にインストールする。
心が満たされ、仕事を元気よくこなす。
仕事でストレスが溜まると、『安心 100mg』をインストールする。
夜は『陶酔 100mg』で至福の時間のまま、眠りにつく。
完璧な生活だった。
もう、不安も、絶望も、孤独も感じる必要はない。
必要な『感情』は全て購入することができるのだから。
だが、ある日、彼女は異変に気付いた。
『幸福 100mg』では足りなくなっていた。
以前は、一回のインストールで半日は持続していた幸福感が、たった1時間も持たなくなってきた。
『愛情 100mg』でも心が満たされない。
もっと強い感情が欲しくなる。
幸福を200mg、500mgと増やし、愛情も同様に増やしていく。
だが、どれだけ感情をインストールしても、『足りない』感覚が消えなかった。
感情を買えば買うほど、空っぽになっていく。
感情を強くすればするほど、満足感が霞んでいった。
「なんで、なの......。」
それでも、止めることはできなかった。
何も感じれない恐怖が、彼女を突き動かしていた。
その日、EmoTech社から通知が来た。
「あなたの感情容量は限界に達しました。」
第三章 心が無色になる
仁愛は、画面の通知を見て硬直していた。
「感情、容量...?」
AIアシスタントが淡々と解説をする。
「脳のニューロンには、処理可能な情報量に限界があります。通常、外部からの感情的な刺激は、適度な量であれば効果的に処理され、適切な反応を引き出すことができます。しかし、過剰な感情データが脳に継続的に送られると、ニューロンはその情報を処理しきれなくなり......」
長々と、解説がされているがショックで文字が見えない。
「つまり、あなたはもう、自然な感情を感じることができません。」
AI独特の淡々とした口調で書かれている。
仁愛は、何かの間違いだと思った。
すぐに、『幸福 1000mg』を購入し、インストールする。
だが、何も感じなかった。
焦って、『愛情 1000mg』『興奮 1000mg』も試した。
何も感じない。
脳は無反応だった。
「そんなはずはない...!」
彼女は、次々と感情を買い漁る。
安心、希望、自信......全ての感情を、財布の底が尽きる限界まで購入した。
しかし、世界は、何の色も持たなくなった。
彼女の目の前には、ただ『無』だけが広がっていた。
彼女は、そこでようやく気付いた。
「私は、感情を消費しすぎて、感情そのものを失ったんだ......。」
もう、何も見ても、何をしても、何も感じることができない。
世界は、音のないモノクロ映画のように、ただそこにあるだけだった。
第四章 『本当の感情』とは
数日後、仁愛はEmoTech社の技術者に会い、涙も出ないのに、泣きついた。
「お願いします......感情を、もう一度感じさせてください......!」
技術者は静かに言った。
「本当の感情はデータではない。人は、痛みや苦しみを乗り越えることで、初めて本当の幸福を感じるんだ。」
「だが、君は苦痛を全て排除してしまった。だから、もう幸福も感じられないんだよ。」
「感情は買うものじゃない。生きるものなんだ。」
仁愛は絶望していた。
そう、彼女は『苦しみ』すら感じることができない。
それすら、脳が拒絶していた。
もはや、彼女には『生きている実感』すら、なかった。
第五章 『 』の人生
それから仁愛は、感情なしで生きることになった。
目の前で美しい夕焼けを見ても、感動的な映画を見ても、何も感じることができない。
それはまるで、『AI』のような生き方だった。
人々が泣き、笑い、怒り、愛し合う世界の中で、
仁愛は、ただ、『空白』の存在として生き続けた。
そして、彼女は最後にこう言った。
「こんなことなら......最初から、何も買わなければよかった。」
しかし、もう遅かった。
彼女は、二度と”感情”を取り戻すことができないのだから。
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