モノローグ2
ビスマルク家に引き取られてからは怒涛の日々が始まった。
首都であるロンドンより南東のカンタベリーというイギリスでも人気のある観光地にあるそのお屋敷は、元々ビスマルク家が保有していたものでは無く、戦後にドイツからイギリスに移住するに当たって前当主であるカール・フォン・ビスマルク伯爵によって買われたものらしい。
第二次世界大戦が終戦を迎えてから79年が経過した2024年、今でこそドイツへの風当たりの強さはあまり感じないが、ビスマルク家が幼少期の頃はイギリスで暮らすのは中々大変だったようで、先輩のメイドからも壮絶な話をいくつか聞くことができた。
ヨハン様の父の、元々ドイツ陸軍の将校だった今は亡きカール様の意向により、敗戦後イギリスへと移住し、現在のお屋敷を買われてそこでの生活を始めたようだ。
当然周囲の風当たりは強く、中には口にできないような事もあったようだが、根気よく向かい合った結果、今では普通に生活できるようになったとのこと。
周囲の理解を得るための1つが教会への寄付、孤児院への支援ということだったようだ。
そしてイギリス人である私を引き取った理由もきっとそこにあるのかもしれない。
なぜそうしてまでイギリスへの移住をしたのかは当人しか知らないし、もう亡くなられているので誰も知るすべはない。
敗戦国家とはいえドイツでは『フォン』の姓を持ったビスマルク家だ。このカンタベリーのお屋敷も相当立派なものだった。
使用人たちの行き届いた手入れが続いてきた事や、10年前の大きな改修工事もあり、築83年を感じさせることのない綺麗なお屋敷だ。
私を含めて全部でメイドは4人。それからヨハン様と奥様のシャーリー様、長男であるウィル様を含めて7人の住むお屋敷では人手が余ることは無く、4人のメイドは常に動いていなければならないほどだった。
そんな中で足手まといの私に仕事を教えてくれた先輩メイドの方々には感謝しかなく、少しでも早くお役に立てるようにならなければと身を奮い立たせた。
家事に追われる日々を2年ほど過ごし、9歳になった私はメイドとして最低限の仕事を1人でできるようになったころ、私には家事以外の仕事ができた。
それは勉学だった。
「ビスマルク家のメイドとして恥のないように教養を身に付けなさい」
そう言って旦那様は家庭教師を雇い、学校へ通えなかった私に勉強を学ぶ機会を与えてくださった。
仕事との両立は大変だったが、「元々このお屋敷は3人で回っていたのだから気にせず勉強なさい」とメイド長は私の仕事を減らしてくれた。
それからはメイドの仕事だけでなく、勉強もした。
元々要領の良さは自覚していたし、優秀な家庭教師のマンツーマンでの授業もあり、5年ほど勉強して14歳という年齢を迎える頃には高等学校水準の勉学を一通り修めることができた。
そんな日々を過ごしていた15歳の春、お屋敷に日本人のお客様が訪れることとなった。
「本日お見えになるのは日本でも有数の旧華族である北小路家の方々です。前当主のカール様の頃からビスマルク家とお付き合いのある方々となります。くれぐれも失礼のないようにしてください」
朝礼を終えた私はいつも通り仕事をしようとした時、旦那様から声を掛けられた。
「アリサ、頼みがあるんだけどいいかな」
「はい、なんでしょう旦那様」
「今日来ることになっている北小路さんなんだけどね、11歳の娘さんがいるんだ」
「はい、先ほどメイド長から伺っております」
来客がある場合の接客、対応もまたメイドの務めであり、夕食のご用意もすることになっていたため、北小路一家の家族構成は予め伺っていた。
本日お見えになるのは当主の智之様、奥様の燈子様、それから三女の星奈様だ。
長女の友香様と次女の真里様は本日はお越しにならないとのこと。
「どうやら星奈さんは英語があまり話せないようなんだ。アリサは日本語が少し話せるだろう?だから話し相手になってあげて欲しいんだ。年齢も3つしか離れてないしね」
「はい、私でよろしければ」
日本語は勉強を教えてくれた家庭教師のツルコ先生から少しだけ教わっていた。
「うん、よろしく頼んだよ」
そう言って旦那様は書斎へと戻っていった。