モノローグ1
私は母の事をほとんど覚えていない。
覚えているのは泣き顔を青いハンカチで覆っている横顔だけ。
父に関しては何も知らない。名前どころか顔さえわからない。
そんな私の父は教会の神父様で、母はシスターだ。
物心つく前からイギリスの小さな教会横の孤児院で育った私は6人の兄弟達と7歳までの日々をそこで過ごした。
文字の読み書きを覚え、簡単な計算を覚え始めた頃、私は一人でシスターに呼び出されて孤児院から教会へ向かった。
そこで見かけたのはいつもの立派な黒い車で、月に一度訪れてはお菓子をくれるおじさんが来たのだと理解した。
ならどうして私一人が呼ばれたのだろう。いつもならみんなが呼ばれるのに。と、不思議に思いつつもシスターの後をついていくと応接室に通された。
「この子が・・・本当ですか?」
「えぇ。恥ずかしながら遺言を見て私たち家族も初めて知ったものですから、今でも色々とどうすべきか話し合っているところで」
何やら神父様といつものおじさんは難しい話をしていた。
「よく来たね。そこへお座り」
神父様の言われた通りに私はおじさんの対面のソファーに座った。
「もちろん支援はこれからも続けさせていただきます。ですので、どうかこの事は内密にお願いしたいのです」
「・・・わかりました。ですが前提として本人の意思が一番だということをお忘れなきよう」
神父様は私の前に屈み、胸のロザリオを手に持ち、祈りを捧げる。
「アリサ、今から大事な話があるから、聞いてくれるかい?」
「はい、なんでしょうか神父様」
「こちらの方はヨハン・フォン・ビスマルク伯爵だ」
そういえばこの人の名前を初めて聞いたかもしれない。まさか貴族だったとは知らず、お菓子のおじさんなどと呼んでしまっていた事に焦りを感じつつも挨拶をする
「こんにちは、ビスマルク様」
私は立ち上がり、片足を後ろに引き膝を軽く曲げ、お辞儀をする。
「やぁアリサ。丁寧な挨拶をありがとう」
「それでね、大事な話なんだけど、こちらのビスマルク公から君を引き取りたいという申し出があった」
それは思ってもいなかった話だった。
「私がですか?」
「そうだ。引き取ると言っても家に迎え入れる訳ではなく、お屋敷のお手伝いさんとして君を雇いたいと」
お手伝いさんということはこの方のお屋敷でお仕事を頂けるということかしら。
「お掃除ならメイの方が上手だし、お料理ならヒューイの方が得意よ?どうして私が?」
今までも何人かこうして引き取られて行く子を見たが、そういう子は何かしらの才能があったりする子だった。
最後にお別れしたのは絵が上手だった14歳のリンゼだったけど、彼女もまたその才能を認められてヨーロッパで有名な画家の養子になったとシスターから聞いていた。
「お手伝いさんにはたくさんの事が求められるんだ。お掃除もお料理も、それから言葉遣いもね」
なるほど、それならお料理が苦手なメイも、口が良くないヒューイも向いていないのね
「もちろん、君が嫌というならここに残ってもいい。だけど私はこの方と一緒に行った方がアリサは幸せになれると思っているよ」
「うーん。神父様がそう言うならきっとそうなのでしょう」
今の暮らしに不満がある訳ではない。
父からも母からもたくさん愛を貰い、生活の事だけでなく勉強まで教えてもらえているのだ。
ただ将来の事を考えた時に貴族のお屋敷でお仕事をさせていただく機会なんてこれ以降訪れることはないだろう。
私は少し考えてから口を開いた。
「私は行きたいです。神父様」
神父様は少し寂しそうに笑うとまた祈りを捧げる。
「あぁ神よ、どうかこの子の行く末が良きものになりますように」