かなたへ 第七部 終焉のかなた 第四章 旅立ち 第2節
かなたはゆっくりと瞼を開けた。宇宙船としての意識と有機体としての意識の重なりに一瞬ぐらっとする。外界がすべて二重に重なって感じられる。同時に宇宙船の居住区にこもるむっとした臭いが鼻を突く。サブシステムに換気と空気清浄化ユニットの運転を上げるように指示。湿度はもう少し上げなくっちゃ。髪がバサバサになってしまうわ。
かなたは自らが構成された場所、周囲を緩衝材で囲まれた宇宙船の簡易ベッドルームの中でゆっくりと体をストレッチし全身の動きと感覚を確かめる。OK、大丈夫そう。ベッドの上に体を手繰り寄せて横たわる。重力システム、動作開始。かなたの故郷の星の地表での重力、0.9Gが体に掛かりぐっとベッドに体が沈み込む。それに合わせて重力場に応じた方向感覚がよみがえる。二重化された感覚のなかにもう一つの乖離が生じる。これは仕方のないこと。船外のモニターを全面的に船体からの入力に一本化する。船内モニター映像で自らの姿を確認してみる、鏡で見たのとはちょっと違った印象、体をひねりボディーラインを確認する。重力によってもたらされた筋肉や脂肪の変位、循環バランスの変化によっておこった水分と血液量のシフト、起き上がれば椎間板の厚さが少しずつ減少して行くだろう。あと一時間もすれば元の体にきちんと戻るはず。
満足したかなたはベッドルームを出ると収納スペースから下着と船内服を取り出し身につけ、化粧室で髪を整え始めた。思わず鼻歌がもれ、胸元にあるはずのいるかのペンダントをまさぐろうとする。無い、あ、そうだ、あれはあちらに置いてきたんだ。一瞬自らで再構成しようとしてかなたは思いとどまった。あれは先輩から頂いた大切な物。代わりは決して作り得ない。だから、また逢えたら、きっとその時……。
船のサブシステムに軽食のオーダーをすると身支度を整えたかなたは操縦席へと赴いた。
システムの点検の結果などを探査部へ報告するとかなたは銀河平面から遠く離れたノイズの無い場所へ向かって転移を繰り返し、以前もう一つの世界への入り口を見つけた秘密の場所へと急いだ。マイクロチューブを探査し、状態を確認していく。報告の通り、まだマイクロチューブは極めて不安定の様だ、特に長いL値をもったものは極めて短命に消滅していく。この様なマイクロチューブへの進入を試みる事はまさに自殺行為にほかならない。だが、かなたには考えがあった。それは微小な探査様ゾンデを高次マイクロチューブに投入すること。マイクロチューブ内に敷設されたゾンデを利用するという異世界の友人の行った探査方法を発展・踏襲するのだ。こうすれば最小限のリスクできっと探査の可能性を探ることが出来る。
この世界と、もう一つの世界の歪度に一致した物だけを選択し、かなたは用意した数億個のゾンデを見いだしたマイクロチューブへと投入していった。
後は投入したゾンデがマイクロチューブを通じた時空の情報ネットワークを組み立てるのをひたすら待つ。
その間かなたは自身の超宇宙船に搭載したSRエンジンを用い、異なる世界の物質を高次元空間への畳み込みを利用して重畳させて存在させる数学的な方法についての長い検討にはいった。
最初の朗報が入ったのは予想に反して異世界についての情報であった。それもかなたが一番望んでいた情報、なんと残してきたペンダントの発する微弱な素粒子崩壊に伴うバースト信号を傍受したのだ。これは、かなり残してきた情報素子の崩壊が進んでいるらしい。ペンダントに急いでトレーサープログラムとメッセージを送る。メッセージは先輩の時計に転送されるはず。
KANATA.M> キョン先輩、ごめんなさい、もう少し待って下さい、絶対会いに行きますから
メッセージは届いたのだろうか?
データを送り終えた時、不安定なマイクロチューブの接続はすでに断絶していた。
でも、良い徴候。上手くトレーサープログラムがインストールされていればあのペンダントの存在する時空の探査が容易になる。先輩は私に気がついてくれただろうか?
かなたは気がついていなかった、この宇宙の別の時空、超過去において同じくマイクロチューブを介した探査を行い、回復しつつある接続を介して愛しい人のいる宇宙を探しだし、かなたの投入した微小な探査ゾンデをそこへと導いた存在を、そして同じ信号を傍受し安堵の笑みをもらしたたもう一つの存在、もう一人のかなたが居たことを。
かなたはあの時必死の思いで絆として託してきたペンダントが役割を果たしてくれていたことに安堵する。再びかなたはサーチと研究を開始した。
程なくトレーサープログラムはきちんとインストール出来た事が確認される。長い時間の接続は出来ないが短い時間での断片的な接続と情報の取得が可能となったのだ。かなたは長い時間をかけて向こうの世界で緊急避難としての向こうの世界のかなたと姉さまとで行っている宇宙船建造のプログラムの存在を知るに至る。凄い、向こうの世界の私。でも、消耗が激しい、残された時間は殆ど無いはず。かなたは向こうの世界のかなたの情報をペンダント内に保持するためのプログラムを作成しバースト送信で何度か転送する。一つでも届いて入れば向こうの私が消えてももう一度回収できるはず、あんなに凄い私を失いたくない。
続いてかなたは向こうの世界のペンダントにこちらの世界の物質を送る方法についての検討を開始した。素粒子でも良い、上手く送れれば向こうの物質との相互作用についてもっと詳細なデータを研究にフィードバック出来る。益々やるべき事は増えたけれどプランも具体的になってきた。きっとまた逢えるから、だからもっと頑張ろう。