日本国は手を抜けない ―IF― 日本国はスターゲイザーのパイを食うか?(1)
日本国は手を抜けない(13)までが共通ルート、日本国は手を抜けない(14)の途中から分岐したIFです。
第二次インドシナ戦争後、日本国では「対艦ミサイルを運用可能」で「地形追随(超低空)飛行が可能」な戦闘爆撃機の整備の必要性が叫ばれ、一時はFー111の導入寸前まで話が進んだが、そこに待ったをかける存在が現れた。
同様にFー111の導入を図っていた英国・豪州の二国である。
豪州は日本国に持たせるには「些か」過剰な火力でありかつての侵略性を想起させると宣ったし、英国は豪州と折半したFー111の量産枠が更に圧迫されることを婉曲に嫌った。
こうした外圧により日本国の戦闘爆撃機整備計画は頓挫した、かに見えた。
だが転んでもタダでは起きないのが日本国であったし、鞭をくれた後には飴も用意するのが英国の嗜みであった。
果たして日本国のFー111導入計画の撤回が表明された翌日、英国は「空軍所属のホーカー・シドレー(当時)製バッカニアのFー111Kによる早期置換・退役」「バッカニアの製造ラインの対日供与」を発表。
そして対日供与されるバッカニアには、英国製最新アヴィオニクスである「対レーダーミサイル」「対艦ミサイル」の運用能力が付与されることが明記された。
実質的な第二次日英同盟の始まりである。
とは言え、第二次日英同盟(仮)は当初、微妙な雲行きであった。
日本国が運用するFー4EJは運用開始から間もなく十年になろうとしており、五年後には早くも酷使された機体の退役が始まる見込みだった。
そのドクトリン上、常に最強格の艦上戦闘機を欲し、それ故に日本国はFー4EJの後継機として、米国製最新鋭機であるFー14とフェニックスミサイルの供与ないしはノックダウンまたはライセンス生産を米国に求めた。米国も同盟国の質的強化は国防に資するとして前向きな姿勢だったのだが、英豪両国はそれに再び待ったをかけた。
同じくFー4(K)を運用する英豪両国としては、米国は兎も角としてそれ以外の国がFー14を導入することは看過出来なかったのである。
従って外交合戦の末に、英豪はFー14の対日供与を認める代わりに、より搭載量が大きいFー15ベースの艦隊防空戦闘機(後のFー15RNである)の共同開発を、AIMー54及びその火器管制レーダーシステムであるAWG-9の供与と一緒に米国に求めた。
そして米国としてはFー15ベースのFー111後継戦闘爆撃機(後のFー15E)の開発を構想していたことから、英豪両国とのFー15艦上戦闘機型の開発に託けることを構想し、快諾。Fー14の導入でホクホク顔だった日本国は、後からFー15艦上戦闘機型の開発計画を知り歯軋りすることになった。
斯様な経緯から時に協力しつつ時に鍔迫り合いをしつつであった第二次日英同盟(仮)だったが、第三次中東戦争が勃発すると、事態は一変する。
米国カッター政権のソ連との直接対決を恐れる消極的姿勢から、イラン救援の矢面に立つことになった日英両国は、使用機材の共通性(両者ともFー4、バッカニアを運用し、燃料は勿論のこと弾薬から下手すればネジの様な細かい部品に至るまで共通していた)から自ずと相互運用能力を獲得し、互いに足りない部分を補い合い乍ら切磋琢磨していった。
そしてカッター政権によりFー14/Fー15の製造ペースが抑制されると、恐ろしい勢いで消耗する機材を補填するため、日英両国は敢えて旧式のFー4やバッカニアを魔改造して再生産・並行調達を始めることになった。
英国フェランティ社でライセンス生産されたルックダウン能力を獲得したAN/AWGー11(Mk.2)を搭載した、三菱重工製ショートノーズFー4EJ(機体の最終組み立ては英国で行われた)などはその典型であり、しかもその部品のやり取りのためだけに専用輸送機のフリートを仕立てる始末であった。