バルナムーンの留学生
講義が終わると昼休憩の時間となる。私とリヒトはいつもどおり二人で昼食を摂ろうと思っていたのだが、バルナムーンからやってきた留学生の二人から声を掛けられた。
「もしよろしければお二人のお名前を教えていただけませんか?」
「お二人はとても目を引きますから、教室に入った時から気になっておりまして。折角こうして近い席になれたんですから、仲良くしてほしいです」
にこやかに笑うジャハルとルナサーラ。ルナサーラの方は言葉遣いが少し風変りに聞こえる。あちらの国の話し方なのだろうか、と思いながらも笑顔を返した。
「私はロメリィ=ジリアーズ。改めてよろしくお願いいたしますわ」
「……俺は、リヒト……あ、いや。リヒト=ガージェ、です」
不慣れな口調で、言い慣れない家名を口にするリヒトを内心で応援した。彼はまだ今から言葉遣いや礼儀作法を学んでいかなければならないのだ。学園の登校日は隔日であるため、その合間の休みには王城で一緒に作法を学んでいく。賢いリヒトならすぐに覚えるだろう。
「……リヒト卿、貴方とても変わった話し方をしますね?」
「俺は……その」
ルナサーラに問われてリヒトはたじろいだ。貴族、しかも他国の者相手にどう接していいか分からないのだろう。ここは私が助け船をだすべきだ。
「リヒトは出自が特殊ですから、貴族の礼儀作法をまだ知りません。どうかご容赦を」
「出自が特殊とは……?」
「ん……俺は平民育ちだから」
こう言っておけばある程度の無作法は許されるはずだ。きょとんとしてリヒトを見つめるルナサーラと、興味深そうに顎を擦るジャハル。しかしどちらも不快感は示していない。
「平民育ち、というのは?」
「……俺は物心つく前に災害で親と離れて孤児になった、らしい。俺の家はそれでなくなって、それが分かったのが最近だから」
実際は平民であるリヒトだが、その事実を知るのは限られた者だけあり、対外的にはこの設定で通すことになっている。私は嘘を吐くのが下手なので、この辺りの説明はリヒト自身がした方がいいだろう。
「まあ、それは大変だったわね」
「……私は、ジリアーズ家のご令嬢も似たような境遇だと聞いていたのですが……ロメリィ嬢は、そのようには見えませんね」
「いいえ、私も貴族として生き始めたのはごく最近のことです。何せ、オーガに育てられていましたから」
「はは、冗談がお上手ですね」
私は事実として初対面の相手にオーガに育てられたことを話すのだが、いつも冗談として受け取られてしまう。ジャハルにも笑って軽く流された。……冗談ではなく純然たる事実なのだが。やはりどうしても荒唐無稽な話に聞こえるようだ。
「もしかして、二人が一緒に居るのは似たような境遇だからでしょうかね。どちらも貴族以外に育てられ、突然貴族として生きることになった。……さぞ、苦労なさっているでしょう」
「少々不便なところはありますが、苦労という程では……それに、こちらに来たことでリヒトに出会えましたから」
オーガの村の暮らしと、貴族の暮らしは全く違う。動きにくいドレスや、行動を制限する作法、何故そんなことをする必要があるのかよく理解できないままのマナー。それらは不便ではあるが、別に苦労はしていない。どこかの集団の中に混じるなら、その集団の掟を守るのは当然のことだ。
何より人間の国にはリヒトが居た。オーガの村を出て貴族の世界にやってこなかったら、一生出会うことはなかっただろう。それだけで多少の不便など感じもしないというものだ。
「……まあ、俺も。ロメリィがいるから。今が人生の中で一番、いい時間を過ごしてる」
……そんなことを照れ臭そうに言うリヒトを抱き上げてくるくると回りたい衝動に駆られたが我慢した。ここはオーガの村ではないのだ、貴族のマナーを守らなければババリアに叱られる。
「……お二人はもしかして、何か特別な関係で?」
「ええ、学園の卒業後は結婚する予定です」
「ほう。……なるほど」
紫色の瞳を細めて、ジャハルは薄く笑った。何かを考えていそうだが、悪意や敵意は感じないので特に問題はなさそうだ。
まあもし何か問題になったら解決すればいいだけなので、簡単な話である。今まで解決できなかった問題にぶつかったことなどない。大抵のことは力が強ければどうにかなる。
「ところで、平民の生活をしてきた二人の前なら堅苦しい話し方でなくても不快に思われないのかな?」
「ルナサーラ」
突然口調の変わったルナサーラの名をジャハルが窘めるように呼んだ。私も私で彼女の変化には少し驚く。まさか、貴族が貴族の前でマナーを脱ぐとは思わなかった。
「実はバルナムーンって貴族も平民もよく交流する地域でね。かしこまった口調、私もあまり得意ではないんだよね。でもドロマリアの貴族は厳しいって聞いて頑張ってたんだけど大変で……不快なら改めるけど」
なるほど、これは文化の違いなのだ。こちらの国の貴族は礼儀作法やマナーを遵守することが是であり、ババリアのような女性が規範である。
しかし一方、この二人の国では重要視されないものなのだろう。ただ郷に入っては郷に従えということで、彼女はこちらのルールを守ろうとしていたのだ。その心構えはとてもいいと思う。
私が平民のリヒトの前ではマナーを脱ぎ捨てるように、彼女も私たちの前では――と考えたらしい。
「いいえ。それがそちらの文化なら、私は構いません」
「俺も……綺麗な言葉遣いはまだ、できないから」
「そう! よかった!」
マナーを脱ぎ捨ててにこにこと笑うルナサーラの隣で、ジャハルはとても深いため息を吐いた。
「私はこちらの文化にできうる限り合わせますので、この子の無礼にはどうかご容赦を」
「二人とも良いって言ってくれてるのに……兄さまの意地悪」
どうやらこの二人は兄妹の関係だったようだ。髪の色も同じだし、鼻の形や目元などが似ているのでたしかに血縁なのだろう。仲が良さそうでいいことだ。
「ねぇ、せっかくだからこの四人で食事にしない? その方が私たちも気楽だから」
「申し訳ありません。妹の我儘ですので、断っていただいても構いませんよ」
「……リヒト、どう思って?」
「……俺はまだ食事のマナーも分からないから、食堂では食べられない」
リヒトの意思を優先したいと思って尋ねた。食堂では他の貴族もいるので、たしかに彼は食事がしにくいだろう。しかし普段のような食事は、他国の貴族を誘ってやっていいものか分からない。私もさすがにバルナムーンの礼儀作法については知らなかった。……これから勉強しなければならないだろう。
「あ、じゃあ外に用意させればいいよ! ここの花園、綺麗だし。テーブルセットさせて、そこに料理運ばせるのはどうかな?」
「……まあ、それなら」
「ええ、構いません」
「ありがとうございます、御二方」
こうして昼食は四人で摂ることが決まった。休憩時間が始まっても教室に残ったまま、こちらの様子を窺っていたグレゴリオに目を向ける。
授業前と同じくとても不安そうな顔をしていたので、安心させるように頷いておいた。……腹のあたりを押さえて軽く俯いてしまったのだが、大丈夫だろうか。
大丈夫じゃないかもしれない。
本日はコミカライズ更新日です。
ドレスを着せられるロメリィ回。是非よろしくお願いします!




