オーガ令嬢と後期の始まり
「ねぇご存じ? 平民と言われていたあの方、実はノラリィ家の遺児なのだそうよ」
「まあ……悲劇のノラリィ家?」
ノラリィ伯爵家は、災害に見舞われて潰えた貴族家だ。彼らの領地は十年ほど前に大雨による川の氾濫と土手の決壊で領地の半分が沈んだ。不幸なことに視察に訪れていた領主一家もろとも水に押し流され、その遺体すら見つからなかったという――そんな一族の末の息子が、実は生きていた。
当時は名づけもまだの赤ん坊であった彼だけが偶然にも助け出され、災害孤児として孤児院で育ち、魔力を持っていたことから学園に通うことになったのである。
「ガージェ侯爵家が身元を保証しているとか。三男が養子にしたんですって」
「それなら間違いないわね。……そう、あの平……ではなくて……これからはリヒト卿とお呼びするべきね」
荒唐無稽な話なのではないかと思ったのだが、令嬢たちの噂話では概ね受け入れられている様子だ。
(グレゴリオの言う通りだったな)
平民が貴族より優れた能力を持ち強大な魔力を持っているという事実は受け入れがたいが、逆に実は元から貴族の出であったのだという理由は受け入れやすいのだと。
魔力を持つ貴族という出自を誇っているから、多少無理があってもすんなり馴染むだろうと。
「ロメリィ嬢の前例もありますし、ね」
実際に元貴族の出で貴族以外に育てられ、そこらの貴族とは比べ物にならない力を持った令嬢が目の前にいるのだから何もおかしくはないということらしい。
考えてみればオーガ育ちの令嬢の方が荒唐無稽というかおかしな話なので、リヒトの出自設定の方が自然かもしれない。……いや、私のオーガ育ちは公にされてはいないのだが。それでも私と言う存在があることで、リヒトの設定にも説得力が生まれるらしい。
「……形だけ貴族の真似しても滑稽じゃないか? 俺、まだ作法なんて分からないぞ」
「それはこれから覚えればいいわ。……その恰好もとても似合っていてよ、リヒト」
ウラノスの養子となる書類も受理され、リヒトは正式に貴族となった。名前もリヒト=ガージェと改めている。
今後は彼にも貴族らしい振る舞いが求められるのだ。まずは出来ることからということで、私のように貴族らしい格好にさせられている。つまり髪や服装をきっちりと整えた状態だ。
(マナーはこれから学ぶ必要があるが……実家に報告へ行ったから、時間もなかったしな。仕方がない)
ちなみにオーガたちは私たちの結婚を祝福してくれて、卒業後には村をあげて盛大な結婚式を挙げることが決まっている。
村から帰還してすぐリヒトは城に連れていかれて色々と手入れをされたのだが、私も最初にこれをされたことを思いだし、なんだか懐かしい気分になった。
現在は髪を切り、皺ひとつない制服を乱れることなく着ているので、クラスで浮くこともない。マナーはまだよく分からなくても、背筋を伸ばすだけでも随分と印象が変わって見えた。
「素敵だわ」
「…………ありがとう。でもなんか落ち着かないな。視線を感じる気がするし……」
「それは気のせいではないわね」
今まではリヒトを出来るだけ視界に入れないようにしていたクラスメイトたちが、今はリヒトへと視線を送っている。好意的なものが多く、リヒトの容姿を褒めるような声もちらほらと聞こえた。
(そうだろう。この輝かしい瞳を是非見てほしい)
暗く沈んでいた面影などどこにもない、夜空の星のように輝く力強い瞳だ。美しい宝石のようでいつまでも眺めていたくなる。
リヒトのこの姿が見たくて、私もいろいろと考えながら行動してきた。その結果が今なのだ。周囲もようやくリヒトの魅力に気付いたようで嬉しい。
「……あんまりじっと見つめられると恥ずかしいんだけど」
「ああ、ごめんなさい。とても好ましいから……つい、ね」
「うっ……」
教室の片隅から「きゃあっ」という黄色い声が上がったのは何故だろうか。マナーを守るためかできるだけ声を抑えているようだが私の耳には届いている。この声を聞いたのが私でよかった、ババリアだったら叱られていたのではないかと思う。
「ロメリィさま、リヒト卿。ごきげんよう」
「イリアナさま。ごきげんよう」
教室にやってきたイリアナがわざわざ挨拶をしにやってきた。今まではリヒトに対する挨拶をする者などいなかったので、リヒトは緊張か少し表情をこわばらせている。挨拶の返しも思いつかないのか無言でこくりと頷いていた。
イリアナはそんな彼の態度は気にならないようで、満足げに頷き返している。
「お二方のご婚約を心から祝福いたしますわ。本当におめでとうございます」
私とリヒトは卒業後に結婚することが決まっている。貴族はパーティーなどで婚約したことを発表するのが慣例だが、リヒトはまだ貴族のマナーを知らないためパーティーの予定は立っていないし、正式に発表されたわけではない。それでもイリアナはどこからかこの話を聞いたようだ。
「ありがとうございます」
「……ありがとうござい、ます」
口元を隠すように扇を広げたイリアナだが、それで隠し切れないくらいに目が笑っている。大変素直な感情表現をする彼女なので、喜んでくれているのが分かりやすい。
そんなイリアナが自分の席へと移動してしばらくするとウラノスが教室へと現れた。
「本日より後期が始まります。後期では隣国のバルナムーンより二人の留学生を迎えることとなりました」
この話自体はグレゴリオから聞いていた。他国の貴族が交流目的で留学してくるので、気を付けてほしいと。
(私はどうも貴族を脅しやすいらしいからな。国同士の関係にヒビを入れないようにしろ、ということだろう)
交流は王子であるグレゴリオが中心にやるだろうし、私は変わらない学生生活を送ればいい。これからはリヒトが貴族の礼儀作法を学ぶことになり、私も共に学ぶつもりなので忙しい。他国の留学生に構っている暇はないだろう。
ウラノスの呼びかけで二人の人間が教室へと入ってきた。一人は男子生徒、もう一人は女子生徒。私たちと同じ制服に身を包んでいるが、国が違うせいか随分と変わって見えた。
「はじめまして。バルナムーンより参りました、ジャハルです。短い間ですがよろしくお願いします」
「はじめまして。同じくバルナムーンより参りました、ルナサーラと申します。よろしくお願いしますね」
ジャハルは騎士家系なのか背が高く筋肉質な体型で、長めの銀の髪を後ろで一つに縛っている。ルナサーラは小柄だが活発そうだ。こちらの貴族よりもよく体を動かすのだろう、健康的な筋肉のつき方をしていた。同じく銀色の髪を肩より上の長さで切り揃えている。こちらの貴族では見ない髪型なので、文化の違いがありそうだ。
二人が周囲と変わって見えるのは褐色の肌色をしており、貴族にしては珍しいくらいはっきりとした笑顔を浮かべているせいだろう。
(肌の色が違うのは住む場所が違うからか。山オーガよりも谷オーガの方が青みがかかって赤紫の肌になるし、人間もそうなんだろう)
そんなことを思いながら二人の姿を観察していたら、ジャハルと目が合った。一瞬怯えられるのではないかと身構えたけれどニコリと笑顔が返ってきたので杞憂だったらしい。
「お二人にも皆さんと共に授業を受けて頂きますので、空いている席へどうぞ」
二人はまっすぐこちらに向かってきた。リヒトを避けようと他の生徒は離れた席を選んでいたので、私たちの周囲が空いているからだろう。
「こちらに座ってもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
「では。……これからどうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくお願いたします」
二人は私とリヒトの席の一つ前の机を選んで座った。グレゴリオが引きつるのを堪えるような笑顔でこちらに視線を送ってきたので頷く。
安心してほしい。二人は私の目に怯えることはないようだし、席が近くとも国交を損なうようなことはしないだろう。
……しかしグレゴリオはもっと不安そうな顔になった。何故だろう。
「授業の前にひとつ、注意情報が。最近この付近で目撃されている金毛の獣が、人を攫ったかもしれないという話が出ています。獣の目撃と共に人の悲鳴のようなものを聞いたという情報があり、しかしいなくなった人間もいないとのことで断定はできていません。皆さんもお出かけの際は充分な護衛を付けて――」
そんな不穏な注意情報を聞きながら、リヒトがなぜか顔を隠すように俯いた。そうして後期の授業は幕を開けたのである。
人を攫う金毛の獣ですか、注意しないといけませんね。
という訳で後期がはじまりました。ゆっくりやっていきます。
お知らせです。本日からコミックブリーゼ様にてコミカライズが連載開始します。
ロメリィがかっこいいので是非よろしくお願いします。
それから新作も連載中です。竜に転生したけど同族を愛せない主人公が人間のフリをして生きていこうとする話。もしお暇がありましたら覗いてやってください。




