7話 さようなら、そして部屋は輝きを取り戻す
庵の身バレ事件も幕を引き、三人で部屋の片付けに取り掛かっていた。
今回の大掃除を主導した明澄がまずは断捨離からと指示を出し、ようやく部屋が綺麗になっていく――はずだった。
しかし、思わぬ障害が片付けの邪魔をすることになる。
「要ります!」
「要りません!」
「要ります!」
「要りません!」
片付けが始まってすぐのこと。庵と明澄の言い争いが勃発したのだ。
理由は単純で、庵が貧乏性でモノを捨てられない人間だったことにより、常人ならさっさと捨ててしまう物もどこかで使えそう必要になりそう、と言い出して中々捨てようとしなかったからだ。
片付けの基本は、断捨離から始まり残った物を仕舞っていく。なのに、彼の貧乏性のせいで大掃除は、断捨離のステップから一向に進んでいないのだった。
「なんで、ガチャガチャのカプセルが必要なんですか!」
「輪ゴムとか個包装の爪楊枝とか入れるのに便利だろ」
「でも、使わないまま置いてあるじゃないですか。それも沢山。残すのは一つくらいにしておきましょう?」
「でもなぁ、壊れてもないし。勿体ないだろ?」
「あなた、勿体ないお化けにでも取り憑かれてるんですか?」
高々数百円のガチャのカプセル一つでこの揉め具合なのだから、明澄の苦労は尋常ではないだろう。
勿体ない、勿体ない、と言うばかりで片付ける気があるのかと思うほど、庵のモノに対する執着心は凄まじかった。
今、処分できそうものと言えば、学校の配布プリントや使えなくなった充電コードくらいで、この後のことを思えば彼女はさらに頭を悩ませる。
「てか全部必要だと思うんだが?」
「は?」
そう庵がぽつりと言えば、明澄はニッコリしたまま首を傾げて怒った。
そりゃあ怒りたくもなる。
「もういいです。こうなったら配信で先生の部屋が汚部屋だってバラしますから」
「ま、待って下さいよ! それは違うじゃないですか!」
こうなったら奥の手を使うしかない、と明澄は配信で暴露するぞと庵を脅し始める。
そうなれば家事が出来るイラストレーターの地位は一気に失われるだろう。
狼狽える庵の口調は、平身低頭で下手に出る三下のようだった。
「このままじゃ三日掛かっても片付きません。あなたもバラされたくはないでしょう?」
「というか、どうやってバラすんだよ。リスナーからしたらお前が俺の部屋のこと知ってるのおかしいし」
「かんきつ先生が間違って部屋の写真を送って来たとでも言えばいいだけです」
「き、汚ぇぞ」
「汚いのはあなたの部屋でしょう?」
脅しの手を緩めない明澄に反論しても、一瞬で撃退されてしまう。もう反撃の手立てなどロクに残っていなかった。
「で、どうするんですか?」
「お前も貧乏性にならないか、と朱鷺坂は勧誘してみる」
「真面目に」
「新しい部屋を契約する、と僕はキメ顔でそう言った」
「はい。では、今からバラしますね」
「すみません、捨てます」
「よろしい」
ふざけてみたら案外許してくれるんじゃないだろうかと思ったが、明澄は全く取り合わなかった。それどころか、ゲリラ配信をしようと部屋から出ていこうとしたのだから、庵は従わざるを得ない。
ようやく彼はモノを捨てることを決意する。
それからの庵はまるで戦死した盟友を見送るかのように、惜しんでゴミを捨てていた。
「まるで母に叱られた子供の様ですねぇ。バーチャル世界だと逆なのに……わたしも叱られたい」
そして、その光景を傍から眺めていた瑠々は、ぼそりと歪んだ願望を呟くのだった。
「ふぅ……。ようやく綺麗になってきましたね」
「あぁ。ゴーフル缶、サランラップの芯、プライズフィギュアの箱……」
「はぁはぁ、疲れました……♡」
半日程かけた大掃除は大詰めを迎え、モノが溢れていた庵の部屋の床は見晴らしが良くなった。
汗を拭う明澄は部屋が綺麗になったことを喜び、庵は別れた彼らに思いを馳せ、もう一人は何かの達成感を得ていた。
「さて、ラストですよ。残りはこの一角だけです」
「もういっそ全部捨てるか」
断捨離を敢行した所為で精すり減らした庵は、やけっぱちにこぼした。
大掃除も残すところ、断捨離を生き延びダウンフロアリビングに集められたモノたちの片付けだけ。このパントリー付きの広い2LDKの部屋を思えば、半日でよくここまで漕ぎ着けたものだ。
それも優秀な家事スキルを携えた明澄の苦労があってのものだろう。
「ヤケクソにならないで下さい。というか断捨離は終わってますから、後は仕舞うだけじゃないですか」
「アルバムとか重くてダルいんだよな」
「確かに凄い量のアルバムですよねぇ。何かの資料なんですか?」
瑠々が言うようにリビングにはかなりたくさんのアルバムが積まれていた。
明らかに庵一人分の量ではない。まるで家庭を持っていたとでも言わんばかりのアルバムの数々だ。
「いえ、家族のやつです」
「そうなんですね。でもなんで朱鷺坂さんは、わざわざご実家からアルバムなんて持ってきているんです?」
「親父と母さんが捨てるって言ったからだよ。流石にこれは水瀬でも勿体ないと思うだろ?」
「え……?」
淡々と告げた庵に、かなり驚いた様子で明澄がアルバムから庵へと視線を上げる。
普通アルバムなんて捨てるものではないし、明澄がそんな反応を見せるものも無理はなかった。また瑠々はどう言って良いのか分からない、といった感じで言葉を発さなかった。
「情緒とか無いんだろうな。そういう親だし」
「すみません。余計なことを聞いてしまいましたね」
「ん? いや別に大したことじゃないって。ウチの親は割と変だし、こんなの普通だぞ」
なんとも無さげに言うのだが、明澄と瑠々は戸惑うばかりだった。明澄に至っては地雷を踏み抜いたと思って、恐る恐る謝ったくらいだ。
一方の庵は、何か気まずくなるような事だったか? と不思議そうな表情をしていて、三人の間で意思疎通が出来ていないようだった。
「ま、まぁ。考え方は人それぞれですしねぇ」
「ええ、そう思います。さぁ、もう片付けてしまいましょうか」
瑠々が波風だけ立てないように言いつつ作業を再開すると、明澄もそれに習って手を動かし始めた。
そうしながら休日の大掃除は終わりを迎えるのだった。
「お二人とも、今日はお疲れ様でしたねぇ」
「千本木さんもお疲れ様です。おかげで綺麗になりました」
「やはり事務仕事もなさるだけありますね」
「いえいえ。水瀬さんも中々のお手際でした。良いコキ使い方でしたよ」
紆余曲折あったものの無事に片付けが終わった。庵と明澄、瑠々の三人は、ジュースを片手に労い合っていた。
なんと言っても今日のMVPは明澄だろう。庵の貧乏性に立ち向かい、変態を上手く扱って汚部屋とも言うべき荒れた部屋を半日で片付けたのだから。
「とりあえず二人のお陰で綺麗になりました。本当にありがとうございました」
「まさかかんきつ先生が、モノを捨てられない人だなんて思いませんでしたよ」
「うっ」
「ほんと、全部必要とか言い出した時はどうしようかと」
「すまん」
丁寧な物言いで頭を下げる庵に、わざわざかんきつ先生呼びで明澄がチクリと言う。それに対して庵は、なにも言い返せないし相当迷惑を掛けたので、バツが悪そうに謝るしかなかった。
「まぁまぁ、綺麗になったし良かったじゃないですか。というわけで、今日はそろそろ失礼します」
「あ、お疲れ様でした」
「お疲れ様です」
二人を宥めつつ瑠々は、腕時計を見やりながら立ち上がる。時刻は夕方の六時前で、そろそろ夜になる頃合いだ。
庵と明澄が、彼女をその場で見送ろうとする。
「あれ? 水瀬さんはまだ帰らないんですか?」
「あ……いえ、私も帰ります! 朱鷺坂さんそれではっ」
「お、おう。じゃあな」
普通なら明澄も一緒にお暇するはずだから、瑠々にとって居座り続ける明澄の姿は、それはさぞ不思議なことだっただろう。
庵に夕食の世話になる予定だった明澄には、ここから去るという意識がなかった。疑問符を浮かべた瑠々によって、ようやく気付いた明澄が慌てて帰りの支度を始めた。
まさか夕食を世話になっているとは言えないだろう。恥ずかしさもあるが、余計なことは漏らさない方がいい。
ここは一度自宅に戻る素振りをしておくべきだ、と明澄とアイコンタクトを交わした。
「あの、また後で……」
去り際、少し頬を赤く染め明澄が耳打ちをしてくる。それから、明澄はすぐに瑠々の後を追っていった。
「うーん、そういうのやめてくれよ……」
三日前のようにまた不意にドキっとさせられた庵は、自分の鼓動の音に聞こえないふりをして、キッチンに向かう羽目になった。
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