70話 踏み出す聖女様
「ちょっと、つら貸せるかしら?」
通常授業に戻り新学年の生活にも慣れつつあった、とある日の放課後。
帰り支度をしていたところに胡桃が訪れ、突然のことに庵はぎょっとする。
びっくりしたのは胡桃の物言いが物騒だったからではなく、二人ほど見知らぬ女子生徒を連れていたからだ。
まさかシメられるとかそう言う訳ではないだろうけど、クラスメイトと交流を図ってこなかった庵からすれば、女子に囲まれるだけで何事だ、とちょっとした不安に駆られるのだ。
「おい。お前の彼女、不良になってるぞ。どんな育て方をしたんだ?」
「おかしいな。愛情を込めて育てたつもりなんだけど」
「誰が不良よ。少しそれっぽく言っただけじゃない。奏太も便乗しないの。それと奏太とは育ててもらうんじゃなくて、一緒に育んで行きたいのだけれど」
「オレもだよ」
いつものように三人で軽口を叩き合えて、奏太と胡桃もイチャついているということは、大事な話や怖いことではないのだろう。
本当に何の用事なのか、庵には皆目見当もつかなかった。
「話が脱線したわ。それであなた、今日の放課後、空いてる?」
「俺は何かさせられるのか?」
「そうじゃなくてね。この子ら連れて私と奏太、あんたと一緒に出掛けようかって話よ。二人ともあんたと話してみたいんだって」
胡桃が本題に入ると、少し後ろにいる女子生徒の二人がうんうんと頷いている。
どうして自分なのかは分からないけれど、新学年にもなったことだし、交友を広げようとする生徒も多いのだろう、と庵は解釈した。
「急に言うな。無理だ」
誘われるのは悪い気はしないが、今日の夕食は庵が作るので断った。
因みに、この女子生徒たちは林間学校の際、明澄と胡桃の部屋で女子会に参加し、庵に興味を持っていた二人である。
「あ、あの! 今週の土日とか駄目かな?」
「空いてる日ならいつでもいいんだけど……」
放課後が無理だと分かると、二人の女子生徒はぱっと前に出てきてから、おっかなびっくり尋ねてきた。
庵としては誘われたこと自体は嬉しいけれど、今は仕事や配信のことでいっぱいだ。
何より教室の端にいる明澄を優先したい。
明澄に視線を送って一瞥すると、どうしてか困ったような顔をしていた。
何か慌てるような、それでいて微笑ましげだったり、またじっとこちらを見つめてきたり、先日の仕事の電話の時のように数秒ごとに表情を変えている。
ただ、はっきりと違うのはむすっとした表情が混ざっていることだった。
「ごめんな。ちょっと土日は先約があるし、しばらくは忙しいから」
「そっか、残念」
「無理に言ってごめんね」
やんわり断ると二人は気を落としていて、とても申し訳なかった。
「いやいや、誘ってくれてありがとう。今は無理だけど、また、どこかで話し掛けてくれたら嬉しいよ」
「う、うん」
「あ、はい……」
できる限り柔らかな笑みを浮かべて言うと、二人は小さく頷きほんの僅かにだけ頬を赤くする。
またね、と手を振って教室から去っていく彼女たちを庵は申し訳なさから、愛想笑いを浮かべながら見送った。
「あんた、やるわね」
「やるなぁ」
「なにが?」
二人が出ていった後、胡桃と奏太にニヤつかれる。意味が全くわからなかった庵は首を捻るばかりだ。
「おい。俺はなんかやったのか? 教えろ」
「水瀬さんに聞いたら教えてくれるかもね」
「は? 意味が分からん」
「彼女も大変だなぁ」
なんのことだ、と庵が奏太に突っかかるが、奏太は一向に教えてくれる気配はなかった。
たまに奏太や胡桃がしてくるこの意地悪はなんなのだろうか。意図がありそうだが、今の庵には理解しかねた。
一方、庵が奏太を問い詰めているその横で、胡桃はひっそりと明澄の方を見やってにこりとしていた。
視線の先の明澄は、なんだかほっとするように息を吐いている。
奏太へ問答をしていた庵はそのことに気付かないままだった。
「今日の庵くんはモテていましたね」
夕方、自宅へ戻ってきてから二人でマグカップを片手に寛いでいると、隣に座っていた明澄がそう言い出した。
柔らかな笑みで口にする明澄に対して「そうかなぁ」と庵は紅茶を啜る。
ある意味ではモテてはいるのだろうけれど、明澄が言うモテるの意味は恐らくそうではないはずだ。
彼女たちに話してみたいと言われても、それがモテているということに直結するとは庵には思えなかった。
「そもそもなんで俺だったんだろうなぁ」
「多分ですけど、庵くんに話し掛けやすそうな雰囲気が出てたからだと思います」
「そうか?」
「だって、庵くんて春休みが明けた頃から、前よりも優しい表情を浮かべていますし。素っ気ない感じもなくなりましたので」
これまで過去のことから人との交流を避けてきたが、明澄に打ち明けたり澪璃と会ってからは、庵も頑張ろうと努力している。
出来るだけ優しく接しようと思っているので、それが実ったのなら嬉しいとは思う。
そうだといいな、と庵が呟くと、明澄は「そうですよ」と祝福するようににこやかに笑ってくれた。
「でも、なんだか寂しくはありますね」
「なんでだよ」
「だって……庵くんが遠くへ行ってしまいそうな気がしますし」
眉を困らせて苦笑した明澄はそっと庵の袖を掴む。
あの時、庵が他人を信用出来るようになるまでそばにいると明澄は言ったけれど、庵が成長していくということは、そこから離れていくことを意味している。
庵は庵で一人にしないと約束したのでそんなつもりはないし、好意を抱く相手から離れたいなんて考えることすらない。
ただ、明澄は庵の考えを知る由がないので、不安に思うところがあるのかもしれない。
袖を掴んでいる明澄に「約束が果たせるまではどこも行かないから」と庵が微笑みかけると、明澄は座り直してちょっとだけこちらへ寄ってきた。
寂しさからくるものなのだろうけど、寧ろ庵には明澄が寄り添ってくれているような気がして、とてもドキドキされられる。
お互いに一人ではない、信用出来るまでそばにいる、と誓ったあの約束を確かめ合うように、しばらく二人は無言のまま肩を寄せ合って過ごした。
「あの。少しだけお話があります」
「うん」
少しすると、明澄は徐ろに何かを決意したような瞳で見上げてくる。
直感で大事な話だと気付いて、優しく背中を押すような口調で明澄の次の言葉を促した。
「……私も頑張ってみます」
「何を頑張りたいんだ?」
「色々です。いっぱい、いっぱい頑張りたいことがあります」
ぽしょりと言ったかと思うと、明澄は庵の頬を両手で包んで視線を合わせながら噛み締めるように口にする。
必然的に近づいた明澄の顔やその手の感触にどぎまぎとして、直視出来なくなりそうだった。
明澄は直ぐに手を離してしまったが、何故か視線を逸らせなかった。
「いっぱいか」
「はい。いっぱいです。庵くんにもっと信頼してもらいたいです。だから、配信やお家、外でも庵くんに遠慮なんてしません。これからは遠慮しないことを頑張ります」
明澄を支えられるようにと、出来るだけそばにいるようにしていたつもりだが、まだ遠慮させていたらしい。
自分の理性が暴走しないようにある程度の線引きはしていたから、庵との距離を感じ取った明澄に遠慮をさせていたのかもしれない。
もしそうであれば、すぐにでも甘えたり寂しいのなら求めたりして欲しいと思って、庵は「今、頑張ってもいいんだぞ?」と促してみる。
すると、それは想定外だったのか明澄は「い、今ですか…?」と焦りながら顔を赤らめ視線を泳がせた。
「そう、今」
「え、ええと。じゃあ……少しだけぎゅっとしてください」
明澄はおずおずと、か細くて消え入りそうな声と上目遣いで切り出す。
口にしたあとはかぁーっと耳まで朱色に染めながら、「む、無理でしたら良いんですけど」なんて視線を逸らしていた。
そんな仕草で寂しそうにされたら断われなかった。
なんなら、これまで何度か衝動的に明澄を抱きしめかけている。
明澄が良いと言ったのだから合法になるし、躊躇う理由はどこにもなかった。
隣にいた明澄をそっと抱き寄せると、庵に包まれた明澄はふにゃふにゃに溶けたような笑みで、「あったかいですね」と胸元に頭を預けてきた。
「聖女様、他になにかすることはありますかね」
「そうですね、オフコラボ……とかしてみます?」
オフコラボがお望みらしい明澄は躊躇いがちに言って、庵の反応を怖々と窺う。
「明澄がいいなら」
「もちろんです。でも、庵くんがデビューした後になると思いますけどね」
今までオフコラボは怖くて避けてきたけれど、明澄は一つ前に進もうと少し踏み込んだのだろう。
そんな明澄の大切な決意と小さな好意を受け取った、庵はほんのりと微笑を浮かべて頭を撫でてやる。
「他には?」
「いまはこれでいいです。いっきにすると疲れちゃいますし、勿体ないですから」
「ん……ゆっくりでいいよ」
明澄が進んでいけるペースや出来ることのキャパシティはここまでのようだ。庵も無理はさせないようにと気遣う。
「だから、もう少しだけこのままで……」
「はいよ、仰る通りにしますよ」
明澄が一歩一歩踏み出していく様を見つめながら、庵は彼女のお願いに答えて腕を背中に回した。
ぎゅっとする腕や手は明澄を温かく包み込み、また明澄も甘えるように頭を押し付けてくる。
歪にも思える共依存的な明澄との関係だが、庵はひっそりと胸の内で関係が少し前進したような気がした。
これでようやく、オフコラボの話が出来る!
ついに聖女様も動き出しました(*´ω`*)
それとしばらく、投稿時間が不定期になったり、また二回行動になるかもしれません。
お待たせしたり、混乱させてしまうかもしれませんが、よろしくお願い出来ればと思っております。





