33話 復活とオリエンテーションと
「良かった。治ったみたいだね」
「心配かけたな」
夜になるとすっかり庵の熱は下がっていた。
体調が戻ったことにより復帰が認められ、庵が行事の輪に戻って来ると、奏太は安心したように笑って迎えてくれる。
今は学年で集合し、大きな体育館を借りてオリエンテーションの時間へと移っていた。
「せっかくの林間学校なんだから、体調管理くらいしっかりしなさいよ。みんな、楽しめないじゃないの」
「ほんとです。ちゃんとして下さい」
全く、と腕を組む胡桃に同調しつつ、いつもよりトーンを低くした明澄からお小言を貰う。
お世話をさせてしまった身としては、バツが悪くて「すまん」と庵は謝るしか無かった。
「聖女様なんか厳しめ?」
「そんなことないです」
恐らく療養するべきなのに、絵を描いて熱が上がったことに対するちょっとしたお怒りだろう。
あの時は過ぎた事とは言われたが、心配をかけるなと釘を刺しにきたと思われる。
表には出さないが密かにご立腹であろう明澄に対して、二度とこういうことがないようにしようと密かに決意していた。
「さて、庵も戻ってきた事だし、そろそろオレたちも始めようか」
「なんでオリエンテーションで箸とかうどん作らなきゃ行けないんだ? もっとなんかあっただろ」
「文句言わないの。言うなら数年前にキャンプファイヤーで羽目を外した先輩に言いなさいな」
「まぁまぁ。これはこれで楽しいですし、いいじゃないですか。ね?」
高校生の林間学校ならもう少しなにかあっただろう、と庵は文句を垂れながらうどん粉を手に取る。
本来なら今頃火を囲んでいたのだろうが、過去に問題を起こした生徒がいるらしく、羽目を外せない様なプログラムになったそうだ。
明澄や胡桃に宥められた庵は、ややつまらなさそうにうどんをこねていた。
因みに明澄と庵がうどん作り、奏太と胡桃が箸を作りの担当だ。
「ねぇ、奏太。それなんか曲がってない? 私のやつ作ってくれてるんでしょ?」
「ん? じゃあこれは朱鷺坂君のやつにしようか」
「そうね」
「おい、お前ら。失敗作を俺に押し付けるな」
「失礼だな。芸術だよ」
「芸術関係ねぇし、雑な乙〇やめろ。お前らのうどん刻んでやるからな」
「もう、大人気ないですよ」
ふざけたり言い合いをしながらも四人は和気藹々としつつ、それぞれ箸とうどん作りを進める。
庵のツッコミにもキレが出始めたので、体調も万全になってきた証だろう。
いつもの姿に戻りつつあった。
「これ熱気がすごいなぁ」
夜のオリエンテーションも佳境に近付いてきて、うどん作りも佳境を迎える。大鍋で四人分を混ぜていれば段々と腕が疲れてくるし、湯気が凄くて大変だった。
「茹でるの大変ですよね。交代しましょうか」
「あ、ああ。さんきゅ」
うどんのつゆなどを作っていた明澄が見かねて、横から作業を代わってくれるのだが、入れ替わる際ふわりと揺れた明澄の髪が庵の鼻先を撫でた。
よく見ると毛先は少し濡れているようだった。
本日最終プログラムのオリエンテーションは、実は二部制でこねたうどんを寝かせている間に、お風呂の時間を取る変則的な工程を辿っている。
風呂上がりから間もないし、まだ完全に乾き切っていないのだろう。いつもとは違う妙な色気に庵は、どきっとしつつ昼のことを思い出す。
寝起きで意識がはっきりとしていなかったから記憶が朧気だが、夢でなければ明澄は自分の髪や頬を触っていたりしたはずだ。
何を思ってそんなことをしていたのかは分からないが、とにかくあの子供っぽい笑みを浮かべた明澄を思い出してそわそわする。
「なーに、聖女様に見蕩れてんの?」
「見蕩れてねぇよ。というか俺じゃなくて周りのヤツらに言ってやれよ、それ」
明澄に気を取られていると胡桃がニヤッとしながら絡んでくる。
人の視線に目敏いやつだと庵は厄介そうに顔を逸らし、自分への矛先を逸らすために周りを出しにした。
明澄の事が気になるのか、ちらちらとこちらを窺い見てくる男子たちが先程から視界の端に顔を出すのだ。それに、いつもならあまり気に留めない女子たちの姿もあるのは少し珍しい。
何故か自分にまで視線が集まっているのは気の所為と思いたいが、どうにも勘違いでは無いらしく、庵は居心地が悪くて仕方がなかった。
「あーまぁそうね。でも、やっぱりアンタも見てたでしょ。顔が赤いんじゃない?」
「熱だよ」
「今の君のその答えは洒落になんないと思うけど」
「冗談だ。ま、暑いのはほんとだから風に当たってくる」
「はいはい」
冗談半分に揶揄われるのはいつもの事だが、胡桃の指摘はちょっと当たっていた。見蕩れていた事を気取られないようにと、庵は周りの妬ましげな視線や奏太たちから逃げ出した。
一方で、話題の当人である明澄は、全く気にも留めていないのか澄ました表情でうどんを茹でていたが、明澄の内心は誰も知らない。
「こんなところにいたんですね」
庵が体育館の外にあるホテル近くの誰もいないテラスでしばらく夜風に当たっていると、すっと隣に明澄が現れた。
その手にはうどんが入った紙皿を持っており、カイロ替わりにしている。
「寒さが何となく気持ち良くてな。星も綺麗だし」
「確かに綺麗ですよねぇ」
山にある場所なだけあって、夜空は澄んでいて星が鮮明に見える。普段は街中に住んでいるからあまり見えづらいこともあってかいつの間にか見入ってしまうほどだった。
庵につられて夜空を見上げた明澄は、白色の吐息を漏らしながら目を細めていた。
「お、美味そうに作れたんだな」
「はい。とても美味しいですよ」
しばらく一緒に星を見上げた後、庵は明澄の手元に視線を落とす。
湯気を立てるうどんは、かまぼこと天かす、ネギとシンプルでとても美味しそうに出来上がっている。
「俺も戻ったら食べようかね。あいつら、箸ちゃんとしてくれたかな」
「あ、それは……」
「え? なにどうしたんだ?」
そろそろ戻らないと伸びきってしまうな、と庵は思いながら箸の心配をするのだが、隣で明澄が戸惑いがちに言葉に詰まらせた。
「あの、大変申し上げにくいんですけど、お二人が庵くんのお箸を折ってしまっていました」
「あいつら、なにやってんの!?」
庵が外に出たあの後、奏太と胡桃が箸を折っていたことを明澄から申し訳なそうに伝えられる。
やりやがったな、と寒空に声を響かせる庵に慌てて明澄が取りなす。
「せ、責めないであげてください。曲がった箸を綺麗にしようとしていたらしいんですけど、ポキっと折れてしまったらしいです」
「ポキッと?」
「はい、ポキッと」
「まじかよ。……まぁ、しゃーないな。わざとじゃないならいいや。割り箸でも食えるし」
元々、歪だったものだし仕方ないだろう。諦めはつくが、それでも少しショックだ。
肩を落とす庵だったが、わざとじゃないのならと切り替えは早かった。
それも思い出と言えば思い出だ、と割り切っているところ、体操服を明澄に引っ張られる。
「……あ、あの。良かったらこのお箸で食べますか?」
隣に目をやると、そう言いながら明澄がおずおずとうどんが入った紙皿を差し出してきた。
「いいのか?」
「ええ。折角ですし手作りで食べた方が思い出に残るでしょう?」
「まぁ、そうだな。じゃあ、ありがたく貰うとするか」
手作りの箸で手作りのうどんを頂くのが今回の醍醐味だが、それが叶わなくなった庵を可哀想と明澄は思ったのだろう。
有難い、と庵はその申し出を受け取ることにした。
「はい、どうぞ」
「?」
「食べないのですか?」
「い、いや食べるけど」
箸と紙皿を貰うつもりだったのだが、明澄はうどんを掴んだ箸を向けてきた。
巷で言う、あーんと言うやつだろう。
チョコの件があるのによくやる、と思う。
過剰に反応することでもないだろうが、それを意識し出すと止まらない。なのに、明澄はきょとんとしながら小首を傾げていたのが癪だった。
わざわざ口に出すとこちらだけ意識しているようで恥ずかしいので、庵はもういいや、と遠慮がちに箸を咥えた。
「美味しいですか?」
「う、うまい……けど」
初めはうどん出汁の甘じょっぱい風味が口いっぱいに広がたのだが、食べさせられるのが恥ずかしくて、味が分からなくなりそうだった。
ニコリと笑う明澄に感想を聞かれても、それを悟られまいと誤魔化すのに精一杯で、歯切れが悪くなる。
「けど?」
「いや、なんでもない。ありがとな。美味しかった。もう先に戻るよ」
「はい」
庵に食べさせてあげられたことに満足そうで、微笑を浮かべている明澄だが、未だ気付く様子は無い。
であれば、ぼろが出る前にと、庵はその一口だけにしておいて先に体育館へ戻っていった。
「あ……お箸」
それからテラスに残った明澄が、何やら自分の箸を見つめてそうか細い声を出す。
ようやく気づいたらしくしばらく唸った明澄は、何度か箸でうどんを掴んだり離したりした後に、ええいとぱくりと口に運ぶのだが、まともに味がしなかった。
赤らんだ頬をもぐもぐとさせながら、うどんを食べ切った頃には、寒さではなく熱で明澄の耳が赤く染まっていた。
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