18話 締切は守りましょう、メイドさんの力で
「滅びろ。バレンタイン」
バレンタイン当日は兎も角、三週間前にそんな呪言を唱えた、高校生は恐らく数少ないだろう。
けれど一月の某日、庵は確かにそう叫んでいた。
「先生……」
「バレンタイン仕様の特別イラスト二点、アニメのエンドカード、新衣装のデザイン……終わらん」
バレンタインは日本のサブカル業界にも少なくない影響を与えている。寧ろ日本で独自発展したものとも言えるだろう。
ソシャゲ、アニメ、漫画等々に欠かせない必須のイベントで、当然業界は忙しい。
庵と同じく叫んでいるクリエイターがどこかにいるかもしれない。
去年の後半はクリスマス、大晦日、正月に終われ、少し安らかな年末を過ごしたかと思えば、直ぐにやってくるバレンタインは今年最初の大仕事。
しかも絶対に延ばせない締切だ。
「すみません。私の新衣装が……」
「いや、それはほとんど終わってるしいいんだ。寧ろ推しの新衣装なら毎月描くわ」
「それはどうかと」
作業をする庵の隣で明澄が心配そうに彼を慮る。
今は彼女と相談しながら、バレンタインに披露する氷菓の新衣装のデザインを詰めていた。
「エプロンは欲しいよな。チョコのイメージで全体的にブラウンぽくなるから。白で引き締めた方がいいな」
「ですね。ブレスレットとかはどうでしょう?」
「あ、ああ。良いかもな」
「どうかしました?」
新衣装のデザインは殆ど決まっていて、残りは気になる所と細かい部分の確認だけ。
明澄と意見を出し合いながら進める。
明澄は彼のイラストが間近で見られるのが嬉しいのか、距離がかなり近かった。
肩が当たるのはしょっちゅうだし、彼女の髪から漂うシャンプーの匂いに鼻腔をくすぐられる。
明澄は気付いていないのだろうが、健全な男子である庵は少し参っていた。
「首元は赤の紐リボンかなぁ」
「小物で色もアクセントを付ける感じですね」
「そうそう。とりあえず足してみるから、二十分ほど待っててくれ」
「分かりました。後で飲み物をお持ちしますね」
ある程度決まったら、大方出来上がっているイラストに描き加えるだけの作業。
明澄はその場で待っていても邪魔になるだろう、と察して一言伝えれば部屋から出ていく。
ようやく作業に集中できそうだった。
「おーし! こんなもんかな。水瀬、出来たぞー」
予定通り二十分ほどで、作業を終わらせた庵はグッと背を伸ばす。
完成したデザインは最終的に白のブラウスにコルセット付きのパニエで膨らませたスカートにした。
スカートの色はチョコに寄せるより、ブラウスに合わせるため薄めの青に変更し、所々にチョコ要素を混ぜ込むことにしていた。
その出来に庵は満足しつつ明澄を呼び寄せた。
「はい。お邪魔しますね」
「良い感じに……って、ええ!?」
庵の声に反応してドアがノックされると、明澄が戻ってくる。
にこやかな表情をドア付近へ向ける庵だが、なんと明澄は庵が資料用に買ったメイド服を着ていた。
そのせいで彼は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「ど、どうですか。似合ってますか?」
「いや似合ってるけどさ。なんで?」
「今回の衣装とちょっと似てますし、エプロンとか参考になると思いまして」
明澄は紅茶の入ったカップをテーブルに置くと、その場でクルっと一回転して、若干照れくさそうにスカートを摘んでみせる。
明澄のスタイルの良さや綺麗な銀髪、整った顔立ちと、まるで海外から来た本物のメイドのようだった。
もうこれが新衣装でもいいんじゃね? と庵は思い始めるほどそれは完成されていた。
「待ってくれ、どこにスパチャしたらいいんだ?」
「しなくていいですから! 朱鷺坂さんのためですし」
明澄のメイド服姿があまりにも素晴らしくて、庵はスマホと財布を取り出してスパチャを投げようとするフリを見せる。
彼女は自分のためとまで言うのだから、庵のボルテージはさらに上がっていく。
明澄の振る舞い、言動は尽くすことが仕事であるメイドとしての役割を体現していた。
「しゃ、写真、撮らせてくれ! 顔は撮らないから」
「まぁ、前に約束しましたしね」
「おお!」
「あと、絶対に人に見せないなら顔もいいですよ。その方が資料になると思いますから」
全身を資料に出来るのと出来ないのでは全然違う。
明澄はそれが分かっていたのだろう。条件付きだがすんなりと許してくれた。
「ははー、水瀬様。ありがたや」
「なんで朱鷺坂さんが頭を下げるんですか……。私がメイドであなたが、ご、ご主人様でしょうに」
感謝のあまり庵は拝む様に頭を垂れていた。
すると、明澄は若干言いよどみながらも、ご主人様と口にする。
それだけで庵の心臓は弾け飛んでしまいそうなくらいの破壊力がある。
先日のママ発言でもおかしくなりそうだったが、これは健全的におかしくなれそうだった。
「いいね! いいね! 最高だ! よーし脱いでみよっか!」
「グラビアアイドルの撮影じゃないんですが」
「すまん。ついやってみたくて」
撮影が始まれば水着グラビアを撮るカメラマンのロールプレイングをしてみたりと、庵はテンションが上がりきっていた。
「なにかご指定のポーズはありますか?」
「そこに横向きで寝転んでくれるか? マット使っていいから」
「分かりました。こ、こうですか」
「あーいいねぇ」
庵の指示に従い明澄は好きなポーズで写真を撮らせてくれる。容姿の良さに加えてVTuberとしてポーズを撮るのは慣れているのか、資料としては最高峰のものが出来つつある。
わざわざ一眼レフのカメラを買っていて良かった、と庵は満足気に口の端を歪めていた。
それからも、明澄は下着が見えたりや卑猥なポーズ以外はなんでもこなしてくれた。もちろん、そんなことを頼むつもりも期待もないが。
果てにはメガネを付けたり髪型まで変えてくれたりと大盤振る舞いだった。
一つ悔いが残るとすれば、今着ている膝丈のスカートじゃなくて、ロングバージョンもあればなお良かった。
今度買っておこうかなと庵は密かにそう思うのだった。
「はぁー。疲れました」
「ありがとう。まじでありがとう。ゴッドありがとう。オメガグッジョブ!」
「どういたしまして。ご主人様」
「まじでスパチャ投げてぇ」
一頻り撮影し終えると、どっと疲れた様子で明澄は汗を拭う。
一方の庵は感謝しきりでカメラロールを見るその顔はホクホクとしていた。
「そ、それなら、ご褒美が欲しいです……」
「何が欲しいんだ?」
「自分で考えて下さいな」
「そうだなぁ」
主人にちゃんと尽くしたのだから、メイドに褒美を与えるのは当然だ。
明澄もノリがよくメイドプレイを続行してくれ、おずおずとそう言い出す。
というか彼女が何も言い出さなくても、その可愛いらしい様子に彼の方から言い出していてもおかしくなかった。
「ちょっとこっちきてくれ」
「良いですけど」
「ほれ。これでどうだ」
庵は机の引き出しから猫耳を取り出して、明澄の頭に装着した。
所謂、猫耳メイドというやつだ。
「なんです、それ?」
「猫耳」
「それは、あなたが楽しみたいだけでしょう!」
「いや、可愛らしさをプラスしてやろうと思って」
「私利私欲しかないじゃないですか」
「んじゃ、にゃんって語尾も宜しく」
「にゃ、にゃあ、って、しませんからっ!」
流石に語尾まではサービスの範囲外らしい。
明澄はすんでのところで我に返り、耳を少し赤くさせながらそっぽを向くのだった。
そして、庵の作業は捗った。
もちろん締切も無事である。