第166話 色づく生誕
「びっくりした」
不意に距離を詰められ、庵は目を瞬かせた。視界は垂れた銀髪が顔の周りを囲んでおり、そちらはまるで雪景色。
カーテンにでも隠れたようでもあり、体の奥行を見つめれば、視線の先は質量を持った双丘に阻まれていて、より密室感がある。
獲物を捉えた妖魔みたいな瞳。握り拳二つ半ない距離にある唇。押し倒された体勢に心拍数を上げた庵の心臓が強く鳴った。
「……こうすれば、有利かなって」
なぜこんなことを、と明澄は彼の疑問的な目つきに、キスの余韻から濡れた唇で小悪魔的に紡ぐ。
どこかやや余裕なさげにしながらも、その大胆な行動の裏には強かな意志を宿していた。
「危ないなあ。押し倒し返されても文句言えないぞ」
「そ、それはっ、お、押し倒されるくらい……までなら、承知の上です……!」
口調は震えているが、明澄は逃げようとはしない。怖気づきそうな心をどうにか抑え込むようにきゅっと唇を絞る姿に、庵は緊張を解いて相好を崩した。
「俺が手を出さないの分かっててやってるな?」
「使える状況ならなんでも使って、庵くんを翻弄しようかなと思ってます」
緊張にあてられた頬はほんのりと赤い。宣言する明澄の手には力が入ったのか、ぎゅむぅとソファが鳴る。
「俺、今日の主役ですけど? 意地悪されるんですかね?」
「いつもとは違うテイストなら楽しみ方も変わると思いまして」
「物は言いようだ」
誰に似たか、口は達者になってきているらしい。
ふっと庵は笑みを零しながら、その気ならと、手をゆっくりと持ち上げて明澄の頬に手を添える。
少しだけ視線を泳がせた明澄が僅かに近付く。
そして、胸元で柔らかいものが潰れる感触と共にかすめるように唇が触れた。深くはない、直ぐに離れていく口づけ。
熱と吐息が間に残り、静寂に見つめる時間が過ぎれば二人は口元に弧を描いた。
「……なんかてっきり、私がプレゼントですーってやるのかと」
「し、しません! 庵くんは、私をなんだと思って……!?」
「やる時はやるカノジョだと評価を付けてる」
「そう、かもしれませんが。それは、品がない、ですし。……ですが」
「ですが?」
「……考え、なくは……なかったです」
言いながら明澄は決まりの悪い顔を逸らす。
冗談のつもりだったのに、明澄がそんな風に一回でも一瞬でも考えたなんて思わなくて、庵は眉を上に弾ませる。
動揺は見られなかったと思うが、やはり隠したかったのと理性が揺さぶられそうになって、明澄が背けた方とは逆に顔を向けて熱情から遠ざかった。
その時、ソファが軟めの座面で安定しにくいのか、明澄の腕がぷるぷるしていたので「崩れていいよ」と、庵は胸に引き込む。
さっきより胸板に押し付けられる感触が居心地悪いし、悪循環な気がしたが、再び戻ってきた幸せな温もりに誤魔化してもらう。
「で、誰に吹き込まれたんだ?」
「胡桃さんです」
「あいつめ」
「あと、澪璃さんも」
「まぁ、妥当なメンツか」
「それと葵さんとか」
「まだいるのかよ……」
「あとは……ざっと十人くらいは」
「もうそれ、俺らの関係知ってるやつ全員だろ!」
呆れたように一つずつ頷いていた庵だが、最後両手を指折りした明澄には、思わず甘い雰囲気をぶっ飛ばすようにツッコんでしまった。
「……まったく。けど、押し倒す明澄も明澄だぞ」
「……だ、だって! 皆さん、誕生日プレゼントについて尋ねたら、行け押し倒せっ! あなたがプレゼントだ、って言うんですもん」
言い訳がましく、というか明澄は他責思考丸出しで彼女たちに責任を投げる。言い訳を重ねるうちに、明澄は赤らむ顔を庵の胸元へと沈み込ませた。
明澄が相談した皆は、にたにたしながら唆したであろうと容易に想像がつく。
祝いのメッセージへの感謝より恨みのメッセージでも送っておくべきだったか、と呆れた庵は顎を上げるように天井側へ視線を逸らしつつ、小さく肺の空気を吐き出した。
「ばかやろうどもめ。こっちは付き合いたてだぞ。まだ高校生だし」
「高校生は関係あるんですか?」
「あるよ。主に学年。責任取れるの来年だぞ」
建前を取っ払うなら卒業や来年の誕生日を待てる自信はない。あと何回かお泊まりでも繰り返せば、枷が外れてしまいそうなくらいには彼女は魅力的な女性だ。
だとしても、なるべくそれを守りながら明澄を待つのが正しいと庵は思っている。
そうあって庵の口から出た「責任を取る」、その言葉に明澄は狼狽を顔に映す。
慌てて首を振った明澄が胸元から起き上がり、庵を見下ろしてたじろぎながら否定した。
「いっ、いや! 責任を取ってもらうような事を仕掛けるつもり……なんて、」
「明澄が何かするつもりがなくても、俺が手を出さない保証はないぞ? もしかして、期待してたとか?」
恋人としてはまだまだ浅いと思うしキスを数回重ねただけで、押し倒されたら段階を飛ばしたなと、嫌でも分かる。
明澄が嘘をついたとは思わないが、危ないことをしたと理解してもらうために腰に手を伸ばして意地悪に問うと、明澄の顔がぼわっと火が出そうなくらいに真っ赤になった。
明澄は腰に添えられた彼の手と庵の顔に視線を右往左往させ、何かを想像したのか、口をはくはくと開閉していた。
「やっぱりしたのか」
「す、するわけ! そんなの、はしたなすぎますっ」
「ほんとに?」
「ほんとです……!」
追い打ちをかけるように首を傾げたら、明澄は微量に目尻を釣り上げてより頬に色づかせていく。
抗議にも憤慨にもならない弱々しい反抗をしながら、なぜだか誘惑を断ち切るようにして庵の手をどかす。
「でも、俺からはそう見える事だってあるんだからな? 俺相手でも身は守ってくれ」
その気はないくせにやけに行動的で積極的なのが空回りして、自分が傷付く事だってあるのだ。
それは避けて欲しいな、と伝えるように彼女の柔らかな髪を指先で梳けば、また明澄が胸に降りてきてヘアオイルのフローラルな香りが流れてくる。
梳いた指先は明澄のうなじを撫で頬を擦ると、くすぐったそうに甘い吐息を漏らした明澄に毒気を抜かれ、しょうがないなと庵は頬をかいた。
「……こうやってされるの嫌いでしたか?」
「嫌いじゃないよ。嫌いじゃないから、困るんだ。こんなに可愛い小動物が甘えてきたら、ぐわーって煩悩が揺さぶられるんだよ」
「それは、ご迷惑をおかけしてます」
しゅん、としょげた様子で明澄は、ぱちりと瞳を伏せる。
「ほんとだよ。でも、嬉しい。明澄が誕生日をいっぱい祝ってくれて、こうしてたまには驚かされるけど、積極的なのもドキドキする。明澄が居なかったら今の俺はいないし、明澄のお陰でこういう毎日が楽しい。それは間違いない」
萎れる明澄に一度肯定しながらも庵は頬をそっと両手で包み込むと、親指で白磁器のような肌をなぞり、視線を自分へと固定させて、素直な気持ちも表に出した。
庵がそう微笑むと、真面目に耳を傾けていた明澄は喜びを浮き彫りにして、むにむにと口許を弛ませていった。
「だから、もう少しの間だけ大事にさせて欲しいと思ってる。それと、前に言った気がするけど、こんなにも焦がれるのは生涯ないって断言出来る。俺には明澄しかいないし、明澄以外は目に映らないから、明澄は安心して自分のペースでいて欲しい」
誠実でいたいという身勝手さは重々承知しているが、明澄が受け入れられるようになるまでは貫くつもりだ。
彼女はいつも自分の愛が重いと言うが、庵だって変わらないくらい重い。
きっと、ぶつけるのが明澄でなければ、敬遠されてもおかしくないくらいには重くある。
だからか、明澄は嬉しそうに笑った。同じ熱量を共有出来る喜びに、その瞳が幸福に溶けていた。
「……はい」
幸せそうに頷いた明澄は体をずらし上がってくる。それからゆっくりと目を閉じた明澄の髪を親指でかき上げて、その無防備な唇に吸い寄せられるように庵は自分のそれを重ねた。
先ほどよりもやや長く、味わい合う。離れ際、名残惜しそうに明澄が唇を食んでくるから、庵ももう一度欲しくなるのは仕方なかった。その唇を追いかけて噛み付くと、庵を跨ぐ明澄が腹上で身を捩り横腹が微かに締まった。
べったりとくっつき、体温と鼓動の速さが同期して身に刻まれる感覚に心地よくしながら、今度こそ別れて唇を吐息に晒す。
「その代わりちゃんと明澄が求め続けたくなる男でいるから……」
キスの合間、庵は言いたいこと伝え切って呼吸を整える。
再度明澄は「はい」と小さく喜色に富む返事をすれば、再三の口づけを求めて開いた赤い花弁を落としてきた。
ん、と切なく漏れた声に庵は燃え上がるような熱を感じる。明澄の唇を更に開かせてやりたい気持ちを抑え、怖がらせないようキスの深みはまだ先に取っておく。
それでいて悪戯心に、明澄の下唇を食みながら舌先を這わせると、明澄はくぐもった声で瞳を光らせて思わず庵のシャツを縋るように握り締めたが、拒みはしなかった。
「……また庵くんからばっかりです」
酸素を求めて触れ合う距離を鼻先まで戻すと、少々荒れた呼吸のあと明澄は逃げるように庵の肩口に顔を埋めて、悔しげか恨めしげにぽつりと呟いた。
「明澄もどんどんしてくれていいんだけどな? 情熱的でもウェルカムです」
冗談交じりの揶揄うような声に、ぴくりと体を揺らした明澄は「ば、ばか。庵くんの方が小悪魔ですっ」と、布越しに苦情を響かせた。
深い愛着の混じった笑みを浮かべた庵は彼女の背と頭部に腕を回す。明澄が首筋に顔を埋めているから、こちらからも見えるその首筋にそっと唇で愛情を軽く押し当てる。
誕生日だからと、強欲に美味しそうな白い肌を独り占めする気でその美しいラインを上下すれば、明澄はこそばゆそうに艶びた声を息に乗せた。
「……もう。好きなようにして良いですけど、明日は庵くんのご実家に行くんですし、見えるとこに痕付けちゃ駄目ですからね……?」
欲求の意のままに動いていたが、制止されると庵は大人しくなる。
ただ、見える箇所でなければ付けさせてくれるんだ、と好きな人に自分のものと証をつけたい男の欲望が逆に刺激されていく。
嗜虐的な笑みに変わった庵は明澄の耳元に顔を寄せると、誰にも聞かれないから必要ないのに低い囁き声を忍ばせた。
「見えないとこならセーフって事でいいのか?」
瞬時にびくんと明澄の肩が跳ねる。しかし、拒否でも抗議するでもなく髪を揺らし押し黙る姿に、揺れる感情がありありと見て取れた。
明澄が何も言わないうちに庵は首筋をなぞり、次第に降りていくと襟に引っかかる。だというのに構わず唇で押しのけて、ほんの少し侵入してやればトップスとは違う感触の黒い一本線に突き当たった。
「……っ」
さっき段飛ばしにしかけた部分を埋める行為。もうどこに口付けられるかなんて明白なのに、明澄は昨日までより深く触れ合う甘さに抗えないでいるのだ。
肯定と受け取った庵は起伏の手前で、ちうと強めに口付けて痕を残した。
雪肌を薔薇で彩る愉悦、無垢を穢す背徳。庵の唇が好き勝手に、それでいて反応を窺いながら微かに羞恥とキスの気持ちよさに震える明澄に痕を付けていった。
「……わ、わたしもっ……し、しますからね……っ」
暫く満喫していると、明澄は耳まで朱色に染め上げた顔を持ち上げて、キャパオーバー気味に告げる。
先にした庵の許可はあってないようなもの。シャツの裾を捲った明澄が、庵の硬質な肌に口付けるのは間のない事だった。





