第145話 弟子の文句
「なんてこった。半年ちょっと会わなかった間にこんな事になってたとは……。なんと言うべきかは分からんが、お前成長したなって事とおめでたいって事か」
「ありがとう。けど、ここまでやってこれてるのはあんたのお陰だよ」
明澄の正体を明かした後、庵は交際するまでに至った経緯を吉斗に話した。
終始、口から驚きを連続して繰り出す人形みたいになっていたが、担当に手を出したという所も誤解なく納得したらしい。
最終的には朗らかに笑いつつ祝ってくれるという結果に着地していた。
「で、だ。俺は言いたい事があってここに来たんだが、分かるだろ?」
「あぁ、友達のバイトの『違う』」
ずい、と身を四分の一くらいに手前に乗り出した庵は吉斗の言葉を遮って、鋭い眼光を向ける。
「あんた、結婚したのを年賀はがき一枚で済ませただろ。相手の紗優さんは俺も世話になったし、せめて事前に連絡くらいはくれたっていいじゃないか」
今日、庵がここへ出向いたのは用件が二つあったからだ。
一つは胡桃のバイトの件で、もう一つが彼の結婚についてだった。
本気で怒っている訳じゃないが、ちょっとした文句を表明しに来たのである。
「いやあ、でも俺たち海外で挙式したし、お前学校あったろ」
「だそうですよ、庵くん。芝居先生のお気遣いもあったと思いますから、ね?」
「それでも言って欲しかったなあ。と言うか、師匠の結婚式なら海外でも駆け付けるよ。随分前だけど紗優さんには参列して欲しいって言われてたしさ。それに、姉弟子も呼んだんだろ」
「いや、あいつは勝手に嗅ぎつけていつの間にかそこにいた」
「あ、あー、うん。そうか」
「姉弟子……?」
これまでイラストレーターかんきつと関わりのあるリアルの話題は、問題が多過ぎて話していないものが多くある。
庵の姉弟子についてもその一つだ。庵は姉弟子を尊敬はすれど良いように思ってないから口にしていなかった。
この二人の会話は明澄にとって、未知というか話についていけないことだらけだろう。
明澄は首を半分ほど傾けていた。
「すまん。分からないよな。殆ど会った事ないけど、俺には一応、姉弟子がいるんだ」
「いや、お前ら弟子じゃないぞ。弟子なんか取った覚えないし」
「既成事実みたいなもんだろ。まぁ、あの人を弟子と思いたくないのは分かる。あれは本当に駄目だ」
「庵くんがそこまで言うのは珍しいですね。姉弟子さんの話は一度も聞いた事がありませんけど、それも関係してますか」
「そうだ。あのコスプレ女はヤバい。配信で話題に出そうものなら、飛んでくるぞ」
「なんです、それ? 名前を呼んではいけないアノ人みたいな」
「いや、ほんとだぞ。あと、多分明澄も知ってるとは思う」
「え、誰でしょう」
苦そうな顔色の庵は辟易したように語る。
あまりにもファンタジー地味たためか、冗談に捉えた明澄はくすりとしたが、語る庵と傍で聞いている吉斗は一切笑みを見せない。
庵は姉弟子を恐れているのだ。
ここで語りはしなかったが、庵曰く主人公でありラスボスのような存在だと評価している事に加え、最近では庵と同じように配信界隈に参入してきた挙句、最高の相棒を見つけたらしくやりたい放題しているから質が悪かった。
「話が逸れたな。それでさ戻すけど、うちの親父と母さんも式に呼んでたってな。じゃあ俺も呼んでくれよ」
「先輩は流石にな。俺の恩人だし」
「あんたも俺の大恩人だよ。だからこそ祝う事くらいさせて欲しかった」
「庵は優しい奴だからって気を遣い過ぎたか」
「そうだぞ。俺、ピアノとか弾くつもりでいたんだからな。まぁ、色々考えての事は知ってるから、強くは言わない。詰めるような事をした俺も悪かったです」
軽く頭を下げ合う程度だが、それでいい。
実の所、本当に聞き出したいものは引き出せなかったが、話さなかったからには事情があるのだろうし、それだけでも収穫だ。
そしてそれを横で見ていた明澄は、どうしてそこまで言い合ったんだろう、と分かっていなさそうだったが、男同士の話が彼らにはあった。
ただ、次の話題で彼女は庵の気持ちに一つ肩入れするようになる。
「今のVの仕事を紹介したのも俺だしさ。人生の転機を与えたのはこっちだ。気持ちを分かってやれなかった。悪い」
「あ、そうだったんですか!?」
明澄は再び口元を抑えながら目を見張る。
VTuber京氷菓は、個人から事務所に所属するにあたって、元のキャラデザをベースに一新した。
明澄が自らイラストレーターを探したのではなく、事務所が手配し当時はマネージャーを介して明澄と引き合わせたのである。
その手配がどう行われたか彼の一言で明るみになって、やっと庵の強い感謝から来る吉斗への祝いたい気持ちが理解出来た。
「ぷろぐれすの社長、葛西に庵を紹介したのは俺だ。元はこっちに話が来たんだけど会社所属で無理だし、庵に回したのさ」
「そうでしたか。まさか、芝居先生が絡んでいるとは思いませんでした。どこで、繋がるか分からないものですね。先生、本当にありがとうございます」
「お、おおぅ。どうも」
庵の存在は明澄の心のスペースを今では果てしなく占有している。
彼のイラストをこよなく愛しているし、その師匠であり庵と出会うきっかけともなれば、爆発する思いがあるのは当然の帰結だっただろう。
ぴんと正した姿勢から放たれた熱い謝恩の気持ちに包まれた言葉は、吉斗を圧倒したほどだ。
「そういう訳でだ、師匠。結婚おめでとうな。これ、俺から。それと彼女にも伝えておいてくれ」
「なんか、厚いなこれ」
庵から差し出された祝儀袋を手に取った吉斗は「おいおい」と怪訝な面持ちを作る。
相手が困るような非常識な額は入れていないが、間違いなく相場の厚みではなかった。
「気持ちだからな」
「そうか、じゃあ貰っておくよ。ありがとう。で、いつか返してやろう」
吉斗は一回りも年下から戴くのは忍びないと思ったのだろう。申し訳なさげな手付きで祝儀袋を手前に寄せる。
とはいえ、この場で返すなんて無粋な事はせず、代わりに庵と明澄を一度ずつ見やって口の右端を歪めた。
要らんことを言うな、と内心で庵は悪態をつくものの、明澄は不思議そうにぽやんとしていて気付いていない様子だった。
「まぁ、庵の事も伝えたら紗優も喜んでくれると思う。あいつには迷惑掛けたからなあ。今日は土産になるよ」
「だろうな。オレが中学前には結婚秒読みと思ったくらいだぞ」
「そこまでですか」
「ああ。正直、俺のヘタレ加減より酷い」
「んな事言うなよ。てか、お前もヘタレ野郎だったのかあー? 苦労してそうだなあ、水瀬さんも」
「ふふふ。ご想像にお任せします」
ははあ、なるほど。と、庵とその師を視界に入れつつ、明澄は得心がいったように心の中で頷く。
庵のイラスト技術は以前よりちょくちょく話していたこの師が由来なのは分かっていたが、家族とはあまり良好そうではなかったから、優しく気を遣えるし、甘やかしてくれる性格だとか孤高そうに見えて意外と対人スキルを発揮出来る所とかどこで得たものなんだろうと疑問だったのだ。
そうか師匠に似たんだなと、そこでにまついて揶揄う吉斗と「うるせ」とそっぽ向く庵を、明澄は微笑ましく眺めていた。
すみません。最近牧場物語が楽し過ぎて、手が進んでませんでした。
時間が溶けすぎて、いつの間にか零時超えてるんですよね。
余談ですが、実は庵くんの師匠は女性にするか男性にするか直前まで悩んだんですよね。けど、女性だったらこんなヘタレになる教えはされてなさそうと思って男性になりました。
代わりに姉弟子という存在が生まれたり……彼女はいつか出ます。