第137話 球技大会開幕
「ははは! 見事にお尻に敷かれてるわね」
「えっ、胡桃? HRは?」
先の一部始終を目撃していたようで、快活な笑い声を上げながらぬっと胡桃が現れた。
腕組みして嬉々としたその顔は揶揄う気満々。庵が嫌そうにしたのものの、HR間近とあって驚いた奏太が堰き止めていた。
「今日はナシみたいよ? さっき先生が言ってた」
「あ、そうなんだ。こっちは先生来てないな」
「その内広まるから良いでしょって思ってるんじゃない? けどお陰でいいもの見たわ。見事な操縦っぷりね」
「胡桃さん、おはようございます。お見苦しい所をお見せしました」
「見苦しいって……」
手を前で組んだ明澄はにこりとする。
明澄の毒舌は付き合っても健在らしく、久しぶりに聞いた気がした。
彼女にこんなことを言われると普通に恥ずかしい。
さらっと酷い事を言われた庵が渋面を作りつつ「俺の彼女が辛辣過ぎる」とボヤきながらも、最近緩んでいたなと引き締める気持ちが入った。
明澄に目を合わせると、こちらにもにこっとされたので、恐らくこれもコントロールされているのかもしれないと庵は気付く。
聖女様恐るべしだった。
「庵。分かるぜ。身内に厳しいと大変だよな」
「三人ともしっかりした女を捕まえたのを感謝する事ね。しかし、明澄も彼女っぷりが板についてきたんじゃない? 将来、庵に跨って手綱握ってるのが目に浮かぶわ」
「俺は馬かよ」
「庵、諦めた方がいい。多分オレたちは勝てないからね」
「お前。もう……」
颯人から肩に手をやられ、胡桃がふふんと胸を張って、更にもう反対の肩に奏太が手を置く。
勢いのない口ぶり、諦めた瞳。
いつも胡桃の方からべたべたと奏太へくっつきに行くから、このカップルはてっきり奏太の方がリードしていると思ったが、庵の見当違いだったらしい。
去年はそんな事なかったはずだが、どこかで逆転したのかもしれない。
「そもそも。どちらにせよ、よ」
「何がだ?」
「その内分かると思うわ」
意味深そうに言う胡桃を訝しむが、彼女はニヤリとしてスカす。
代わりに明澄に向かって、「ね?」と同意を求めたものの明澄は「?」と小首を傾げていた。
余計に訳が分からなくなって庵と颯人も眉間に皺を寄せる。
隣では奏太が悟ったような顔をして「はは……」と乾いた笑い声を漏らした。
「どう言うことだ?」
奏太にぼそりと尋ねるも、帰ってきたのは「知らないなら聞かない方がいい」とだけ。
そう言う彼の瞳からはいつの間にか光が消えていた。
きっと胡桃からの何かが矢印として向いているのだろうが皆目見当もつかない。
一体どんな目に遭っているのか、と恐ろしくなりながら最後に「夏休みが怖い」と奏太が呟いているのが耳に入った。
結局それ以上は聞けなくて、謎のやり取りを含んだまま庵たちはグラウンドに向かう。
一方、胡桃がこそこそと明澄に耳打ちして彼女が顔を真っ赤にしたのだが、誰も気付いていなかった。
そして彼はこの夏、その意味を知る。
♯ ♯ ♯
球技大会はぬるっと始まった。
熱中症予防ということで、開会式はストレッチ含めて十分にも満たない時間で終わった。
庵たちの試合はトーナメントの第二試合。
颯人がサッカー部員なので第一試合のレフェリーとして持ち回りでそちらに、しばらく試合のない女子は日陰の方に移動。残りの男子はグラウンドの脇のスペースを使って軽いボール回しをしに散っていった。
「いやぁ、流石に暑いね。ちょっとシード欲しかったかも。しかもこっちの山勝ち上がったら全部三年なんだよね」
「くじ引いたの保健委員だっけ」
「あの日体育委員が休みだったから、小鳩さんに引きに行ってもらったんだよ。けど彼女くじ弱いからね」
「なんで分かってるのに引かせたんだよ。可哀想だろ」
「あと、彼女実は謝ってたんだよね。くじ運良かったら、聖女様たちが巻き込まれなかったのにって」
「それは意味不明だな。というかやっぱ可哀想すぎる。今度、明澄から声掛けて貰っとくわ」
明澄の誕生日の直前、ちょっとした事件がありつつも解決したはずなのだが、どうやら別のところに影響が出ていたらしい。
小鳩は確か控えめな性格だったな、と庵は思い出した。
女子生徒なのでフォローは明澄に頼んだ方がいいだろう。それに小鳩を近くで見かけたので、試合観戦をする予定だとすると初戦から気を遣う。
だがしかし、それもすぐに解消される事になった。
コートの端の方を通っていたところ、次の試合の相手だからだろう。偶然例の男子生徒とすれ違って視線が交錯したのだ。
「……」
「……」
お互いに無言だった。特に話したいとも思わないし、どうでもいいのが本音だ。
向こうも争うつもりはないのだろう。気まずそうにしているのが見て分かる。
何もしないなら庵も構うつもりがないし、何もなかったかのように立ち去ろうとしたが、何を思ったか奏太が話し掛け初めて、庵はびっくりした。
「やぁ」
「ひ……」
一言。たった、一言。
しかも爽やかな笑みだ。女子生徒相手なら黄色い声が上がるか、瞳にハートを宿すところ。
しかし、彼は怯えた様子で情けない音を歯の隙間から鳴らしている。
二人の間で何かあった事を庵は察知した。
「庵、君は何をしたんだ? 怯えてるじゃないか」
「どう考えても俺じゃないだろ。お前こそ何やった?」
「いや、ちょっとこうあの後、語り明かしただけだよ」
「それ、語り手は拳だろ。この元ヤンめ」
白々しく言う奏太を肘で小突く。
奏太の中学時代は少し荒れていたと聞いているので、血が騒いだのかもしれない。
謹慎や停学を食らうような真似はしないだろうが、奏太は怒らせると怖いのだ。
少し彼の部活を覗きに行った際、悪ふざけをした下級生をきっちり躾ている所を目撃した過去が庵にはある。
怒鳴る、とか声を荒らげるのではなく、ひたすらに淡々と怖い。
明澄がにこにこと怒る時に似ているかもしれない。
「まぁ、オレの好きなもので友達を傷付けようとしたからね。それは報いを受けてもらうよ。なに、本当に話し合いをしただけさ。ちょっと彼の服が縒れたかもしれないけど。ね?」
奏太は笑みを浮かべたまま、彼に同意を求める。
圧力はない。多分事実なのだろう。
会話を振られた男子生徒は、「あ、ああ」と首を縦に振る。
「おい。胸ぐらを掴んだだろそれ」
「肩を組んだだけだよ」
「怖い組み方したな、お前?」
はぐらかすように言う奏太だが、彼が何をしたかありありと想像出来る。
庵の方が身長は高いのだが、筋肉量は間違いなく奏太の方が上だ。
握力も恐らく奏太が勝っているだろうし、鍛え上げた肉体で寄られたら、怖いに決まっている。
「も、もう行っていいか?」
「どうぞ。いい試合にしようねー」
当事者であるにもかかわらず、ほぼ放置気味にされた彼は気が抜けたようにしつつ、了解をとって向こうのクラスメイト達に合流していった。
庵もあの時は苛立ちを覚えたし、突っかかった良い罰だろう。
ただ卒業するまで同学年の生徒に怯える生活は同情する。
そうして、十数分後に始まった試合は奏太が二ゴールと一アシストで蹂躙した。