9話 聖女様のチョコと配信前
「やーっと終わった。疲れ死ぬかもしれん」
「まだ一日目だけどね」
テストが終わり放課後になると庵と奏太は、だらだらと歩きながら自宅へ向かっていた。
休暇明けの身体にテストというのは中々堪えるもの。残り二日はこれが続くのかと思うと、疲れがどっと増した。
「テスト対策助かったわ」
「こっちも美術の課題ありがとうな」
友人らしく互いに長所や得意な分野で助け合って、冬休み明けを乗り切ろうと頑張っていた。
特に庵はイラストレーター、それも神絵師などと言われるプロだ。奏太には正体を明かしてはいないが、バレない範囲で技術力を活かしつつ彼の美術課題などをよく手伝っている。
普通の高校生である奏太にとって、絵が上手い庵は頼もしい存在だろう。因みに庵の芸術科目の選択は書道だ。
美術だと何かの拍子にイラストレーターだとバレるかもしれないし、書道なら程々に美術センスを活かせるだろうと思って選んでいた。
「んじゃ、こっちだから」
「お疲れ様」
学校から五分ほど歩いたところにある住宅街の十字路で、奏太と別れた。庵の自宅はここから更に十分ほど歩いたところにある。
一人になった庵は住宅街を抜けて市街の方へ出る。
自宅付近まで帰ってくれば、暖かい飲み物やテスト勉強用の栄養ドリンクを求めて近くのコンビニへ寄ることにした。
いざコンビニに入ろうとしたところで、庵はほぼ毎日出会う銀髪の少女の姿を見つけた。
「あ。今、お帰りですか」
「おう」
コンビニから出てきた明澄は、両手を温めるようにホットコーヒーが入ったカップを持っていた。
「お昼ご飯ですか?」
「いや、暖かい飲み物と栄養ドリンクをな」
「そうでしたか。やはりお疲れ気味なんですね」
「ま、そのためのドリンクだし、テストはあと二日だし配信も今日くらいだからな。大丈夫だ」
朝のやり取りのように庵の目の下にはまだクマが残っていて、栄養ドリンクと聞いた明澄は心配そうな表情を浮かべた。
二日乗り切ってしまえば何とかなるし、そもそも普段から勉強していない自分が悪い。朝と同じように気丈に振舞った。
「そういえば、良いモノが有りますよ。これ食べますか?」
「チョコか」
「ええ。疲れた時は甘い物と言いますし、糖分補給は大事ですからね。よければどうぞ」
手首に提げていた袋から板チョコを取り出した明澄が、チョコの銀紙を剥いで庵の方へ向けてきた。
夕食を世話になっているお礼もあるのだろうか?
どうやら食べろ、ということらしい。
断る理由も無ければ気遣いを無碍にするのも悪い。庵はありがたく貰っておくことにする。
「さんきゅ。貰っとくわ」
「どうです? 美味しいでしょう?」
「あー染みるわって、あ……」
「?」
けれど、彼は少しだけ選択を間違えた。庵は差し出されたチョコに直接口をつけてしまったのだ。
二人には身長差があるので、チョコは上を向けて差し出される。それが庵からは口元に向けられているように見えて、反射的に齧ってしまった。
庵が少しだけ固まる。
「悪い、直接口をつけちまった」
「ふふっ、大丈夫です。私が割って渡せば良かっただけですし、別になんともないですよ」
慌ててすぐに謝るが、明澄は笑いながらチョコを口にする。
気にしてない、とアピールしたかったのだろう。
しかし、咀嚼している内に段々と明澄の顔は俯いていく。明澄は黙って誤魔化すようにもぐもぐと口を動かしていた。
「……気にしてんじゃん」
「言わないでくださいっ!」
そんな明澄を見て庵も恥ずかしくなって、思わずボソッと指摘する。
さっきまで甘かったチョコの味なんてもう分からない。
「新しいの買ってこようか?」
「い、いえ、大丈夫ですから!」
店内へ向かおうとするが、既に口にしてしまった今新しいのを貰っても仕方がない。少しだけ明澄は無理に笑いながら庵を引き留めた。
「……あの。では夜の配信、よろしくお願いします。それまでお身体を休めて下さいね」
「ああ。そっちもな気をつけて」
「……はい」
そうして互いにいそいそとしながらその場を後にする。二人共に取り繕うけれど、それは年頃の男女にとって思わぬハプニングだ。
マンションに向かう明澄の耳は少し赤くなっていて、庵の口の中は今になってチョコの甘さと苦味が押し寄せて来るのだった。
「遅いですね」
「遅いな」
午後八時半頃。
庵と明澄はパソコンの前で今日のもう一人のコラボ相手を待っている状態だった。
既にテスト勉強や仕事を終わらせているので、後は配信さえしてしまえば忙しさから解放されるのだが、待ち人現れずと言った感じで二人は困っていた。
とはいえ、最初通話を繋いだ時に昼間の気まずさが残っていたから、この待ち時間の間にすっかりと消え失せたこともあって有難くはあった。
「どうもー。お二人さん、遅れてごめんねー」
そんな腑抜けたような声が、ディスプレイ越しに聞こえたのは配信まで十分を切ったところだった。
「あの、放送まで五分も無いのですが?」
「まぁまぁ、零七も忙しいんだろうし」
「ごめん、寝てた。てへぺろ」
「てめぇ……」
ようやく現れた相手に明澄が冷たいトーンで咎め、庵がフォローする。ただふざけた口ぶりに庵が手のひらを返して怒ったりと、およそ配信間近の会話とは思えなかった。
一定の信頼があるといえば、聞こえはいいか。
今日のコラボ相手は、九重零七と言い、明澄とは事務所の同期生だ。
明澄の親友とも言うべき存在で、庵が混ざってよくコラボをする仲間だった。
余談になるが、零七の担当絵師と庵は面識があったりする。
彼女は薄青の髪に眠たげな表情をした小柄な少女で、ゲーム好きのオタクという設定のVTuberだ。チャンネル登録者は五十万人を超えるこれまた人気の配信者で、同期たちの中では明澄とツートップを飾る売れっ子なのだ。
「最近寝てなくてねぇー。ま、進行表には目を通してるから」
「それなら良いですけどね。あと、倒れないようにちゃんと寝て下さいよ」
「俺たちも人のこと言えないけどな」
「ふふっ。ですね」
人気配信者とイラストレーターの三人は、はっきりいって年始の今はかなり忙しい。何せ零七も学生だし寝不足なのも時期的に大方テスト関係だろう。
「あれ? 二人共、何かあった?」
「何かとは?」
「う〜ん、なんだろ? でも何か距離感近くなったよね」
「勘違いじゃないか?」
鋭い。零七はのんびりとして鈍感そうな少女なのに、かなり目ざといようだった。全部バレているんじゃないかと思うほどの鋭さを感じる。
とはいえ、まさか二人がお隣同士で配信しているとは思うまい。
「もしかして、ヤッた?」
「下品ですよ」
「お前一応、アイドルだろ」
「はっ、そんなものはとうの昔に捨てたわ」
包み隠くすことなく最低な事を平気で零七は口走る。明澄は慣れているのか薄い反応だった。
庵が呆れながら窘めるも、彼女はさらに吐き捨てるように言い放つ。
あけすけな物言いだが、彼女の愛らしい見た目とはギャップがあって、これがまたファンからのウケが良い。庵たちも零七とは気を許せる関係だからこそ、個性と認めて受け入れているのだ。
三人の関係性を簡単に言うなら、悪友みたいなものだろうか。友人が少ない庵にとっては、ちょっぴり貴重な関係だ。
「全く、初期の頃のあなたはどこに行ったんですか……って、そろそろ時間ですね。始めましょう」
「あいよ」
「ほいほい」
ロクに打ち合わせもせず駄弁っている間に配信の時間を迎える。
明澄は二人で清楚コンビとして走り抜けてきた配信初期の頃を思い出し、悲し気に言いながら配信開始のボタンを押すのだった。