#18 夫婦生活
「幽霊」になれる理由は、実はよく分かっていない。
だがそれは、なんとなく分かる。
ヒルデはこの公爵家の5番目の娘。ヴェルナール様の8人の子供の、一番末だ。
ヴェルナール様には、正室の他に3人の側室がいる。その側室の一人から生まれたのが、ヒルデだ。
この銀色の髪の毛は、母親譲りだという。だが母親は、すでにこの世にはない。ヒルデが幼い頃に、病で亡くなったそうだ。
彼女は末の娘ということもあり、ヴェルナール様には随分と可愛がられているらしい。だがそれは一方で、窮屈極まりない原因でもある。
なにせ、あの通りの人物だ。礼儀作法にうるさく、貴族令嬢はかくあるべきというものを、ヒルデにも徹底的に植え付けていた。
おまけに、あまり外出もさせてもらえないため、ヒルデは王都の街のことをほとんど知らないまま育つ。だが彼女の本性からは、とても籠の鳥などで甘んじられるような娘ではない。父親とは真逆の新しい物好きで、好奇心旺盛。そんな彼女にとって、ここは居心地が良い場所とは到底言いがたい。ストレスは、溜まる一方だったのだろう。
そんな彼女が「幽霊」になったのは、3年ほど前のこと。
毎日、日が沈むとすぐにベッドに横になり、目を閉じる。だが彼女はすぐには寝付けない。ベッドの上でただ目を閉じて、眠りにつくのをじっと待つ。そんな毎日を過ごしていたが、3年前のある日、いつも通りベッドで目を閉じて眠りにつくのを待っていたら、気づけば見たことのない場所に立っていたという。
それが、あの交差点だ。だがあの場所は、灯りもない真っ暗な場所。最初は、そこがどこだか分からなかったようだ。それが毎晩のように続くが、彷徨ううちにそこが王都の外であることを知る。
どうやら外に出られないストレスが高じて、魂だけが飛び出した、といったところか?話を聞く限りでは、そうとしか考えられない。だがなぜあの真っ暗闇の郊外の交差点なのか?その理由は、よく分からない。
いや、ストレスが高じて幽霊になったというだけでも、かなり飛躍した話だろう。そんな理由で生霊になれるのなら、もっとたくさんの幽霊が彷徨っていてもおかしくない。だがそんな話は、ヒルデだけだ。
ともかく、それから彼女は毎晩、彷徨うようになる。まずは王都の中に入り込み、貴族街や平民街、市場に王宮にと出かける。探索し尽くすと、今度は反対に王都の郊外へと行ったこともあるという。だが、眠りにつくまでの1、2時間ほどが行動限界であり、出発地点はいつもあの交差点だから、さほど遠くまでは行けない。王都はともかく、郊外は森や畑くらいしかないから、さすがにだんだんと飽きてくる。
ところが2年ほど前に、我々が現れた。空から降りてくる巨大な船。初めて駆逐艦が街にやってきたその日は、王都中が大騒ぎになったようだが、ヒルデはその時、空に浮かぶ灰色の駆逐艦を見てこう思ったらしい。
疾風怒濤の時代がやってきた、と。
それから程なくして、王都のすぐそばに宇宙港が建設される。そこは当然、ヒルデの新しい探索場所となる。そこで彼女は毎晩、嬉々としてその新しい街へと向かう。
「……それはそれは煌びやかで、不思議で、刺激的なところでした。馬もないのに走る馬車、夜でも昼間のように明るく賑わう市場、見たこともない服や鞄。そして私は、ここの人々の持つスマホと呼ばれる不思議な板に出会ったのでございます」
ヒルデは最初、人々が手に持ってじっと見つめているこの黒い板を、通行証か何かだと思っていた。が、よくみるとそこには、不思議な模様が描かれている。しかもその模様は、触れた指の動きに合わせて変わる。あれは一体、何物か?
好奇心の旺盛な彼女は、早速その不思議な板に興味を抱く。だが、宇宙港の人々のそれに触れようにも、持ち主がさっさとどこかへ去ってしまうため触ることもできない。誰もヒルデのことが見えないため、いや、見えたとしても、裸足で寝間着姿の娘など相手にしてくれない。
だが、どうしてもあれに触りたい。そんな欲求がたまりにたまったある日のこと。いつものようにあの交差点に出現すると、目の前にスマホを持つ僕が立っているのが見えた。
道に迷って、スマホの地図アプリを見ていた僕の後ろから、ヒルデはスマホを眺めていた。そして好奇心からたまらず手を伸ばし、画面に触れた……
ああ、忘れもしない、あの晩の出来事だ。あれからもう、2ヶ月が経とうとしている。
「あの時のラウル様は、私の姿が見える上に、私のためにわざわざ毎晩あそこに来て下さったんです。毎日が本当に楽しかったのですよ」
「いや、だって約束だったし、いつも嬉しそうに眺めてるから、つい……」
「うふふ、そういう実直なところが、お父様も気に入られたのかもしれませんわね」
赤いドレスを纏い、僕のすぐ脇を歩くヒルデ。この2ヶ月の間、彼女とはほぼ毎日会っていたのだが、こうして会話しながら歩くのは初めてだ。
ところで今、僕らは王都の郊外にいる。夕日で赤く染まる空の下、僕とヒルデは、僕の宿舎に向かって歩いている。
会ったその日に、なんとヴェルナール様はヒルデに、僕の住む宿舎に行くようヒルデに言い渡す。僕は部屋が狭いことを理由に断ろうとしたのだが
「今日からお前は、ラウル殿のものである!」
とだけ言い、僕とともに帰るよう言い渡す。それで彼女はほぼ身一つで、僕と共に宿舎に向かって歩いているというわけだ。おそらくだが、僕の気が変わらないうちに、この婚姻話を既成事実化したかったのだろう。
だけど、無茶な話だ。僕の部屋には、ヒルデの使う品が全くない。だから、着替えなどを買い揃えなきゃいけない。歯ブラシや食器くらいなら、帰り道のコンビニで買えばいいか……僕は頭を悩ませる。
しかし、当のヒルデは屋敷を出られて喜んでいる。籠から放たれた鳥のように、この赤いドレスのお嬢様は、野に解き放たれ得られたこの自由を満喫しているようだ。
さて、帰る前にどうしても寄らなければならないところがある。この街にある役場だ。そこで、婚姻手続きをする。短い手続きののちに、僕らはこちらのデータベース上でも夫婦となった。出会って2ヶ月、いや、表向きはたったの3時間で、夫婦となってしまった。
いかに変化の速いこの街にあっても、今日の僕の変化の速さには及ばないだろう。その日のうちに公爵令嬢と結ばされて、しかも一緒に住むことになろうとは、おそらく宇宙中探してもこんな経験をした軍人はいないと思う。それに、ここ数日の事件のことを考えても、おそらく今が僕の人生で、もっとも波乱に富んだ日々だろう。
その役場で、ヒルデはこちらの住民であることを示すカードを受け取る。これがあれば、ヒルデは「こちら側」の人という扱いになり、この街に自由に出入りができるようになる。
そして僕とヒルデはコンビニに寄り、たくさんの荷物を抱えたままいつもの交差点にたどり着く。日はすっかり暮れていた。
すると向こう側から、いつものようにあの人物がやってくる。
「やあ、ラウル。相変わらず今日もアーダさんと一緒……って、おいラウル、今日のアーダさん、いつもと違う服を着てるぞ?」
訝しげな顔でじーっとアーダ……じゃなくて、ヒルデを見つめるレーリオ。そのレーリオに、ヒルデは応える。
「生身でお会いするのは初めてですよね、レーリオさん。私、ラウル様の妻、ヒルデガルドと申します。以後、お見知り置きを」
突然喋り始めたヒルデに、仰天するレーリオ。
「お、おい、喋ったぞ!しかも妻って……ラウル、一体これはどうなってるんだ!?」
そりゃあ動揺するだろうな。僕本人だって驚いてるんだ。この変化の大きさに。
「その辺りの事情は、いずれゆっくり話すよ。それよりもレーリオ。お前これから、どこに行く?」
「あ、ああ、いつもの用事だよ」
生身の「アーダ」に動揺しつつも、これから向かう場所を尋ねると、いつものようにごまかそうとするレーリオ。そこで僕は、ちょっと強気に出てみた。
「レーリオ!」
僕の叫び声に、ピクッと反応するレーリオ。
「な、なんだよ急に……」
「僕はもう、知ってるんだよ!レーリオが毎日、どこで何をしているか、ということを!」
「ええーっ!ほんとかよ、それ!?」
「明日はちょうど休日だ。そこで明日の12時に、ショッピングモールの3階にあるパンケーキカフェに来るんだ。それがどういうことか、分かるよな?」
「そうですわよ!どういうことか、お分かりかしら!?」
なぜかここに、ヒルデまで参戦する。そういえばヒルデもあの自慢の第六感で、レーリオのことに気づいているのかも知れないな。2人に凄まれて、レーリオのやつ、タジタジになっている。
「わ、分かった!行くよ、明日の12時に!」
「ああ、待ってるからな!」
そう告げると、いつものようにそそくさと王都へと向かうレーリオ。その後ろ姿を見届け、再び宿舎へと向かう。
「ところで、ラウル様」
「なんだい、ヒルデ」
「今、レーリオさんに『分かってる』と仰ってましたが、何が分かってるのでございますか?」
それから10分ほど歩いて、ようやく宿舎に着く。3階建てのこの小さな宿舎の2階に、僕の部屋がある。
そこは2つの部屋があるが、一つはほぼ空っぽだ。そこがヒルデの部屋になるのは、間違いない。本人も空っぽのその部屋を見て、なぜか喜んでいる。
「そういえば、ヒルデ」
「何でございますか、ラウル様?」
「この数日間、いつもの場所にこなかったけれど、何をしていたの?」
「ああ、疲れて寝込んでました」
「疲れてって……」
「だって、あれだけ頑張ったんですよ。そりゃあ疲れますわよ。あれから3日間ほど、ベッドで寝込んだまま毎日食べまくっておりましたわ」
ここ数日、姿を見せなかった理由を尋ねてみたが、なるほど、言われてみればあれだけの無茶をやったんだ。そりゃあいくら幽霊の時の所業とはいえ、寝込むだろうな。しかし、食べまくってとは……どういうことだろう?
さて、初めて見るこの部屋に、好奇心旺盛なヒルデの興味が湧かないはずなどない。まず目についたのは、キッチンにある自動調理ロボットだ。
「なんですの、この気持ち悪い腕は!?」
「ああ、これは自動調理ロボットと言って、料理を作ってくれるロボットなんだよ」
「ええーっ!?この化け物のような腕が、料理を作って下さるんですか!?見たい、見たいです!この化け物が料理するところ、今すぐ見たいです!」
化け物だと言いながらも、バンバンとそのロボットアームを叩くヒルデ。でもヒルデ、お願いですから、あまりロボットを叩かないでもらえます?
そこで僕はタブレットを取り出し、料理を選ぶ。と言っても、食材に限りがあるため、今冷蔵庫にある材料で作れるメニューしか表示されない。
「ヒルデはどれが食べたい?」
「ええと、そうですねぇ……」
スマホも使いこなすヒルデにかかったら、タブレットの操作などお手の物だ。パパッとページをめくり、料理を選ぶ。
にしてもヒルデさん、ちょっと近い、近過ぎる。そういえば、いつもは僕の身体をすり抜けてるから、顔を寄せることに抵抗がない。だけど、僕みたいな男にそんなに顔を近づけたら、ただでさえ免疫がないのに、心拍数が跳ね上がって仕方がない。
結局、オムレツを2つ作ることになった。調理開始ボタンをタッチすると、早速あのロボットが動き出す。
「うわっ!動いた!」
そういえば最近はアーダと会うために、早めに夕食を済ませるようにしていたから、休日を除くとこのロボットはほとんど使われていないな。珍しく、夕飯のために調理ロボットを起動することになった。
フライパンを片手に、器用に料理を作るロボットの動きを目で追いかけるヒルデ。そんなに面白いかなぁ、このロボット。そして、出来立てのほかほかのオムレツが2つ皿の上に乗せられると、ヒルデは目を輝かせる。
スプーンを持ち、初めて見るこの黄色い物体にそれを突き刺す。中から肉汁と、細かく刻んだタマネギがこぼれ落ちる。あかりに照らされてキラキラと光るタマネギのように、ヒルデの目もキラキラと輝いている。
ヒルデはつい先月、二十歳になったばかりだ。なのにまるで子供のように、何もかもが面白くて仕方がないらしい。オムレツ一つにここまで興味津々な人を見たのは初めてだ。
これじゃあ、あの公爵家での生活は苦痛以外の何ものでもないだろうな……そんなことを思いながら、僕はオムレツを口にする。
食事が終わると、今度は僕の部屋にやってきて、引き出しやクローゼットなどを片っ端から調べ始める。まるで浮気現場を押さえようとする妻の姿だが、もちろん僕は浮気もしていないし、彼女もそんなことを追及するつもりで部屋を捜索しているわけではない。彼女を突き動かすのは、目についたあらゆる謎を明らかにせずにはいられない、「好奇心」という名の人の心の奥底に潜む悪魔のようなものだ。
何が嬉しいのか、僕の下着を見つけては大喜びだ。考えてみれば、ヒルデは男の下着など見たこともないだろう。特にパンツが面白いようで、涙を流しながら笑っている。
うーん、自由になりすぎて、発狂してしまったのではあるまいな。僕は少し、心配になる。だが、一通り探索を終えると、ようやくヒルデは大人しくなる。
「さてと」
ヒルデは不意に、僕の手を握る。僕は慌てて尋ねる。
「あ、あの、ヒルデさん?ど、どうかしましたか?」
「あのですね。そういえば、お風呂ってどこにあるんですか?」
ああ、そうか。ヒルデはドラマで、お風呂の存在を知っていた。我々は毎日、風呂場で入浴するという習慣を、彼女は既に知っていた。
もちろん、貴族の屋敷にも浴場はある。だが、入るのは週に2、3度。毎日というわけではない。というのも、あれだけ広いお屋敷に、浴場はたったの一つ。それを宰相閣下とその妻達や息子、娘達が利用するのだ。とても毎日など入れない。
もっとも、この星の衛生感覚ではそれで十分だと思っているらしい。だがヒルデはドラマを見て、我々の入浴という習慣に憧れてを抱いていた。
というわけで、僕は風呂場に彼女を案内する。風呂場を見たヒルデの心のボルテージは再び上昇する。そしてヒルデは、その場でドレスを脱ぎ始めた。
「ちょ、ちょっとヒルデ!こんなところでいきなり……」
「なんですか!風呂に入るには、服を脱がねばならないでしょう!それはお屋敷でもここでも、同じではありませんか!?」
いや、それはそうだが、僕の目の前でいきなり脱ぎ始めるのは、僕の心臓に悪い。だが、そんな僕に構うことなく、服を脱ぎ捨て、風呂場に入るヒルデ。
ああ……遠慮や恥じらいというものがないのか、ヒルデは。僕はバスタオルと、彼女の鞄にある寝間着を取りに部屋へと戻る。
すると、ヒルデが大声で叫ぶ。
「きゃあーっ!ラウル様!」
何事だ。まさか、トラブルか?僕は大急ぎで風呂場に駆け込む。するとその場所には、一糸纏わぬヒルデが立ちすくんでいた。
「ラウル様。お湯って、どうやって出すのでございますか?」
基本操作を知らずに、お風呂場に突入してしまったヒルデ。ああ、それはドラマでも教えてはくれなかったことだな。目のやり場に困りつつも、僕はお風呂の操作をヒルデに教える。
「で、ここを押すと電源が入るから、そのままレバーを倒すと水が出てきて、そのうちお湯に替わったら……」
興味津々で僕の説明に聞き入るヒルデ。一通り説明が終わると、僕は立ち上がって部屋に戻ろうとする。それをヒルデが引き止める。
「ラウル様!」
「な、なに?」
「私の体と髪の毛、洗って下さいますか?」
「ええーっ!?ひ、ヒルデの髪を、洗うの!?」
「お屋敷では私、全て侍女が洗ってくれたのです。いきなり自分でやれと言われても、無理でございますわ」
これまた強烈なミッションを僕に課してきた。仕方がないので、僕はヒルデの身体と髪の毛を洗うことになった。
……正直、自分でもどうやって洗ったか、覚えてはいない。とにかく一通り洗い終えたのは間違いない。あの銀色の髪の毛が水滴を含んで、キラキラと光る。
浴槽に入るのを見届けると、僕はようやく部屋へと戻る。浴槽から手を振るヒルデ。僕も手を振り返して、部屋へと戻った。
しばらくすると、寝間着姿のヒルデが現れた。さすがに身体を拭く方法は分かっているようだ。渡したタオルで、髪の毛を拭き取っている。僕はドライヤーを使って、その長い銀色の髪を乾かす。
そういえばこの姿、まさしく「アーダ」だな。あの寝間着姿は、これだったんだ。なぜか寝間着姿のヒルデを見ると、先ほどまでの緊張が解ける。
と、思っていたのだが、再び緊張が走る。
僕も風呂から上がり、揃って二人で、寝室に向かう。そこで僕は重大なことに気づく。そういえばこの部屋には、ベッドが一つしかない。それも一人用の、さほど広いとは言い難いベッドが。
すっかり忘れていたが、ここで二人、寝るしかない。それは夫婦となったばかりの二人にとっては、どういうことを意味するのか?
せっかくの風呂上がりなのに、緊張から汗が噴き出すのを感じる。そんな僕をよそに、嬉々としてベッドに向かうヒルデ。
「このベッド、ふかふかでございますね!さすがは星の国の布団!」
僕の気持ちなど知らず、無邪気に喜ぶヒルデ。そしてベッドの中に潜り、僕を誘うように見つめる。
「あ、あの、ヒルデさん……」
「どうされたのですか、ラウル様?」
「い、いや、その……いいのかな、一緒に寝ても」
「夫婦ですもの、よろしいですよ。私とて公爵家の娘、夜のことくらいは心得ております」
もう覚悟していると言わんばかりのヒルデのこの言葉に、僕はヒルデの横に入る。そして、お互いに目を合わせる。
アーダとして会った時から、この瞬間を夢見ていた。だが、いざその時を迎えると、僕は驚くほど臆病になる。
ヒルデはうっすらとした目をして、僕を誘う。そして右手を顔の前に出す。僕の心拍数が、レッドゾーンを振り切った。
そしてヒルデは、大あくびをする。
「ふ、ふわぁぁぁ……」
このあくび、これまで何度も見てきたあくびだ。生で見るのは、初めてだ。
そしてこのあくびが何を意味しているのか、僕は承知している。
あくびの後、ヒルデはその虚な目を徐々に閉じる。そして、ヒルデは僕の目の前で寝てしまった。
すやすやと寝息を立てるヒルデ。これまで、見ることのなかった彼女の寝顔。その寝顔を前に、僕も寝ることにする。
こうして、二人の初めての夜は終わった……
そして、その翌日。
「おはようございます!ラウル様!」
僕が目を覚ましたときは、もうヒルデは起き出し、赤いドレスを着てキッチンに立っていた。
昨日、あのロボットの操作を覚えたヒルデは、早速朝食を作らせている。飲み込みが早いというか、行動力があるというか。
しかし、出てきた料理はあまり朝食向きではないもの。2人分のスープパスタとハンバーグが、すでに食卓には並んでいた。
だが、ヒルデはニコニコとしながら僕が起き出すのを待っている。その笑顔を前に、僕は何もいえない。
重い朝食を終えて、僕はヒルデに言う。
「ショッピングモールに行こう」
すると、ヒルデは尋ねる。
「ラウル様、ショッピングモールってなんですか?」
「ヒルデが市場だと思っている、あの大きな建物のことだよ」
それを聞いた瞬間、ヒルデの顔が一気に明るくなる。
「参りましょう、是非!」
多分、そういうだろうと思った。好奇心旺盛な彼女のこと、ショッピングモールに食いつかないはずがない。それに、彼女の服や雑貨を揃えたい。あと、ベッドも……
僕とヒルデは、支度をする。といっても、ヒルデはあのドレスを含め、数着しか持っていない。いくらなんでも、僕らの世界での生活で、ドレスはあまりに不便だ。早速何着か、買うことにしよう。
出かける寸前、僕の元に、使者がやってきた。
それは、オーヴァルニュ家からの使いだった。その使者は馬車に乗り、ヴェルナール様よりのお届け物をわざわざこの宿舎まで持ってきてくれた。
そのお届け物を見て、僕は仰天する。
それは、大量の金貨だった。要するにこれは、ヒルデの嫁入り道具の代わりということだろう。あれほどお金はいらないと言ったのに……それにしても、一体何枚の金貨があるのだろうか?僕らの貨幣価値では、いくらくらいになるのだろう?かなりの大金だと思うが、相手は宰相閣下を務めるほどの家柄だ。これくらいの出費は、大したことではないのだろう。
問題は、この大量の貨幣をどうするか、だ。
僕は金貨を20枚ほど袋に詰める。この金貨、大きさのわりにかなり重い。それを宇宙港の街に持ち込んで両替し、我々の通貨にしようと考える。
城門を抜けて、さらにその向こう側にある宇宙港の街の門を潜る。僕とヒルデは、身分証を見せる。
街に入ると、ショッピングモールの外にある銀行に寄った。持ってきた金貨を両替するためだ。僕は金貨の袋をカウンターに置いて、銀行員に尋ねる。
「すいません、これを両替したいのですが」
持ち込まれた金貨の量を見て、銀行員は驚く。いや、それでもまだ一部なんだけど……しかし、両替された金額を見て、僕は驚く。
1万ユニバーサルドル。持ち込んだ金貨20枚の価値が、我々の貨幣に換算するとこの金額だった。つまり1枚あたり500ユニバーサルドルということになる。
僕の頭がくらくらと揺れる。想定以上の金額に、僕は今頃になって恐ろしくなった。1万ユニバーサルドルものお金を、僕はこんな粗末なカバンに入れて持ち歩いていたのか、と。
銀行を出ると、すぐ隣に自動車ディーラーが見えた。そこには、小型の自動運転車が置かれている。ああ、そうだ。あの金貨全部両替して、この車を買おう……僕はそう、心に決めた。
金貨を両替したお金を、僕とヒルデの2枚の電子マネーに入れる。一人当たり、5千ユニバーサルドル。これでも結構な金額だ。これなら、かなり豪華なベッドを買うことができる。
そんなことを考えながら、まず向かったのは服の店だ。まず、ヒルデの服を買わなくてはならない。
「いらっしゃいませーっ!」
赤いドレスを着たヒルデに、声をかける店員。この元気な店員に引き寄せられるヒルデ。
ヒルデも活発な人物だ。だから、威勢の良いこの店員とすっかり同調する。気づけば、何着もの服を購入していた。
その金額に驚く僕。ここだけで、1000ユニバーサルドル近く使ったぞ……いやあ、金貨もらっておいて正解だった。そのうちの1着に着替え、現れるヒルデ。
色彩豊かなシャツに、黒くてシックなカジュアルパンツ。先ほどまでの赤いドレスとは、まるで印象が違う。
まさに行動派にふさわしい服装だ。動きやすくて、いかにもヒルデ向きの服。本人もすっかり気に入っている。
ショッピングモールを、さらに奥に進む。高級カジュアルに身を包み、銀色の髪の毛の彼女は、このショッピングモールではすっかり注目の的だ。ちょっぴり幼な顔だが、どことなく妖艶な雰囲気を漂わせる、活発な女性。この街で、目を引かないわけがない。
そんな彼女を連れて向かったのは、家具コーナーだ。
そう、そこには、ベッドがある。
「ラウルさまーっ!これなんか、二人でゆったりと眠れますよーっ!」
ただでさえ、ヒルデは目立つ。なのにこの挑発的とも言える発言で、僕らはますます人目を引きつける。店員も、苦笑いしている。
「い、いやあ、仲がおよろしいのですね……」
うう、早くこの場を去りたい。僕はヒルデが気に入ったそのベッドを注文し、その場をさっさと引き上げる。
「もうちょっと、ベッド、見たかったですわ」
残念そうに語るヒルデだが、彼女は人目が気にならないのだろうか?僕ら二人、あの場では相当、注目されていたのだが。
時計を見る。僕はぶつぶつと文句を言っているヒルデを連れて、3階へと向かう。そして、パンケーキカフェの前に立つ。
「な、なんですか、この店は!?」
店頭に置かれたショーケースには、ヒルデがこれまで見たことのない食べ物が並んでいる。特に目を引いたのは、この店自慢のパンケーキだ。
いや、パンケーキはパンケーキでも、これは「パンケーキタワー」というやつだ。5枚積まれたパンケーキの上に、巨大なクリームが載っている。これにはさすがにヒルデも驚く。
アーダだった頃に、もし彼女をどこか連れて行くとしたら、この店がいいと考えていた。今、それが現実となる。僕の思惑通り、ヒルデは目を輝かせている。
「さ、入ろうか」
僕とヒルデは店内に入る。店の中に目をやると、すでにレーリオは来ていた。
そう、もう一人の人物を連れて。
僕はヒルデを連れて、レーリオのところに向かう。レーリオは僕の顔を見るや、少し照れ臭そうな表情をする。
そして、レーリオの横に座る人物。彼女はメイド服を着て、パンケーキを食べようとしているところだった。
そう、これがレーリオが毎晩、王都に通う理由となる人物。
彼女はあの電撃幽霊事件の晩に、あの街灯の前で凍りついていた、とある男爵家で働くメイドさんだった。




