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星幽のワールドエンド【第一章完】  作者: 白樹朗
ワールドエンド邂逅編
6/31

真実・後編

「嘘だ」


 頭が真っ白になる。血が出ていた。鋭い痛みが手のひらに走る。

 爪の食い込んだ手のひらを開く気にもなれず、ズキズキと響く痛みに、思考が濁ってよどんでいく。


「俺は……違う、違う違う違う、嘘だ、そんなのは」


 よどんだ思考に、いつか見た禍々しい光が甦る。


 ひらめくカーテン。白いベッドにベビーコット。藍の髪の女。

 そして、金色の巨大な目。


 ──あの化物を。イヌラと呼ばれたあの化物を知っている。あの光を、口の赤を、知っている。

 どこで。いや、知らない。わからないはずだ。忘れていてよかった事だ。それを知ったら――。


「嘘だ。母さんは、俺が生まれた時に、俺を産んで死んだんだ」


 そうでなければ、ならない。ならないんだ。絶対に。

 嘘だ、嘘だ、違う、と。繰り返す。目を閉じる。何も見ないように。


『来い、志恩』


 まぶた裏の暗闇の中で、金髪の男が幼い至恩を抱き上げる。この男は、よく知っている。父だ。

 街の端にある霊園の、卒塔婆が目立つ日本的な墓が並んだ端に、簡素な四角い墓がある。それが母の墓だった。


 けれど、幼い至恩に、その場所の意味はわからない。

 抱き上げられた至恩が、いつものように父の胸に下げられたロケットに手を伸ばす。そこには眠る母の姿があった。

 写真は、その一枚しかない。瞳の色はわからないが、日本人めいた顔立ちも、髪の色も、至恩と同じ。


「シオン」


 不意に、ひたり、と手が触れた。

 レイゼルが、両手で頬を挟むようにして至恩をのぞき込んでいる。


「レイゼル」


 至恩をのぞきこむその目は、不思議な輝きを帯びていて、一切の迷いがない。


「大丈夫。私がいるよ、シオン。みんなみんな殺してあげる」


 少女の赤い瞳が、月のように輝いている。


「……お前、は」


 どうして、今まで、その事に気が付かなかったのか。

 赤く、赤く、金を帯びる。人間に、こんな目はできない。

 この目に似たものを知っている。そうだ、あの化け物達に似ている。

 デミと呼ばれる化け物が魂を喰らうように――この瞳は、なにかもっと別のものを喰い散らかしてやろうと輝いている。


「お前の目的は、何」


 レイゼルの瞳が、捕食者の色をたたえて燦然と輝く。


「私はただ、私が欲しいものを、手に入れたいだけ」


 そして、クリスマスにプレゼントをねだる幼子のように微笑んだ。


「私の願い、私の夢を、取り返す。奪い返すの。誰が相手で、この先どんなことがあったとしても」


 運命が理不尽なら、さらなる理不尽を持って叩き潰す。

 鮮やかに笑って、レイゼルは至恩の手を取った。手のひらをやさしくなでると、みるみるうちに血が止まり、皮膚がふさがる。


「……俺は」


 目の前の少女──いや、少女のようなナニカ、だ。

 そっと離れる細い指先を眺めながら、志恩は呟いた。


「俺は、どうしようかな」


 すっかり元通りになった手を見て、ちょっとだけ笑った。

 それは、魔法そのものだった。あまりにも自然に起こっていて、驚くタイミングを逃してしまうほどのささやかさだったが。


 改めて、人間じゃないんだな、と少女を見る。自分を生き返らせた事実よりも、赤い瞳の奥を、黄金の炎に燃え上がらせるヒトなど、この世にはいないから。


「バカね。奪われたものは強奪すればいいの」


 凛々しく、堂々とレイゼルが無い胸を張って宣言する。


 職業的犯罪者のような、まったく褒める要素のない言葉を当然のように言い放つ姿に、思わず腹を抱えて笑ってしまう。

 ひとしきり笑ったあと、至恩はめじりの涙をぬぐって顔を上げた。


「強奪って犯罪じゃん。そんな胸張って言うことかよ」

「たまには肉食系にならないと女の子にモテないよ」

「何の話だよ。……あーいや、そうだな。うん、お前にひとつ聞きたいんだけど」

「なあに?」


 美少女のように小首をかしげるレイゼルに、志恩は面白そうに言った。


「それは、例えば俺が……俺が失ったものも、取り返せるわけ?」

「もちろん。私がいるからね」


 とうに過ぎ去った不可能を、レイゼルがあんまり当然のように可能だと頷くから、いっそ愉快になってくる。


 今までどれだけ奪われてきても何も悔しいとは思わなかったが──でも、もしも取り返せるというのなら。諦めなくてもいいというのなら。

 夢に見るほど志恩が欲しているモノは、一つしかない。

 それが今更手に入るとは思えないが──でも、自分を生き返らせた少女の力に、

 

 レイゼルが不安になるほどの時間をかけて黙ったあと、志恩はゆっくりと口を開いた。


「じゃあちょっとだけ、頑張ってみようか」


 言い慣れないせいか、台詞として微妙だなと思う。

 だが、それは間違いなく至恩の人生を決めた宣言だった。


「うん! えらいぞ、シオン!」


 レイゼルが嬉しそうに飛び込んでくる。その勢いに押されながら、志恩はちいさな身体を抱きとめた。

 こんなに軽くて細いのに、本当に人間じゃないのかなあ、と至恩が考えていると、レイゼルが満足したのか身体を離す。もぞもぞと手を伸ばしてスマートフォンを拾った。


「じゃ、次の話にいこっか。デミの説明はもう飽きたし」

「切り替えはっやいな、お前!!」


 レイゼルの気まぐれと同じぐらいはやく、プロジェクターの画面が切り替わる。

 金の目をした竜は消え、かわりに現れたのは、無人の市街だ。


 赤い空、誰もいない街――東京府特別区平坂町。別名、特区平坂。まぎれもなく至恩が住んでいる街だ。


「……駅前?」

「そうだねえ。普段と違うトコは?」

「空が赤い、無人、ええと」

「それと、無風、かな。これ、デミが出たときの平坂の映像……いや、厳密には平坂でもないけど」

「どういうこと」


 画面がまた変わる。上下に楕円二つあり、その頂点が一部分重なった画像。

 数学のグラフのようだが、反比例グラフは重なったりはしない。

 円は世界の略図に重なっている。そして、上の円には、高次元域、下の円には低次元域と書かれていた。


「世界っていうのは、今いるこの場所が全てじゃなくて色々あるんだけど……高次元域と低次元域ってわかる?」

「ぜんっぜんわかんない」

「だよね~!」


 うんうんと大きく頷き、志恩に身体を預けて長い髪をいじりながら、レイゼルは話し始めた。


「わかりやすく言うと、高次元域っていうは死後の世界で、低次元域っていうのはここね。現実世界」

「死後」

「いわゆる神様が住む世界よ。ニッポンならあるでしょ? 神社とか、寺とか、ほら」

「そりゃあるけど……」


 それは迷信とか信仰とか宗教の話では、と言いかけて至恩は言葉を飲み込んだ。


 目の前に、迷信そのもののような存在がいて、手を広げてしゃべっているし、なにより自分は死んで生き返ったばかりだった。

 殺された最中の記憶は、恐怖のショックでよく思い出せないが、非現実だと否定するには、あまりにもまざまざと身体に刻み込まれている。


 覚えていないのに震える手のひらを、一呼吸で握りしめる。レイゼルが不思議そうに志恩を見上げて、小首をかしげた。


「……どしたの? ま、いいか。それでね、人間っていうのは普通、この高次元域には行けないの。肉の身体が邪魔だから。死ねばほら、魂だけになるから上に向かっていくんだけど」

「三途の川的な?」

「レテ川のこと? そうそう、そういう感じ。ほんとは低次元──この世界より、高次元のほうが色んな世界が寄り集まってて大きいんだけど、あんまり知ってる人間いないよね」

「そりゃ普通死んだら生き返らないからね」

「人間ってタイヘンだね……」


 心底、同情するようにレイゼルが言う。

 それが普通なんだけど、と思ったが、天井を見上げて言わないことにした。


「そういえば、俺死んだけど三途の川行かなかったな」

「デミに喰われたらデミの腹の中にしかいかないよ」

「…………」


 おもむろに腹をさすって、難しい顔をする志恩。

 今はもう皮膚が破れているわけでも、肉が裂かれているわけでもない。傷がないことは、風呂に入ったときに確かめた。

 

 良いんだか、悪いんだか。いや、生き返って良かったが、現実味がなくて、違和感がある。

 自分の腹を神妙にペタペタ触るレイゼルを眺めて、志恩は言った。


「人間がいないから、あの場所は無人なわけ?」

「ううん。あそこは二つの世界が重なってできた影だから、生命がないの」

「……世界の影?」

「世界には、影があるの。世界の裏側、アンダーグラウンドって言えばいいのかな。普段は表に出ない裏側の影を、強制的に引き出して瞬間的に空間を繋ぐことによって、高次元域でしか存在できないデミが、低次元域の人間を影に落として捕まえてる」


 レイゼルの指がスマートフォンの画面をなぞる。プロジェクターの画像上でも、上下の楕円が、影のような半円が伸びて重なる。

 二つの半円が重なってできた円を指して、レイゼルが言った。


「──これが、無限空間ムンドゥス。魔力によって引き出された世界の影」


 画面が変わる。誰もいない、風も吹かない、異質という他ない無人の街に。


「影だから、誰もいないのか」

「そのとーり! シオン頭良いね!」

「バカにしてんの?」

「褒めてるんだよ。影だから誰もいないし、ここで起こったことはどちらの世界にも影響しない。所詮影の中の出来事だからね。たとえ死んでも、低次元――現実世界には永遠に帰って来れないし、影が表と同化した瞬間、消滅するから」

「……それ、やばくないか。どうしたら帰って来られる?」

「当然、このムンドゥスを作り出した奴を倒すか、魔力で強制的に影を切り離して脱出するか、かな。後者は相当な魔力がないとできないけど」


 あのとき、志恩を助けた女が使った、青い膜の魔法を思い出す。

 おそらく、あのデミタイプから志恩を助けた方法は後者だったのだろう。


 何かレイゼルに言いかけて、だが何も言えなくて、結局志恩は別のことを聞いた。


「この赤い空が、そのムンドゥスに入った証みたいなもんなの?」

「んー。まあ、そうだね。空の色──影の色はムンドゥスを引き出した奴の魔力に準じるから、デミが出るときは大抵赤かな。パターン赤って覚えてね」

「他の色のときもあるわけ?」

「そりゃあるよ。例えば、私だと……」

「だと?」

「まだ秘密!」


 女の子には秘密がないとね、と頬に指をそえてかわいくウインクするレイゼルから目を逸らして前面的に無視する。

 ブーイングが上がるが、見ないふりをして志恩はため息混じりに髪をかいた。


「ムンドゥスだっけ。これが勝手に終わる──壊れるとか、あり得る?」

「ない。……わけじゃないけど、滅多にないかな。世界は頑丈だからね。とはいえ、もし壊れたら高次元、低次元どっちにも被害がでるかもね」

「あの化物がこっちの世界にやってくるってこと?」

「うーん。というよりは、世界が崩壊したっていう情報が先に補完されるから、地震とか台風とか災害みたいな現象としての影響がでるかな。デミが現実世界に行くことはほぼないよ。もう、昔とは違うからね」

「……昔?」

「大昔、人と神は同じ世界に居たんだよ」


 裏ではなく表が重なっていた時代があったんだよ、と懐かしそうにレイゼルがつぶやく。

 その言葉を聞きながら、至恩は目を細めた。

 問題は、金色の瞳をしたあの化物。イヌラ。その名前を、その目の色を志恩は忘れない。

 あいつは確か、割れた世界の向こう側に居た。


「……でも、確か……イヌラ、そう、あのイヌラって化け物が出てきたとき、まわりにヒビが入ってた。向こう側からムンドゥス壊せるなら、それはちょっとおかしくない?」

「あーー……いや、あの……そ、それは……ちょっと違……あの……」


 レイゼルが顔をそらす。目を泳がせる。手をもじもじさせる。そして、志恩と絶対に目を合わせない。

 明らかに怪しいレイゼルをじと目で見たあと、その両肩を掴んで真正面に座らせて、至恩は低い声で言った。


「レイゼル」


 上目遣いで可愛らしく舌を出すレイゼルに、深くため息をついて、志恩は目を細めた。


「…………何やったお前。吐け」

「いや、えっと……違うの、私悪くないもん。デミが全部悪いもん。ちが、あの……ちょっとだけ、カッとなって」

「……カッとなって?」

「カッとなって……やりすぎちゃった……」

「どのぐらい」

「……影から上方世界まで空間ぶち抜いたぐらい……かな」

「もっと分かりやすくいって」

「世界壊した」


 そうかあと頷きかけて、いやいやだめだろと頭をふる。

 叱られた子供のように、実際叱られてるのだが、上目遣いのレイゼルの頬をひっぱる。相手は涙目だが、ごまかされないぞ、と至恩はにらんだ。


「バッッッカじゃないの!? あの化け物が来たの、お前のせいかよ!」

「だって、シオンが殺されてたから! びっくりして、ちょっとカラスごとかっ飛ばしたら世界もぶち抜いただけだし! 世界が弱いのが悪いもん。ていうか、私の名前がワールドエンドだよ、壊さないわけないでしょ!」

「なんで開き直ってんだよ。もー、なんなのお前……何事もなくてよかったよ……」

「まあイヌラが様子見に来たけどね」

「お前いい加減にして。よく俺のこと治せたな」

「ほんとだよね。私破壊専門だから、人間治せると思ってなかったもん。内臓とか位置間違ってたらごめんね」

「……冗談だろ」

「うそうそ。まー、シオンはちょっと特殊だからね」


 袖でごしごし赤い目をこすったあと、全然こりてない顔をして、レイゼルが舌を出した。

 もうため息もでなくなった志恩は、レイゼルの頬をひっぱるか悩んだが、結局やめて腕を組むだけにした。


「どういう意味、それ」

「まあ、明日にしよ。それも気になるんでしょ?」


 もうおしまいと至恩のベッドの片側にレイゼルがダイブする。あくびをしてごろりと寝返りをうちながら、志恩の胸元を指差した。


「……お前、これのこと知ってんの?」


 眉をしかめて志恩がシャツの下から取り出したのは、チェーンに繋いである錆びた指輪だ。


 あためて、指輪を握りしめる。硬く冷たい感触。あのときのような熱は感じない。

 あの白い光は、腕を覆う銃のようなものはなんだったのか。見間違いで片付けてしまうには、まだ異様な感覚が残っている。化け物に放った、銃の振動が腕の端々に残っている。

 確かめるように左腕を触り、その握りしめた拳へ不意に白い指先が重なる。レイゼルが起き上がり、目を細めて指輪を見ていた。


「古いマジックアイテムだね。シオンの霊子にもよく馴染んでる。大事にしなよ」

「は?」

「もーいいから! いいから寝よ! 話疲れたもん。夜更かしすると背伸びないよ!」


 そう言ったあと、レイゼルが至恩に飛び込んでくる。

 避けきれず倒されて、背中でスプリングがギシギシときしんで跳ねた。顔をしかめて志恩が見上げると、至近距離でレイゼルがにこーっと悪戯っぽく笑っていた。


「ていうか、お前ここで寝る気? 隣の部屋使えって言ったよね」

「ねむーいもーん」

「あっ、バカ。ここで寝るなって……あー」


 止める間もなく布団に潜りこんだ銀髪を見て、志恩は本日最後のため息をついた。

 自分が隣の部屋で寝るかと考えて、やめた。そもそもここは俺のベッドで俺の部屋なのだからと妙な意地が出た。

 子供はすぐ大きくなるとの理論で親が買った大きすぎるベッドは、小柄なレイゼルひとり寝ても、まだ幅はじゅうぶんに残っている。


 俺のベッドなのにと不満そうに、片側のシーツを見る。それから、できるだけ壁際に寄って横たわり、自分のタオルケットを引き上げる。枕の下から照明のリモコンを取ると、レイゼルの嬉しそうな声が聞こえた。


「こういうの、なんだか懐かしいね。シオン」

「……何のこと?」


 振り返り、志恩が聞き返しても、レイゼルはもう何も言わなかった。


 ただ、電気を消す寸前、レイゼルがひどく傷ついた顔をしていたような気がして、それだけが気にかかった。

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