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星幽のワールドエンド【第一章完】  作者: 白樹朗
ワールドエンド邂逅編
2/31

未来の選択

 不幸か幸福か。

 それを評することもできないぐらい、あまりにも自分は生きていない。

 十三年。たった十三年だ。あと半年でようやく十四になる。そんな、それぐらいしか生きていないのに、もう終わるのか。


 こんなにも理不尽に、横暴に、意味不明で、納得もできないようなことで。



 ――如月至恩、二×××年、六月二十四日没。享年一三歳。



 乾いた笑いさえ出ない。喉が震えて声が出なかった。

 喉の奥がひきつって、吐き気がする。歯が、ガチガチと鳴る。怖い、恐ろしい。ここから逃げたい。

 その感情が脳を支配して、指一本さえろくに動かなかった。


 物陰で息を殺す志恩の近くから、ぐちゃぐちゃと肉をかき混ぜて、もてあそぶ音がする。ぎちぎちと、骨を引きちぎって咀嚼する音がする。


 化け物。二次元でしかみたことのない異形の怪物が、噴水を赤く染めあげながら、何かを食べ散らしている。


 ゲームによくいるモンスターを全部足して二で割った異様な存在が、通い慣れた商店街の噴水広場に当然のように存在して、人のようなものを殺して食べている。

 化け物の獰猛な牙からはみ出た腕が、人間のそれだと思いたくなかった。


 それを認めたら最後、気が狂いそうになる。


「……あ、あ、ぁ」


 おかしい。何もかもが。


 今日はスーパーの特売だから、急いで学校から帰って買い物に来た。それだけだ。無事卵と安かった豚バラが手に入って、帰る途中で。帰ったら、明日の予習をしようと思っていた。


 何の変哲もない、いつもと変わらない光景のはずだ。ただ、夕焼けがやけに赤黒かった以外は。


 逃げなければ。逃げなければ、死ぬ。殺される。喰われる。

 恐怖に負けて、出してはいけない声が漏れた。手で口を抑えるが、もう遅い。


「……ーーッ!」


 左右八つの赤色の目が、ぐるりと動いた。爬虫類じみた口から垂れた涎がしゅうしゅうと湯気を上げる。

 赤子のようにしゃぶっていた肉片を放り投げ、四足を半歩動かしただけで、地面がずしりと揺れた。


 円形の広場の端。街路樹とベンチの死角に隠れた至恩へと、八つの視線がゆっくり向けられる。獲物を見定めた獣そのものの動作で。


「……、い……っ」


 蛇、いやドラゴンに睨まれた身体が、竦んで動かない。つま先に落ちた買い物袋に、身体の震えが伝わって、かさかさと音が鳴った。


 それが最後だった。


 至恩が反射的に目を閉じる寸前に見た光景は、暴力の具現だった。

 タックルして突っ込んできた化物の鼻先で、最後の砦だったベンチが、横なぎにへし折れて粉々に吹き飛んだ。一抱えもある木の幹が折られて宙に舞った。


 一瞬だ。たった、まばたき一回分にも満たない一瞬の破壊行為。


 新鮮な鉄臭さと腐臭がした。それが化け物の口臭だと理解する前に、酸を含んだ涎が至恩の肩に落ちた。パーカーの布地ごと肉が焼ける。痛みが走る。化け物の牙が、至恩の頭上数センチ先にあった。


 生存本能に勝った好奇心が、伏せていた顔を上げた。

 視界に映ったのはすすりたての血にあふれた口内だった。ゆっくりと、噛みしめるように牙が至恩の頭に覆いかぶさる。光の無い、だが生臭く不快な闇が鼻先にある。その絶望的な意識の外で──


「犯人はやっぱりお前か、デミタイプ」


 不意に、卵のパックがつぶれる音がした。


 顔を上げる。空の色をこんなにも意識したことなど十三年間あっただろうかと思う。


 急に視界の開けた空は赤黒く、それこそ先ほど拝んだ化け物の口内と同じ色をしていた。

 まだ化け物の口にいるのかと錯覚したが、違う。赤黒い空をまばゆいばかりの銀が切り裂いて落ちてきた。


 白いスニーカーが、華麗に卵パックの上に着地する。プラスチックケースがぱきゅ、と情けない声でつぶれた。


「……な、っ?」


 暗闇で息をひそめていた至恩には、あまりにその輝きがまぶしくて目を一、二度しばたかせた。


 目をこする。肩にようやく火傷の痛みを覚える。身体が動くようになったと喜べたのは、その声が女の、いや、人間のものだと気づいたあとだ。


「タイプ・モノ……? いや、違う。タイプ・ジね。お前たちが、とうとう平坂に来たか」


 至恩の目の前に広がってたのは、星のような輝きをした豊かな銀髪だった。


 結界が緩んだかな、とその女が呟きながら化物を凛々しく一瞥する。

 獲物を奪われた化け物の猛々しい唸り声が夜に響く。


「鬼人達は……そう……。そうまた手遅れだったのね」


 化け物と至恩の間に突然落ちてきたからか、ベージュのトレンチが着地でひらめいた。スキニージーンズに包まれた足は細く、華奢だったが、その片足で化け物の鼻先を蹴り上げ、こじ開けたまま軽々と受け止めていた。


 血肉の海を見て、わずかな、それでいて深い悲しみのにじんだ女の声がした。だが、次の瞬間にはその悲哀をすべて隠して口を開いた。


「別に捕食を悪だとは言わないし、強者の理不尽を責める気もないけど、それはそれとして気に喰わないんだよね、お前らは」


 女の声は、朝のように凛と澄んでいる。背筋はすっと伸びて、組んだ腕は堂々と威厳があった。

 唸る化け物をいなして蹴り飛ばし、距離をとると、女は目を伏せて惨劇にそっと黙祷した。

 それから、思い出したように振り向いた。その色を、今でも至恩は忘れない。怒りに燃えた、夜を焼く夜明けと同じ色をしていた。


「……西から避難してきた集落が襲われたのか。これじゃ橋姫に合わせる顔がないな。とりあえず、大江山に転移してあげるからおいで。あそこなら……──って、えっ? もしかして人間?」


 こんなところになんで、と目を丸くする女の言葉の意味はちっともわからない。けれど、


「うそ、ほんとに人間? なんで? いや、それより君は──」

「あの、すみません、ええと」


 恐怖の限界だった。

 手をついてコートをの裾を握ると、ベージュの生地に血がにじんだ。いつのまにか、身体が血だらけになっていた。化物の口内で体液を被ったのだ。

 それを意識した瞬間、一気に血と生臭いが嗅覚を襲って、吐き気がした。が、必死で抑えて、至恩は言った。


「……あの、助けて下さって……ありがとうございました」

「あ、どういたしまして。うん、それはいいの。いいんだけど……」

「それで、ここは平坂じゃないんですか、あの化け物は一体」

「うーん?」


 女は、至恩の頬をぬぐって顔を近づけ、首をかしげる。そのあまりの緊張感のなさに至恩がいぶかしむと、


「ねえ、君、もしかしなくても兄弟とかいる?」

「いません。じゃなくて人の話聞いてください」


 恐怖が思わず吹っ飛んで、真顔で言う至恩。年齢にして二十代後半、だが非常に可憐な印象の女が、まじまじと至恩の頬をひっぱりながら怪訝そうな顔をしている。


 女の後ろ、数メートル先ではデミと呼ばれた怪物が、起き上がり、身体を伏せ口を開けて明らかな臨戦態勢をとっている。

 が、女は無視。至恩としてはそっちが気が気でないのだが、女は不思議そうに至恩をのぞき込む。そっちの方が大事だというように。


「嘘だー。いるでしょ、絶対。兄弟の一人や二人」

「嘘じゃないんで。っていうか、後ろ、後ろみてくださいよ!」

「あー、大丈夫大丈夫」

「ぜっったい大丈夫じゃないんで!」


 女の腕を掴んで、後ろを指さす至恩。女の背後が怪しい光に包まれている。


「ねえ、君さ、もしかして……」


 背後の怪物の口に大量の光が集中している。周囲が高熱に歪んで陽炎が揺らめている。

 機嫌悪そうに太い足で大地を蹴る化け物は、てっとりばやく薙ぎ払うことに決めたのだろう。

 もう満腹なのか、二人程度は腹の足しにもならないと判断したのかもしれない。


「……いや、そうだ。君、名前、名前は」

「シオン、です。如月至恩」


 何か聞きかけて口を開き、だが至恩の顔をまじまじ見て、女は笑った。

 大きな紫の瞳に映る自分は、よほど不安そうで、怯えていたのだろう。女は惨劇に似合わないほど優しく微笑んだ。


 それから、志恩の名を聞いて、女が一度まばたきする。

 そして、紫の瞳が、炎のように揺らめいた。至恩の肩に触れて、女が立ち上がる。


「なるほど、分かった。よろしい。ではこれをあげよう」


 女が触れた肩の火傷は、治っていた。焼けたパーカーはそのままだが、ただれた皮膚も元通りで痛みはない。

 肩をさすって驚く至恩の手を取ると、女は笑って何かを握らせた。

 手のひらを開くと、ちいさく、固い、錆びた指輪だった。


「これは……?」 

「失くさないでね」


 女は顔つきを変えて、怪物に振り返った。右手を伸ばし、左右に振り、探るように指先を握りしめる。細い指先から、輝く文字が空間に刻印される。それは遠く、神代で使われていた文字だった。


「――哀れなるもの、悲しみを受けて、懇願を受諾した。我がモイライにしてスクルドたる名のもと、ここに運命を定める。我が一撃、忘れることは許さぬ。逃れることも許さぬ」


 ゲームだ。素直に、至恩はそう思った。


 朗々と響く女の言葉は平時であれば笑ってしまうような空想上ものに思えたし、ようやく安定した意識で考えれば、あの化け物も、化け物に食べられていた人間のような何かも――思えば作り物のような気もしてくる。頭に角があったのだから。


 身体に染みた血の匂いは本物だったが、至恩の常識がそれを否定したがっていた。

 こんなにも血を流すほど生物が死ぬなど、考えたくもない。


 女の言葉が終わる。

 こんなのはゲームの中の世界だ。現実じゃない。


「館の鍵は開けた。請い、エクスカリバー!!」


 怪物の口から、戦艦のビームさながらの大量の熱放射が放たれる。


 同時に、女の手に大量の青い光が集まり、収縮する。十字架を思わせる姿形のそれは、まぎれもなく剣だった。

 実物を見たことなど一度もないが、ゲームや漫画で得た知識で言えば、剣という他ない。


 十字の柄から剣先まで幾重にも螺旋をまとわせた青い輝きを、女が振りかぶる。振り放つ。

 女の手を離れて飛びだったそれはもう剣ではなく、一筋の青い稲妻だった。


「……――なっ!?」


 驚く至恩を無視して、二つの閃光が世界を包む。


 赤い焔と青い稲妻がぶつかり、せめぎあい、二色のタペストリーを描く。

 それはのたうち回る蛇のようで、両者が両者を飲み込もうと吠えていた。


「あの……っ」

「下がって!」


 左手で青い剣をかろうじて支え、右手をすばやく宙に走らせる。

 踊るような女の指先から、幾多もの光が生まれて、地面を、空間を切り裂きながら化け物に向かっていく。だが、化け物の装甲にはじかれ、かすり傷しか作らないことに、女はうめいた。


「――ッさすがプロトタイプ……これならもう一本持ってくればよかった……っ」


 こんなのは、現実じゃない。もう一度そう考えたあと、至恩は立ち上がった。


 同時に、青い稲妻が大量の閃光となり、化け物に向かって放たれる。


「あの、俺も……!」

「至恩」


 青い光が閃光と変わったのは、女の意思ではなく、化け物の圧力に押し負け、光が剣の形態もとれないほどコントロール不能に陥ったからだと、苦々しい舌打ちで理解した。


 本当は、逃げればよかった。この隙に、逃げればよかったのだが、そうできなかった。

 良心がそうさせたのではない。女の横顔が、死を決意していたからだ。


 常識を殺した心が、勝手に動いた。身体が動いていた。

 何をすればいいかもわからなかったけれど、せめて離れようとする青い光をつかもうと限界まで手を伸ばす。しかし、


「優しい子。……あいつに似なくてよかった」


 伸ばされた至恩の手を握り、抑え止めて、女は悪戯っぽく舌を出した。

 思っていたよりもずっとか弱く、柔らかい手だった。


「こんなところで会えるとは思わなかったけれど――」


 大きくなったなあ、とつぶやきながら、女が前方に両手を伸ばす。時間稼ぎをするように、八本の紫の光が放たれる。

 しかし、それすらも食い散らかしながら化物が突進してくる。


「昔、彼女に頼まれてたから。ずいぶん遅くなってしまったけど」


 至恩、と大事そうに女はささやいた。それは、今まで至恩の知らない温度の響きだった。


 何本も何十本も、大量に紫の光が放たれては、化け物によって無残に散らされていく。

 化け物との距離は確実に縮まっていく。その突進でレンガのはまった地面がひび割れ、女の足元数センチ先まで、蛇のような段差ができていた。


 えぐられた地面が、雪崩のように崩壊を始める。


「生きるのよ。何があっても。そして、今日のことは忘れなさい」


 至恩の手を放して、ゆっくりと離れる女の指先から、薄いベールのような膜が至恩を包む。

 膜に阻まれて、視界がかすむ。忘れかけていた風の匂いが背後から近づいてきていたが、至恩は無視してむしゃらに手を伸ばした。


「――――!?!?」


 青が消え去り、一面の赤い炎の中から、真っ黒く大きな口が飛び出す。その闇を至恩はよく知っていた。

 その恐怖も、残虐さも、吐きそうになるほど知っていたから、女の腕を掴もうともがいたが、無駄だった。


 ひょい、とまるで人形のように軽々と口先に咥えられ、細い身体はやすやすと折れた。

 牙と牙の間で、ちいさくはねて、動かなくなった。


 呻き声も、断末魔も、泣き叫ぶ声もなかった。ただただ化け物の口の中で、上下の歯の間に挟まり、押しつぶされ、動かなくなった。



 /*/



 喉から、肺から、心臓から叫ぶ。千切れそうなほど、腕を伸ばす。だが、届かなかった。




 気づけば、視界が変わっていた。


 赤黒い闇の夜などどこにもない、曇りがかった都会の星空が、仰向けに倒れた至恩の目の前に広がっていた。商店街を歩く人の声が聞こえる。


 ちょうど帰宅ラッシュを過ぎたのか、駅を降りる人で、駅前はにぎやかだ。二十四時間営業のコンビニの明かりを感じる。こんなもの、先ほどまではなかったのに。


 化け物に破壊されたはずのベンチの、しかし今は傷一つないベンチの後ろに転がりながら、至恩は動けないでいた。

 パーカーは焼けて、卵パックはつぶれていた。残ったのは、そのふたつだけ。


 あのひとは、楽に死ねただろうか。苦しくなかっただろうか。


 そう考えたとき、至恩は自分が泣いていることに気付いた。

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