04.訪問
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草原を這うようにして男は進んでいた。
ところどころに汚れの目立つ、動きやすそうな服装をしている。男は探検家として仲間とともにこの国を巡っていたのだった。
男の額から冷たい雫が絶え間なく流れ落ちていく。
「癒し、の賢者」
男が仲間の元を去ったのはつい、二、三時間前のことだった。戻ると約束した仲間の顔を思い出せなくなってくる。
霞がかかったようにして記憶が頭から抜け落ちていく。それは気が狂いそうなほどに恐ろしかった。
おそらくきっかけは魔物の一撃を無防備に受けてしまったこと。傷自体は深くなかったが、男はひどい違和感を感じていたのを今さら思い返す。
森に住まう魔物・ヴェンに噛まれた傷の異常に気づいたのは襲われた日の午後のことだった。
傷が痛まなくなっていたのだ。治ったわけではない。まるで何かが抜けていくような脱力感とともに、男は自身の魂が傷から抜けていくような錯覚を覚えたのだ。
そして今、男が想像していた何倍もの恐怖を伴って異常は進行していた。手足の感覚が鈍くなり、視界が白くなっていく。
重くなっていく体を半ば引きずるようにして男はようやくそこにたどり着いた。
賢者が住まうという大木。その扉を彼は必死の形相で叩いた。何度か拳を振り下ろし、そのままの体制で男はズルズルと崩れ落ちていく。
「誰ですか……?」
乱暴なノックに顔をしかめながら顔をのぞかせたのは若い少年だった。
かろうじて言葉遣いは丁寧だが、表情は彼の感情を明確に示していた。苛立ち、不満、疑問。
彼の苛立ちの原因は他にもある。今朝珍しく早起きをしたフェイが案の定、昼寝と称してひたすらに惰眠を貪っているのだ。
だが男の姿を一目見た途端、少年ティオの血相が変わる。慌ててフェイを呼びに行く彼の背を見つめる男の瞳からは、すでに光が消えかけていた。
その客は素人目に見ても具合が悪そうで、とても助かる見込みなんてないと思っていた。ただしそこには、普通の医者にかかれば、という注釈がつく。
そいつにとって幸運だったのは、今日は珍しくフェイが逃げずにいたことだろう。フェイは眠っていたがこの場にいた。男が来てからフェイを探しに行っていたら間に合わなかった。
いや、フェイのことだからこの男がここに運ばれてくるのを知っていたのかもしれない。
ともかく、土気色の顔をした男は、賢者を求めてここへやって来た。太陽が空の頂を越えて、少しした時のことだった。
大木の中は意外に広い作りになっている。二階からは居住スペースだが、一階は何台かベットを置けるほどには広々としている。
そのうちの一つ、今そこに寝かされている男を受け入れてから、すでに数時間が経とうとしていた。
男は意識を失ったまま目を覚まさない。ティオがここに来てから、大勢の人が賢者を求めてやってきたが、ここまで重篤な者やってきたことは今までに数えるほどしかない。
その全てをフェイはどんな手を使っているのか……たちまちに癒してしまったのだ。
だからこの男も助かるのだろうと、ティオは当たり前にそう思っていたのだ。
けれど、そのフェイが眠る男を見つめながらもう何時間も動かない。表情が今までに見たことがないほど強張っていた。
なぜ何もしないのか? 正直なところ、ティオは動かないフェイに密かに怒りを覚えつつあった。
「フェイ、お前」
いい加減怒鳴ろうとしたところで、フェイが突然立ち上がった。
ティオに見向きもせずに、二階へと階段を無言で上がっていく。
一瞬追いかけようとも思ったが、それよりも男が心配だった。ティオは未だ釈然としない気持ちを抑え付けて、男に向かい合う。
男が目を開いていることに気づいたのはその時だ。
「……具合はどうですか?」
いつの間に目覚めたのだろう。驚いたが、精一杯の誠意を込めて接する。対する男は無言のままだった。
それどころか、こっちの声が聞こえているのか聞こえていないのか、見向きもしない。
具合が悪いのだ、ティオは自分にそう言い聞かせて、今度は男に見えるように体を乗り出しながらもう一度、
「具合はどうです、か……?」
そう聞いた。いや、その声が不自然に途切れる。男の瞳、そこに違和感を覚えたのだ。
――何かがおかしい……? でも、その“何か”が分からなかった。
戸惑っていると男がなんの初動も見せずに、上体を起こした。慌てて男から離れる。
どうやら、もう起き上がれるようだ。安堵がこみ上げた。きっと、さっきの違和感は気のせいだったのだろう。
立ち上がるのに手を貸そうとしたところで、
「ティオ、離れろ! そいつはもう堕ちたんだ!」
鋭い声が響くのと、男の全身から黒い靄が吹き出したのが同時。
ティオはようやく違和感の正体に気がついた。男の瞳。訪れた当初は明るい青をしていたはずの瞳が、自分と同じ黒に変わっていることを。
そして、その瞳に自分の姿が欠片も映っていなかったことに。
男が咆哮をあげる。聞くに耐えない軋むような声。とても人間とは思えない。それだけじゃない、あの瞳も、この気味の悪い靄も、これじゃあまるでこいつは、バケモノ――。
男が襲ってくる。そうわかっているのに体が動かない。信じられない出来事を目の前に、ティオの思考回路はショート寸前だった。
「ティオ!」
フェイの声が聞こえた。悲痛な叫び声。そして――。
銀の光。視界の隅を一瞬それが横切ったと思った時には、全てはもう終わっていた。
「え?」
まるで化け物のように黒い靄を全身から立ち昇らせていたはずの男の姿が、視界から消えていた。そして。
「お、い……これ」
何が起こったのか、信じたくない。思わず目を覆ってしまいたい衝動に駆られる。それでも、現実は変わらなかった。
銀の光を反射して輝く美しい槍が、まるで墓標のように眼前に刺さっていた。さっきまで生きていたはずの男の喉元を床に縫い止めて。
その銀槍の持ち主を、ティオは嫌というほど知っていた。いつも能天気に笑う、大切な友。
背後からの足音に、振り返ろうとしたティオの視界が床で埋まっていく。
「ティオっ?!」
たった今、目の前で人を殺めた友人の声を最後に、ティオの意識は闇に溶けていった。