03.サーナティオ
よろしくお願いします!
サーナティオ。
その名だけが少年の全てだった。
「おはよー、ティオ!」
耳元でした声に、急速に意識が浮上する。薄く開いた視界の中に、満面の笑みを浮かべるフェイの顔があった。
珍しい。こいつがこんなに早起きだなんて。ティオは上体を起こし、早朝を示す時計を見ながら思わずそんなことを考えた。
横を見るとベットの脇に置かれた鏡では、ぼんやりとした瞳の少年がこっちを見返していた。
真っ黒な瞳に、同じく黒い髪。気の強そうな(悪く言えばとにかく挑戦的)目つきに、歳の割に小柄な体躯。半年が経って、ようやく慣れた自分の姿。
最初は鏡に映る姿は他人のものに見えた。
「どうしたのー? そんな不思議そうな顔してー」
「いや・・・・・・もう、半年になるんだなって思って」
ああ、と合点がいった顔をするフェイ。どこか遠くを見ているような愁いの込もった目をしていた。
(半年、か・・・・・・)
ティオは半年前にこの賢者の元にやって来た。いや、正確に言えばティオが彼として目覚めたのがこの場所だった。
彼の時間が始まったのは半年前。それ以前の記憶は彼には無い。名前も、元いた場所も、自分のことを一切彼は覚えていなかった。
草原で倒れていた自分を助け、名をくれたフェイがいなかったら、今ここに自分はいない。
フェイには返せないほどの恩がある。知識を授けてくれたこともそうだが、それ以上に、自分という異端を受け入れてくれたことにどんなに救われたか。
それを今さら真正直に伝えるつもりはさらさら無いが、ティオにとってフェイは師であり、恩人なのだ。
などということを柄にもなく真剣に考えていたら、フェイが突然
「そっか。そんなに経つのかぁ・・・・・・」
そう、しみじみと言った。
その深刻そうな言い方にティオは思わず吹き出した。
この青年は時々まるで百歳を過ぎた老人のような表情をする。見た目からして自分とそんなに歳は変わらないはずなのに。
そういえば、フェイが何歳になるのか聞いたことはなかった。この機会に訊いてみるのもいいかもしれない。
立ち上がり節々を伸ばしながら、何気無さを装って聞く。
「なあ、お前っていくつなんだ?」
「ほへ?」
脈絡のない質問に、フェイは一瞬目を丸くした。
そういうところはひどく子供っぽい。だからフェイが真剣に
「僕って何歳になるんだろう・・・・・・」
と悩み出した時には、ツッコミを入れるべきか、そうでないかですごく迷った。
何歳って・・・・・・自分の歳ぐらい覚えていて当たり前じゃないのか?
そう思ったところで、ティオは自分だって正確には歳を知らないことに気がついた。
半年より前の、自分の知らない“俺"は、確かにその時間の経過だけ、記憶を積み重ねてきたのだ。それなら、それを全て失ってここにいる自分は、その年月の重みを語ることはできない。
「ティオー・・・・・・?」
不安そうなフェイの声で我に返る。
「ん? ああ、悪い」
こっちが聞いたのにぼうっとしてしまっていたことを謝ると、フェイは大げさに首を振った。
若葉によく似た色の髪がふわふわと揺れる。
目覚めたあの時に草原を染めていた草木の萌黄の色はもうしばらく見れない。
けれど、その代わりにいつでも自分を気遣ってくれているフェイが隣にいることを、ティオは心底嬉しく思う。
以前の自分が積み重ねてきた時間を、今の俺は語れない。けれど、この半年の間、俺が積み重ねてきた時間だって誰にも語らせない。
サーナティオ。
その名だけが少年の全てだった。半年前は。
ティオは一度大きく伸びをすると、
「さて・・・・・・今日も元気に働こうな、賢者様!」
宣言するようにそう言った。
「うぇえ~・・・・・・」
踏み潰された蛙のような呻き声をあげるフェイ。
とても大人には思えない大切な友の襟首を乱暴に掴み、ティオは歩き出す。
今日こそは逃さない。そんな物騒な闘志に心を燃やしながら。