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アーフェン  作者: 菜々
Episode.02
35/38

幕間02.少年は希望を手に

よろしくおねがいします


最後です

 この図書館にはこの大陸のありとあらゆる書物が収められている。

 特に物語は面白い。オレも暇なときに読み始めると、ついのめり込んでしまう。……仕事を忘れるくらいに。

 けど、何千という本を読んで、オレが得た答えはひとつ。

 すなわち……人の人生ほど、面白いものはない。


  *


 ある街に不幸な少年がいた。名も知らぬ母親は娼婦の女で、父親はどこの男とも知れず。

 産声をあげた瞬間から、少年の人生なんて決まりきったレールの上を滑り落ちていくようなものだった。泥だめの中で生き残るために、少年はあらゆる悪事を働いた。

 母親は消え、孤児となった少年はそれでも必死に生きた。今から語るのは彼が十になったときの出来事だ。十を数える子供とは思えないほど痩せ細り、傷と泥まみれの身体。

 珍しくもない茶色の瞳には、けれどいつだって生への執着があった。



「ねえ、お姉さん。ぼくの妹を助けて……!」


 少年は本当に絶望的な表情を浮かべて、一人の女のローブをつかむ。月明かりに浮かぶそこは、華やかなサーカスの会場だった。正しくは、会場だった場所だ。

 既にサーカスのテントの幕は閉ざされ、後片付けの音だけが響いてくる。つい先ほど今日のサーカスの演目が全て終わったところだった。

 そうして、サーカスを観にやってきた客が次々と出てくる中、入るときから目をつけていたフードを被ったローブ姿の女に、少年は声をかけたのだ。

 弱々しい少年を装って。

「あのね、さっきあっちの道ではぐれて、そのまま……」

涙を浮かべながら訴えかけるように話す。大抵の大人は薄汚い子供になんて目もくれない。だが、ローブの女はこくりと頷くと、少年が指す路地の方に素早く歩き始める。

 思った通りだった。お人好しな大人の中でも、こういう女は特に騙しやすい。少年は一瞬笑みを浮かべ、女の後についていく。

 風が吹いた。ほんの一瞬のことだったが、舞い上がったフードの奥に見えた瞳。今思えば、このとき既に少年は見入ってしまっていたのだ。

 その瞳の優しさに、(すが)ってしまっていたのだ。


 女は黙ったまま路地を行く。少年はそっと服の内から細長い針状のナイフ取り出しながら後ろを走って追いかけた。

「ここ?」

女がそう言って振り向いたのは、少年がまさにナイフを突き立てようとしたときだった。

 ナイフには即効性の眠り薬が塗ってある。少年の『仕事』はそれを獲物に(かす)らせることだ。だから決して獲物を殺すことじゃない。


「え?」


 なのに、いきなり振り向いた女のおそらく心臓の真上、飛びかかった少年のナイフはそこに吸い込まれていく。

 殺してしまう……! 少年は目を閉じた。目の前の光景を見たくなかった。

「……」

衝撃はない。目を恐る恐る開いた少年。手の中のナイフが何にも刺さってないことに、思わず息を吐きだした。


「危ない危ない。転ぶと痛いからね」


 そんな声を聞いて、少年はようやく今の状況を思い出した。

 気づけば、身体が宙に浮き……女に抱きかかえられ、ナイフを持ったまま、少年は獲物に無防備な姿を見せてしまっていた。

 もう遅いが、慌ててナイフを隠し、少年は頷いた。どうやら女は少年が転んだと勘違いしているようだった。思わず呆れを覚えた少年は下からフードの中を覗き、しばし呼吸を忘れてしまう。

「……どうした、の?」

不思議そうに問いかける女の美しさに、少年は幼いながらも心臓が高鳴るのを感じた。

 大きな黒い瞳に、それを際立たせる真白の肌。陶器のような白さは作り物めいた印象を与えたが、生き生きとした表情がそれを消し去っていた。

 動けない少年を首を傾げながら地面に降ろし、女はもう必要ないかと、ローブを脱ぎ捨てた。露わになった女の服装に、少年はまたも釘付けになる。さっきとは違う意味で。

 短い黒髪は動きやすいようにだろうか。女は一目で戦いを生業にしているとわかる(よろい)姿をしていた。重厚な造りではなく、肌にフィットするような軽装備。

 女は軽く頭を振って髪を整えると、目を丸くしている少年に笑いかけた。

「君の妹は、どこにいるんだろうね? この辺ではぐれた?」

「う、うん」

そうだった、迷子の妹を探してほしいという『お願い』をしていたのだ。サーカスを見にくるような金持ちの客で、弱そうな女子供。ターゲットの条件を思い出し、冷や汗が流れ始める。

 どう思っても目の前の『女戦士』はそれに当てはまらない。少年が必死に頭を回転させている中、女が不意に問いかけた。

「君と妹さんは、サーカスを見に来たの?」

「い、いや、ちがうよ」

「じゃあ、どうしてあそこに?」

獲物が見つけやすいから、なんて言えるわけがない。そもそも妹なんてでっち上げた作り話だ。けれど、

「……サーカスが見たかったから。でも、入れてもらえないよ、いつも」

零れ落ちたのは紛うことない少年の本音だった。

 獲物を探しに行っているのは本当。でも、少年はテントの中から聞こえる歓声に、密かに心躍らせていたのだ。けれど、サーカスを見るためのお金なんて持っていない。こんな薄汚い子供は、入れてもらえない。

「そっか」

俯いてしまった少年は、女が優しく微笑んだのに気づかない。

「じゃあ、サーカスなんかよりもっとすごいの見せてあげるよ!」

その言葉に少年が顔を上げた時、女は既に飛んでいた。それなりに重いはずの鎧を纏っているのにも関わらず、高く飛び上がる。

 ここは薄暗い路地。少年以外に見られる危険はない。だから女は自由を確かめるように飛び回る。ある時は路地に渡された物干し紐の上を片足で渡り、ある時はぶら下がる。

 器用に屋根を行き来し、視界からあっという間に消えては、予想もつかないところから顔を出す。路地に面した家なんて格好の餌食(えじき)だ。

 バルコニーに飾られていた植木鉢からひとつ、ふたつと花が消え、少年が目で追いきれなくなったそのタイミングで、

「はい!」

掛け声とともに、目の前に花束が差し出される。驚くことに、あれだけ動いて女は息ひとつ乱していない。

 それは驚きを通り越して異常なことだったが、少年が不思議に思うはずもなく。

「……?!」

ただただ目を見開いて目の前の花束を見ていた。おずおずと伸ばされた手に、花束を握りしめ、

「すごい!!!」

少年は頬を赤くし呟いた。上擦(うわず)った声が、少年の興奮を表している。

「こんなもんじゃないよ」

声は再び上から聞こえてきた。見れば家の屋根に腰掛け、女が腕を上げていた。何が起こるのかと、目を皿にして見守る少年の目の前で、

「はいっ!」

女が勢いよく夜空に向かって腕を一振りした。

 けれどそれだけだ。期待していたようなすごいことは何も起こらない。少年は落胆を隠しもせずに空を見上げた。

 その夜空に、


「――わあああ!!」


 瞬く間に星の大群がよぎる。路地から見上げた狭い夜空を、銀色の星はひとつ、ふたつと尾を引いて落ちていく。

「願いごとは?」

女の声がした。いつの間にか真横に立っている女の言葉に、少年はハッとしたように星を見直した。

 ひとつ、ふたつ、みっつ……。数え切れないほどの星があった。ということは、願いが叶え放題なのだ。

 少年は叫んだ。

「お菓子が食べたい!! ケーキに、クッキーに、キャンデーに……それに、それに、海を見たい! 泳いでみたい、釣りに、冒険に……」

「妹さんのことはいいの?」

「いもうと?」

一瞬、少年は何のことだろうというような顔をする。我に返った少年は、右手にチクリとした感触を感じた。

「最初からいないものは見つけられないよ、さすがにね」

女の声に、少年はとっくに何もかもばれていたのだと知った。

「嘘はダメだって、教わらなかった?」

ぼやけていく視界の中で、苦笑を浮かべた女がそういった。ふらりとよろめいた自分を抱きとめる女。

(教わるったって、母さんなんて、ぼくは……)

そう声に出そうと思ったが、億劫(おっくう)だった。全身が重い……。

 眠りに落ちていく少年が最後に見えたのは、まるで母のような慈しみの込められた女の笑顔だった。



「で? 私をどうするつもりだった?」


 腕の中の少年が眠りに落ちたのを見届けて、女はナイフを路地の曲がり角に投げ込んだ。ナイフは少年が持っていたものだ。そして、このナイフを少年に与えた者がそこにいるはずだった。

 案の定、人影が歩み出てくる。少年が獲物を眠らせるのを待ち構えていた者たちだ。少し意外なことに人影はひとつじゃなかった。

「……女子供を何人もで襲うわけね……最低な自覚はある?」

「やれ!」

女がそう言うのと、先頭にいた男がダミ声で命じたのは同時。

 三……四人か。

 屋根の上から自分を狙っている男の分も合わせて四人。いくら女が戦士だと言っても、一度に四人に襲われたならひとたまりもないだろう。男のそんな予想は、あっさりと覆される。

「一人」

まず一人目。先陣を切って襲いかかった男のナイフを持つ手に、女は手刀を叩き込む。ボキリ、という嫌な音を尻目に、女は立ち止まった男の腹に膝を勢いよくぶち込んだ。

 飛んでいく男。壁に(したた)かに頭をぶつけ、動けない。

「二人、三人」

男の手から落ちたナイフを爪先で蹴り上げる。すかさず飛び込んできた二人目の男に、踵落としを決め込んだ。同時に、沈みかけた男の肩を踏み台にジャンプ。

 屋根よりも高く飛んだ女は、空中にあったナイフを掴むと、屋根の上にいた男に投擲(とうてき)。肩口に刺さったナイフは、少年が持っていた物と同じく即効性の毒が塗ってあったようだ。

 男が屋根から転げ落ちる。致死性の毒でないことを祈りたい。

「四人目」

そして最後まで傍観(ぼうかん)を決め込んでいた男に、地面に降り立った女は鋭い視線を向ける。

 その手には、腰に履いていたナイフが握られている。

「今なら降伏を認めてもいいよ。

 私は依頼主から、証拠として体の一部を依頼されてる。何も失いたくなかったら、黙って警察に駆け込みな」

路地の入り口を指す女。その言葉は本当だ。

 女は行方不明になった家族の敵討ちを依頼されていた。

 最近路地で消える者が増えていたという噂を聞き、その依頼を受けた。けれど流血沙汰になるのはなるべく避けたい。依頼に関係のないところで始末がつくのは大歓迎だった。

 だが、男が頷くことはない。あっという間に三人の男を沈めた女を、油断なく見つめている。


「仕方ない」


 言う割に女の表情は生き生きとしている。本人も無自覚だが、彼女の内に眠る闘争本能が(うず)き始めていた。狩りは……御家芸だ。

 女が駆け出した。男は彼女の神速の切り込みに、しかし反応してみせる。けれどそれだけだ。かろうじて突き出した短剣は、女のナイフにあっさりとはじかれる。

 首筋に突きつけられたナイフの切っ先に、男は黙って両手を掲げた。

「い、命だけは……もうこんなことはしない、約束(・・)する」

男の言葉に女は頷いた。そのまま、右耳を定め、ナイフを振り上げる。依頼を完遂しなければいけない。

 自らの耳が切り落とされようとするその時、男は笑みを浮かべていた。男の目には、女の背後に従順な飼い犬の姿がみえていたのだ。無言で針状のナイフを振り上げている少年の姿が。

 こういうこともあろうかと、元から少年には扱っている毒の耐性をつけさせていた。 眠っていたのはほんの短い時間で済んだのだ。

「よくやった、アルフッ――」

男の言葉はそこで途切れる。男の目の前で、少年が男の腕にナイフを突き立てていた。何かを決意したような顔で、震える手がナイフから離れていく。


「嘘は……ダメなんだ!」


 叩きつけるような少年の言葉を最後に、男の視界が暗転した。



「この人たちは、けいさつにいってもらいます。だからお願いします、見逃してください」

全てが終わって、少年はそう頭を下げた。女は意外そうな表情で少年を見つめている。

「こいつらは君を利用していただけなんだよ? それに、君だっていつかは……」

――消されていたかもしれない。

 続く言葉を飲み込んだ女だったが、少年はハッとして俯いた。

「けれど、それでも……」

今の自分がここに生きているのは、この男たちのおかげなのだ。ここで曲がりなりにも生きてこれたのは。

「仕方ない、か。依頼主には、とり逃がしたって言っておくよ」

息をついた女に、少年は見る間に表情を明るくした。男たちは警察に突き出される。それでも、五体満足で生きていけるのだ。

「じゃあ、君も頑張って」

あっさりと(きびす)を返した女を、少年は慌てて呼び止める。

「ま、まって! おねがいが」

「……言ってみて?」

「ぼく、ぼくもいっしょに連れていってください!」

少年は頭を深く、深く下げた。

 対する女は無言で少年に駆け寄ると、その頭を鷲掴みにし、ぐしゃぐしゃっとかき回した。乱れた金髪に、少年は目を白黒させて顔を上げた。

「ごめんね。君は連れていけない。私の旅は危険で、不安定で、何もないから」

固い決意の込もった目。

「で、でもっ!」

思わず(にじ)んだ少年の涙を、女はすいっと指で拭い去る。

「だいじょうぶ。君は生きていけるよ。それだけの強さを、君は持ってる」

何よりも、生きたいと思う気持ちをちゃんと少年は持っている。だから、大丈夫だ。

 女は腰から鞘ごとナイフを外すと、少年に手渡した。ズシリとした重さに、少年が少しだけよろめいた。

「まだ何も斬ってない、まっさらな短剣……これを使うといいよ。誰かを倒すためじゃなくて、守るために。何よりも、自分自身を守るために」

「……」

そのナイフは広い世界で生きるにはあまりにも頼りない小さなもの。それでも、少年にとってそれは何物にも変えがたいお守りになる。


「強くなるんだよ」


 女は去った。一人、少年を残して。


  *


「強くなったな」


 その言葉は確かに聞こえていた。けれど冷たい光が体の動きを奪っていく。笑いたかったのに、もう自分の意志は体に伝わらない。

 自分の体だってのにざまあないなあ。

 消えていく意識の中で、クロスが最後に見せてくれた微笑みのようなものが、あの時の女性のものと、確かに重なった。

 再会は運命だと思った。

 十年以上も前と何も変わらない彼女の姿。記憶のまま目の前に現れた彼女は、人間ではないのかもしれない。けれど、彼女の正体なんて何も問題なかった。

 彼女が完璧に自分を忘れてしまっていたことも、あの優しい笑顔を失っていた事の悲しみも乗り越えた。

 それよりもずっと喜びが大きかったからだ。

 やっと隣に居られるようになったと思った。それは……思い上がりも(はなは)だしかったのだけれど。

 再会が運命なら、別れだって運命だ。


(願い、かなえられなかったな)


 自分のものも、彼女の願いも。

 最後に見えたのが、あいつだっていうのが少し気に食わなかった。 グレイシャーとかいうあいつ……ちゃんとクロスを幸せにできんのかな?

 それだけが心残り。けれど、本当にそれだけだ。

(糞ったれな人生だったけど……案外、悪くはなかったよな)

銀の光が見えた。

 あの路地から見上げた星と同じ色の光が。それに包まれ、青年の命は消えた。 不幸だったかもしれない。それでも、最後まで希望(ナイフ)を手放さなかった少年の命が。


次回はEpisode.03です(´∀`*)


ありがとうございました!


アルフレッド、モブではダントツにお気に入りのキャラだったんです……

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