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アーフェン  作者: 菜々
Episode.02
32/38

17.矛

よろしくお願いします!

このまま第二章完結してしまいます

 ずっと昔の光景だ。


 そこはいつだって血に彩られていて、肉片が宙を舞い、叫び声が空気を震わせていた。戦場。影が縦横無尽(じゅうおうむじん)に駆け巡り、人は倒れていくだけの一方的な蹂躙(じゅうりん)

 その(しかばね)の上に、私は立っている。積み重なった死の重みは知らない。上にいるから気づかない。誰も教えてくれないからわからない。

 不完全だった私。不安定だった私。不安だった私。

 ひたすらに戦っていた日々が私を成り立たせていた。私は壊れそうだった。

 なのに彼らは手を伸ばすのだ。希望にすがる顔で。生きたいと願い。

 何度その手を掴めなかっただろう。何度振り払っただろう。だから思い出してしまうのは、いつもあの顔なのだ。

『どうして――――?!』

驚き。困惑。悲しみ。憎しみ。

 手が追ってくる。たまらず背を向けても、手は追ってくる。いくつも、どこまでも、いつまでも。

 私の足が折れ、地に膝をつき手を伸ばしたところで手を引く者はいない。誰もいない。伸ばす意味なんてない。追ってくる手は迫る。私の目の前には、やはり戦場の赤と黒だけが――。


(怖い。誰か……――けて)


 手は空を()く。


  *


 クロスは自分の手を見つめ、そのまま動こうとしない。

「ちっ」

グレイシャーは舌打ちをすると、切り込んできたアルフレッドのナイフを弾いた。両足はもう問題なく動くようだ。

 ナイフが弾かれほんの一瞬アルフレッドに隙ができる。グレイシャーはすかさず腹めがけて前脚をぶち込んだ。が、

(軽い……)

当たった感触がほとんどないのだ。声ひとつあげず飛んで行ったアルフレッドは、既に体勢を立て直し始めている。

 一体何がどうなっているのか、グレイシャーには全く分からなかった。目の前の敵が、ではない。横にいる仲間のことすらわからない。

 突然現れた謎の光球。光が一際強くなったかと思うと、クロスの手に、いつの間にか柄が握られていたのだ。そこから伸びている刃は、まるで闇に浮かぶ三日月のような形。

 遠い西の地に、こんな武器があると聞いたことがある。槍にも似たフォルムに、それ以上の凶悪さを見せる湾曲した刃。

 振り回すことによってリーチの差で敵を近づけず、重い刃の遠心力で痛手を与えるという武器。

 けれどそれがなぜ今クロスの手にあるのか。どこから現れたのか。わからないことだらけだったが、それでもグレイシャーは一つだけ確信していた。

 だから叫んだ。

「クロス!!」

刃が放つ光の美しさを信じ。

 それを持つクロスの瞳の迷いを打ち消すように、叫ぶ。

「一瞬やる。それで勝負をつけろ――っ!!」

「っ?!」

グレイシャーは駆け出した。狙いはもちろん立ち上がったアルフレッド。構え直した軍刀はまるで血濡れたように闇を(まと)っていた。

 蹴りを放った脚もどこか違和感があったがそれら全てを無視し、グレイシャーは駆けた。金属音。グレイシャーの軍刀とアルフレッドのナイフが一瞬にして三度交錯する。

 これまでと変わらない光景。グレイシャーの攻撃は何の効果もないのはわかっている。

 笑うアルフレッドのナイフさばきは、もはや神業の域だった。大振りの軍刀では防ぐのに限界がある。

「……っ」

そして、限界は早々に訪れた。アルフレッドの持つナイフの先が、グレイシャーの顔を切りつける。恍惚(こうこつ)とした表情を浮かべたアルフレッド。

 ナイフは、グレイシャーの右目を深く切り裂いていた。闇の中、吹き出る真っ赤な血。なのに。

 グレイシャーはその左目に歓喜の色を浮かべていた。


「やれ」


 静かな声。クロスは信じられない思いで、止まっているアルフレッドを見つめた。

 まるで時が止まったように立ち尽くしているアルフレッド。凍っている……? 逡巡(しゅんじゅん)は一瞬だった。

 疑問も後悔も全て残し、クロスは地を蹴った。同時に手の中の武器を構える。馴染み深い柄の感触に、自然と動く体。

 目の前のグレイシャーが首だけで振り向き、残っている片目で彼女を見る。そこに宿っているのは、仲間を信じる意思。だからクロスも信じることができる。無駄にはしない。

「はぁ――っ!」

裂帛(れっぱく)の気合いと共に、クロスは上段に構えた矛を、力任せに振り下ろす。目の前にいたグレイシャーを傷つけてしまうことも承知して。同時に、それはあり得ないと確信していたから。

「……」

地面に矛が叩きつけられる、鈍い音が響く。

 クロスが振り下ろした刃は、はたしてアルフレッドだけを、袈裟懸(けさが)けに断ち切っていた。

 驚愕の表情を浮かべたまま固まっているアルフレッドの上半身が、ずれる。斜めに寸断されずり落ちていく上半身から、瞬きほどの間に頭部が消える。

 再生される気配は、ない。

 黒いものが視界を横切っていくのを無感情に眺めたクロス。その後ろで。

「やったのか……」

片目を押さえたグレイシャーが静かに言った。

 二人の目の前で、アルフレッドだったはずの何かは、黒ずんだ灰になっていた。もはや人であったことが信じられないその末路。だからだろうか。感情は一向に追いついてこない。

「無茶はしない方がいい」

クロスが軽く睨んでいた。グレイシャーは彼女の意外な言葉に、少しだけ驚いたように目を見開く。

 別に否定する意味もないので、縦に一度だけ首を振ってみせた。

 ――あの時。クロスが矛を振り抜いた瞬間、後ろにグレイシャーは飛んでいた。共に訓練した仲間だからこそ、読むことができた一瞬のタイミング。

 そして、今目の前で消えた彼もまた……共に戦った仲間であったはずなのだ。

 再び目をやったアルフレッドは原型を残していない。切り飛ばされた頭部も、闇に消えてしまった。

「本当に、こいつはアルフレッドだったのか……?」

ようやく浮かんだのは、言い訳のようなことだった。仲間の豹変(ひょうへん)とその死。信じたくはない。なのに、

「ああ。あいつだ」

クロスは断言した。今は一心に、残った灰を見つめている。その目は普段通り、どこか氷のように鋭く冷たいもの。

 だから、きっと見間違いだ。闇が晴れ始め、月明かりに浮かびあがった彼女の姿。


「強くなったな……」


 そう呟いた頬に、涙が一つ、流れたように見えたのは。



「クロス……そういえばお前、その、ぶ、き」

首を振って尋ねようとしたグレイシャーの片側だけの視界が、突然歪んでいく。視界の中で、クロスが目を見開いてグレイシャーの後ろを見ていた。

 振り向こうとしたが、意思に反して頭は動かない。同時に舌が回らず、手足までもが動かなくなっていく。覚えのある感覚だった。

(これは……麻痺……?)

だとしたら、一体誰が?

「なん……だ――」

思考までもが動かない。

ありがとうございました!

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