17.矛
よろしくお願いします!
このまま第二章完結してしまいます
ずっと昔の光景だ。
そこはいつだって血に彩られていて、肉片が宙を舞い、叫び声が空気を震わせていた。戦場。影が縦横無尽に駆け巡り、人は倒れていくだけの一方的な蹂躙。
その屍の上に、私は立っている。積み重なった死の重みは知らない。上にいるから気づかない。誰も教えてくれないからわからない。
不完全だった私。不安定だった私。不安だった私。
ひたすらに戦っていた日々が私を成り立たせていた。私は壊れそうだった。
なのに彼らは手を伸ばすのだ。希望にすがる顔で。生きたいと願い。
何度その手を掴めなかっただろう。何度振り払っただろう。だから思い出してしまうのは、いつもあの顔なのだ。
『どうして――――?!』
驚き。困惑。悲しみ。憎しみ。
手が追ってくる。たまらず背を向けても、手は追ってくる。いくつも、どこまでも、いつまでも。
私の足が折れ、地に膝をつき手を伸ばしたところで手を引く者はいない。誰もいない。伸ばす意味なんてない。追ってくる手は迫る。私の目の前には、やはり戦場の赤と黒だけが――。
(怖い。誰か……――けて)
手は空を掻く。
*
クロスは自分の手を見つめ、そのまま動こうとしない。
「ちっ」
グレイシャーは舌打ちをすると、切り込んできたアルフレッドのナイフを弾いた。両足はもう問題なく動くようだ。
ナイフが弾かれほんの一瞬アルフレッドに隙ができる。グレイシャーはすかさず腹めがけて前脚をぶち込んだ。が、
(軽い……)
当たった感触がほとんどないのだ。声ひとつあげず飛んで行ったアルフレッドは、既に体勢を立て直し始めている。
一体何がどうなっているのか、グレイシャーには全く分からなかった。目の前の敵が、ではない。横にいる仲間のことすらわからない。
突然現れた謎の光球。光が一際強くなったかと思うと、クロスの手に、いつの間にか柄が握られていたのだ。そこから伸びている刃は、まるで闇に浮かぶ三日月のような形。
遠い西の地に、こんな武器があると聞いたことがある。槍にも似たフォルムに、それ以上の凶悪さを見せる湾曲した刃。
振り回すことによってリーチの差で敵を近づけず、重い刃の遠心力で痛手を与えるという武器。
けれどそれがなぜ今クロスの手にあるのか。どこから現れたのか。わからないことだらけだったが、それでもグレイシャーは一つだけ確信していた。
だから叫んだ。
「クロス!!」
刃が放つ光の美しさを信じ。
それを持つクロスの瞳の迷いを打ち消すように、叫ぶ。
「一瞬やる。それで勝負をつけろ――っ!!」
「っ?!」
グレイシャーは駆け出した。狙いはもちろん立ち上がったアルフレッド。構え直した軍刀はまるで血濡れたように闇を纏っていた。
蹴りを放った脚もどこか違和感があったがそれら全てを無視し、グレイシャーは駆けた。金属音。グレイシャーの軍刀とアルフレッドのナイフが一瞬にして三度交錯する。
これまでと変わらない光景。グレイシャーの攻撃は何の効果もないのはわかっている。
笑うアルフレッドのナイフさばきは、もはや神業の域だった。大振りの軍刀では防ぐのに限界がある。
「……っ」
そして、限界は早々に訪れた。アルフレッドの持つナイフの先が、グレイシャーの顔を切りつける。恍惚とした表情を浮かべたアルフレッド。
ナイフは、グレイシャーの右目を深く切り裂いていた。闇の中、吹き出る真っ赤な血。なのに。
グレイシャーはその左目に歓喜の色を浮かべていた。
「やれ」
静かな声。クロスは信じられない思いで、止まっているアルフレッドを見つめた。
まるで時が止まったように立ち尽くしているアルフレッド。凍っている……? 逡巡は一瞬だった。
疑問も後悔も全て残し、クロスは地を蹴った。同時に手の中の武器を構える。馴染み深い柄の感触に、自然と動く体。
目の前のグレイシャーが首だけで振り向き、残っている片目で彼女を見る。そこに宿っているのは、仲間を信じる意思。だからクロスも信じることができる。無駄にはしない。
「はぁ――っ!」
裂帛の気合いと共に、クロスは上段に構えた矛を、力任せに振り下ろす。目の前にいたグレイシャーを傷つけてしまうことも承知して。同時に、それはあり得ないと確信していたから。
「……」
地面に矛が叩きつけられる、鈍い音が響く。
クロスが振り下ろした刃は、はたしてアルフレッドだけを、袈裟懸けに断ち切っていた。
驚愕の表情を浮かべたまま固まっているアルフレッドの上半身が、ずれる。斜めに寸断されずり落ちていく上半身から、瞬きほどの間に頭部が消える。
再生される気配は、ない。
黒いものが視界を横切っていくのを無感情に眺めたクロス。その後ろで。
「やったのか……」
片目を押さえたグレイシャーが静かに言った。
二人の目の前で、アルフレッドだったはずの何かは、黒ずんだ灰になっていた。もはや人であったことが信じられないその末路。だからだろうか。感情は一向に追いついてこない。
「無茶はしない方がいい」
クロスが軽く睨んでいた。グレイシャーは彼女の意外な言葉に、少しだけ驚いたように目を見開く。
別に否定する意味もないので、縦に一度だけ首を振ってみせた。
――あの時。クロスが矛を振り抜いた瞬間、後ろにグレイシャーは飛んでいた。共に訓練した仲間だからこそ、読むことができた一瞬のタイミング。
そして、今目の前で消えた彼もまた……共に戦った仲間であったはずなのだ。
再び目をやったアルフレッドは原型を残していない。切り飛ばされた頭部も、闇に消えてしまった。
「本当に、こいつはアルフレッドだったのか……?」
ようやく浮かんだのは、言い訳のようなことだった。仲間の豹変とその死。信じたくはない。なのに、
「ああ。あいつだ」
クロスは断言した。今は一心に、残った灰を見つめている。その目は普段通り、どこか氷のように鋭く冷たいもの。
だから、きっと見間違いだ。闇が晴れ始め、月明かりに浮かびあがった彼女の姿。
「強くなったな……」
そう呟いた頬に、涙が一つ、流れたように見えたのは。
「クロス……そういえばお前、その、ぶ、き」
首を振って尋ねようとしたグレイシャーの片側だけの視界が、突然歪んでいく。視界の中で、クロスが目を見開いてグレイシャーの後ろを見ていた。
振り向こうとしたが、意思に反して頭は動かない。同時に舌が回らず、手足までもが動かなくなっていく。覚えのある感覚だった。
(これは……麻痺……?)
だとしたら、一体誰が?
「なん……だ――」
思考までもが動かない。
ありがとうございました!




