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アーフェン  作者: 菜々
Episode.02
31/38

16.影人

よろしくお願いします(。-_-。)


 影の姿形はたしかにアルフレッドのものだった。軽薄そうな笑みを浮かべていた彼の面影は、しかし今はない。

 瞳は虚空を見つめながら、口は笑みの形だけを作っていた。感情の伴わない作り物の笑み。

 クロスは一瞬で彼がどうなったかを悟った。同時に、闇に溶け込んだ影が地を這うようにして彼女に近づいていく。

 まるで進んでいるようには見えないのに、気づけばクロスの目の前に、ナイフの切っ先を下げたアルフレッドが立っていた。

 振り下ろされたそれを、反射的に避け、クロスは後退する。

 軍刀を取り出した彼女を、グレイシャーが目を見開いて見ていた。

「クロス! どういうことなんだ?! こいつはアルフレッドだろう!」

「違う。こいつは……」

言い終わる前にまたも強襲。

 一撃目を避けられたアルフレッドが、素早く間合いを詰め刺突を繰り出す。的確に急所だけを狙った凶刃が、クロスを追い立てていく。

(速い?!)

予想よりも数瞬速く襲ってくる切っ先を、辛うじて軍刀の先で弾きながらクロスは歯噛みをしたい気分を味わっていた。

 今彼女の手元には、一番必要なものが欠けている。戦うための武器が。こんな支給品の軍刀なんて、こいつら(・・・・)の前では何の役にも立たない。


「何をしている」


 低い声。

 横から割り込むようにしてクロスとアルフレッドの間に入ったグレイシャーが、ギロリと彼女を睨みつける。

 右目を狙って突き出されたアルフレッドの刺突を見もせずに弾き返してみせた。ナイフが一瞬止まったその時に、グレイシャーはクロスを抱き上げ、後方に飛ぶ。

 着地。アルフレッドから数メートルのところで、グレイシャーはクロスを離した。

 涼しげな顔をしているが、その目は油断なくアルフレッドを見ている。アルフレッドは笑みを受かべながら彼らを見たまま動かない。一体何を考えているのか。

「一つだけ聞きたい」

「……なんだ?」

あがった息を整えているクロスに、グレイシャーは静かに尋ねた。

「あいつは、敵なんだな?」

「……ああ。そうだよ」

頷くクロスを、じっと見つめるグレイシャー。

「そうか」

呟く声に混じっているのは、後悔にも似た何か。

「ああなった人間は、もう元には戻れない……」

「後できっちり説明してもらう。今は、あいつを倒すことが先決だ」


「不可能だ」


 軍刀を握り直したグレイシャーに、クロスが淡々と言う。

「何?!」

薄っすらと汗を浮かべたクロスが、悔しげに言う。

「アレを切るには、相応の武器がいる。こんな軍刀じゃ話にならない。それに……」

アルフレッドは全身に黒いもやを纏っている。酷く禍々しい気配がした。

「あれは猛毒。魔力を持たない人間が……触れたらその時点で終わりだ」

「なら、どうしろと?」

「……」

アルフレッドが地を蹴った。死の影が彼らを覆っていく。



「どうなってる、オネット?!」

セレーは腕の中で荒く息をついているオネットを見つめた。

 急に倒れ、それから目を覚まさない。侵入者の魔法を疑ったが、侵入者は消えた。だから他に原因があるはずなのだが。全く見当もつかないのだ。

 オネットが倒れた原因は分からないが、さらに分からないことが一つ。

 さっきの若者は……? 不気味な笑みを思い出してセレーは身震いする。

 隊の者が迎え撃っているようだが、様子がおかしかった。

 気づけばそこに立っていて、こちらを笑いながら見ていただけだが……何か、見てはいけないものを見てしまったような、そんな気がしてしまう。

 とにかく謁見の間へ戻ってこのことを知らせなければ。立ち上がりかけたセレーは、突然地面が揺れたような気がして手をついた。

 いや違う。地面が揺れていたわけではない。セレーの視界が歪んでいく。

 目眩(めまい)は秒を刻むごとに酷くなり、ついにセレーは倒れこんだ。腕の中の王女を衝撃から守るようにして。


「なるほど、たいしたもんだ」


 倒れた二人に近づく影が一つ。分厚い本を抱え、ゆったりと歩いているのはライザだった。

 本当に感心したような表情で王子を見ている。彼は二人のそばまで来ると、膝をつき、王女の手を取った。

「……問題なし。あてられただけみたいだな」

すっと離れて、今度は壊れた門の方を見る。

 遮るものが無くなった今、本来なら門の外に広がる王城の敷地が見えるはずだが、そこには無明の闇が広がるばかりだった。

 その中ではクロスがあれを迎え撃っている。

「呑まれるなよ……クロス」

呟き、本を開く。

 本の白い紙の上に、這うように刻まれた文字の列。全てが、特殊なインクで書かれたものだった。

 ライザの指が撫でるようにその上をなぞった。文字が輝き出す。

 本から光が走り、柱を成す。眩しさに目を細めたライザの目の前で、光は一つの形へ変化していく。

「使うも使わないも、お前次第だよ」

収束した光は闇へと溶けていった。


  *


「くっ」


 グレイシャーの軍刀が一閃、アルフレッドの腕を切り落とす。

 だが苦悶の声をあげたのはグレイシャーだった。肉を絶ったはずなのに、まるでその感触がないのだ。

 軍刀にまとわりついた闇を払い、グレイシャーは深く息を吐いた。

「なんなんだ、一体」

呻いた彼の目の前で、切り落としたはずのアルフレッドの腕が再生を始めていた。落ちた腕の先は、もはや闇に溶けてしまっている。

 再生。異常なほどの速度でアルフレッドは怪我を治し、再び襲いかかってくる。

 さっきからずっとその繰り返しだ。さすがのグレイシャーも、顔に(かげ)りを隠せないでいる。

「クロス!!」

「……」

叫んだ彼に、しかしクロスは無言。すがるような瞳で前を見つめたまま動かない。

 アルフレッドの攻撃にさえも、一瞬遅れて反応を返すクロスに、グレイシャーは苛立ち始めていた。

 一体なんだと言うのだ。

 いつもの冷静さがなりを潜め、今そこには戦士ではない、一人の“女”だけがいた。

「おい、クロス!」

「……なんだ?」

「なんだ、じゃない。ここから出るにはどうすればいいか教えろ!」

ここから出るには。

 グレイシャーがアルフレッドのナイフを捌きながら、困惑を隠せずにそう叫んだ。

 不思議な言葉だった。彼らがいるのは門の外のはずなのだ。出る、という言葉は似つかわしくない。

 けれど、彼らは実際閉じ込められていた。クロスは周りをぼんやりと見渡した。どこを見ても闇しかない空間。

 グレイシャーとアルフレッドの戦いさえも見えないのだ。ただ、剣と剣がぶつかり合う音だけが闇の中に響く。

 ここは影人たちが創り出す無明の世界。

 クロスはそこをよく知っていた。この闇を知っていた。

 だから動けない。まとわりつく闇の重さが、見えない敵が、彼女を追い詰めていた。

 彼女の喉がひくりと鳴る。それに驚いた顔をしながら、震える両手でクロスは首元を押さえ込んだ。

 心臓の音は収まらず、震えだけが全身に伝播(でんぱ)していく。うずくまってしまいたい。目を逸らしてしまいたい。

 クロスがそっと目を閉じたその時、


「怖いのか?」


 背中に当たる手のひらの、心地よい温もりが、彼女の意識を引き戻す。彼女を見つめているグレイシャーは肩で大きく息をしていた。

「怖い……私が?」

そんなはずはない。だって私は。

「素直になれ。……俺は怖い。この闇はなんだか……心にまで染み込んできそうだ」

 クロスは心底恐れているといった表情のグレイシャーを意外そうに見た。そして、その顔の近さに思わず飛び退きかける。が、

「おい!」

それはグレイシャーの伸ばされた手で阻まれた。

 一瞬遅れて、クロスの背後で金属音が響く。アルフレッドが斬りかかってきたのだ。

 今グレイシャーが止めてくれなかったら死んでいた。

(何をやっている、私は)

こんな奴に余計なことまで言われて。

 軍刀を構え直す。同じく軍刀を持つグレイシャーに並び立ち、クロスは闇を見つめた。そこで(うごめ)いているはずのアルフレッドの姿を。

「もう再生したのか……さっき両足を切り落としたんだが」

「……普通の武器じゃだめだ。けど、こいつを倒さないとここからは出られない」

ようやくまともに声を発したクロスに、グレイシャーが警戒の中に安堵を浮かべた。

 クロスは彼とともに油断なくアルフレッドを見ながら、考えを巡らせていた。

「……」

アルフレッドを倒す方法はあった。

 それはクロスが最も忌み嫌う方法。けれど、使うしか道はないのだ。大きく息を吸う。クロスが覚悟を決めたその瞬間だった。

「なんだ?!」

彼らの目の前に、突如として光が降り注いだのは。

 その瞬間、クロスが感じたのは今度こそ叫んでしまいそうな恐怖。なのにクロスの腕は、光へ真っ直ぐと伸びていた。

 光に、クロスの指先が触れる。瞬間、それはまるで花火のように四方へ光の粉を飛ばし、弾けた。

 思わず手で目を覆いかけたグレイシャーは見る。

「……?!」

クロスの手の中で煌々(こうこう)と輝き、闇を切り裂いた一振りの矛を。

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