12.王女オネット
よろしくお願いします!
所変わって。青年の部屋から出て右隣、広めの談話室。そこに通されたティオは目の前で頭を下げた少女を困り顔で見ていた。
「そ、その……先ほどはお見苦しい姿をお見せしました」
(いや、別に全然)
ティオはそう言いたくなるのを飲み下し、その代わりに首を振って見せた。
それに心底安心したというような表情を浮かべる少女。
……正直信じられない。今目の前で縮こまっている少女が、あの王女なのだろうか。
「こいつ、かなり人見知りするから、その辺は理解してくれよ」
そうしているうちに、紅茶を運んできた青年が、王女の頭に手のひらを無造作に乗せる。
「わ、私は……人見知りでは……」
王女が焦ったように言うが、青年は気にしている感じはない。
青年は、あ、と何かに気づいた顔をして、ティオに向かい合うと、
「さっきこいつが言ったから言うけど、オレはライザ。家名はない」
今更のようにそう名乗った。名乗り返すべきか迷っていると、
「――彼には、この王城の図書館司書……また、私の教育係をやってもらっています」
紅茶を一口飲み、落ち着いた様子のオネットがそう付け足した。
「そして、私が第一王女、オネット・バールフです」
すらすらと澱みなく名乗り、優雅に座礼した少女には、たしかに王族の気品が漂っていた。
「えっと、俺、いや私は――」
「そんなに堅苦しくなくても結構です」
「……」
そんなことを言われても、だ。目の前にいるのは正真正銘王族なのだ。
強張った笑みを浮かべてはいるが、その姿はフェイが前に見せてくれた肖像画と寸分違わない。
絹のような美しい金髪。ハッとするような青い瞳。そして、それらに縁取られる美貌を、一体幾つの歌が讃えたことか。
少女のあどけなさと、大人の女性の上品さ。オネットには、天使の姿の時のメロアとは、また違った美しさがあった。そんな風に考えてしまうと、ますますこの状況の訳が分からなくなってくる。
「俺は、侵入者だぞ?」
気づけば、そんなことを口走っていた。馬鹿正直に何を言っているのかと、行った後で我に返る。敬語も何もかもなっていないし、今更すぎる疑問を口に出しただけだったが、
「でも、悪い人ではないでしょう?」
王女はそう言い切って微笑んだ。
「なんで、そう思うんだ……?」
ティオはまだ名乗ってもいない。それに会って十分も経っていないのだ。
「そうですね……それに関して色々お話ししたいことがあるのですが……」
気遣うような視線。
「あなた様はもっと聞きたいことがあったのではないですか?」
見抜かれていた。
ティオはさっきからずっと彷徨い続けていた視線を、ようやく王女に固定した。けれど、焦りは止まらない。
チラチラと扉を盗み見ていたことに、この王女が気づかないわけがなかったのだ。
「あの天使女のことだろ?」
見透かしたような声がし、振り向くとライザが本を片手にこっちを見ていた。
「……」
「どうせ、オレを脅して情報を得るつもりだったんだろうけど。お前、正直今の状況がわからないって顔してるぜ」
「……お前たちは、俺を捕まえようとか、突き出そうとか、考えないのか?」
この数十分間ずっと思っていたことをティオはついに問う。ライザは彼の部屋でそれを否定していたが、王女はどうなのか。
対するオネットとライザは一瞬視線を交錯させると、オネットが意を決したように頷いた。思わず立ち上がりかけていたティオに、座るように促す。
「一体、どこから話せば良いのでしょうか……まずは言っておかなければいけませんね」
オネットは真っ直ぐにこっちを見て、
「天使様は生きています。しかし、猶予はあと二時間ほど。それを過ぎれば彼女は……父上、ソマレト王の手によって……」
そこまで言って口を閉ざす。
いきなり告げられ、正直認識が付いて行かなかったが、今王女はメロアが生きていると確かに言った。
「なんの根拠があると仰いたいのでしょう。根拠は一つ。父上だから、です」
ソマレト・バールフ。
アーフェン十三代目の王にして、軍師としては右に並ぶ者はいないとされる戦士でもある。
「そんな父上が、興味を持たないはずがなかったのです。この城に侵入してくる者……それも天使様ともなれば」
オネット曰く王は天使との対話を望んでいるらしい。
あと二時間後。謁見の間にて行われる王と天使の対話。逆に言えばそれは、少なくともその時までメロアは生かされるということの証明になる。オネットはそう言い切って見せた。
「父上ならきっと……何よりも名声を求めるあの人なら。天使を生かしたまま手中に収めようとするはずです」
オネットが悲しげに瞼を伏せてそう言った。彼女の心中を汲むことはできない。
テーブルの上でまだ湯気を立てるカップ。手をつける気にはなれない。毒などの危険は無いと思うが……。
「こんな話、信じろと言っても無駄かもしれませんね」
オネットがティオの様子に苦笑を浮かべた。その顔がどことなく寂しそうで、
「信じるよ」
ティオは気づけばそう口走っていた。それはまるっきり嘘の言葉ではない。ソマレト王をよく知る娘の言葉を信じようと思った。
ライザはいまいち信用が置けないが、話をするときのオネットの瞳は真剣そのものだった。だから、きっぱりと言い切る。
「君を信じる」
オネットの瞳が見開かれる。唇が二度、三度開き掛けるが、結局何も言わずにオネットは微笑んだ。強張りの解けた、柔和な笑み。
談話室にしばし心地良い静寂が訪れる。気の抜けたように座り直したティオの懐がなにやらゴソゴソと動いた。
「あら?」
飛び出したのは、今の今まで懐に隠れていたコエルだった。
コエルはキョロキョロと辺りを見回すと、ここはどこだと言うような顔をした。それを見てオネットの顔がほころぶ。
「小さなお仲間さんですね。ライザ、できればお菓子を……ライザ?」
「ん、ああ。なんかテキトーに用意するか」
「お願いします」
意表を突かれた顔で立ち尽くしていたライザが、慌てて動き始める。やがて運ばれてきたお菓子と紅茶。
お菓子はコエルの前に、紅茶はティオの前に置かれた。
「もう大分冷めてるだろ? 熱いうちに飲んどけ」
前に出した紅茶を下げるライザ。そのぶっきらぼうな心遣いが少しありがたかった。
この待遇に満足しお菓子を勢いよく平らげているコエルを尻目に、紅茶を一口飲む。熱さがじわりと全身に広がっていく。その熱は、強張っていた体を解かしていくようだった。
それにしても、さっきといい今といい、ライザは給仕か何かなんだろうか……。
「あ?」
思わず戻ってきたライザをそう思いつつ見ていると、本人からきつい視線が返ってきた。
目の前のオネットは少し妖しい笑みを浮かべている。気になる疑問を残しながらも、ティオはカップを置きオネットに顔を向けた。
「メロ……あいつが囚われているとして、君はなんでそれを俺に教えるんだ? 俺は君に何も返すことはできない」
残った疑問はそれだった。なぜ自分が捕らえられもせずにここにいるのか。王女のメリットはあるのか? それだけがどうしてもわからない。
「ちょっと、それに関しては見てもらったほうが早いな」
押し黙ったオネットの代わりに、ライザがそう言いながらこっちに来て……。
「お、おい!!」
突然、オネットのドレスを脱がしにかかる。目を閉じたティオの耳に、パチン、パチンと留め金を外す音が、やけに生々しく響いた。
オネットは無抵抗だった。ほんのりと頬を染めてはいるが静かにライザを待っている。
そうして、
「終了」
ライザの短い言葉に、ティオは閉じていた瞼をよりきつく閉じる。いくら何でも、急に脱ぎだすなんて。
「えっと、侵入者様。目を開けても大丈夫です。見てほしいものがあるのです」
オネットの声に、ティオは恐る恐る少しだけ目を開けた。狭い視界に写った光景に、
「え?」
反射的にティオは目を見開いた。
当然ながら、王女は裸体ではなかった。体の大半を白い布で覆っている。それは薄く透けてはいるが、下にも一枚着ているようだった。
けれど、落胆する間も無く、ティオはそれに目を奪われる。
「それは……」
「賢者の弟子なんだし、当然魔法についても学んでるよな?」
「ああ、まあ」
ついさっき知ったばかりだったがライザに言われて咄嗟にそう言ってしまう。
それよりも今、さりげなく賢者の弟子だと言われたが……ライザにそのことを話した覚えはなかった。ちらっと見ると、得意げな顔。詮索するのはよそう。それよりも、今はオネットのほうだ。
オネットの露出している腕と脚。そこには、ティオが見たこともないような模様が連なっている。のたくる様に少女の白い半身の肌を覆っている黒い徴。文字のようにも、まるで意味をなさない落書きのようにも見える。
「それは?」
一瞬ためらったが意を決して尋ねる。オネットはライザに向かって頷くと、
「そもそも侵入者様は、私が半年のあまり眠っていたのはご存知ですか?」
と聞いた。
ご存知も何も、ティオとメロアはそれを聞いたからここに来たのだ。最初は純粋に王女を助けたくて。
そして侵入したのは、王女の無事を確認するためと、王女を救った誰かの存在を知るため。
「私は、目覚めたときのことを全く覚えていません。実を言うと、自分が半年も眠っていたということさえ、まるで他人事のようなのです」
その言葉に、オネットが誰に助けられたかを知ることは無理だと知った。フェイに助けられたかどうか、それを聞く意味はなくなった。
けれど、それ以上に今の言葉には不可解な点がいくつかある。
「自分が眠っていたことを、知らなかった?」
「はい。半年前の記憶で最後に残っているのは、父との会話だけです。
それ以外は覚えていません。ですから、目覚めたときの強烈な違和感の正体には全く心当たりがなくて」
それはそうだろう。気づけば半年も過ぎていたなんて、信じたくないような話だ。
「そして、気づけばこんな紋が描かれていたのです」
気づけば……?
その言葉は少し間違っている気がした。その言い方では、まるで彼女自身が気付くまで、誰も指摘してくれなかったことになる。
こんなにはっきりと描かれている紋を? ありえない。
「知らないのか? 見える奴と、見えない奴がいるんだよ」
ライザが嬉しそうな笑みを浮かべ、ティオの疑問を吹っ飛ばした。
「見えるか見えないか。分けるのは資質。魔法を認識する能力の差だよ。つまり、見えてるあんたは……」
肉食獣のような鋭い眼光に見据えられて、ティオは思わず目をそらしたくなった。けれど、ライザはそれをよしとしない。
「魔法を使う才能があるってわけ」
獲物を捕らえた会心の笑み。目の前の青年が浮かべる笑みが、そう思えて仕方がなかった。
ありがとうございました




