07.魔のものたち
よろしくお願いします!
夜が近づくにつれて街並みは様相を変えていく。道の脇にあった街灯に光が灯り、店仕舞いをするテントや、逆に店を開ける準備で騒がしさが増していく。
そして行き交う人々も……。
「どうした?」
「いや」
ティオはメロアの訝しげな声にそう言って首を振る。けれど彼の顔はわずかに青くなっていた。
なにせたった今、彼の横を恐ろしい形相をしたトカゲが通り過ぎて行ったのだ。友人らしきトカゲと話をしながら、当たり前のように二足歩行で。
「蜥蜴人、リザードンだな。まさか初めて見たのか?」
「あ、ああ」
「亜人種なんて腐るほどいるだろう?」
メロアが気づいてそう言ってくれたが、やはり目の前の現実は受け入れ難い。
よくよく見れば、店で呼び込みをしてる女の子は猫耳が生えているし、あっちの男は腕が八本あった。昼間は普通の街に見えたここが、今やお伽話の世界だ。
「なんで急に……夜じゃないと生活できないのか?」
ティオのその疑問に返ってきたのは渋面だった。どこか苛立った声でメロアは言う。
「別にそんなことはない。風潮だな」
それだけを言ってスタスタと歩いて行く。
風潮、世の中の流れがそうなっているのだろうか。昼は人間、夜は亜人種。けれど街の様子を見回しても、人間と亜人種は仲がいいようだった。特に確執はなさそうに見える。
あっちでは二足歩行の虎と人間が談笑しているし。
(だったらなんで……?)
「おい、行くぞ!」
数メートル先からメロアが呼んでいた。足を鳴らしている彼女に追いついた時、ティオはふと疑問に思ったことを尋ねていた。
「亜人種と魔物ってなにが違うんだ?」
「はあ?」
メロアの顔は「何を今更」と言っていた。けれどティオにはわからなかったのだ。
森で王家の使者を襲ったという魔物と、今目の前の亜人種との違いはなんなのか。
「お前、それは人間と猿の違いを聞いてるようなもんだぞ?」
「じゃあ知性があるかどうかなのか?」
「まあ概ねはそうだが……」
メロアは歩き出し、ティオも横に並ぶ。横目で見ると彼女は何やら悩んでいるようにも見えた。
「……人間に害意を持つ生き物を魔物と呼ぶことも、ある」
「害意……?」
「人を喰うヴェンとかだな。あとは、そう」
メロアはそこで一度言葉を切った。同時に足を止めてティオを見上げるような格好になる。
「ドラゴン、だな」
ティオは彼女の次の言葉を待っていたが、メロアは何も言わずに、つい、と指をある方向に向けた。
立ち止まったここはやや広くなった広場のような場所で、噴水のある中心あたりに人だかりができていた。
囃し立てる人の声と楽器の演奏の音。そして、男の朗々とした声が響き渡っている。吟遊詩人だ。
それがどうかしたのかとメロアを見ると、黙って聞けと目で合図される。耳を傾けると、吟遊詩人の男が一体何を歌っているのかが理解できた。
『竜の息吹が大地を焦がし、炎が街を焼いていく。
巨大な体が空を覆えば、陽の光を翳らせる。
翼がひとたび風を打てば、全ては彼方へと飛ばされる。
人の世が滅ぶ前に、厄災の竜に天罰を。
厄災の竜に天罰を……』
そうして人類はあらゆる兵器を用いて竜と敵対した。吟遊詩人は最後の一匹が息絶えた時を語り終える。
「くだらない」
メロアの呟きは周囲の歓声にかき消される。聞き取ったのはティオだけだった。
呟きの意味を問う前に、メロアが再び歩き出す。
「お前がくだらないことを聞くから、夜になってしまった」
確かに吟遊詩人の語りを聞いて立ち止まったのは事実だが、そもそもメロアの買い物が長かったせいではないか……?
ティオはそう思ったが、今のメロアは気が立っているようだったので言わないでおいた。
それよりも竜の話が気になってしまい、広場を出た後も吟遊詩人を振り返ってしまう。
(竜は滅びたのか……?)
厄災の竜、そんなフレーズが嫌に頭に残った。
気になっていることを一つも聞けないまま、城がようやく見えてくる。ティオは気を引き締めた。王女の話を思い出したのだ。
半年眠り続けているという少女。もしも力になれたなら……。
*
大勢の人々で賑わう城の正門前。そこに、
「パーティ――ッ?!」
メロアの悲鳴にも似た声が響き渡る。
近くにいたティオは思わず耳を塞いで彼女を睨みつけたが、彼女は宙を見たまま固まってしまっている。
周りの人々も驚きこっちを見てきていた。ティオは彼らに軽く頭を下げ、メロアの肩を揺さぶった。
彼女は一体何を聞いたのだろうか……?
人の声にかき消されて、メロアが聞いたことはティオにまったく聞こえていなかった。
訝しげな彼の目の前で、一人の衛士がおろおろと目線をさまよわせている。無理もない、手荷物検査をしようとしたところ突然女性が叫んだのだ。
あたふたと、落としかけた長槍を構え直している。
「ですから、昨夜から長く伏せっておられた王女の快癒を祝って……」
「は?」
衛士の言葉に、今度はティオまでもがそんな素っ頓狂な声を上げて固まってしまう。彼の懐でコエルがキュッと縮こまった。
「王女の……快癒を?」
「ええ」
おかしな話だった。
そもそも、これからティオたちが賢者の弟子として王城に入ろうとしているのは、フェイの代わりにその王女を診るためではなかったか。
その王女が目覚めた? お祝いのパーティ?
「メロア、どういう事なんだ?」
「やはりあいつはここに来たのか? でもそれなら、いつ? 出遅れたか……?」
メロアに尋ねるが、先程からそんなことを繰り返していて反応がない。ティオはとりあえず彼女の袖を引くと、城壁付近まで引っ張っていく。
人の波をかき分け、ようやく一息ついたところで、
「「どういうことだ?」」
そんな二人の声が見事に重なった。
*
「なんか騒がしい奴らがいるねー、クロスちゃん」
「……」
「一応見張っとく?」
「……必要ないな」
なにやら立て込んでいる風の男女の姿を見て言ったアルフレッドに、クロスがにべもない答えを返す。
城壁に寄りかかっている二人は、自衛隊らしくなく民間人のような簡素な洋服を身につけていた。
それというのも、今回の任務で表立って警護についているのは、あくまでも城の近衛兵だけ。そのため緊急で配属された第13番隊の面々は民間人に溶け込むようにして王城を巡回していたのだ。
長身で美人の部類に余裕で入るクロスはそれでも目立っていたが、周囲の人ごみはうまく彼らを紛れさせてくれていた。もちろん軍刀は服の下に隠し持っている。
それでも。
「あ、あのっ! お綺麗ですね……!」
「……」
「なんだお前。この女はオレの連れだ」
「ひっ! い、いえなんでも……ありま、せん」
「……」
なんていうやりとりが、ずいぶん前から何度か繰り返されていた。
アルフレッドが恐ろしい睨みを効かせ、クロスに寄ってくる無謀な男を突き放していく。どこか得意げなアルフレッドに対し、クロスは終始無言だった。
と、
『あのう! よろしかったら、私と一緒に……』
『……』
『あ、あのっ!!』
『……』
数十メートル先のほうからのそんな(一方的な)会話をクロスの耳が捉える。
(あいつもご苦労なことだな)
「ん、なに見てるんだ?」
「……別に。なんでもない」
「あ、待てよ!」
クロスが何かを見ていることに気づいたアルフレッドが尋ねたが、彼女は首を振るとそのまま歩き出してしまう。
慌ててアルフレッドが追いかけるが、彼女は足早にその場を離れていく。
(……誰かいたのか?)
さっきまでクロスが見ていた方向。そこにアルフレッドは女性に声をかけられているグレイシャーの姿を見つけた。
「……」
無言のまま、彼の拳が強く握り締められた。
*
「で? 本当なのか、王女が目を覚ましたっていうのは」
「ああ。どうやらそうらしい。何人かに聞いてみたが、みんな笑顔で頷いたよ」
――王女は随分と愛されてるんだな。
どこか皮肉げにメロアが言った。
王女が目覚めた知らせを聞いて、ようやく混乱から脱出した二人は、とりあえず一度考えを整理することにした。
ティオと彼女は今、昨夜とった宿に戻っていた。時刻はそろそろ夕飯の時間に近づいている。今日これから王城に入るのは不可能だろう。
だが、都合のいいことに、今は手荷物検査さえすれば王城の敷地内に誰でも入れることになる。つまり、王に謁見できるチャンスが高い。入るなら今なのだ。
「どうするんだ?」
そういう意味合いを込めてティオはそう聞いたが、返って来たのは、
「どうするもなにも、元々王女を診るためだけの話だったろう?」
当たり前だ、とでも続きそうな言葉だった。メロアがそう言いそうなのはなんとなくわかっていた。
「つまり?」
「もはや城に入る必要性はない」
「……」
やっぱりな。王女が助かったならもうここには――、
「と、言いたいところだが」
笑みを浮かべていた少女の顔がすっと真剣味を帯びる。
「なあ、ティオ。王女はどうやって目覚めたのだと思う?」
「それは……きっと、あれだ。王国最先端の医術とかだろ」
「それがないから、王はあいつに頼ったのだというのに?」
「あいつ……フェイか」
「そう。おそらく王女を救えるとしたらあいつ一人だ。王女の病とやらが、私の思っているものならばな」
思わせぶりなセリフ。メロアが随分とフェイを買っていることが少し意外だった。
「なら、あいつがここに来たのか? 俺たちがここに来る前に?」
「そういうことになる」
フェイがここに来た。王女の病の話をどこかで耳にしたのかもしれない。あいつが王女を助けるのは不自然なことじゃない、と思う。
「それはどうかな」
メロアが忍び笑いを漏らした。燻んだ青の瞳までもが笑っている。
「え?」
「お前、あいつなら王女を助けるためにここに来るだろうと思っただろう?」
「……」
「ふん。それだけがわからない」
「はあ?」
「あいつが、わざわざ王女を助けるためだけにここに来るわけがない。
だから不思議なんだ。あいつは一体何をしにここに来たんだろうな?」
来たんだろうな? って言われても……。ティオはそもそも、その疑問に共感ができなかった。
めんどくさがりで、逃げてばかりのフェイだったが、それでもあいつが誰かを見捨てたことは一度もなかったのだ。少なくとも共に過ごした半年間のあいだは。
けれど二百年……、それはさすがに冗談だろうが、メロアのフェイとの付き合いは相当長いらしい。一昨日、フェイの家をまるで我が物のように使っていたことからもそれは明らか。
そのメロアが言っている。なら、
「フェイには王女を救う以外の目的があったってことか?」
「そう言っている」
「でも、仮にそうだとして」
それを確かめる術は彼らにはない。当の本人であるフェイを探している真っ最中なのだから。
「だから確かめに行くのだ」
待っていたかのように、メロアが満面の笑みでそう言った。いや、実際彼女はティオがそう問うのを待ち構えていたのだろう。
とてつもなく嫌な予感がする。ティオは思わず彼女から目をそらしてしまいたくなった。だが、メロアの挑むような視線がそれを許さない。
「王城侵入。面白そうだろう?」
――こいつについてきた俺が馬鹿だった。
だがその後悔はこれ以上ないくらい遅かった。メロアは本気だ。本気の本気だった。目がそれを物語っている。
「決行は今夜だ。臆病風に吹かれるなよ?」
「……わかったよ」
そして、彼女の提案を止める力も、断る術もティオは持っていなかったのだった。
ありがとうございました(。-_-。)




