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アーフェン  作者: 菜々
Episode.01
13/38

幕間01.ティオとフェイ

改稿しました


※この話は一人称です

 窓から射し込んだ木漏れ日が、眠る少年の瞼をさっと撫でる。

 それが合図だったかのように少年の睫毛が震え、瞼がゆっくりと持ち上がっていく。

「……」

長い眠りからのようやくの目覚めだった。

 少年の黒い瞳はしかし、焦点が定まっていないかのように宙をぼんやりと彷徨っている。

「おはよう……ティオ」

少年をティオと呼び、微笑を浮かべた青年はベットに腰掛けた。萌黄の髪がふわりと揺れる。

 返事は期待していなかった。なのに……。

「ここは……?」

青年はあまりの驚きに、声も出せずに少年を見つめた。

 しかし、今確かに問いを発したはずの少年の瞼は落ち、また深い眠りについている。

「・・・・・・」

そんな、と青年の口が音を伴わない声を紡いだ。その声は深い絶望で彩られていた。


  *


「海・・・・・・」

初めて見たものは、まるで海のように広がっている緑だった。果てしなく遠くまで広がっている草原はどこまでも広大だった。

 気づけば俺は窓際にある椅子に座っていて、ぼんやりと窓を眺めていた。

 海のよう、その言葉に違和感を覚えたのはその直後だった。

 俺は海を知っているのだ。目を閉じれば波が打ち寄せる光景も浮かんでくる。けれど、それをいつどこで実際に見たのかの記憶は一切ない。

 それどころじゃない、俺は自分の名すら覚えていなかったのだ。

(俺は一体……)

「本当だあ! 海みたいだねー」

軽い恐慌状態に陥りかけた俺は、後ろから聞こえたのんびりとした声に振り向いた。

 そこには、やはり見覚えのない青年が立っていた。笑顔を浮かべている。緑の髪に、緑の瞳。珍しい気がする。

 青年は俺の目の前までゆっくりと歩んでくると、窓の外を指差した。

「風が吹いて……ほら、波みたいだ」

窓の外で、風に吹かれた草原が波打っている。なるほどそれはまるで波打つ水面のようだった。けれどやっぱり何も思い出せなかったが。

「ここはどこなんだ? 俺は……」

ようやく俺はそう問うことができていた。自分のことは何一つ思い出せないのに言葉はわかる。不思議だ。

 声の出し方も覚えている。少し発音に自信がなかったが、青年には通じたようだった。

「う~ん……なんて言ったらいいのかなあ」

言葉の割に表情には深刻さが微塵もない。青年はややあって、うん、と一つ頷くと言った。


「簡潔に言えば、君は記憶喪失+意識不明に陥ってるんだね!」


 明るい口調に思わず耳を疑いたくなる。

 けれど、そう考えれば全てが納得できた。記憶喪失だとすれば、今のこの状況にも頷ける。

 見覚えのない場所。覚えてない事柄。

「あんまり驚かないんだねえー」

青年は俺の様子を見て目を丸くした。驚いていないわけじゃなかった。きっと驚き方も忘れてしまったのだ。

「お前は一体誰なんだ? もし、忘れていたならすまないんだが」

今度ははさっきよりも上手く話せた気がした。青年もますます目を丸くしている。

「えっと、僕はフェイ。覚えてないのは仕方ないよ。だって、僕ら初対面だからね!」

あっけからんと言って、青年フェイは笑った。

「君は草原で倒れてたんだよー。ほら、ちょうどあの丘のところー」

指で丘とやらを指し示すフェイ。ふざけてるのかと思ったが、元からこんな性格のようだった。

それよりも、つまり……。

「お前が俺を助けてくれたのか」

「んー、まあ、そういうことになるね!」

頷くフェイ。幸いなことにこういうときに伝えるべき言葉はちゃんと残っていた。

「ありがとう」

「えぇっ?! いやいや、助けたって言っても何もしてないよー」

フェイは大げさに手を振った。

「君、全然目を覚まさないから不安だったけど、無事に目が覚めてよかった!」

「……俺はどのくらい寝てたんだ?」

「うーん、だいたい7日くらいかな。それからもしばらくぼうっとしてたから、もうすぐ10日になるけど」

ぼうっとしてた、というのはまったく身に覚えがないが、気づけば椅子に座っていたことからも、それは事実なのだろう。

「そうか。ありがとう。えっと、俺は……」

名乗ろうとして、それができないことに気づく。フェイは俺の顔を見て、一瞬だけ表情を消すと、


「サーナティオ」


 と言って笑みを浮かべた。それはさっきまでと違って少し悲しげにも見える。

「え?」

「時々そう呟いてたんだ、君が」

「サーナティオ……」

舌の上で転がしてみる。なぜか、耳慣れないその言葉は意外なほど舌に馴染んだ。

「君は名前を忘れてしまったんだろう?

もしかしたら、それは大切な誰かの名前かもしれないけど、それをちょっとだけ借りてもバチは当たらないと思うよ~。ね、サーナティオ!」

サーナティオ。もう一度呟いてみる。それは少し長すぎる気がした。縮めたほうがいいかもしれない。

「ティオでいい」

この名が誰のものなのか。いつかわかる日がくるのだろうか。でも、それまではこの名を少し借りることにした。

 俺は、どこにいるのかもわからない誰かに向かって心の中でそう告げた。

「じゃあティオ、よろしくね!」

「ああ、世話になった」

「え?」

俺は椅子から立ち上がる。出口はあっちだろうか。とりあえず歩き出した。

「ちょ、ちょっと待ってよ! どこに行くのさ!!」

「どこかに。

助けてくれたことは感謝する。けどこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないからな」

「けど、君は! この世界のことを何も知らないだろう……」

フェイが慌てたように駆け寄ってくる。今度は、本当に深刻そうな顔をしていた。

 確かに、俺はこの世界のことどころか、ここがどこかもわからない。

 一瞬、ほんの一瞬。その思考に自分で違和感を覚えた。けれど、今はそんなことどうでもいい。

「フェイ、だっけか? とりあえず出口どこだ?」

「あ、そっちの階段降りて……じゃなくて! ほんとに行っちゃうの?」

「ああ、世話にな、った……!」

瞬間、目の前の視界がぐにゃりと歪む。

 俺は、とっさに壁に手を着いて倒れそうになるのをこらえた。

「あーあ、言わんこっちゃないよ」

「……」

ぐぎゅるるるるうー。なんとも間抜けな音が室内に響いた。……俺の腹から。

「君は空腹のことまで忘れちゃったんだねー」

俺は自分の顔が熱くなっていくのを感じていた。

 なんていうか、こういう時に穴があったら入りたいって言うんだろうな……。

「何それ? 穴に入ってどうすんのさー」

実際に言ってみたらそんな反応が返ってきたが。

「何食べるー、ティオ?」

フェイが笑いながら、俺の肩を持ってくれる。一人で歩けるとも思ったが、目の前が相変わらず揺れている。

「なんでもいい……」

そう答えるのがやっとだった。

「じゃあ、僕の一番の得意料理をするよ!」

それから“初めて”食べたフレンチトーストの味は、記憶にあるものよりもずっと甘ったるかった。


  *


「どうしてそんなに外へ行こうとするの?」

「……え?」

食後。

 礼を言ってすぐに出て行こうとした俺を引き止めたフェイが、本当に不思議そうに言った。

「君には何か目的があるの?」

「目的……?」

そんなものあるはずない。あったとしても今の俺は覚えていない。

 そう思い至った途端、何故自分はこんなにも外へ出たいのか? という疑問がようやく俺の中に生まれた。

 どこか目指す場所があるわけでもない、行きたい場所もない。

「ないんだよね?」

「ああ、そうだな」

ないはずなのだ。けれど妙に胸騒ぎがした。気づいた瞬間その胸騒ぎは消えていった。気のせいか……?

「そう、だな」

なんだか脱力してしまう。食卓の椅子に座り直して俺はフェイに向き直った。

 ここを出て行く理由は無くなった。けれどここにずっといる理由もないのだ。どうしようかと思案する俺に、


「あのね~、ものは相談なんだけども」


 ホッとした調子のフェイが突然そう切り出した。相談?

「僕、一応賢者やってるんだけどね……」

ふーん、賢者ねえ。って、うん?

「賢者? お前が?」

「うん!」

俺は思わずまじまじフェイを見つめてしまう。

 たしかに、ローブのようなものを身に纏ってはいるが……。

「ちょっと良いか?」

「うん、なあに~」

「俺の記憶が確かだと……」

「ティオの場合は本当にそれ、シャレにならないよねぇー」

まあ、確かじゃない可能性の方が大きいのは事実だ。

「……」

ともかく……賢者といえば?

 俺はいまいち信用ならない記憶を探る。

 まず、物静かな老人のイメージが湧いてきた。目の前できょとんとしているフェイを見る。

 おそらく、歳は20と少しだろうか。なんにしても若いのに変わりはない。

 そして、賢者というのはいつも厳格な雰囲気を纏っていて、断じてこいつのようなふざけた奴ではないのだ。

「ん? その顔なんか失礼なこと考えてるね」

「いや、別に……」

「……まあ、いいや!

とにかく僕が言いたかったのは、賢者の弟子を絶賛募集中だってことなんだけども」

「賢者の、弟子?」

何故だろう。その言葉がひどく恐ろしく思うのは……。

「そう! ここにいればいろいろ教えてあげれるしねー。仕事内容はそうだ、全部! かな」

予想的中。

 全部? 何のだ? とか、勝手に! とか色々言いたいことはあるが、俺はふと考えた。

 聞けばこいつは倒れた俺を助けて、さらには看病までしてくれたらしいじゃないか。しかも今俺の目に前には、空になった皿が幾つか。

 つまり、俺はこいつに結構恩を売られてしまったのでは……?

「……」

「おーい、ティオー?」

俺はそのことに気づき愕然とする。

 浮かんだのは、恩を倍返しにしている俺自身の姿。これは、さりげなく世話になった分を返すべき、か。

「フェイ、いや、賢者。しばらくお前の言う通りにする」

「ほんとに?!」

俺はようやくそう言った。苦渋の決断だった。けれど、このふわふわ賢者に、ノリで恩返しをふっかけられてはたまらない。

 フェイは本当に嬉しそうに笑っている。

 その笑顔に、俺は賢者の弟子も案外悪くはないのかもな、と早くも思い始めていた。なんとも愚かなことに。

 フェイが意気揚々と立ち上がる。

「じゃあ、まずは僕の部屋の片付けをお願い!」

満面の笑みのまま、階段を上っていく。下に降りる階段が隣にあるのを見る限りここは二階以上のようだった。

 つまり、この上は少なくとも三階ということになる。

 この家が一本の木でできていることもフェイから聞いて驚いたが、まさか三階まであるなんて。木の強度が心配になってくる。

 それにしても……。俺はいきなりの仕事に苦笑が浮かんでくる。早くも恩返しの機会が舞い込んできた。

 すぐに上の階に到着し、フェイは両手を広げてみせる。

「じゃーん! ここが僕の部屋です!」

賢者の部屋。そう聞けば、なんとなくごちゃごちゃしているイメージも浮かんでくる。

 だが、これは……。

「フェイ」

「なぁにー? 聞きたいことがあったらなんでも言ってねー!」

「じゃあ、聞くが……コレ、ゼンブ、ゴミ?」

俺は目の前の賢者の部屋もとい、ゴミ溜めを指差した。

「えぇっ?! ち、違うよ!!」

フェイが心外だ! という顔をして否定する。だが、何が違うというのだろうか。

 読みかけの本、食べかけのお菓子? 脱ぎ散らかされた何枚もの同じようなローブ、はてには何やら鋭そうな槍。

 それらがまるで投げ込まれたかのように部屋中を埋めている。

「気をつけ!!」

「は、はいいいい!!」

俺は思わず叫んでいた。叫ばずにはいられなかったのだ。フェイはまるで尾を踏まれた猫のように劇的な反応をみせた。

「片付けは一緒にやろう、な……?」

「……」

フェイが無言で何度も頷いた。

 のちに、フェイはこう語る。

『やぁ~、ティオが笑ったのあれが初めてだったんだけど……ああいうのを悪魔の形相って言うんだよ、きっと』

 この時、俺の脳内からはもう“恩返し”なんて言葉は消え去っていた。目の前のゴミをどうにかするのに必死になっていた。

 早くも師に対する不安が生まれてきていたのは言うまでもない。


長いです


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