休みの日に文化祭に行く
その店の扉を開けると、こげ茶色のエプロンをつけた『社長』に「いらっしゃい」と出迎えられた。
「冬馬ぁ!?」
意表をつかれて素っ頓狂な声上がる。
「……っ!牧田!!!」
相手も同じように驚いていた。
そりゃあ、そうだろう。
ここは真白ちゃんの大学の学祭の、真白ちゃんの所属する文学同好会の模擬店なのだ。
つまり昨日、仕事の途中で立ち寄った場所。
今日は土曜日で、二人とも休みなのだ。
なのに、なんの因果で顔を突き合わせることになったのだろう。
「あら!冬馬くん?お久しぶり!元気してた?」
「小巻ちゃんじゃないか!久しぶり」
俺は小巻から、冬馬の婚約者を見たいとせがまれて学祭に連れて来たのだ。
躊躇していたら、またもや疑惑をもたれたから、断れなかった。
ちなみに、その理由は、もしかしたら真白ちゃん目当てで、雨宮一が来るかもしれないからと言うものだ。
藤堂先輩に顔も立場も、なんとなく声も似ている雨宮家のご令息を小巻に見せたくない、だから花火大会もドタキャンさせたんだ、と説明したら、「大丈夫よ」と笑われたけど、目がわりと真剣だったのが怖い。
ざっと店内を見渡すと、馴染みたくない顔はなかったので安心した。
さて、冬馬がここにいる理由は……考えるまでもない。
真白ちゃん目当てだ。
同好会の会員でもなく、卒業生でもないくせにしっかりエプロンをつけて、真白ちゃんと並んでご自慢のコーヒーの腕を振るっている。
おかげで、昨日よりも人が多いだろう休日にも関わらず、店内の回転はすこぶる良いようだ。
天気も良かったので、前日の反省から、外にも座席を設けて、ちょっとしたオープンカフェのようにもしている。
冬馬の入れ知恵かもしれない。
学祭なのに、ガチで儲けを出そうとしてないか?
部誌も買ったらコーヒー一杯無料になっているし。
手際よくコーヒーをつぎつぎと淹れている真白ちゃんも俺に気付いて、とびっきりの笑顔で挨拶してくれる。
眼福だけど、その度に、隣の彼氏の顔が「チッ」となるおまけがつく。
他の人間は気付かないかもしれないけど、俺や秋生、夏樹と言った付き合いの長い人間には、その僅かな表情の変化がなんとなく分かるのだ。
「うっわぁお!この子が冬馬くんの恋人?可愛い!萌萌じゃん!
なんで、メイド服着ないの〜?学祭と言ったら、コスプレと決まっているのよ。
なんなら私の衣装貸そうか?」
小巻……止めて。
昨日の段階で、冬馬が静かに怒り狂っていたんだから。
今日ここに居るのも、また強引な副部長や同級生に好き勝手にされないように監視を兼ねているのだろう。
そのためだったら、模擬店でバイト……いや、ただ働きもしようぞ。
大企業の御曹司なのに。
真白ちゃんも困ったような顔をしている。
その友人の、今日もメイド服の桐子ちゃんは意気揚々と寄って来て「そうですよね〜」と同意した。
「……!こっちも可愛い子!大好き!私の嫁になって!」
彼女の好きそうなフリフリの服の女の子に抱きついたので、ぼやかずにはいられなかった。
「お前は俺のお嫁さんになるんじゃなかったのかよ」
その声が聞こえたのだろうか、ガチャンと盛大な音がした。
「牧田、結婚するのか!!!」
高校以来の友人が驚愕の顔で俺を見て叫んだ。
「おうよ!小巻と結婚することになった!」
腰に手を当て、自慢げに宣言した。
「どうだ、羨ましいだろう」
冬馬は結婚を決めたとは言え、父親とか周囲の思惑が絡みまくって、まだ結納の日取りすら決まっていないのだ。
この調子では結婚に到達するまでは、しばらくかかるだろう。
多分、真白ちゃんが二十歳にならないと、何も始まらない。
せいぜい、若い恋人と清らかなお付き合いをしているが良い……って、我慢出来そうにないけどな。
「ついに結婚するのか!良かったなぁ」
そんな事情があったとしても、親友の結婚話に冬馬は心から喜んでくれた。
根っからのいい奴なのだ。
反省。
「ありがとう〜」
小巻も嬉しそうに、ビーズの指輪を見せた。
あくまで形、暫定のものだからつけなくてもいいよ、と言ったのに、彼女は朝起きてからすぐに嬉々としてつけて、そのまま家から出て来たのだ。
早くちゃんとした指輪を買ってあげよう。
冬馬のことだから、きっと真白ちゃんに立派なのをプレゼントしていることだろう。
―――そのわりには、彼女の左指は空いているけど。
「……小巻ちゃん、ついに牧田小巻になる決心したんだね。
それとも、牧田が遠野融になるの?」
「ちょっ!冬馬君、やだ、そんな話、まだ覚えていたの?」
うん?
なんか二人でいちゃいちゃしだしたぞ。
俺もだけど、さっきから置いてけぼりの真白ちゃんの目つきも鋭くなっている……ような気がする。
「どういうこと?」
「え?大分前に、小巻ちゃんに牧田と結婚しないの?って聞いたら、お互いの名字がお互いの名前に被ってるから……って言われたことがあったんだ」
どうやら小巻は、結婚しない理由を、そんな風に冬馬に説明していたらしい。
言われてみれば、どっちがどっちの名字を名乗っても、名字と名前の韻を踏んでいるなぁ。
「俺が遠野を名乗っても構わないよ。
二番目の姉さんが牧田を名乗ってるし」
そう言えば、二番目の姉が『牧田』姓を選択したのも、語呂が悪いとかそんな理由だったな。
俺たちの場合はどっちを選んでも、韻は踏むけど、語呂は悪くない。
むしろ真白ちゃんが評したように「リズミカルでいい」。さすが作家の娘。
名字の件は後々話し合うことにして、今は、冬馬と真白ちゃんに先輩風を吹かすのが先だ。
「結婚式には二人を招待するから、それまで仲良くしててくれよ。
直前で隣は嫌だとか言われても困るから」
「大丈夫だよ。ねぇ、真白ちゃん?」
「はい!
私達の結婚式にも是非、ご夫婦で仲良くいらして下さいね」
真白ちゃんって、見た目に反して強気だ……。
「ありがとう。でも、その前に、四人で遊びに行きたいなぁ。
真白ちゃん可愛いから、デートしたい!
それから、コスプレも!
ねぇねぇ、コスプレ興味ある?
私、たくさん衣装持ってるの。
スタイル良さそうだから、きっとなんでも似合うよ〜」
小巻の悪い癖に、桐子ちゃんまでのってきた。
「メイド服、昨日まで着てたのに、途中で止めちゃったんです。すっごくよく似合っていたのに。
でも、写真はありますよ。見ます?」
今日もピンクのエプロンの武熊さんでも、友達同士の写真撮影は止められなかったらしい。
憐れ、冬馬の掌中の珠のメイド服姿が小巻にご披露された……と思ったら、何を対抗したいのか、奴は自分のスマホを取り出して、恋人のセーラー服姿を見せてきた。おまけとして浴衣姿も。
「確かに、真白ちゃんのセーラー服姿は可愛いかったな」と口にしたら「融ばっかりずるい!」と小巻に抗議された。
そう言えば、俺は昨日のメイド服姿もセーラー服姿も浴衣姿もドレス姿も見たんだった。
おおう、冬馬の目が座っている。くわばらくわばら。
「来年の夏は、絶対、花火大会に誘ってよ!」
「……来年もするかどうかは分からないよ。去年は特別だったんだ。
今年はしなかったし」
―――そうだね、お前がフランスで行方をくらませた挙句、お家騒動で、それどころじゃなかったから。
無言の突っ込みを察したのか、冬馬は「うん、来年は……花火大会しようか」と諦めた口調で言った。
「その際は、雨宮一は呼ぶなよ」
「当然」
「……そんなに藤堂先輩に似てるの?」
小巻の問いかけに、「誰?」と冬馬が訝しげに聞いたが、それを説明する間もなく、パンパンと手を叩く音で注意を逸らされた。
「はいはい、ご結婚はおめでたいけど、そろそろコーヒーを淹れてくれないと、注文が滞ってしまうんですが」
『もったいない』の南ちゃんだ。
「そうだったね。悪い、牧田。
……そうだ、お前も手伝え。
ちょうどカフェで使うエプロンが出来上がってきたから、着用感を確かめたいんだ」
「そういう理由かよ……」
後から聞いたら、真白ちゃんにメイド姿をさせないために模擬店の手伝いをするという取引したらしい。
俺が気になっていた初日の南ちゃんへの囁きは、それとはまったく別で、「三日間、その姿で働いたら、当然、その服は真白ちゃんのものになるんだよね」というものだったそうな。
えーーーっと、真白ちゃんにその衣装を持って帰らせて、何をしたいのかな?と考えたら、俺も南ちゃんと同じうすら寒い気持ちになった。
後輩想いの副会長は、製作者の桐子ちゃんに真白ちゃんのメイド服を返却したが、どういう手段を使ったのか、そこから、冬馬の手にその衣装は結局、渡ってしまったらしい。
桐子ちゃんは友情よりも実利をとる子なのだ。
……それにしても、あのメイド服姿をいたく気に入ったものだ。新しい扉を開いてしまったのか?
噂では、猫耳と一緒に着用させようとしたとかしないとか……珠洲子様が「息子は変態だった」と嘆いていた。
同意したいけど、こっちは小巻が率先して、いろんな格好をするから、あまりその話題には近づきたくない。
小巻経由で真白ちゃんに迷惑がかからないようにだけ気を付けよう。
休日だと言うのに、横暴な社長に命令され、俺はエプロンを付けて働くことになった。
コーヒーは相変わらず冬馬と真白ちゃんが淹れるので、こちらはウェイターだ。
俺の修行の成果を味わってもらえないとは残念だ。
「牧田秘書はイケメンだから女性客が喜びます」
素直な桐子ちゃんに褒められたけど、複雑だ。
そんな俺を、だって、小巻は置いて遊びに行ってしまったんだぞ。
結婚が決まって初めてのお出かけなのに、ひどい。
二人でいちゃつきながら学祭を回りたかったのに、こっちは学祭にしては大繁盛のカフェの切りまわしで、てんてこ舞いだ。
社長が冬馬じゃなかったら、訴えてやるところだ。
しばらくして小巻がゲーム研究会の連中を引きつれて戻って来た。
「ど……どういうこと?」
「お客さん、呼んできた。あと、藤堂先輩の指輪、GETだぜ!」
「ええええええええ!!!」
左手を腰に当て、右手で、上が赤、下が白の指輪の箱を突き出す彼女の顔は、プロポーズされた時より嬉しそうだった。
ちなみに、赤は藤堂先輩の、白はヒロインのイメージカラーなんだと。
「お兄さんの彼女、神業すぎですぅ」
「負けました。姐さんを師匠と呼ばせてもらいます!」
就職してからご無沙汰の俺と違って、最新作までやりこんでいた小巻は強かった。
やはりスペシャルシードが発動したが、それすら難なく攻略した『ゲームの女王』は自らの手で、欲しいものを手に入れた。
「弟子たちに、コーヒーとお菓子を奢ることにしたの。
さすがに三百円で藤堂先輩の指輪を手に入れるのは気がとがめるから。
あ、でも、まけてくれない?
美人の南ちゃん!ね?
男の子が喜ぶ可愛い衣装、作ってあげるから。
彼氏は魔法少女ものとか好き?それともアイドル系?」
同好会の会長が部誌を段ボールから出そうとして、床にぶちまけた。
「部誌買ってくれたらお安くしますよ」
「―――えっと、南ちゃん、うちの家、もう二十冊あるから」
これ以上、部誌は要りません。俺は慌てて、部誌の増加を止めた。
「南先輩〜。ご結婚祝いにまけてあげてもいいじゃないですか」
小巻と話が合いそうな桐子ちゃんの援護も受けて、『もったいない』の南ちゃんは折れた。
もしかしたら『部長の』反応を見て、コスプレしたくなったのかな?
「そうでしたね。昨日たくさん買って下さいましたね。
じゃあ、コーヒーは無料にしますよ。
でも、お菓子は一人一個以上、注文して下さいね」
「それで手を打ちましょう」
部誌販売スペースで、同好会の野郎二人が小さくなっていた。
女の子は怖いんだよ。
可愛くもあるけどね。
歓声を上げてお菓子を選ぶゲーム同好会の会員の中から、部長だけを呼び部誌を勧めた。
「ほら、カフェ特集もあるし、この小説なんて、女心の機微が巧みに描かれているから参考に買っとけ。
呪いの指輪から解放されたんだろう?新しい恋が始まるぞ」
「……あ、あの、俺の小説読んでくれたんですか?」
茶髪の呼び込み男が立ち上がって言った。
「ああ……昨日、さらっとだけど」
君の文章は、軽いけど、ストレスなく読めて実に良かったよ、と言いたかったけど、褒めているかそうでないか、微妙に聞こえそうだったので、止めた。
隣で期待に満ちた目で見ている同好会の会長の話は、才能は感じたけど重すぎて、昨日の精神状態では飛ばしてしまったので、感想は言えない。
小野寺出版の戸田文芸部長に付箋をつけて献本してやるから許してくれ。
戸田部長は君の小説、きっと大好物に違いない。
「まだ、ちゃんと読んでないから、後でね。
おっと、またお客さんだ」
ナイスなタイミングだ、と喜んだのもつかの間、扉の向こうにはさわやかな藤堂先輩、ではなくって、雨宮一が立っていた。
「こんにちは。真白ちゃんがカフェをするって聞いたから……」
「すみません、あいにく満席なんで」
ゲーム研究会ありがとう!そのまま居座ってくれ!
バタン、と閉め出したのは狭量かな、と思ったけど、もっと心の狭い男が、砂糖壷を持って、デカイ図体で開かないように扉を押さえた。
「なんで砂糖?」
「塩がなかったんだよ。……そういや、コーヒーに塩を入れて飲むっていう方法があるって聞いたけど、試してみる?」
「聞いたことあります。後日、研究してみましょう」
ゲーム研究会の連中が小巻について行くように、俺もお前についていくよ!
だからその身体、ドアから離すんじゃないぞ。
「ちょっとー!お客さんに何するんですか!」
「あれはお客さんじゃない。禍々しい気配を感じた」
経営者よりもよっぽど経営者らしい南ちゃんの抗議に、冬馬は子供じみた返答をした。
「冬馬さん。姫です。開けて下さい。真白ちゃんに会いに参りましたの」
敵もさるもの、一人ではやって来なかった。
妹を連れてくれば真白ちゃんの警戒心も薄まろうというものだ。
鬼が己の腕を取り返しに来たわけでもないし、冬馬は渡辺綱でもなく、俺も坂田金時ではない。
扉は無情にも開かれ、雨宮兄妹が入って来た。
相変わらず綺麗な顔をしている。
冬馬が「チッ」という顔をした。
真白ちゃんに気付かれるなよ……。
「おお!藤堂先輩そっくり!」
彼の指輪を最初に手に入れたゲーム研究会の部長が叫んだ。
「姐さん、好きなタイプじゃないですか?」
問われた小巻は、しばし、見とれた後、「でも、私、融と結婚するの」と俺の手をとった。
「指輪つけてあげようか?」と聞いたら、首を振られた。
「藤堂先輩は好きだけど、指輪は、融の指輪がいいから」
ゲーム研究会一同は討ち死にしていた。すまんな。お先に幸せになるよ。
あと、冬馬も悪いな。
妹姫を巧みに利用して、真白ちゃんと話すことに成功した雨宮一を見て、冬馬は俺の耳に囁いた。
「コーヒーに塩、あいつに試してみようか?」
「止めとけ。美味しいらしいぞ。この小説に書いてあった。
それよりも実力で彼女を繋ぎとめる努力をした方がよほど建設的だぞ」
俺は部誌を取り上げると、桐子ちゃんの書いた話を見せた。
もっとも入れ過ぎは厳禁だ。
何事もほどほどが肝心なのだ。
『当たり前』と『特別』も、ほどほどの割合がいいのだろう。
「いつも一緒にいるのが『当たり前』の『特別』な存在になれるようにな」
「……お前は、ホント、よく出来た秘書だよ」
それはどうも、ありがとうございます。