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【番外編】妖精とクマ  作者: さぁこ/結城敦子
【牧田融の結婚】
8/16

壁ドンでプロポーズする

「ただいま〜―――ああ、疲れたぁ」


 玄関先で、思わずへたり込んでしまった。

 目がしょぼしょぼする。

 ゲーム研究会の勝負で酷使しすぎた。


「おかえりなさい。どうしたのよ?」


 小巻が両手を持って、ひっぱりあげてくれた。


「ちょっと……ね」


 藤堂先輩の指輪を取り損ねた話をしてもいいものか迷う。


「疲れているの?新事業を始めるって大変なのね。

先にお風呂はいっちゃいなさいよ。ご飯、用意しておくから」


 今日もお風呂は清潔で、いい香りがした。

 小さく薄くなったな、と思っていた石鹸は大きく新しいものに変わっている。

 たっぷりの湯船に入って、汚れと疲れを落とし、一日を振り返った。


 冬馬は真白ちゃんが絡むと、面倒な男になる。

 やっと幸せになれた親友を思うと大目に見てあげたい気分にもなるけど、少しずつ、真白ちゃんが側にいる事実を『当たり前』と受け止めて欲しい。

 俺と小巻のように。


 ―――本当に?

 ―――本当にこの生活は『当たり前』か?


 何度目かの問いかけを反芻していたら、風呂場の外で小巻が呼んだ。


「いつまで入ってるの〜?のぼせちゃうわよ」


「はーい」


 風呂から上がると、熱々の食事が出来ていた。

 小巻と言えば、耳にヘッドフォンをしてゲームに夢中だ。

 もう何度目かの藤堂先輩ルートに入っているのだ。


 なんとなく不愉快になって、注意をこちらに向けたくなった。

 が、止めた。

 

 考えてみろ。

 あんなに夢中になるほど楽しんでいるゲームを、少なくとも小巻は一旦、停止した。

 俺を玄関まで迎えに来てくれて、俺が風呂に入っている間に、温かい物は温かく、冷たい物は冷たく調理して並べてくれていたんだぞ。

 

 それに思い出した、今日は小巻が大好きな少女漫画が原作のドラマの放送日だ。

 始まったら、そっちに夢中になる。

 一人暮らしだったら、家に帰って、ご飯を作って……それも、こんな手の込んだものじゃなく、もっと手抜きにしたっていい。いっそコンビニ弁当という手だってある……ドラマが始まるまで、たっぷりゲームで遊べるのに。

 俺の為に、その時間を犠牲にしてくれた。


 母親でもなく、同棲相手に当たり前に出来ることじゃない。

 

 そうだよ、当たり前なんかじゃない。

 


「小巻……結婚しようか?」


「―――え?なぁに?」


 ヘッドフォンをずらした小巻にもう一度言った。


「またぁ、何言ってるの。別にこのままでもいいじゃないの」


 簡単にあしらわれてしまった。

 

 いつもそうだ。

 過去、多分、三回くらい結婚の話をしたことがあった。

 その度に、小巻はその話題を流す。俺も、それ以上、突っ込まないできた。

 でも、それじゃあ、駄目だ。


 用意してもらったご飯を急いで食べ、食器を片づける。

 時計を見ると、ドラマまで十分はある。


 意を決して、小巻の前に立った。


「何?融、今日、おかしい」


「うん」


「えええ?だから、何?なんなの!?!?」


 腕を掴んで立ち上がらせると、壁際まで連れて行く。


「だから何?なんなの???」


 携帯ゲーム機をしっかり握りしめたまま戸惑われた。


 ―――なんか間抜けな感じがする。


 ゲームや少女漫画のヒーローは都合のいい時に、都合のいい場所にいるものだ。

 それとも、常に必要な時に『壁』があることこそ、ヒーローの証なのだろうか。

 あいつらの家は豪邸だから、女の子を壁際まで連れて行くには、もっと間抜けなことになるんだろうな。

 

 少女漫画のヒーローではない俺の部屋では五歩くらいで壁のところまで来た。


 ドンっ!


 と、小巻を壁と俺の間に挟む。

 いわゆる『壁ドン』というものだ。

 

 「うひゃあ」と変な声があがった。

 気持ちは分かる。

 これ、実際やってみると、かなり恥ずかしい。

 しかし、照れている時間はない。


 腹を決めて言った。


「小巻、俺と結婚………………してくれないか?」


 語尾が惜しい!

 藤堂先輩ならここは「結婚しろ」か「結婚するぞ」だったろうに。

 さすがに現実世界では言えなかった。


 ごめん、小巻。

 俺、お前のヒーローになれない。

 

「なんで……そんな突然」


「なんでって……俺、思ったんだ。

小巻のいる生活は『当たり前』だと思っていた。

朝起きて挨拶して、仕事に見送ってくれて、帰りは出迎えてくれて……。

いつも一緒に居るのが『当たり前』だと思ってた。

でもそうじゃない。『特別』だよ。

お前との毎日は『当たり前』なんかじゃない『特別』だ。

小巻は『特別』な存在なんだ」


「―――ばっ!かぁ」


「っ痛!」


 足の上に携帯ゲーム機が落ちてきた。

 ヘッドフォンのコードが抜けて、爽やかな声の藤堂先輩が、甘い言葉を囁く音声が流れた。

 エンディングまでもう一歩。ヒロインに告白する場面の声だ。


「結婚したいんだ。

藤堂先輩じゃなくって、俺と結婚しよう?」


「本当に?私でいいの?」


 見れば、小巻は泣きそうな顔をしていた。


「お前じゃなきゃ嫌だ。

俺の『特別』は小巻なんだよ」


「融は恰好良いのに……なんで私と付き合っているのか分からない。

ずっと怖かったの。

だから空気みたいな存在になろうって。

融の言う『当たり前』の存在になろうって。

そうしたら……ずっと一緒に居られると……」


 恋人の告白に、驚いた。

 そんな風に思っていたなんて。

 それもやっぱり、俺が小巻を『当たり前』として扱ったからなんだ。


「ごめん。不安にさせていたなんて……。

でも、俺、小巻以外の女を好きになったりはしない」


「じゃあ、なんで?なんでお弁当、持って行ってくれなかったの?」


「えっ?」


 十年も一緒に暮らしていたのに、小巻の考えていることがこんなにも分からないなんて。


「お弁当……新入社員の時、作ってあげたのに、一か月で断ったでしょ。

彼女にお弁当を作ってもらってるの、他の女子社員に知られたくなかったんじゃないの???

美人秘書の同僚に!」


「ご、誤解だよ」


「それに、会社のクリスマスパーティーにも一度も招待してくれない。

社員の家族だけでなく、恋人も行けるって聞いた。

去年の内輪の花火大会の時も、楽しみにしてたのに、直前になって欠席しろって。

増えた参加者が会社の人だったんでしょ?

そこから私の存在がばらされるのが嫌だったんでしょ?」


「小巻……」


「結婚なんてしたくない。

結婚したらあとは離婚するだけじゃない。

私は嫌だもの。

ずっと融と一緒にいたいの。

空気でもいいから……側に置いて欲しいの。

空気だからこそ、一緒に居られるのよ。

だからこのままでいい!!!」


 俺を押しのけ、小巻はテレビの前に設えた『人を駄目にする』ソファの上に座ると、電源をつけた。

 側にあるクッションを抱きしめると、始まったドラマを凝視している。

 でも、別なことを考えているのは分かった。

 このドラマが始まれば、「ひゃあ!」とか「くううう!」とか奇声を上げながら楽しむのに、冒頭の若手俳優のサービスシーンにすら微動だにせず沈黙しているからだ。


 後ろ姿に声を掛ける。


「小巻がいる生活があんまり穏やかで癒されるから、感謝の気持ちを忘れていた。許して欲しい」


「―――謝ることないよ」


「だけど、家事とか全部任せてたし……」


 少しだけ、こちらを向いてくれたけど、声音は固かった。


「ゴミ出しも食器の片付けもしてくれるじゃない。

それに、蛍光灯……この家で切れてるの、見たことない」


「……それはいつも小巻が替えを用意してくれているからだよ」


「替えてくれるのは融じゃない。

ネット環境の設定とか、機械の操作も詳しいから助かるし。

洗濯物を干すのも、畳むのだって、一緒にしてくれる」


 正直、ほっとした。

 俺も役には立っていた。


「―――でも、外食にはしばらく連れて行ってもらってない。

買い物も……スーパーとかしか行かない。

おしゃれなお店で、会社の人に会ったら困るから???」


 先ほどからの問いかけが戻って来た。

 小巻は俺が彼女をいることを隠して、別な子をひっかけようとしていると怪しんでいるのだ。

 誤解は、解かなければならない。


「いいや。

外食にもショッピングにも連れて行かなかったのは反省する。

言い訳すると、外に出かけてご飯食べるより、小巻が作った料理を家でゆっくり食べるのが好きだった。

休日に出かけるよりも、二人でゲームしたり、映画見たりする時間がたまらなく好きだったんだ。

けど、そうだね。

外でご飯も食べたいよね。買い物もしたいよな」


 ついに彼女はこちらを完全に向いた。

 ゲーム機は俺の後ろに転がったまま、ロマンティックな音楽を流し続け、小巻の後では男女二人のゆったりとしたラブシーンが流れている。

 雰囲気はいい、雰囲気は。


「無理しなくてもいい……」


「無理してない。

冬馬が真白ちゃんを見せびらかすみたいに、俺も小巻を見せびらかしたいし」


 そう言うと、小巻の眉間に皺が寄った。

 急いで今日の出来事をかいつまんで説明した。


「うらやましくなったんだ。

俺も、お前を特別扱いしたい。

俺の『特別』は小巻なんだから」


「じゃあ、なんで」


「パーティー?

あれは……いくら恋人同伴オッケーでも、日本の会社で新入社員が彼女連れは……先輩社員の目が辛いから、暗黙の了解で自粛するんだよ」


 社員を家族と讃える小野寺グループだって、そうそう理想通りにはいかない。

 大体、弟に嫉妬する兄だって、世の中に居ない訳ではない。

 それに加え、秘書室の社員は裏方に回るのだ。

 コーヒー淹れるのがめちゃくちゃ上手いけど、おっかない先輩に、これも『勉強』とあらゆる準備を手伝わされた。

 お陰で社員間の仲、家族構成、取引先との関係、など後々にも非常に為になったが、当時はただ顎でこき使われてようにしか見えなかったので、その姿も、見せたくなかった。

 それっきり、俺は裏方人生まっしぐらで、クリスマスパーティーを楽しむのは、それこそ、この部屋で小巻の手作り料理と、飾りでまったりに限られたし、それが至高だった。


「招待しても、構ってやれないし。

小巻だって、幼稚園のクリスマス会前で、連日忙しいだろうから、迷惑かなって―――そんな楽しみにしてたとは思っ……」 


「お弁当は?」


 言い訳をしていると、鋭く別の問題を聞かれた。

 この件に関しては、あまり話したくないが、そうはいかないだろう。

 居心地が良いといいながら、俺は小巻との対話が出来ていなかったのだから。


「会社に入って……すぐに秘書室に配属されたんだ」


 おそらく小野寺の大社長の考えなんだろうが、新入社員にとって秘書室は過酷な部署だった。

 そりゃあ、どの仕事だって、大変なんだろうけど、重役達を相手に、遺漏なくスケジュール管理をしたり、必要な資料や書類を準備する責任の重さは精神的にも肉体的にもかなりの負担だった。

 美人揃いと羨ましがられる秘書達も、男の後輩には容赦無かった。

 四人の姉を持つ俺にはやっと逃れたはずの環境に連れ戻された気分だった。しかも、数は倍だ。

 逆らうのは無駄だと体得していた身としては、黙々と与えられる仕事をこなした。


 昼食を食べる時間もまともにとれなかった。

 なんとか時間を見つけては小巻の手作り弁当を味わう暇もなく食べていた。

 

 けれどもある日、俺は重大なスケジュールミスを犯してしまった。

 ただ仕事をさせるだけでなく、きちんと面倒を見てくれる先輩秘書達のおかげで、失態はすぐにフォローされ、定時で上がることが出来たが、お昼ご飯の時間はなくなった。


 帰る間際でお弁当の存在を思い出した俺は迷った。

 せっかく小巻が朝早く作ってくれたお弁当だったが、夏場だったし、すえた臭いのそれに食欲はわかなかった。

 家には美味しいご飯が待っているのは分かっていた。


「それで……」


「それで?」


「―――捨てたんだ。小巻のお弁当。ごめん。言えなくって」


 中身をゴミ箱にあけた瞬間、強烈な罪悪感が襲ってきた、その当時の気持ちがよみがえってくる。

 あんなこと、するべきじゃなかった。

 

「ごめん……」


 またあんな気持ちになるくらいなら、お弁当を作って貰わない方が良いと思った。


「ごめんな、小巻」


「―――ばか」


 クッションを握りしめた小巻が泣いていた。


「本当にごめん!謝っても遅いけど……」


「そうじゃないの!

そんなこと、気にしなくてもいいのに。

少なくとも、そんなにひっぱる問題じゃない!

それこそ、謝ったら許してあげたのに!!!」

 

「ガッカリした顔、見たくなかったんだ」


「ご飯食べられないくらい忙しいのに、私になんか気を遣わないの」


「なんか、なんて言うなよ。怒るぞ。

俺の『特別』なんだから」


「ありがとう」


 ティッシュを箱ごと渡すと、彼女は二、三枚取り出し勢いよく鼻をかんだ。


「結婚してくれる?」


 返事がない。

 ゲームや少女漫画みたいな劇的なプロポーズじゃないから嫌なのかな?

 花火を打ち上げたり、生放送で告白したり、婚約披露パーティーの舞台から連れ去って欲しいのかな?

 それは無理としても、素敵なレストランで指輪を差し出すくらいはして欲しかったに違いない。


 指輪か。

 あの藤堂先輩の指輪があれば、もっと展開は違ったはずなのに。

 恨むぞ、ゲーム研究会の部長よ。


「あ!」


「へっ?」


 俺が突然、声を上げたから、小巻も間抜けな声を出した。

 

「あった!」


「何が?」


 自室に行って、風呂に入っている間にキチンと手入れをして掛けてあった背広の上着の内ポケットに手を入れる。

 ひんやりと固い感触がした。

 それを持って、リビングダイニングに戻る。


「結婚しよう、小巻。

指輪は……あとでちゃんとしたの買うから、今日はこれで勘弁して」


 小さな女の子が作ったビーズの指輪を差し出す。


「どうしたの?これ?」


 ゲーム研究会で見た豪華景品の話をした。


「藤堂先輩の指輪をあげたかったんだけど……」


「―――ううん、この指輪がいい。

融の優しい気持ちの籠ったこの指輪は、他では手に入らないわよ」


 そう言って、小巻は指輪を受け取ってくれた。


「えっと、つまり、結婚……しれくれるの?」


 念を押して聞た俺に、目の前の『特別』な存在は、頷いてくれた。

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