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猫のシロ(夏編、冬馬視点)

 その猫は、真白ちゃんが居ない時にやってくる。

 彼女は、前回はインフルエンザ、今回は暑気あたりで伏せっていた。


 偶然なんだけど、あまりのタイミングの良さと、猫自身の外見と挙動に、なんとなく、真白ちゃんが変身しているんじゃないか、などと強面の顔には似つかわしくないことを想像してしまう。もっとも、猫ほど、真白ちゃんは嫉妬心を外には現さない。


 真っ白の毛並みから、本来の名も、拾われた先でも『シロ』と呼ばれた雌猫は、小野寺邸に連れてこられた時、俺以外には懐かなかったし、女性に対しては激しい敵意をむき出しにした。

 いつも真白ちゃんに厳しい末の弟の夏樹には、ことさらひどく威嚇をしていた。


 困った子猫だったけど、内心、ほんの少し、嬉しく思ったのも事実だった。


 そんな子猫は、無事に元の飼い主の元へ戻ったのだが、この夏、その飼い主から相談の電話があった。


 一人暮らしの老婦人であるシロの飼い主は、亡くなった長兄の供養に遠出することになった。

 その間、シロを見てもらえないか、というお願いである。


「こんなこと、お願いする筋ではないのですが、私ももう歳で、今年を逃したら、きっと二度と行けないと思うので。

幸い、息子が旅には同行してくれることになったので、私は安心なのですが、シロを預ける先が見つからなくて……。

あの、可愛い猫なんですが、ちょっと……その……」


 言葉を濁したが、要はシロは我儘な悪戯猫なのだ。

 一日はその可愛らしさにほだされて預かってもらえても、二日、三日となると、どの家も施設も持て余してしまう。

 一週間居た挙句、別れを惜しまれたのは小野寺邸だけだと言う。


 猫用ゲージから飛び出したシロは、すっかり大人になっていたが、俺を見るや、当然と言った顔で、膝に乗った。

 それを見て、老婦人は安心したように微笑んだ。


「申し訳ありません。縁も所縁もないこちらに、お任せするなんて。迷ったのですが」


「縁はありますよ。シロが結んでくれました。

どうぞ、お気づかいなく。また、シロに会えて、こちらも嬉しいです。

なぁ、シロ?」


『にゃん!』


「日程はどのくらいですか? どちらへ行かれるのですか?」


 聞くと、老婦人は南方の島の名を上げた。


「その辺りにまだ居るはずなのです。なので、お花だけでも供えてこようかと」


「そうでしたか」


 木々から、夏の強い日差しが漏れて、濃い影を作った。


「私と兄は、随分、歳の離れた兄弟で、間に六人いたのですが、末の妹ということでとても可愛がってくれました。

優しくて、頭の良い、自慢の兄でした。

出征する日に、大事にしていた猫を私に預けて行ったんです」


 老婦人は昔を懐かしむように、遠い目をしながら語り始めた。


 猫は白い毛並みが見事で『シロ』と呼ばれていた。

 帰らぬ主人の代わりに、その妹が面倒を見ることになった。

 シロは子猫を生み、その中で、やはり白い毛並みで生まれた子猫を繋ぎ、嫁入りの時も連れて行き、今のシロまできたという。

 大事な長兄の形見なのである。

 今更ながらそんな猫を、うちの双子たちが勝手に連れてきたことに冷や汗が出る。

 母猫は亡くなってしまったので、正真正銘、最後の白猫だったのだから。


「分かりました。シロのことはお任せを。

どうぞお気をつけて行ってきて下さい」


 何度も頭を下げる老婦人を見送った後、お節介とは思ったけど、こっそり手をまわして、航空便の座席をグレードアップさせてもらった。

 夏休みで混んでいたけど、まぁ、そこはそれ、いざという時のために用意されている席があったりなかったりするのだ。


 シロは大人になったとは言え、やっぱり我儘で、俺に付いて回った。

 この猫が真白ちゃんじゃなかったら、どうしてこんなに俺に懐くのが、逆に説明がつかないくらいだ。


 ただ、暑さも盛りに、この熱を発する白い毛玉に擦り寄られるのは、なかなか辛いものがある。

 冷房が利いてはいるが、膝の上に、いつも湯たんぽを乗せているみたいだ。


「シロは暑くないのか? 俺は膝に汗疹が出来そうだぞ」


『にゃ、にゃん!』


 猫って、自分から涼しい場所を見つけるのが上手いと聞いたけど、シロに限っては、俺の膝の上、一択のようだった。

 それにしても、寝る時にまでひっつかれるのはさすがに困る。

 しかも、胸の上に乗ってくるのは勘弁して欲しい。

 熱さに加えて、重さで寝苦しい。


 真白ちゃんに会ってから、悪い夢というものを見ることはなくなったのに、シロが来てから、妙な夢を見るようになってしまった。

 彼女が暑気あたりで寝込んでいるから、力が弱まっているのかな。

 などと、雨宮家の迷信深さがこちらにも波及してきたようだが、世の中には、説明出来ない不思議なことも、どうやらあるらしい、という事が分かった。


 その日も、夢を見た。

 最近見る、お馴染みの夢で、ただ真っ白い空間の中、シロと一緒にさ迷う夢だ。

 ただそれだけなのに、とても息苦しくて、起きると、寝汗がひどい。

 今日は、それが特にひどかった。

 所謂金縛り的なものにかかっている。

 いや、シロの重さのせいだ、と頭では理解しているが、動けない。

 「うんうん」唸っているのが分かるが、起きられない。


 そうしている内に、向こうに人影が見えた。

 こんなことは初めてで、俺はシロを抱き上げて警戒しようとしたが、白猫は身を捩って、腕から抜け出してしまった。


「シロ!」


 叫ぶ俺に見向きもしないで、猫はとっとっと、尻尾をピンと立て、人影に駆け寄った。

 そんなことも初めてだった。


 驚いて見ていると、人影がシロを抱き上げた。

 徐々に輪郭がはっきりしてくると、軍服を着た男性の姿になった。


 男性はシロを愛おしそうに抱きしめた後、俺を見て、頭を下げた。

 そして、そのまま消えた。


 その瞬間、金縛りが解けた。

 飛び起きると、胸の上に乗っていたシロが振り落とされ、抗議の鳴き声を上げた。


 ぜいぜいと息をして、ベッドの脇に置いてある水差しから水を注ぐ。

 手が震えて上手くグラスに溜まらないのに業を煮やし、半分ほどで口にする。

 口からこぼれた水が胸元に伝い、冷たくて気持ちがいい。


 悪い夢を見た……と言うのは、失礼な表現だった。

 先方はそういうつもりはなかったのだろう。

 ただ、おそらく、よくは知らないが、そういうものの力が影響しただけだ。


「シロ……ごめん。びっくりして」


『にゃ!』


 床に落ちたままのシロを抱き上げて、謝った。


「お前の……お前たちのご主人様に会ったようだよ。

とても大事にされていたんだな」



 三日後、老婦人がお土産と、それから白い小さな骨壷を持って、シロを引き取りに訪れた。

 シロだけでなく、少しは物の道理が分かって来た双子たちは、涙目だったが、大騒ぎはしなかった。

 最後に、とひたすらかまいたおして、シロが嫌がり、高い所に逃げてしまったが。


 それを微笑ましく見つめた老婦人が、白い小さな骨壷を膝に置いて、俺に言った。


「兄が見つかりました」


「そうでしたか」


 それ以上、言葉が続かず、無言で手を合わせた。


「すぐに兄と分かったんです。どうしてか分かりますか?」

 

 問いかけだけど、正解を求められている訳ではなかったので、素直に頭を振った。


「一緒に写真が見つかっていたんです。兄は本当にシロが好きだったんですね」


 古びた写真には、あの夢で見た軍服姿の男の人が一方の膝の上に猫を、もう一方の膝におかっぱ頭の少女を乗せて微笑んでいた。

 もしかしたら、とは思っていたけど、こうやって実際、顔を確認すると、さすがに背中が涼しくなる。

 だが、写真の男性はどこまでも優しげに微笑んでいる。


「あなたのことも大事になさっていたと思いますよ」


「ふふふ、小野寺の若様はお優しいですね。

そのお優しさに免じて許して下さいね。

こんなことを言うのは失礼かもしれませんが……」


「なんでしょうか?」


 老婦人がまじまじと俺を見た。


「若様は、兄さまに少しだけ似ています。なんだか、私、少女の気分に戻ったようですわ。

シロもきっと分かるのね。だから、あなたによく懐くのだと思います。

私も、昔は随分、初代のシロと兄さまの膝をめぐって喧嘩しましたのよ」


「ありがとうございます」


 自分でも、似ているような気がしていた。

 なのに、写真の中の人物には、俺の『父親』に似ている所は全く無かった。

 それが、また、嬉しかった。


「こんなことを言うのは失礼なのかもしれませんが……」


 今度は俺が申し出た。


「はい? なんですか」


 少女の気分に戻った老婦人は、あどけなく首を傾げた。


「シロにお婿さんはいかがですか?」


 提案すると、迷ったような顔された。

 自分はもう歳で次の子猫達の世話は出来ないかもしれないから、去勢させようかと思っていた、と。


「以前のシロは、お外にも出していたんですが、最近は交通量も増えて、危ないから、ずっと家で飼うことにしましてね。

出会いもないし、発情期の時など、可哀想かなと思っていて」


「そうですね、シロの子猫達の世話はこちらで責任を持ってします。

可愛い猫だから、子猫も引く手あまただと思いますし、最高の雄猫を見合わせますから。

私もシロを任された気分なので、どうかお願いします」


 「そうですね、折角、ここまで繋いできた子たちですものね。小野寺のお家なら、安心して後を託せると思います」と老婦人は承諾してくれた。


 小野寺邸では、白い雄猫を飼うことになった。

 もともと、双子たちの収まりがつかなかったので、猫は飼うことに決まっていたのだ。

 雄が白猫でなくとも、シロの血統には必ず白猫が生まれるから、好きな猫を飼うといいですよ、と助言されていたが、確率を上げるためにも、白い猫を選んだ。


 血統書付きの最高の雄猫だった。

 なのに紅子と緑子によってチャーミング・アレキサンダー

と名付けられた雄猫を、シロは嫌った。


 「こういうのは、相性ですから」と、鷹揚に微笑む老婦人の家に、うちのチャーミング・アレキサンダーのどこが気に入らないの! と憤る双子はバレエ教室の後に、よく遊びに行くようになった。

 繁殖期の時は、シロを預かっていたので、老婦人の方が遊びに来るようになった。



 飼い主同士の仲は非常に良かったが、猫同士はそうはいかなかった。


 しかし、どういう訳か、シロの腹は膨らんだ。

 人間の知らぬ間に仲良くなったのだ、とみんなで思いこんでいたら、シロは小野寺邸内で茶色のブチ猫を六匹も生んだ。

 シロの血統は、それこそいろんな雑種と交配されてきたらしく、その中には茶色いブチが居たのかもしれない。


 すっかり母猫となり、自分とは似ても似つかぬ子猫を舐めるシロを取り囲みながら、そうみんなで納得しかけた。

 その中には真白ちゃんも居た。

 当然だけど、シロは真白ちゃんの化身ではなかった。

 不思議なことに、あの夏の日の夢以来、シロはずっと大人しく普通の猫に近くなって、俺にそれほどまとわりつかなくなっていた。


「また次の機会がありますから」


 ブチの子猫達の可愛らしさに目を細めた老婦人が言った時、突然、小野寺邸の警備隊長・武熊さんが飛び込んできて、そのまま土下座の恰好で固まった。


「申し訳ありません!!」


「どうした武熊?」


 義父が代表して問いただした。

 顔を上げた武熊さんは傷だらけで、懐が妙に膨らんでいた。


「大丈夫ですか?」


 真白ちゃんが優しく声を掛けた。武熊さんは彼女のお気に入りなのだ。


「真白お嬢様!!」


 絶望の様相の武熊さんの懐が大きくうごめき、中から茶色い塊が飛び出て来た。


『ぶなぁー』


 ふてぶてしい鳴き声、眼光鋭い目、そして、かなり大きな茶色い『ブチ猫』だ。


 その場の全員が、子猫とその姿を見比べた。

 ブチ猫は悠然とシロの側に行くと、子猫を生んだばかりで気が立っているはずの母猫の顔を舐めた。

 シロはそれを当然のように受け入れている。


「こねこのおとうさんだ!」


「シロのだんなさまだ!」


『にゃぁ……』


 紅子に抱かれたままのチャーミング・アレキサンダーが情けない声をあげた。


「申し訳ありませんーーー!!」


 再び武熊さんが叫ぶように謝った。


「わ、私が居ながら、こんなどこの馬の骨とも知れぬ野良猫の侵入を許し、あまつさえ、大事なお嬢様に手を出すのをみすみす見逃すなど……」


 場に気まずい沈黙が訪れた。


「どこの馬とも知れぬ野良猫が……」


 秋生が呟き、夏樹が続けた。


「大事なお嬢様に手を出した……」


 そして、二人の弟は俺に視線を向けた。


「えっ!? いえいえいえいえいえいえ!! そういう意味では!!」


 武熊さんが狼狽しまくり、こちらに助けを求めてきたが、俺は、俺はと言うと……。


「シロ! お前はこんなザ・野良猫みたいな猫が好きなのか?

どこがいいんだ? チャーミング・アレキサンダーの方がずっと綺麗で格好いいじゃないか」


 崩れ落ちたままの姿勢で移動して、シロの顔を覗きこむ。


『にゃっ!』


「っ痛!」


 久々に猫パンチを顔面に食らう。


「とっても素敵な猫じゃないですか? 冬馬さんはどこが気に入らないんですか?」


 真白ちゃんがブチ猫を抱き上げて、俺の脇にしゃがみ込んだ。


『びゃー』


 満足そうな鳴き声を上げてブチ猫は、真白ちゃんの胸の中を堪能していた。


「君はその猫のどこが気に入った訳? シロに相応しいと思う?」


 シロだけじゃなく、真白ちゃんまでこんな猫を気に入っているのが分からない。不満だ。


「思います!

この子は、すごく……えっと、なんていうか、生命力が強そう? 生活能力がありそう?

あと、そう! シロのこと、守ってくれそうです!」


『にゃにゃん!』


「そうなのね、シロ! 守ってくれたのね」


『にゃーん』


 ブチ猫を抱いたまま、真白ちゃんはシロの頭に手を伸ばした。

 そんなことをしたら、シロに攻撃されてしまう、と焦ったが、シロは真白ちゃんの手を受け入れた。


「私の旦那さまになる人もね、私のこと、守ってくれるのよ。ね?」


 そう言われてしまうと、俺は反論出来ない。

 見れば、ブチ猫は、なんとなく俺に似てなくもない。

 と言うことは、シロの本当の飼い主にも似ているのだ。

 シロのタイプはどうやら、血統書付きのチャーミング・アレキサンダーではなく、こちらの野良猫のブチのようだ。

 世の中には麗しい雨宮一よりも、小野寺冬馬が好きな女の子がいるのと同じこと、という訳か。

 自分のことを棚に上げ、愛しいものにはこちらが思う最高の相手を……と先走ってしまった。


 こうなってくると、可哀想なのはチャーミング・アレキサンダーだ。

 彼は何も悪くはない。

 勝手に連れてこられて、我儘なシロに振り回されて。

 お詫びに、可愛いお嫁さんを探してあげよう、とその時は思った。


 結局、ブチ猫はシロと一緒に老婦人の家に引き取られることになった。

 ブチ猫は抵抗すると思いきや、大人しく従ったので、相当、シロのことが好きなんだろうと、俺の顔を見ながら、みんなに言われた。

 名前もシロ争奪戦に勝ったから、という意味で『ウィン』と付けられたけど、『ウィンター』のウィンにも思えて、なんとも言えない気持ちなった。

 シロとウィンの間に出来た初めての子猫達は、里親達へと貰われていった。

 その中には夏樹も含まれていた。あいつは一連の出来事で、幼い頃の猫好きに火がついたようで、猫を飼うために、ペット可能物件に引っ越すに至る。

 真白ちゃんもブチの子猫がいたく気に入ったので、自分の手元に置きたがった。

 が、彼女の家はペット禁止だったので、『真白ちゃんの猫』という名目で、小野寺邸で飼うことになった。

 結婚したら、俺の家に一緒にやって来る予定だったのだが、面倒を見ているうちに義父が情を移してしまい、連れて行こうとしたら何とも言えない情けない顔をされたので、そのまま小野寺邸に留まることになる。

 それは別にいいのだけど、ブチ猫を口実に、頻繁に真白ちゃんを呼び寄せ、滞在させるのには困ったものだった。

 苦情を入れると、だったら本邸に住めばいい、仕事で家を空けがちのくせに、と言われるので、黙るしかなかった。


 その後もシロはウィンの子猫を生んで、何度目かの出産で真っ白な雌猫が生まれた。

 この雌猫と、チャーミング・アレキサンダーが仲良くなって、それはそれは美しい白猫をたくさん産むことになる。

 その白猫たちが、後に『小野寺の繁栄と開運を招く白猫』と珍重されるようになったのは、また別の話。


 でも、だからってと言って、俺に娘が生まれたとしても、雨宮一なんかに渡すつもりはないからな!

 と、生まれたばかりの白い子猫を抱きながら、想像で憤っていたら、「気が早いですよ」と大きなお腹をした真白ちゃんに笑われてしまった。





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