お酒は二十歳になってから(真白視点)
私は早生まれだったが、それが原因で特に困った記憶はなかった。
身長なんて、小学生高学年の頃には、学年一になったくらいだ。
かと言って、得だと思ったこともない。
でも、今は、三月生まれでとても良かったと思っている。
胸元に付けた『未成年につき、飲酒禁止!』とご当地キャラが精一杯厳めしい顔で注意を喚起しているバッチを見ても、私は満足だ。
二月生まれの同級生が近寄ってきて「来年の成人式の同窓会でも、このバッチをつけて出席するんでしょう?早生まれって損よね」と愚痴っても……だ。
「大体、成人式に出席するのに、未成年っておかしくない?」
「仕方がないわよ。成人式は学齢でやるんだもの。
一年後だったら、知らない後輩達と出席しないといけないし」
「それはそうなんだけどね」
「でも、納得できない~」と、その子は、バッチのご当地キャラを指で弾いた。
可哀想に。
思わず、顔をしかめてしまった。
頑張る人を応援したがる若社長は、故郷の為に奮闘するご当地キャラも応援したくなるようで、様々な土地のキャラグッズを私にお土産としてくれる。
私も自然と、興味が沸いてきて、さっきもお祝いにやってきたバッチのキャラと写真を撮ってもらった。
未成年バッチを見つけて、「お酒はまだ飲まないように」と短い手足で懸命にジェスチャーしている姿が、とても可愛かった。
あとで若社長に見せてあげよう。
限定のオリジナルグッズももらったし、それも―――。
「真白?聞いてる?」
「―――うん、ごめん。
ねぇ、成人している先輩達だって、お酒を飲んでいない人もいるわよ」
ざっと、母校の中学校の創立百周年記念パーティーの会場を見渡す。
赤ら顔で声が大きくなっている人もいるが、若い人達は、意外とウーロン茶率が高かった。
こういう集まりの割に、若い子達が多いのは、私も三年の時に担任だった先生が、この春、定年を迎えたのだが、人気の高かったその先生も出席すると聞き、教え子達がここぞとばかりにお礼とお疲れ様会を一緒にしてしまおうと企んだからだ。
私も高校受験の時、とてもお世話になったので、率先して参加することにした。
そんな経緯があって、二十歳前の子達は、未成年バッチを付けて、『間違って』飲酒しないような対策を施されているのだ。
これは、地元の成人式後の同窓会の会場でもとられている措置らしく、それを参考にしたそうだ。
そう、私のような早生まれの子供は、十九歳で成人式を迎えるので、成人式後の同窓会と言っても、全員が成人とは限らないという現象が生じるからだ。
「成人式が済んだら、大人の証明として友達同士でお酒を酌み交わす、っていうのを、やってみたかったの。
ま、私の誕生日に改めて、みんな集まってくれるらしいけど……真白は平気なの?」
「ふふふ、婚約者に、叱られるから」
それどころか、飲酒が出来るようになったら、まずは病院に行ってアルコールの適正検査を受けるように、とまで言われている。
それから、信頼のおける大人と一緒に、少しずつ飲むように、と。
「信頼できる大人の人って、若社長ですか?」と聞いたら、「まさかありえない。義父さんか、それこそ、君のお父上とか、瑠璃子さんとか……ああ、真崎さんとか、海東とか、サークルの先輩も駄目だね」と答えられた。
過保護すぎる!
でも、一応、のろけておく。
だって、婚約が決まったのだけでも嬉しいんですもの。
恩師にも旧友達にも、言い触らしちゃった。
その報告も、このパーティーに出た理由の一つだ。
「―――ですか。
しかし驚いた!結婚するなんて!で、式はいつ?
きっと招待はされないだろうけど、みんなでお祝いの電報くらいは打とうって、さっき話したの」
「ありがとう!……えっと、一応、来年にはする予定なんだけど、まだちょっと正式には決まってないの」
思わず、ため息が出そうになった。
幸せはたくさん持っているが、何一つ、逃したくないので、慌てて飲み込む。
「えっ?真白ちゃん、来年の一月に成人式なの!?」
若社長は私が大人になる度に、いちいち驚く。
女子大生になった時もそうだった。
昔は、不安定な関係だったから、私をいつまでも子供として扱うことで、恋愛対象として見ないようにしていたのは分かった。
けど、婚約までしておいて、この反応はない。
さらに、父も、悲観的な声を上げた。
「どういうことだ!来年の成人式は、お前はまだ二十歳前じゃないか!」
「成人式は学齢でやることがほとんどだからな」
おじい様がしてやったりの顔で答える。
どういうことなのか……と思ったら、どうやら父は私が二十歳になるまで結婚を認めないという条件の他に、成人式を過ぎてから、というのも付け加えていたらしい。
「成人式に振袖を着せてやりたいだろう」という理由だ。
この時代、結婚していても、二十歳ならば、振袖を着ても許されると思われるけど、あくまで結婚式までの時間を引き延ばしたい口実なので、何を言っても無駄。
若社長もそれに従うことにしていたようだ。
それが、一気に形勢逆転。
あの博識の父が、私の成人式の時期を見誤ったのは意外だったけど、おかげで、結婚式の時期が早まることになったのは、喜ぶべきことだ。
小さくガッツポーズまでしてしまったし、今も、満足なのはそのせいだ。
若社長も失念していたが、おじい様はしっかり分かっていた。
その上で、敢えて息子である父には内緒にしていたのだ。
それは、成人式関係のダイレクトメールの類は、おじい様の指示で、戸田さんが止めていたことから分かる。
うちにくる手紙は全て、編集部が改めているのだ。
振袖はその代わり、しっかり用意していてくれた。
私は、なんとなく来年が成人式とは理解していたが、準備とかは念頭になかった。
なるほど、思い返せば、ある時期に、リサや友人達はせっせと振袖見学会に出掛けていた。
声が掛からなかったのは、私と姫ちゃんは、レンタル振袖には興味がないと思われていたからだ。
ちなみに姫ちゃんは、生まれた時から計画され、手間暇も資金も惜しまず制作された人間国宝の手描きの加賀友禅を着ると聞いた。
つまり、用意していないのは私だけだったのだ。
そんなうっかり親子に、瑠璃子さんと島内さんはあきれながらも、当日の準備や前撮りの算段をしてくれた。
次の次の年の成人が準備を始めようかという時期だったが、小野寺家には着付けが出来る人も、懇意にしている写真館も、美容院もあったので、問題はなかった。
成人式の前撮りの写真の段階で、父は泣いて、若社長は逃げた。
あの人はまだ、私が大人になるという現実を受け止められないでいる。
けど、そろそろいい加減、私が大人だってこと、認めて欲しいものだ。
もうすぐ結婚するんだし。
成人式の振袖の口実が敢え無く砕け散った後も、父は諦めなかった。
私の第一希望の六月は、「欧米で気候のいいジューンブライドでも、日本じゃ梅雨だ。天気が悪いぞ。株主総会も多いから、出席者に迷惑だ」
七月は「もう暑い日も出てくるのに、正装で客人を呼ぶ気か?」
八月は「暑いだろうし、夏休みだし、お盆休みだ。遠方からくる客人は交通機関も大変だろうな」
九月は「まだ暑い日が続いているし、台風もくるぞ」
十月は「台風シーズンだな。運動会もあるから、忙しいだろう」
十一月は「年末に向けて繁忙期だ」
十二月は「年末は避けろ。雪も降るかもしれんな」
一月は「年始は忙しい。雪も降るぞ、お前は雪女だからな」
二月は「年度末が近い。インフルエンザも流行っている。年寄りには辛い日程だ」
三月は「年度末は避けろ」
四月は「新年度はあわただしいからな。人事も分からないから、あらかじめ招待客を呼ぶのに適していないぞ」
五月は「ゴールデンウィークもあるし、花粉も飛んでるから、外には出たくないだろうな」
じゃあ、いつ結婚式を挙げればいいの!!!というレベルの言いがかりをつけてきたのだ。
若社長は若社長で、なんだか呑気だし。
いっそ、式は上げないで、入籍だけでもしたい、と訴えた。
が、小野寺家の対面上、それも無理という有様だった。
「―――いいえ、必ず来年の六月にはしてみせる!梅雨時期だってかまわないわ。ガーデンを諦めればいいんでしょ!雨なんていつでも降るわよ!」
「ま、ましろ?」
「あ、ごめん、こっちの話。
日程が決まったら、連絡するわね。
全員を招待することは無理みたいだけど」
いつのまにか集まってきた同級生に囲まれて、私は謝った。
「いいわよ。式は。でも、二次会企画するから!来てね」
「そうそう、二次会。
旦那様の友達と一緒に二次会!」
目を輝かせ、迫ってくる女の子達の迫力に一歩引く。
でも、そうか、結婚式の二次会は出会いがあるのね。
「あっ……」
しまった、大事なことを忘れていた。
「ただ、あの、だ……わ……えっと、婚約者の人がね、ちょっと年上だから、お友達はみんな結婚してるかも」
最後の砦の牧田さんも、小巻さんと結婚しちゃったし。
周囲からがっかりしたため息が漏れた。
ごめんなさいー。
「仕方がない!けど、真白の旦那様は見たい!」
「そうそう、恰好いいんでしょ?」
「「「「あの、妖精の騎士って本当!?」」」
かつて『妖精』プロジェクトの時、私の窮地を救ってくれた若社長はそんな風に呼ばれ、若い女の子の人気を集めていた。
高校の卒業式にも、女子生徒達が鈴なりになったものだ。
今日、迎えに行こうか?と提案してくれた若社長を断って良かった。
「恥ずかしいから」という理由を誤解されて、ひどく傷つけてしまった気はするけど。
せっかくだから、小野寺グループでするお披露目パーティーを二次会代わりにして、みんなを招待しようかしら?
それなら、若い社員さんと出会いもあるし、若社長に集中しないで済みそう。
その為には、まず、結婚式をしないと。
こうなったら、この所、考えていた最後の手段を使うしかない。
雨宮家から打診があった養女の件だ。
姫ちゃんとの縁談を断った代わりに、私を雨宮家の娘として小野寺家に嫁がせたいとの申し出があったのは、まだ、私だけの秘密だ。
父や若社長に話したら反対するに決まっている。
私も母の名前『椛島』を捨てるのには抵抗があるけど、結婚すれば、どうせ『小野寺』になるんだもの。
その間に、別の名字が挟まっても大した問題じゃないと思うの。
それよりも、雨宮家側が小野寺家に『娘』の結婚を催促することに賭けたい。
よし!それで行こう!
私は来た時と同じくらいの満足感で、会場を後にした。
「また、悪巧みをしているの?真白ちゃん?」
一際目立つ長身の人が、慈しむような微笑みを私に向けて、不本意なセリフを吐いた。
考え事をしながら、会場から離れていたので、友人達は遠くの方に居て、彼の姿を認めていなかった。
多分、それも見越して、私に話しかけてきたのだろう。
迎えにこなくてもいい、と言ったのに。
それでも、こうして来てくれると嬉しい……ことには違いないけど。
「悪巧みなんかしていません!!!なんですかそれ!!!」
「真白ちゃんは最近、人の恋路に頭を突っ込み過ぎだから。
久しぶりに会った友達の為に、要らぬお世話をしようとしているんじゃないのかな」
「そんなこと、考えてませんよ!」
なんて失礼なの。『要らぬお世話』なんかじゃないもの。
『必要な出会いのプロデュース』なの!
そして、その為に、まずは私の結婚式を実現する計画を立てるのは、悪巧みではないでしょう?
「本当に?」
「……本当です」
「真白ちゃん?ほうれんそう、忘れないでね」
手を取り、耳元で囁かれると「ごめんなさい。白状します!」とやってもいない罪まで認めてしまいそうになる。
代わりに手を繋ぎ直す。指を絡ませる、恋人繋ぎと言われるものだ。
瞬間的に引っ込められそうになる手を、戒めるように強く握る。
もう!どうして私が積極的に誘わないといけないの?
若社長は『モデル喰い』と言われた女ったらしじゃないの?
結婚するまでは、と、キスとちょっとしたスキンシップがあるくらいで、男女の……大人の……そういう関係に至っていないのだ。未だに。
猫耳メイドの時は、うまくいきそうだったのにな。
あの時、ちょっとだけ怖じ気付いてしまったのを、若社長に悟られてしまった。
それ以来、彼の理性の壁は改めて厚く、高く、改築されたようだ。
だって仕方がないじゃない。
若社長に触られるのは嫌いじゃないけど、怖くもある。
覚悟を決めたと言っても、初めてなのだ。
そこは多少、強引でも押し切ってもらわないと、踏み出せないじゃないの。
折角の恋人繋ぎだけど、途端につまらなくなって、外してしまった。
そうすると、残念そうな顔をする恋人の気持ちが分からない。
「パーティー、楽しかった?」
「はい。ご当地キャラに会いましたよ。可愛かったです!」
まるで幼稚園の帰りみたいな会話になる。
スマホの画像を見せると、片眉が上がった。
何か気にいらないみたい。
「この中の人、女の人かな?」
どうやら、キャラが私にくっついているのに嫉妬しているようだ。
相変わらずだけど、ご当地キャラに中の人の話題は厳禁だ、と言ったのは若社長なのに。
「中の人なんか、居ませんよ」
いけない。頬を膨らませてしまった。この子供っぽい癖は直さないと。
「……そうだね」
はぁ、と恋人からため息が出た。
その時、私は若社長の手に、マジックと思われるもので、何か書かれているのに気が付いた。
『フライング禁止』
「なんですか、それ?」
「君を俺の車で迎えに行くって言ったら、君のお父さんに書かれた。意味は聞かないで」
「……なんとなく分かります。私、子供じゃないですから」
こんな風に父に見張られていたら、それは若社長だって、私を前に躊躇するだろう。
それでも試してみたい。
私の『大人の魅力』と言うものを。
「誰にも言いませんから、もう一回、あの繋ぎ方してくれませんか?」
父からの戒めが書かれた手の甲を、私のそれで軽く叩いてみた。
「―――この妖怪娘」
若社長は正面を向いてつぶやくと、私の手を握り直し、引っ張るようにして、駐車場に向かった。
怒らせたかな、と思ったが、車に乗り込むやいなや、尋ねられた。
「真白ちゃん、化粧直しの口紅持ってる?」
「いいえ」
シートベルトを締めながら何気なく答えた後、赤面した。
以前、何かのパーティーに出る際、きちんとメイクしてもらった顔のまま、こっそり物陰でキスをしたら、私の口の周りと若社長の口にべったり口紅が付いてしまったのを、島内さんに見つかって、散々、絞られたことがあったのだ……『大人』の若社長のみ。
何か問題があったら全て彼の責任にされるのだ。
私は諦めて、座席シートにもたれたのだが―――。
「『大人』なら、持っていないと。
ああ、でも、たくさん美味しいものを食べたみたいだね。
すっかり剥げてるから、大丈夫かな?
……で、いい……かな、その……」
「いちいち聞かないで下さい。恥かしいから」
「真白ちゃんは、恥ずかしがり屋さんだね」
運転席から助手席に身を乗り出し、身体を覆いかぶされて聞かれたら、恥かしいに決まっている。
暗い地下の駐車場とはいえ、パーティーが終わって、迎えの車がひっきりなしに入っては出ていくのも、理由の一つだ。
知り合いに見つかったらどうしよう。
いいえ、若社長の大きな身体に遮られて、きっと気づかれないに違いない。
そう自分に言い聞かせ、唇を重ねる。
いつもは優しい口づけが、今日は性急な感じがする。
情熱的で、貪るような……荒々しい……そんな感じ。
頭が真っ白になって、その隅に、不安の黒い染みがポツンとあらわれる。
ここで引いたら、負ける。
そう思って、自ら、腕を若社長の首にまわしたのに。
今度はそれが切っ掛けで、彼の理性を目覚めさせてしまった。
しばらくハンドルに突っ伏して、一人反省会をしたらしい若社長は、ようやく立ち直ると言った。
「―――ごめん。
このままフライングしたい所だけど、君のお父さんが小野寺邸で仁王立ちで待っているから今日はここまで」
「今日は?」
やはりいい雰囲気にはなっていたのだ。
この押しの弱さが、私の『子供』の部分なのかしら。
「うん、今日は……続きはその内、隙を見て……ね」
横目で見られると、身体が熱くなった。
ハンドルを握る若社長の手には『フライング禁止』。
私の胸元には『未成年』バッチが付いたまま。
思わずバッチのキャラの顔を友人と同じく指で弾いたら、「こら!」と叱られた。