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【番外編】妖精とクマ  作者: さぁこ/結城敦子
【妖精とクマの日常】
13/16

クッキーと恋の賞味期限(真白視点、第四章五話補足)

 久しぶりに外出し、懐かしい我が家に一時帰宅した日、夕飯を食べ終えた私は小野寺邸の西翼にある客室に引っ込んだ。

 今日は早く帰ってきた秋生さんが紅子ちゃんと緑子ちゃんをお風呂に入れると張り切っているので、私の出番は無しだ。

 ちょうど良かった。

 私は自宅から持ち出した荷物の中から、ずっと冷凍庫で保管していた若社長から貰ったチョコチップクッキーを取り出した。

 ほどよく解凍されている。

 

 若社長から初めて貰ったチョコチップクッキー。

 もったいなくって、ずっと大事にしまっておいたけど、引っ越しすることになり、冷凍庫から出すことになった。

 再冷凍は無理だろうから、今日か、明日には食べてしまわないといけなかった。

 お腹はいっぱいだったが、今、食べるのが一番、いい。


 袋から取り出し、一口齧った所で、ふと、思いついてしまった。

 人に見られたら恥ずかしいから、と、こっそり持ってきたものだったから、食べるのもひっそりとすべきだったのに―――。


 部屋を抜け出すと、中庭に面したバルコニーに出る。

 ここから茂った木々を通して、ほんのわずかだが、東翼の窓が見えるのだ。

 

 あそこが若社長の部屋かしら?


 窓を数えて、あたりをつける。

 電気がついているので、部屋にいるのだろう。

 きっとお仕事をしているんだわ。


 うっとりと、あの人の姿を思い浮かべながら、チョコチップクッキーを食べ始める。

 甘くて美味しい。

 大事にゆっくり、二口目を口にした瞬間―――


「ああ!ましろおねえさま!ずるい!べにこもたべたい!」


「ねるまえにおかしをたべちゃ、いけないんですよ!」


「緑子の言う通りだよ。

真白ちゃん、夜にお菓子食べると、太りますよ」


「真白お嬢様、お夕飯、足りませんでしたか?」


 お風呂から上がったばかりなのだろう。

 ほかほかと湯気をたてている紅子ちゃんと緑子ちゃんと、その父親の秋生さん。

 そして、メイドの島内さんだ。


 見られた。

 もっと長くお風呂に入っていると思った。

 私と一緒に入る時は、とても長風呂で、のぼせる寸前まで遊んでいるというのに。


「その……そう、ちょっと……小腹がすいてしまって」


 若社長に頂いたクッキー云々は内緒だ。

 知られたら恥ずかしいもの。

 だけど、紅子ちゃんには伝わらなかった。


「べにこも!べにこにもちょーだい!」


 私のクッキーに手を伸ばしてくる。

 これが普通のクッキーだったら、快く、譲ってあげるんだけど―――「だ、駄目よ!これは駄目!」と、 大人気無く拒絶してしまったら、紅子ちゃんに泣かれてしまった。


「まぁ、真白お嬢様、いけません!このクッキー、賞味期限が去年のものじゃないですか!

これチョコチップだと思ったら、もしかして、カビ?」


 目ざとい島内さんが、私の手にしていたクッキーの袋の賞味期限を見て、驚いて叫んだ。


「なんで、そんなクッキーがこの家にあるの?」


 幼い子が、そんなものを口にしたらどうするんだ、と言わんばかりの秋生さんの視線を感じる。


「違うんです!違うの!これは以前、若社長が私にくれたクッキーなんです!

ずっと冷凍保存していたから大丈夫です!―――あ」


 言ってしまった。


「兄さんに貰った?ずっと冷凍していた?どういうこと」


 うわぁああああ、その明晰な頭脳で、事の次第を推測するのは止めて下さい。

 クッキーを握りしめたまま、私は失神しそうになった。

 いくら好きな人から貰ったとはいえ、一年近くも大事に取っておいて、いざ、食べる時は、その人の部屋を眺めながら食べるなんて……気持ちが悪い女って思われたらどうしよう! 


 救いなのは、バレたと言っても、小野寺邸の中でも、冷静で口の堅そうな秋生さんと、メイドの島内さんだったことだ。

 この二人だったら、きっと大丈夫だ。


 そんな風に思っていた時も、私にはあった。

 秋生さんにはなんでも筒抜けの瑠璃子さんがいるのだ。

 島内さんはは、どうやら『真白お嬢様の可愛らしいエピソード』として言い触らしてくれたらしい。

 翌朝には、あっという間に小野寺邸に噂は広がり、お昼頃には、小野寺出版側から過去の事情を考えた結果推測されたクッキーの出自がばれ、夕方には、全ての事情が知れ渡っている有様となった。

 

 こんなことだったら、もっと早く食べておくべきだった。

 ううん、誰にも見つからないように、自分に用意された部屋で食べるべきだった。

 

 そして、夕方、帰ってきた若社長を玄関ホールで出迎えた時、彼の手から小さな袋を手渡された。


「はい、お土産だよ、真白ちゃん」


 開けてみると、あの社食のカフェのチョコチップクッキーが入っていた。


「真白ちゃん?」


「いっ……」


 ゃああああああ!!!


 ――――――私は恥ずかしさのあまり、自室に駆け込んで閉じこもった。


「うっ、うっ、若社長にまで知られてる。

恥かしい。もう、顔を見れないよぉ」


『ぐうぅううううう』


 こんなにも乙女心が傷ついているというのに、お腹は空くのね。

 若社長の、他のみなさんと顔を合わすのが気まずくて、夕飯の席を欠席していた。

 子供じみていると思うけど、恥かしいのは恥ずかしいのだ。


 小野寺出版の社食のカフェの可愛らしい赤い紙袋を開けて、チョコチップクッキーを取り出す。

 賞味期限はまだ一週間先の出来立て。

 冷凍庫臭さもない、サクサクで風味豊かなクッキー。


「……お、美味しい。

うっ、くすん。

やっぱり、貰った時、すぐに食べるんだった……ごほっ」


 夢中で食べたら、むせてしまった。

 ベッドの脇に、いつも水差しが用意されているので、それを取りに行こうとした。

 今日はまだ就寝の準備に島内さんが来ていないので、水は昨日の夜のものだったけど、平気だろう。


 立ち上がった時、ドアがノックされた。

 二回。

 

 若社長には独特のリズムがあると思う。

 だから、すぐに彼が来たのだと分かった。


 よりにもよって、今、一番会いたくない人。

 けれども、無下には出来ない。

 出来るはずがない。

 そうでなくとも、怪我をしているのに、ここまで来てくれたのだ。


 ドアを開けると、湯気が立つ食事を載せたトレイを持って立っていた。

 この姿も、あの日の出来事を思い出させる。


 美園に襲われて、若社長が関わる一大プロジェクトを台無しにしかけた時、驚きと悲しみで泣きじゃくっていた私に、彼はチョコチップクッキーとココアを持ってきてくれたのだ。

 そのチョコチップクッキーは、いくら冷凍保存とはいえ賞味期限が切れているから、と言われて、島内さんに取り上げられてしまった。

 私は抵抗したかったけど、そういう姿を見せると、若社長への気持ちを大々的に宣伝することになるので、自重するしかなかったのだ。

 それでも、各自、勝手に私の気持ちで十分すぎるほど盛り上がっているんだけど……。


「真白ちゃん、大丈夫?

体調が悪い?

そうでなかったら、ご飯食べないと」


 スープと温野菜のサラダに、小さな塩おむすびだ。

 ミルクと砂糖たっぷりの紅茶もある。


 若社長は部屋に入ってきたけど、扉は半分開けてある。

 本来なら、男の人と部屋で二人っきりになる時は、そうであるべきなのだ。

 なのに、扉の影にいるであろう『誰か』を思うと、少しガッカリもする。


「今、クッキーを食べたので、そんなにお腹は空いていません」


「そうみたいだね。クッキーのかすが口の端についているよ」


 優しく微笑まれたけど、いつかのお茶会のように取ってはくれなかった。

 先日の寝室での一件で、若社長は私に対する対応ににかなり気を付けているのが分かる。


「……一体、何があったの?

クッキーを見るなり、血相を変えて逃げていくから、俺、何かしたのかと」


 へぇ?

 私は若社長の心配そうな、不安そうな顔を見た。

 

「知らないんですか?」


「何を???」


 今朝から屋敷中を席巻しているあの噂を、彼は知らないようだ。

 おそらく彼だけ、知らない。

 そういう連絡網になっているらしい。


「えっと、じゃあ、なんでクッキー……を?」


「今朝、元気がなさそうだったから……でも、レモンメレンゲパイの方が良かったよね。やっぱり」


 ……私ときたら、なんて大馬鹿娘なのかしら!

 若社長の心遣いを無下にした上に、こんな心配させて、おまけにガッカリさせてしまうなんて。


「いえ、クッキー、嬉しかったです。

ただ、ちょっと……その……」


 下手な言い訳をすると、余計な誤解を生むかもしれない。

 思い切って、真相を打ち明けると、若社長は目を見開いた後、笑った。


「笑わないで下さい!」


「だって……そうか、だからあんなに家に帰りたがったんだ。

真白ちゃん、君って本当に……いや、なんでもない」


 何かを察したのか、扉の影から夏樹さんが出てきて、兄を連れて行こうとした。


「真白ちゃん、ちゃんとそのご飯、食べるんだよ。

それから、クッキーも。今度は賞味期限が切れないうちにね」


 若社長が涙目で笑いかけた。

 そういう笑顔も素敵だ。


「あとさぁ、くっだらないことで、食事の席を欠席するのやめてくんない?

いい迷惑だから」


 お兄さんは優しいのに、弟さんは厳しい。

 もっとも、弟さんの言う方が正しいのだ。

 本当に、こんなことで、みなさんに迷惑をかけてしまった。


「真白ちゃん、そんな顔をしないで。

また明日、クッキーを、いいや、レモンメレンゲパイを買ってきてあげるから、ね。

元気出して」


「うわぁ、太るね。ブクブクと」


「夏樹!」


「本当のことじゃん。

毎日、夜食にそんな高カロリーなもの食べたら、真白ちゃんじゃなくって、真豚ちゃんになるよ」


 真豚……は嫌だ。


「若社長、お気持ちはありがたいけど、クッキーは結構です。

でも、今日はありがとうございます。

これは大事に……賞味期限内に頂きます」


「そう?そうだね……じゃあ、お休みなさい」


「はい、お休みなさい」


 私はまた一人になった。

 けれども、心はほんわかしている。

 若社長と会うと、いつもそんな気持ちになれる。


 クッキーの賞味期限はいつかくるけど、私の若社長への気持ちに、賞味期限はないと思う。

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