表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【番外編】妖精とクマ  作者: さぁこ/結城敦子
【雨宮姫の結婚】
12/16

後編(姫視点)

 私の初恋は敢え無く破れた。

 勘違いだったのかもしれないけど、その時は、本気だったのだ。


 小野寺冬馬さんの優しそうな笑顔に恋をした。

 あの真白ちゃんに向けられる慈しむような微笑を自分に向けて欲しかった。

 

 それは無理な願いだった。

 冬馬さんは真白ちゃんが好きだったからだ。

 彼の微笑は愛しい恋人の為だけに、あるものだ。


 では、今度の恋はどうかしら?

 勘違いなのかどうか、確認したくて、テレビ局に押しかけた。

 迷惑かと思ったけど、真白ちゃんにも相談したら、賛同してもらえた。


 私と彼女は一時、冬馬さんを巡って、仲違いをしたけれども、すっかり仲直りしている。

 わだかまりが無くなったかどうかは分からない。

 冬馬さんのことは今でも快く思っている。

 素敵な人だもの。


 欲しいと願って、手に入れられなかったのは初めてだった。

 これまでは欲しい物も、やりたくないことも、何も考えなくても良かった。

 それはなんて幸せな事、そして、なんて不幸せなこと。


 恋は苦しいけど、それがあったから今の私があるのだと思う。


 だから冬馬さんには感謝している。

 ―――あら、いけない。

 私としたことが未練がましい。

 

 失恋の傷を癒すには、新しい恋だと、人は言う。


 そして、私は新しい恋を見つけた。


 ただ問題がある。

 

 彼の笑顔に恋をした。でも、やっぱり、それは私に向けたものではなかった。


 もっとも前回よりは救いはある。

 微笑の対象が人間の女の子ではなく、子犬だということだ。

 それから、研究もね……これはちょっと手ごわいかも。



 私はティーカップを持ったまま、稔さんの話を聞いていた。

 最初は内容を理解しようと、熱心に耳を傾けていたけど、途中からどんどんついていけなくなってきた。

 写本の勉強をしている身としては化学の素養がない訳はないけど、遺伝子関係の踏み込んだ所になるとさっぱりだ。

 それでも彼の話は楽しいと思う。


 研究にかける熱い想いが伝わってくるからだ。

 目が生き生きと輝いて、本当に大好きでたまらない、といった感じだ。

 隣のエリィ姉さまが渋い顔をしているけど、私は、全然、嫌ではない。


 研究の話だけではなく、自らやっている競技・バイアスロンについての話も同じだ。

 子犬の時もそうだった。



 雨宮邸で生まれた子犬は五匹いたが、その中で一匹、生まれた時から小さく、弱々しい子がいた。

 野生だったら生き残れないかもしれない。

 でも、ここは雨宮邸。

 全てから守られ、与えられるままに生きていける場所。

 あの子だって、そうあるべきだった。

 

 獣医師さんにも見せたし、栄養がありそうな餌も、手間もかけた。

 しかし、どうも思わしくなくって、とても心配していて、時間があれば、その子犬の所に行っていた。

 

 そんなある日、子犬達の寝床を覗き込む、大きな人影を見た。

 その人は子犬を乱暴に取り上げてはひっくり返したり、尻尾を持ち上げたり、耳をひっぱたり……とにかく手荒な感じに見えたのだ、その時は。

 私はすっかり気が動転してしまって、この大きな人間から小さな子犬を守ろうと、手近にあったお父様が大事にしているブロンズ像を手に取って、振りかぶった。


 「うわぁ!」と、その大きな人は言った。

 彼にお茶でも出そうと、側を離れていた雨宮家の使用人が慌てて止めに入って、事情を説明してくれた。

 とんだ早合点で、顔から火が出そうな恥ずかしい思いをした。

 エリィの弟の稔さんは、鷹揚に許してくれた上に、子犬について様々なことを教えてくれた。

 もともと、彼の家の犬を、雨宮が貰い受け、育てていたのだ。

 獣医師の資格は持っていても、実地の経験は少ないと言っていたが、その犬種の取り扱いに関しては、稔さんの方が詳しかった。


 子犬を膝に抱き、熱弁をふるった上で、ニッコリ笑った稔さんは素敵だった。


 少年のような微笑み方―――ここだけの話、ちょっとだけ冬馬さんに似ている。


 誰からも大事にされ、丁寧に接してもらえる私なのに、どうして、望む相手にだけは、微笑んでもらえないのかしら?



『ないものねだりなんじゃないかって、不安なの。

お兄様みたいに、手に入らないからムキになっているんじゃないのかって』


『―――でも、好きなんでしょう?』


 何度目かの問いかけに電話越しの真白ちゃんは辛抱強く付き合ってくれている。

 一度、冬馬さんの声が聞こえたけど、「先に寝てて下さい」と真白ちゃんは追い払ってくれた。


 そっか、二人は夫婦だから一緒に住んでいるし、一緒に寝ているのだ。

 ……うわぁ、途端に恥ずかしくなる。高校時代からの友人が大人に見える。

 自分はひどく子供っぽく感じる。


『お兄様は、まだ真白ちゃんを好きなのよ。

最近では、いろんなパーティーに出席して、女の人とも会話しているけど、それもこれも、真白ちゃん以上の人を探す為なのよ。

でも、そんな子、滅多にいないわよ』


 自分でもいい加減、稔さんの話題は繰り返しすぎたと思い、兄の話をした。

 雨宮家の長男が結婚しないでいるのは、そろそろ大問題だ。

 真白ちゃんは人妻なのに、いつまでこだわるつもりなのだろう。

 それでも、真白ちゃんの心を射止めた冬馬さんへの闘争心からか、仕事に身を入れていることに、祖父と父は安堵していた。

 兄の真白ちゃんへの拘泥は、その父、小野寺文好への憧れが根底にあるのだと思う。

 雨宮家の御曹司としての誇りを持つ一方で、兄はその束縛を疎む気持ちも持っていた。

 身近にすべてを捨てた人間が居る。

 小さい頃から、不思議と小野寺文好について知りたがっていて、それは祖父と父の心配の種となっていたらしい。

 真白ちゃんに興味を持ったのも、その一環に違いなかった。

 その気持ちを恋と勘違いしたまま、兄は生きている。

 困ったことだ。

 

 私もそうだったら?

 

 真白ちゃんや子犬に向ける笑顔を、自分が欲しいと望むあまり、恋と勘違いしているのかもしれない。


 また、話が戻ってしまった。


『ねぇ、真白ちゃん。確かめたいのだけど、次はいつ会えるのかしら?

子犬の件はエリィ姉さまが引き取りにくるらしいの』


『うーん、所属している大学に行くしかないけど、理由がねぇ……あ!』


『なぁに?』


『あるじゃないの!ぴったりの場所が!行っても、押しかけているようには見えない絶好の機会が!!!』



 電話の声が弾んでいた。

 さすが真白ちゃん!

 どんな些細な話も聞き逃さず、利用する。恋の指南役だ。




 

 一緒に行こうか、という真白ちゃんの誘いは断った。

 

 実は冬馬さんから呼び出された。

 

 私達が恋だ愛だと浮かれている気持ちに、非常に現実的な事実を突き付けられた。

 真白ちゃんが冬馬さんの説教癖についてこぼすことがあったが、この時ばかりは、私もそれに同意した。

 大人の経験と理屈で、私達のような世間知らずの娘を説得しようとしてくる。

 自分がとても愚かな気分になる。


 彼の心配するように、私がこうしてみんなから親切にされるのも、何不自由なく暮らしているのも、全てはいつか雨宮家の娘として嫁に行くからだ。

 あの子犬も私も、野生では生きていけない。

 雨宮家と、嫁ぐ家の庇護を受けなければ、一体、どうやって生きていけばいいのかしら。

 洗濯というものも、掃除というものも、やったことの無い私が。

 エリィ姉さまの表情はそういう意味だったのだ。


「冬馬さんがいけないの。

私と結婚して下さっていたら、こんな辛い想いをしなくても済んだのに」


 勘違いだって、好意は好意だ。

 望まない人に嫁ぐのとは違う。

 祖父や父が、私がお人形のような人間のままでいいと思って育てたのは、このせいなのかもしれない。

 駒が『自分』を持つのは辛いだけだ。

 自然と涙がこぼれた。


「悪いと思ってるよ。

だから、今回のことは協力させて欲しい。

ただし、真白ちゃんは巻き込まないで。

と言うか、正直、あまり頼らない方がいいよ。

あの、ここだけの話、真白ちゃん、ちょっとズレているから……なのに自分は凄腕の恋のキューピットだと思う込んでいるのが、もう、ねぇ」


 「困っているんだよ」と、こめかみを抑えて、コーヒーを飲む冬馬さんは、私の涙なんかに心を乱されなかった。

 頭の中、全部に真白ちゃんが詰まっていて、入り込む余地は全くない。

 ―――入り込むつもりもないけど、少しは心を動かして欲しい。

 私は今、自信が欲しいのだ。

 そんなに男性に対して魅力がないかしら?


 今度の恋もまた、勘違いで終わりそうだ。

 冬馬さんから聞かされた事情を鑑みれば、その方がいいのかもしれない。

 彼の協力と言うのも、その後押しかもしれない。



 それでも、私は凍える身に、熱い想いを宿して、冬の雪山へと降り立った。



「やぁ!驚いた!どうしたの?」


「こんにちは。

驚かせてしまってすみません。

あの、稔さんの応援に来ました」


 「バイアスロンに興味を持って」、と言えば良かったけど、それは真剣に競技に取り組んでいる彼に申し訳ない気がした。

 過去の試合の映像とかは見て、勉強をしているけど、ルールを覚えたばかりだし。動機は不純だし。


「―――ありがとう。

来てくれていると分かっていたら、もっと頑張ったのに。

表彰台を逃してしまって、恥ずかしいなぁ」


「そんなこと!ありません!

だって他の方たちは、いつも訓練している方々じゃないですか。

稔さんは研究の傍ら練習していて……それなのに、四位だなんて、素晴らしい成績だと思います!」


 そう言うと、顔中に笑顔が広がった。

 これは私にだけ向けられたもの。心臓が跳ねた。


「あれ〜?兄貴!」


 後ろから、男性グループがやってきた。

 みんな見事な体格をしている。出場選手だと思われる。

 そして、台詞から考えると、真ん中の男性は、エリィ姉さまと稔さんの弟の……「豊さん?」。


「―――か、可愛い子が自分の名前を知っている!」


 周りの男性が「ひゅーひゅー」言って、雪を掛けたり、雪玉を投げられ始めた。

 雪まみれになりながらも豊さんは私に近づいてきた。


「兄貴の知り合い?良かったら、これから飲みに行きませんか?交流会みたいなのをするんですが。そんな羽目は外しませんよ」


 箱入りの箱入りな私は、一般の方が行くという飲み会にとても興味があったけど、こんな男の人ばかりの集団に混ざるのは躊躇せざるを得ない。


「ごめんなさい。お酒は、嗜まないので」


「そうですか。兄貴はどうする?」


 あまりしつこくされなくて良かった。きっと社交辞令だったんだわ。


「うーん、ちょっと用事があるから辞めとく」


「用事?」


「そう、用事。じゃあな、豊。

次の試合は負けない」



 優勝した弟さんに、不敵に宣言する稔さんは、凛々しくて格好良かった。

 これはやはり恋かもしれない。

 もっと確かめたいけど、用事があるそうなので、これ以上は無理そう。


 そう思ったのに、豊さん達を見送った稔さんはこちらを向いた。


「これからご用事は?」


「……あ、ありません」


 意外な申し出に驚いた。


「よければ、これから少しお付き合い願いますか?

折角、応援に来てくれたのに、なんのお礼も出来ない」


「お礼なんて……」


「と言っても、他力本願。

この近くで、小さい雪まつり……みたいなイベントをやっているんだけど、一緒に見に行きませんか?

―――ああ、やっぱり駄目?」


 あまりの出来事に、絶句していると、稔さんが照れたように頭を掻いたので、大慌てで、首を振った。


「いいえ!行きたい!行きたいです!!!」


「良かった」


 また笑いかけてくれた。私だけに、と確信したくて、つい、左右を見回してしまう。

 大丈夫。彼の視界には私しかいない。


 道すがら、初めてバイアスロンを見た感想などを話した。

 スキーは出来るのかと聞かれたので、素直に「スイスに行った時に、やります」と答えてしまった。

 「スイスで!」と驚かれたので、自分の答えに、冬馬さんからの忠告を思い出してしまった。

 リサさんに言わせると、普通?の家の子は、毎年、夏にスイスに行ったりはしないそうだ。

 お土産を渡すたびに「このお嬢!」と言われるのもそのせいだ。

 でも、稔さんは『私が毎年、スイスの別荘に遊びに行くような家の娘』という事実ではなく、『私がスイスでスキーをした』という事実のみに、関心を持ってくれた。


「私もスイスの山で滑ってみたいんですよね。どんな感じなんですか?」


「えっ?」


 困ってしまった。

 私と言う人間は、つい数年前まで、この世の全てに無感動無関心な子供だった。

 スイスはただ毎年行く所。それ以上でも以下でもない。

 雨宮の本邸と何が違うのかも分からない。


 情緒豊かな女の子ならば、風景の良さとか、空気とか、美味しいものとか、そういうのを巧みな表現で伝えただろうに。

 本に出てくるヒロイン達は、みんなそういう子ばかりだ。

 

 それでも懸命に、稔さんの知りたそうな事を話した。

 雪質とか、コースの具合とか、角度とか、そんなつまらないこと。


 なのに、稔さんは感心した様子で頷いて聞いてくれた。

 その上、「姫さんは、客観的に物事を見られる方なんですね」とまで言ってくれた。

 『客観的』……私の無機質な感情も、そういう見方が出来るのね。


 


 小さな雪まつりは、それはそれは楽しかった。

 きらめく蝋燭の光が、雪の白さに反射して、何倍も煌めいて見えた。

 

「寒くありませんか?」


「いいえ、ちっとも!」


 こんなに満ち足りた気分になったのは生まれて初めてだった。


 ああ、これが恋なんだわ。本当の恋なんだわ、と思った。


 「子犬のことを教えて欲しいから」「子犬の様子を知らせたいから」と言う理由で、メールアドレスを教えてもらうことに成功した。

 冬馬さんのアドバイスだ。

 私に恋心を教えた人は、そのことの責任を取るかのように、協力を惜しまなかった。

 

 おかげで、連絡を取り合うことが出来、何度も会えることが出来た。

 その度に、想いは強くなった。

 稔さんは私が背負っている『雨宮家』ではなく、私の行動、私の考え、私の気持ちだけを見てくれる。



 冬馬さんは、私が海外に留学するも勧めてくれた。

 写本の研究は、国内より国外の方が進んでいるので、行きたいとは思っていたけど、その後押しをしてくれたのだ。

 「雨宮邸にいるよりも、縁談を持ち込まれにくいよ」と。

 それに、護衛付とは言え、自立する一歩でもあった。

 アパートメントを借り、洗濯も掃除も、料理も、出来るだけ自分でするようにした。

 同居人は先に留学していたリサさんだ。

 一人でないのは心強かった。 

 洗濯に失敗し、料理を焦がし、リサさんに「このお嬢!」と罵られたけど、その内、すぐに慣れた。

 考えるほど難しいことじゃなかった。

 その内、リサさんに「あんたのその些細なことに拘らない性格。意外と世の中に対する適応力が高いのかもしれないわね」と褒めらるまでになった。


 しかも、そうこうしている間に、稔さんもやって来た。

 なんでも、ずっとこちらの大学の研究所から声が掛かっていたらしい。

 彼は長男で、実家をすぐに継げないまでも、国内に留まって、折々に手伝いに通うべきだと考えていたそうだ。

 でも、エリィ姉さまが、豊さんと一緒に、このまま才能を埋もれさせるのは惜しい、とご両親を説得したらしい。

 渡航費用や滞在費用は、冬馬さんが援助したらしい。

 

 研究に没頭するあまり、食事も睡眠も忘れる稔さんだったが、バイアスロンの練習と、私に会う時間だけは作ってくれた。

 こっそりアパートメントを抜け出し、二人で映画を見たり、ミュージカルを見たり、美術館にも博物館にも行った。

 小さい頃に見たことがある演目も、美術品も、稔さんと一緒だと、ちゃんと実を持って、私の心に迫ってくる。

 感想も言い合える。

 二人とも、造詣が深くないので、勝手なことを言い合って、笑い合えた。


 冬にはスキーにも行った。

 私はどうやらスキーが上手だったらしい。稔さんにちゃんとついていくことが出来た。

 伊達に毎年、スイスでスキーをした訳ではなかった。

 感情は伴ってなかったけど、技術は身についていたのだ。

 

 普通の方とお付き合いするのに、『お嬢様育ち』はハンデかと思ったけど、そんなことはなかった。

 それどころか、考えようによっては、役に立つことも多い。


 一年も経たずに、自分が何もできなかった『お嬢』だとは、とても信じられないまでに成長した。

 我ながら、なんてしっかりしているんだろう、とまで思った。

 

 リサさんには事あるごとに、「このお嬢!いい加減にしなさいよ!」と言われ続けているけど。

 そうは言っても、稔さんに会うアリバイ工作に協力してくれる、良い友人だ。

 稔さんとのお付き合いは雨宮邸には内緒なのだ。

 私が叱られるのは構わないけど、そのせいで、彼の研究の邪魔をされたり、妨害されるかもしれないと思うと、とても言い出せなかった。

 それがたとえ、道理に反することであってもだ。


 かつて、真白ちゃんが冬馬さんと安易に婚約の誓いを立てなかったのを『道理に反しない立派な行為』だ言ったことがあったけど、世の中にはそうもいかないことを知った。

 

 その真白ちゃんと言えば、一度だけ遊びに来てくれたことがあった。

 その時は、三人で高校生に戻ったみたいに楽しんだ。

 素敵な時間。そして、娘時代の最後の時間だった。

 それからすぐに、真白ちゃんは人の子の母親になった。


 丸々と太った、立派な男の赤ちゃんを抱いた真白ちゃんは「大きすぎて、生むのが大変だったの。四キロ近くもあるのよ。私も大分、太ったし……体重、戻るかしら?」と、嘆息しつつも、誇らしげだった。


 そういう私も、真白ちゃんに一年遅れて同じ身になった。

 今度は倫理観の方もお留守になってしまった結果だ。

 でも、後悔はしない。何があってもこの子を産んで、育てないと。大事な稔さんとの子供だもの。


 雨宮の両親は激怒し、エリィ姉さまは血相を変えて駆けつけたけど、ここでも冬馬さんが口添えしてくれた。


「雨宮家は財界、政界、名門名家とあらゆる縁を築き上げましたが、学閥をお忘れじゃないですか?

彼の研究は将来、大きな利益をもたらすと思いますよ。

私はそれを見越して、彼に投資しています。

雨宮家にも、必ず、大いなる名誉と名声をもたらすでしょう。

それはお金では買えないものです」


 あまり好きな言い方ではない。

 稔さんの研究は、困っている人達の為のものなのに、金儲け目当てみたいな言い草。


 そう訴えたら、冬馬さんはこう答えた。


「でも、君の稔君が言うよりはいいだろう?

君の為なら、稔君は、俺と同じセリフでご両親を説得するよ。

彼はね、君を手に入れる為なら、自分の志を押し殺すくらいはするよ。

だけど、彼の口で、言わせてはいけない。

分かるよね?

純粋に研究する気持ちを、失わせたくないだろう?

―――さて、これで君のご両親が納得してくれるといいんだけど」


 結論が先延ばしにされている間に、雨宮邸に連れ戻されていた私のお腹はどんどん大きくなっていった。

 ちょうどその頃、稔さんは、素晴らしい論文を書き上げ、若手の研究者に与えられる栄誉ある賞を受けることになった。

 それを順風に、さらに冬馬さんは、一押ししてくれた。


「本来ならば、姫さんは私と結婚するはずでした。

しかし、結婚したのは、椛島真白……いいえ、雨宮真白。

真白ちゃんが現れたことによって、雨宮家は、姫さんを温存したまま、同じ結果を生み出すことが出来た。

だからいいじゃないですか?姫さんは雨宮家の駒である前に、あなた方の娘です。

決して悪い相手ではない。将来有望だし、何より愛し合っています。

私に嫁がせたと思って、好きな相手と結婚させて下さい」


 両親は折れた。折れざるを得なかった。 

 他の男の子供を宿した駒を、雨宮の名で無理矢理、適当な家に嫁がせるよりも、稔さんの可能性に賭けた方が、娘の名誉と幸せの為にもなるのだ。

 私は雨宮の両親に言った。「いつかきっと、小さい頃から習ってきたワルツが役に立つ日がきますわ」と。

 父は泣いていたが、母は思いの外、さっぱりとした顔をしていた。


「女の子は好きな人と結婚すべきなの。

そうしたら、幸せになれるわ。お母様みたいにね」


 泣いていた父が、唖然とした。

 政略結婚だったが私の両親は幼馴染同士で、真白ちゃんのお父様ともそうだっのだが、父は長い間、妻は自分の従兄弟に憧れていて、出来ればそちらに嫁ぎたかったに違いない、と思い込んでいたらしい。

 だからあんなに真白ちゃんのお父様に敵意を燃やしていたのね。

 誤解が解けると、父は浮かれた。

 つまり、父も母を愛していたのだ。

 

 最初の反対はなんだったの?と思うほどの歓迎で、稔さんは迎えられた。

 

 兄様が独身のままだったら、お腹の子が雨宮の後継者になるかもしれない、とまで言われた。

 それは出来れば避けたいから、子供を産んだ後、真白ちゃんに相談して、二人で誰か相応しい人を見つけてあげようと思う。


 冬馬さんは嫌な顔をするかもしれない。


 でもね、私は聞いてみた。


「これまでのお力添えに感謝いたしますわ。

聞いてもよろしいかしら?

どうして私の為にそこまでして下さったのですか?」


 冬馬さんは私を見た。


「真白ちゃんのお願いだからですよ、勿論」


 そうして、私を見ながらも、私ではない、愛しい相手に向けて微笑んだ。


 ほうら、誰が何と言おうと、真白ちゃんは凄腕の恋のキューピットだ。

 彼女は冬馬さんを使って、私の恋を叶えてくれたんだもの。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ