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とある傭兵と運命との再会

「やーい、鈍間(のろま)のリュディガウス! お前なんかグーレラーシャの恥さらしだ!!」

「ファウルシュティヒ君……傭兵になるのは諦めた方がいい。人間少なからず得手不得手があるものだ」

「お前また最下位だったんだってな。いい加減諦めた方がいいんじゃねーの?」

「えー、こいつと組むのかよ……おい、お前、俺の足を引っ張るなよ」


昔の俺に向けられた酷い言葉の数々が頭の中をこだまして、どす黒い感情が溢れ出そうになるのを我慢する。

久々に思い出す嫌な記憶だ。

俺がまだ成人する前、リュディガウスという名前だった頃。

グーレラーシャ傭兵国に生まれた俺は成人したら当然のように傭兵になるのだと思っていたものだ。

しかし生まれたはいいが肺が弱く病弱で、いつも寝込んでばかりいた俺は同年代の子供たちより身体が小さく体力も劣っていた。

幼年学校も休みがちで成績は最低。

何とか王立傭兵学校に入るも結局途中で中退。

憧れていたグーレラーシャの赤狼や獅子のようにはなれないのだと諦め、いつしか俺は国を出ることすら考えるようになっていた。

親父は俺が生まれる前に戦場で命を落とし、お袋も俺が22歳の頃に病気で死に、それを機に俺はリュディガウスと名乗ることをやめる決意をする。

グーレラーシャ伝統の立派な名前を名乗ることが恥ずかしかったのだ。

そうして、グーレラーシャの恥だと言われて育った俺には相応しくない名前を捨て、新しくリュディガーと名乗った俺は大陸北にあるシュホリド耕作国に向けて旅立った。

飛行艇など乗れる余裕があるはずもないので、なけなしの金をはたいて乗り合い馬車を乗り継ぎ歩いて行くこと数ヶ月。

時には賊に、獣にと襲われ死に物狂いで逃げ延び、ひ弱な足には辛い旅路を死ぬ覚悟と根性だけでシュホリド耕作国まで歩き通した結果、俺はいつの間にか体力がついたことに気が付いた。

死ぬ気でやれば何でもできるとわかった俺は小麦農家に住み込みで働くことになり、そのまま28歳くらいまでシュホリド耕作国に滞在してある程度お金が貯まると放浪の旅に出ることにしたのだ。

俺の獲物であるジャマダハルはその旅の途中で出会ったものだ。

俺がこの獲物を選んだ理由は簡単だ。

大剣でもなく大槍でもなく地味な両手剣だったジャマダハルはその柄を握り拳を突き出すだけで殺傷することが出来るため、剣術を学び終えていなかった俺でも扱える代物だったからだ。

まさかこんなに長い付き合いになるとは思っていなかったが、それから数多くの修羅場を掻い潜って戦場に立ったお陰で立派に成人し、35歳を過ぎた頃にグーレラーシャに帰国することができた。

生活の為に傭兵ギルドに登録しようにも資格など持ち合わせていない俺は、今まで溜め込んできた貯金をはたいてもう一度王立傭兵学校に入校し、高等剣士の資格を取るに至った訳だ。

二度目の学校の奴らとは年が離れていたが気にしてはいられない。

生きていくために必要と思えることは何でもやったし卒業してからは戦場から戦場へと渡り歩く生活だったがグーレラーシャの傭兵らしく生きていきたいとの願望はますます募っていく。

そんな殺伐とした生活をしていたものだから、ついた二つ名は『穿孔のリュディガー』。

ジャマダハルを手に戦場を駆け、一撃必殺、急所をひと突きってところだろう。

たまに昔の知り合いが俺を『リュディガウス』と呼ぶが、そのことが堪らなく小っ恥ずかしかった。



◇◇◇◇◇◇◇◇



なんだ、やけに眩しいな……うっ!!


時空を渡っている時に思い浮かんだ最悪な記憶は、眩しい光と共に散り散りになる。

時空を渡るのがこんなにも気持ち悪いとは知らなかった。

胃がよじれたような感覚に息を詰め、目を開けた次の瞬間、俺は公園のような広場に立っていた。

グーレラーシャの空気とは明らかに違う異世界の空気。

「なんだここ……これが『コウキョガイエン』ってところなのか?」

夜に近いのか薄暗く、周りにはやけに明るい街灯が立ち並んでいる。

砂利が敷き詰められた広い敷地には木がぽつぽつと生えており、赤い光の点いた小さな建物の前には見覚えのある紺色の服を着た男が立っていた。

多分あれがケイサツカンの男の制服だ。

そいつに道を聞こうにもいわゆる不法入国者な俺は捕まる可能性の方が高い。

資料には外国人はパスポートと呼ばれる身分証明書を持ち歩かなければならないと書いてあったが、当然そんなもんは持っているはずがない。

見知らぬ土地にいる緊張感からかつい腰の獲物に手をやり、それから武器の類は全て置いて来たことに気がついた。

三つ編みに仕込んだ隠し武器まで外したのは初めてのことで、かなり心許ないが仕方がない。

「ここから遠くないところに『ケイシチョウ』があるはずなんだが……ケイサツカンの巣窟に俺が行っても大丈夫なのか?」

持ってきた資料の地図を見ると『サクラダモン』という古い門の向こう側に『ケイシチョウ』があると描いてあった。

ここの文字は読めねえし、これは通りすがりの奴に聞くしかないか。

キョロキョロと辺りを見回すが地元の奴らのような者は見当たらず、明らかに観光客のような団体や着飾った女性たちしかいない。

遠くを下着姿のような人々が黙々と走り、スーツ姿の男性は足早に歩き回っていて道を聞けそうになかった。

キョロキョロとあたりを見回していた俺は気が乗らないまま観光客がたむろしている方へ歩いてから少し様子を伺う。

するとちっこい通信機のようなものを操作している集団のおばさんと目が合い、何故か「はろー」と声をかけられた。


『はろー』ってなんだ?


まあいい、あのおばさんなら無害そうだから道案内くらいはしてくれるだろう。

『ニホン』にあわせて武器は持っていないし服装もそれっぽいものを着ているのでなんとかなるはずだと思い、俺はおばさんの集団に近付く。

「すみません、『サクラダモン』はどっちにあるかわかりますか?」


……なんだよ。

なんでそんなに驚いてるんだ?

まさか言葉が通じてないんじゃねえだろうな?


「えっと、言葉が違いますか?」

「いいい、いえ、違わないわ……あなたニホン語がお上手ねぇ。びっくりしちゃったわ」

ゴージャスな巻き毛のおばさんが答えてくれたがその目は俺の頭に釘付けだ。

赤い髪がそんなに珍しいのか。

そんなに長くはないがグーレラーシャ風に三つ編み(レン曰く三つ編みとは言えないくらい下手くそ)をしているので確かに『ニホン人』とは違うが、俺からしてみればそのすげぇ巻き毛の方が気になるところだ。

「私は『サクラダモン』に行きたいのです。そこには『ケイシチョウ』もあります」

変な男がケイシチョウに行きたいなんて言ったら怪しまれるのでサクラダモンを強調する。

「桜田門? それならこの道沿いに行けばいいわ。でも警視庁は今日はお休みじゃないかしら。官公庁ですもの」

「そうね。今日は土曜日だから開いていないんじゃない? いつもなら中まで入れるみたいだけど、多分今日は外からしか見れないわよ」

ゴージャス巻き毛のおばさんとその隣にいたやけに髪が短い白髪交じりのおばさんが丁寧に教えてくれたが、休みとかケイシチョウはそんなんでいいのかと俺は別の意味で心配になる。

ケイシチョウ全体が休みならば犯罪者の取り締まりはどうしているのだろうか。

そしてレンはどこにいるのだろうか。

普通ならば昨日の夜にはグーレラーシャに来ていたはずのレンは未だに姿を現さなかったというのに。

「そうですか……でもありがとうございました。とりあえず行ってみます」

もう用はないので俺はそそくさとおばさんの集団から離れたが、彼女たちの視線はずっと俺を追っている。

やっぱりあまり目立つのはよくねえよな。

どうやらニホン人は資料にあるよりも身長が低いらしい。

図体がデカい赤毛の男なんて俺以外にまわりにはいねえし何故かみんなが注目しているみたいだ。

たまにどっかでみたような毛色の違う人種もいたが、奴らもまたニホン人からチラチラと見られていた。


教えてもらった道沿いをしばらく行くと確かに大きな古い門が見えてくる。

歴史的に価値のある門だということで説明書きが書かれた看板も設置されていたが文字が読めないのでそこにいたじいさんに聞いてみると、確かにサクラダモンだという。

この近くにレンが働いているケイシチョウがあるのだと思うと興奮を抑えきれなくなりそうだ。

「異国のお若いの、この門をくぐった先の道路を渡った角が警視庁になるぞ。あそこはまっとうな者が行くところじゃないが、あんた何かやらかしたのかい?」

「いいや、この国じゃあ何にもしてないぜ? あそこには惚れた女が働いていてよ、迎えにきたのさ」

俺はじいさんに対して片目を瞑りにやりと笑うと、じいさんもにやりと笑った。

「そうかいそうかい。今の若いもんもなかなかやるのう……うまくいくといいな」

「おう、ありがとよ!!」

俺は意気揚々とサクラダモンを抜けてじいさんが言った通りに進んでいく。

周りは空に届くくらいの高い建物ばかりで目が回りそうだ。

グーレラーシャの平屋に慣れていた俺には想像もつかないくらいの高さがありそうな建物は幾つもの窓からこぼれ出る明るい光でキラキラしていてどこか幻想的だ。

すっかり日が落ちてしまったが、建物が邪魔で月なんか見えそうにない。

ぼんやりしながら歩いていると通り沿いにある小さい建物の中から男のケイサツカンが出てきて何やら俺をじろじろと見始めた。


おっと、こいつはやべぇパターンか?


そう身構えようとした時、先手を取られてしまった。

「君、ちょっといいかな? えーっと、Wait!!」

「ああ、はい。何でしょう?」

このケイサツカンも俺をギョッとした目で見ている。

黒髪、黒い瞳のケイサツカンの腰には武器が入っているとおぼしき黒革の小さなケースが取り付けられていた。

これはケンジュウとかいう殺傷能力の高い飛び道具だが、滅多なことでは使われないらしい。


何だよ……どいつもこいつも。


「ニホン語がお上手ですね。ニホンは長いんですか?」

「いいえ、来たばかりです。ニホン語は母国の学校で習いました。今回は、えっと観光で」

「そうですか。どちらから来られたんですか?」

「グーレラーシャから……あんまり知られてませんが」

「グーレラーシャ?」


だーっ、何やってんだよ俺は!!

これじゃ、次には身分証見せろとか言われてしまいにゃあケイサツショなるところに連れていかれるパターンだろ、これ?

資料にも気を付けるべき項目にあったじゃねえか……これって職務質問ってやつだよな。


俺に質問してきたケイサツカンの後ろでは別の若いケイサツカンが通信機みたいな器械でどこかに連絡しているようだ。


まずい、応援がくる。


傭兵としての勘が逃げろと告げている。

そうして俺の予想通りケイサツカンの次の言葉は「パスポート見せて」だった。


だからそんなもんねーっての!!



◇◇◇◇◇◇◇◇



「リューさん!」

「レン!!」


最初は声だけが届き、次の瞬間にはレンが俺の膝の上に座り込んでいた。


俺はあの後2人のケイサツカンの前から逃げ出すことに成功した。

あんな茶番に付き合う余裕なんてない俺は「パスポートは宿泊先に忘れました」と適当に答えて踵を返し、追いすがるケイサツカンからひたすらに逃げた訳だが、それがまずかったらしい。

完全に俺を不審者扱いしたケイサツカンはしつこく追ってきたかと思うと案の定応援を呼んでいやがったのだ。

レンには会えねえしケイサツカンには追いかけられるし空気は汚ねえし、30分くらい散々走り回った俺は建物と建物の狭い隙間に身を潜めて周囲を窺っていたわけだが……。

そんな俺の上にいきなりレンが現れるなんて誰が想像するっていうんだ。

呆気にとられた俺にレンは容赦無く身体中をまさぐると眉尻を下げた。

「こんなに冷たくなって。リューさん風邪引いきゃうっ!!」

「あったけぇ……」

これはもう天啓に違いない。

レンが俺の膝の上にいるってのに抱き締めない手はない。

本当は抱き上げたいところだが俺の体勢がまずいので今はこれで我慢しよう。

本物のレンの温もりが俺の冷たくなった身体をじんわりと温めていく。


ああ、天国の温もりだ……。


「リューさん、リューさん! 本当に風邪引いちゃうから!!」

「レンが居ればあったかいからいい。それより何でここにいる? 『アーリィ様』か?」

「ええ、行き違いになった私をアーリィ様が飛ばしてくださったのよ」

「行き違い? どういうことだ。それよりレン、この1ヶ月はどうしていたんだ? 心配したんだぜ……」

1ヶ月ぶりにレンを満喫していた俺の頭の中にはムクムクと別の心配事が膨れ上がっていく。

「リューさん……心配かけてごめんなさい。1ヶ月くらい特捜、えっと犯罪捜査で詰めていて忙しかったのよ。休みがなくて」

「犯人は捕まえたのか?」

「それはもうばっちり!! 特捜が終わったから1週間休みをもぎとって……あらら、何か騒がしいわね」

レンが後ろを振り返り表通りの喧騒にジッと耳を傾けている。

レンの癖の一つだが、やっぱりこれは職業病だろう。

「あーたぶん、俺の所為だわ」

悪いことはしていないんだが、とこの見てくれの所為であらぬ誤解を受けてしまったことを正直にレンに話すと予想通りレンは呆れたように溜め息を吐いた。

「リューさんさんが悪いわけないじゃない……さすが能無し所轄の万年巡査よね。ごめんなさいね、嫌な思いをさせてしまって」

「この国じゃ俺は不審者だからな。ここにいたら見つかっちまうし、どっか隠れるところはないのか?」

これだけ天を突くような建物がひしめいているんだ、一つくらい隠れ家みたいなところがあってもいいはずだ。

「えーっと、ここって半蔵門側? 新宿に紛れ込めばリューさんも目立つことはないわね。あそこはニホンであってニホンじゃないから」

「歩いて行けるのか?」

「ちょっと遠いけど、監視カメラに映るのはよくないから歩いていくしかないわ。20分か30分くらいだけど大丈夫?」

「そんくらいなら朝飯前だ。なあレン、このまま抱き上げて行ったらマズイか?」

「目立つからだめ。寒いんなら途中で上着を買うから我慢してちょうだい」

そういう意味ではないのだが、レンには微妙に通じていないらしい。

せっかく抱き上げるチャンスだったってのに、今は状況が許さないようだ。

俺は名残惜し気にぎゅっとレンを抱きすくめると立ち上がる。

「行こうぜレン。あんたの住む街を案内してくれよ」

「リューさんってのんきね。でもまあいいわ」

はぐれないようにとレンが手を繋いできたことに俺は密かに感激しながら夜の『シンジュク』へ向けて歩き出した。



◇◇◇◇◇◇◇◇



途中でレンは俺に膝丈くらいの『ミリタリージャケット』と頭を隠す為の『イヤーマフ付きミリタリー帽』を購入してくれた。

レンの趣味なんだそうで俺が言うのも何だがよく似合っている。

「結構暖かいな。高かったんじゃないか?」

「いつもお世話になっているからいいのよ。それね、こっちの世界の軍隊が使ってるものなの。リューさんに似合うだろうなって思ってたけど、完璧ね」

どことなく嬉しそうなレンに俺も嬉しくなる。

さらにレンは『ジドウハンバイキ』という便利な機械で缶に入った温かいコーヒーを購入してくれた。

『ニホン』が高度な機械文明が発達した国であることは資料を読んで理解してはいたが、グーレラーシャとのあまりの違いに目が回りそうだ。

『シンジュク』への道のりは少し遠回りをした所為で結局30分くらいかかった。

どうやら『シンジュク』に着いたらしいがレンはどんどん進んで行く。


ニホンであってニホンでない場所か……。


確かにニホン人より異国風の人種の方が多いくらいなので俺が紛れ込むのに丁度いい。

「どこに行くんだ?なんて言うか……『ジドウシャ』だっけかあの箱の乗り物、あれは何だが苦手だな」

色とりどりの『ジドウシャ』と呼ばれる乗り物は便利そうだが竜みたいな速さで走っている。

見ているだけでも目が回るってのに、あんなものに乗ったら悪酔いしそうだ。

「運転したら楽しめるかもよ? 免許が必要だけど……」

「俺は飛行艇も苦手なんだぜ? 機械ってのは便利そうだが扱い方がわかんねえよ」

「リューさんっておじいちゃんみたい……」

「なんだって? 俺はまだ124歳だっての!!」

この世界じゃ十分じいさんな年齢っていうかすでに死んでいるはずの年齢だが、グーレラーシャじゃ男盛りの現役だ。

「はいはい、そんなおじいちゃんには美味しいご褒美をあげるから機嫌直して?」


美味しいご褒美って何だ? あんたを抱き上げる許可でももらえんのか?


ワクワクしながらレンに着いて行った俺は微妙な肩透かしを食らった気分になった。

『クロダヤ』というでっかい店の地下に入ったレンは宝石みたいにキラキラした菓子が並ぶショーケース群の前に立つと声音を低くして俺を責める。

「真姫奈ちゃんとひーさんに聞いたわよ……随分無茶苦茶したみたいね、『穿孔のリュディガー』さん?」

「だってよ……俺だって心配したんだぜ。あんたに何かあったんじゃねえかって、気がきじゃなかったんだよ」

ヒフィゼギルド管理官長を脅したことは悪かったと反省しているが、俺にとってはレンの方が大切だ。

グーレラーシャの恋狂いの男ならそれくらい当たり前なのだが、異世界の住人であるレンには理解し難いことなのだろうか。

「リューさん?」

「はい、反省してます」

「迎えに来てくれてありがとうございます。だからご褒美……甘い物大好きなんでしょ? こっちの世界のお菓子、好きなだけ買っていいわよ」

嫌いじゃない、むしろ普通のグーレラーシャ人以上に好きだと自負している。

だが、今の俺にはレン以上の甘い物などないように思えてならなかった。



「はい、この丸リューの印がリューさんのケーキね。こっちが真姫奈ちゃんとひーさんの分、こっちは傭兵ギルドの皆さんの分」

「俺の手は二つしかないんだからそれ以上は無理だ。あの繊細なケーキは揺らしたら終わりだからな」

俺の両手にはケーキや焼き菓子、ワガシの箱が小積み上がっている。

落とさないように注意しながら歩くのは至難の技だが美味いケーキの為なら頑張れるってもんだ。

この菓子箱の為に繋いでいた手を離さなくてはならなかったことは惜しいがな。

裏路地の隙間に立った俺は箱から匂ってくる甘い香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

「だって呼び出されちゃったから私は行けないもの。明日の夜にまた行くからケーキでも食べて待っててね」

菓子を買っている最中にレンのスマホとかいう通信機が鳴り、明日の午前中に仕事が入ったのだ。

書類の訂正だけらしいがその度にいちいち呼び出されるのは面倒らしく、明日もう一度不備がないか確認作業をするとレンは説明してくれた。

俺もこっちで待っていてもよかったのだが、かなり空気が悪く昔やった肺が痛いので先に帰ることにしたのだ。

もちろん帰りは『アーリィ様』経由で。

いきなり人が消えると騒動になるということで、帰還しなければならない俺は新宿の裏通り、建物と建物の隙間に身を潜めたというわけだ。

「じゃあ、また明日の夜に……グーレラーシャの月は綺麗かしら?」

また謎の言葉だ。

「こっちの月は遠いな。だが月はどこでも綺麗だぜ? グーレラーシャの月なら尚更だ」

俺の言葉にレンは破顔した。

月には魔力が秘められているというが、レンはその魔力に魅せられているのだろうか。

それとも月の魔力を使ってグーレラーシャに飛んでいるのか。

レンが『アーリィ様』にお願いをすると、俺の周りの空間が歪む。

だんだんと掠れていくレンを見ながら構えているとレンがふいに俺を呼んだ。

「リュディガー?」

「な、なんだ?」

珍しくはにかむように頬を染めたレンが俺の名前を呼んでジッと見つめるので俺もわずかに緊張する。

夜空と同じ色の瞳はキラキラとしてとても綺麗だ。

「あのね、心配してくれて、探しに来てくれて……本当に嬉しかったわ。ありがとう」

「っつ!!」

俺の口元を掠めるようにレンの柔らかな唇が刹那の間、押し付けられる。

ふわりと匂い立つレンの香が鼻腔をくすぐって俺がとっさに荷物でいっぱいの手を伸ばした瞬間、視界が暗転した。

レンを捕まえ損ねた手をぐっと握り、俺はギリッと歯を噛み締める。


不意打ち過ぎんだろ……。


返事を返す間すらなく空間が捻れていつの間にかグーレラーシャの見慣れた傭兵ギルドに戻って来ていたが、俺の瞼にはレンのはにかむ姿とその唇の感触がいつまでも焼き付いていた。



◇◇◇◇◇◇◇◇



「おい……またお前か」

「リュディガーさん、レンさんは?」

俯いて目を閉じていた俺が聞き慣れた声に顔を上げると、そこには迷惑そうな顔のヒフィゼ ギルド管理官長とその愛妻の姿があった。

どうやら俺は管理官長室に飛ばされてしまったらしい。

本意ではないにせよ、ヒフィゼ ギルド管理官長とマキナ嬢の邪魔をすることが恒例となりつつあるようだ。

「向こうで無事に会えたがレンに急な仕事が入ってな……明日の夜にまた来るそうだ。丁度よかった、レンからケーキやら菓子やらを預かってるぜ?」

ケーキと聞いたヒフィゼ ギルド管理官長は表情を緩める。

この男もグーレラーシャ人として甘党を極めた男なので『ニホン』の菓子には目がないらしい。

「そんじゃ、失礼しますよ」

ヒフィゼ ギルド管理官長がどうやってもマキナ嬢を降ろす気がないことはこっちもわかっているので俺から近付いて菓子箱を手渡す。

「生ものなんで早いうちに食べてくださいよ」

「そっちの箱はなんだ?」

俺が抱えているたくさんのでかい箱に目を光らせるヒフィゼ ギルド管理官長に俺は半眼になる……あんたどんだけ食う気だ。

「これはギルドのみんなにと言われましてね。焼き菓子だが量が半端ないから重てぇのなんの」

別にこれくらいの重さならなんてことないが、量よりも数が問題だ。

半端ない数の菓子箱が入った紙袋を両手に下げていた俺は見せつけるように持ち上げてみせた。

「そうか。なら早く渡してやるといい」

「そうしますよ……ああマキナ嬢、そのケーキはパティスリー・クレルドリュンヌって有名どころの秋の新作だってよ」

「レンさんがこの間話してくれたパティスリーですね!! ガイウス、早く仕事を片付けて帰ろう?」

マキナ嬢が可愛くお願いするとヒフィゼ ギルド管理官長はまたもや甘ったるい笑みになる。


あー、あー、見えない聞こえない、俺は石だ、石になるんだ。


目の前の二人が自分たちの世界に入ってしまったので、俺は丸リュー印の箱を落とさないように気を付けながら退出しようとして……ふと気になったことを聞いてみようと思い立つ。

「ああ、マキナ嬢、一つ聞いてもいいか?」

俺は扉に手をかけたまま後ろを振り返る。

ヒフィゼ ギルド管理官長はこの際無視してマキナ嬢に視線を合わせるが、帰れオーラ剥き出しな威圧感が痛い。

「なんですか?」

「あのよ、『月が綺麗ですね』ってどういう意味なんだ? レンの奴がことあるごとに言うんだよ。聞いてもそのままの意味だって言うんだが、本当にそうなのか?」

ぐずぐずしていると本気で殺られそうなので聞きたいことを一気に話す。

マキナ嬢は少し首を傾げると、何かを思い出したような顔になった。

「『月が綺麗ですね』? ……レンさん大人だ」

「やっぱり別の意味があるのか?!」

「真姫奈、オレも知りたいな。何故それでレン殿が大人になるんだ?」

ヒフィゼ ギルド管理官長が負けじと会話に加わってくる。

いや、違うって……誰もあんたのマキナ嬢に取り入ろうって魂胆じゃないから俺に張り合わないで欲しいのだが。

「レンさんの住む『ニホン』にもあの有名な逸話があるんなんて驚きです……リュディガーさん、本当に知りたいですか?」

「毎回言われると気にな」

「真姫奈、そこまで言っておいて教えてくれないのか?」

ヒフィゼ ギルド管理官長が俺の言葉を遮った。


もう勘弁してくれ。

俺にはレンがいるんだ、あんたの邪魔はしないっての!!


そんな俺たちの奇妙な攻防戦を知ってか知らずか、マキナ嬢は俺たちに説明してくれる。

「ある有名な文豪の逸話です。『月が綺麗ですね』は遠回しに告白しているという解釈なんですよ」

「な、なんの告白だ?」

「…………」

ヒフィゼ ギルド管理官長がついに黙り込んだが、その顔は何かを企んでいそうだった。


あー、マキナ嬢すまん、何かのスイッチを入れちまったみてえだ。

しかし、本当に何の告白なんだ?


「告白なんて一つしかありませんよ。アイ・ラブ・ユーという異国の愛を告げる言葉を文豪が風流に『月が綺麗ですね』と意訳したんです。アイ・ラブ・ユーを直訳すると『貴方を愛しています』って……きゃーっ、レンさん素敵!!」

マキナ嬢が赤くなった頬を両手で押さえているが、俺の方が顔を覆いたくなるくらいに赤面していることは間違いない。


なんだって?

『貴方を愛しています』って……そうなのか?

レンは、レンは俺にずっとそういう意味の告白をしていたってのか?!

この世界に飛ばされて来た日からずっと、そうなのか……レン!!


「……マキナ嬢ありがとな」

グーレラーシャの礼を出来ないくらいに衝撃を受けた俺はふらふらとした足取りで管理官長室を後にする。

まさかレンが俺をそういった対象で見ていたとは気が付かなかった。


なんだよ、それなら我慢することなんかねえじゃんかよ。

レン、あんたがその気なら俺はいつだって抱き上げてやるよ。

そうしたらもう降ろしてやんねえけどな!!


ギルドに居た奴らが俺を見て触らぬ神に祟りなしといった顔で避けていくが、どうやら俺は相当凶悪な顔をしているらしい。


上等だ……明日覚悟してろよ、レン・アリシナ!!


俺は受付のジィアに大量の菓子箱を押し付けると、丸リュー印のケーキの箱を片手にさげて意気揚々と傭兵ギルドを後にした。

グーレラーシャの澄んだ夜空には今宵も月が煌々と輝いている。

明日は満月。

レンを抱き上げるのにお(あつら)え向きの好条件に、俺は初恋を実らせた少年のように弾む心臓の鼓動に合わせるようにして寝ぐらへと走りだした。

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